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花弁
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ハンナから重要な情報は得られたが、アーネストはいまだ核心には迫れないでいた。
手元の写真には、哀れな女の変わり果てた姿が、恐ろしいほど冷静に写り込んでいた。
赤と呼んでいいのか分からない色に塗れたその顔。
理性的に判断すれば、人体から溢れる液体の色は一つと決まっているのだが、それに写っている物体は、余りにも凄惨で何色かと問われれば言葉に詰まってしまうのだ。
クレイグから連絡が入った。
『警部、現場のアパートの所有者の聞き込み終わりました。』
いつもの通り沈んだ声だ。
アーネストはあまり答えに期待せず、言った。
「そうか。それで何か分かったか?」
『いいえ。その部屋を借りたのは男である事は確かですが、公衆電話からの申し込みで、かなりな額を言って貸してくれと言ったそうです。事件の3日前、人相を隠した状態で金を払いにきて、そのまま鍵を受け取ったと。』
「ああ、分かった。もうそのまま帰っていいぞ。ご苦労だったな。」
そう自分で言って初めて、アーネストはもうとっくに帰宅時間を過ぎている事に気付いた。
荷物を軽くまとめ、帰ろうといつもの無機質な廊下を歩いていると、ディヴィに呼び止められた。
「丁度良かった。アーネスト、寄っていかないか?」
そう言ってデイヴィは、鑑識班に割り当てられていた廊下の一室を指さした。
大抵デイヴィは、何か気掛かりなことが分かると、そうしてアーネストに報告するのだ。
部屋は無数のファイルで埋め尽くされていた。
「大体のことはこれで報告した通りだ。」
デイヴィはアーネストにその中の一つを差し出して言った。
「死因は腹部にサバイバルナイフのようなもの刺されての出血死。死亡後すぐに顔の皮を違う刃物で剥がされ、硫酸で頭皮を焼かれ、更には鋸で手足を切断。ここまではもう知ってるな」
「他に何か見つかったのか?」
「ああ。そりゃもうかなりゾッとするのが。」
そう言ってデイヴィは遺留品の中から、一つの小さいビニールパックをアーネストに渡した。
そこには黄色い花弁が一枚入っていた。
「遺体のすぐ横のサイドテーブルに落ちていた。…調べた結果、向日葵の花弁だった。」
「女に花のプレゼントか。洒落てるな。」
「はっ、そんな事言えるのはお前ぐらいなもんだよ。こいつの花言葉、知ってんのか?」
「そういうのには生憎疎くてな。どんなのなんだ?」
「『私の目は貴方だけを見つめる』だそうだ。随分ユーモアのセンスがあるだろ?」
「ああ、本当に洒落てやがる。」
確かに眼球以外の全てを失った女に対しては、この花言葉ほど似合うものは無いように思えた。
デイヴィと別れ、署を後にしようと玄関を出ると、突然若い男が走りよってきた。
「いやぁアーネストさん。今回ばかりは苦戦しているようですね。今ご帰宅ですか?」
「…名前で呼ぶなと何度言ったら覚えるんだ?俺は君の知り合いでも友人でもない。」
「全く、相変わらずかたいですね。いいじゃないですか。アーネスト・バッカスさん」
いつもの通りレックス・モーリーは薄気味悪い笑みを顔にはりつけて言った。
「ところで、今日はいつにも増して遅かったですね。何か動きでも?」
「あったとしても、君には言う気はないな。」
アーネストは苛立ちを食い殺して答えた。
事件直後からアーネストは、このモーリーという男に付きまとわれていた。
アーネストは今まで多くの記者達をかわしてきたが、この男ほどしつこく、悪知恵がはたらく奴は居なかった。
「そうですか。残念だなあ。流石に一週間も新しい記事がないんじゃ読者も離れていってしまうんですよね。」
「君らの記事の充実の為に働いているつもりはないんだがね。」
「あなたは少し賢く立ち回るって事を知ったほうがいいんじゃないですか?もし我々に少しでもお慈悲をかけてくれれば、我々だってそれ相応のお返しってものがあるんですよ?」
「はっ警察を金で釣るのか?バカバカしい。」
「いや、とんでもない。例えば…情報によってはここ一週間は大人しくしてますよ。他の奴らも遠ざけるってのもお手の物です。そしたら、そっちだって捜査がやりやすいでしょう?」
「…すまないが今日はもうゆっくり休みたいんだ。そんな事に付き合っている暇はない。」
そう言うと、アーネストは車のドアに手を掛けた。
振り返らずキーを差し込む。
「アーネスト・バッカス警部!」
モーリーは車の横から中を覗き見るようにして言った。
「懸命な判断を期待してます。」
アーネストは何も答えず、車を出した。
そして、卑しい笑みを浮かべた男だけがそこに残された。
「おかえりなさい。今日は遅かったのね。」
自宅の玄関を抜けると、ドナがリビングから顔を出した。
「ただいま。少し手間取っていてね。」
「そう、あまり無理はしないでね。」
仕事で遅くなるといつもドナはこの言葉をかける。
テーブルにはいつもの通り美味しそうな料理が並んでいた。
今温めるからと言って、ドナがキッチンへと向かうと、アーネストはその後ろ姿をぼんやりと眺めた。
ドナの料理は、お世辞抜きで素晴らしかった。
味は勿論だが、盛り付けも高級レストランさながらで、いつもアーネストは彼女の料理を楽しみにしていた。
ドナ自身も得意意識はあるらしく、時々自分が料理を作る工程を動画に撮って動画サイトに投稿しているそうだ。
夕食をとり終えると、疲れがどっと吹き出してきた。
「もう、あなたったら、せめてシャワーは浴びて寝て。」
ドナに言われ渋々浴室へと向かった。
熱い湯を浴びていると、唐突にまたあの女の事を思い出した。
女の酸で焼かれた頭皮。
頭蓋骨までどろどろになって、脳味噌まで見えそうになっていた。
アーネストはすぐさま蛇口を捻り、頭にかかっていた湯を止めた。
そんなに俺は参っているのかと、アーネストは少し驚いた。
手元の写真には、哀れな女の変わり果てた姿が、恐ろしいほど冷静に写り込んでいた。
赤と呼んでいいのか分からない色に塗れたその顔。
理性的に判断すれば、人体から溢れる液体の色は一つと決まっているのだが、それに写っている物体は、余りにも凄惨で何色かと問われれば言葉に詰まってしまうのだ。
クレイグから連絡が入った。
『警部、現場のアパートの所有者の聞き込み終わりました。』
いつもの通り沈んだ声だ。
アーネストはあまり答えに期待せず、言った。
「そうか。それで何か分かったか?」
『いいえ。その部屋を借りたのは男である事は確かですが、公衆電話からの申し込みで、かなりな額を言って貸してくれと言ったそうです。事件の3日前、人相を隠した状態で金を払いにきて、そのまま鍵を受け取ったと。』
「ああ、分かった。もうそのまま帰っていいぞ。ご苦労だったな。」
そう自分で言って初めて、アーネストはもうとっくに帰宅時間を過ぎている事に気付いた。
荷物を軽くまとめ、帰ろうといつもの無機質な廊下を歩いていると、ディヴィに呼び止められた。
「丁度良かった。アーネスト、寄っていかないか?」
そう言ってデイヴィは、鑑識班に割り当てられていた廊下の一室を指さした。
大抵デイヴィは、何か気掛かりなことが分かると、そうしてアーネストに報告するのだ。
部屋は無数のファイルで埋め尽くされていた。
「大体のことはこれで報告した通りだ。」
デイヴィはアーネストにその中の一つを差し出して言った。
「死因は腹部にサバイバルナイフのようなもの刺されての出血死。死亡後すぐに顔の皮を違う刃物で剥がされ、硫酸で頭皮を焼かれ、更には鋸で手足を切断。ここまではもう知ってるな」
「他に何か見つかったのか?」
「ああ。そりゃもうかなりゾッとするのが。」
そう言ってデイヴィは遺留品の中から、一つの小さいビニールパックをアーネストに渡した。
そこには黄色い花弁が一枚入っていた。
「遺体のすぐ横のサイドテーブルに落ちていた。…調べた結果、向日葵の花弁だった。」
「女に花のプレゼントか。洒落てるな。」
「はっ、そんな事言えるのはお前ぐらいなもんだよ。こいつの花言葉、知ってんのか?」
「そういうのには生憎疎くてな。どんなのなんだ?」
「『私の目は貴方だけを見つめる』だそうだ。随分ユーモアのセンスがあるだろ?」
「ああ、本当に洒落てやがる。」
確かに眼球以外の全てを失った女に対しては、この花言葉ほど似合うものは無いように思えた。
デイヴィと別れ、署を後にしようと玄関を出ると、突然若い男が走りよってきた。
「いやぁアーネストさん。今回ばかりは苦戦しているようですね。今ご帰宅ですか?」
「…名前で呼ぶなと何度言ったら覚えるんだ?俺は君の知り合いでも友人でもない。」
「全く、相変わらずかたいですね。いいじゃないですか。アーネスト・バッカスさん」
いつもの通りレックス・モーリーは薄気味悪い笑みを顔にはりつけて言った。
「ところで、今日はいつにも増して遅かったですね。何か動きでも?」
「あったとしても、君には言う気はないな。」
アーネストは苛立ちを食い殺して答えた。
事件直後からアーネストは、このモーリーという男に付きまとわれていた。
アーネストは今まで多くの記者達をかわしてきたが、この男ほどしつこく、悪知恵がはたらく奴は居なかった。
「そうですか。残念だなあ。流石に一週間も新しい記事がないんじゃ読者も離れていってしまうんですよね。」
「君らの記事の充実の為に働いているつもりはないんだがね。」
「あなたは少し賢く立ち回るって事を知ったほうがいいんじゃないですか?もし我々に少しでもお慈悲をかけてくれれば、我々だってそれ相応のお返しってものがあるんですよ?」
「はっ警察を金で釣るのか?バカバカしい。」
「いや、とんでもない。例えば…情報によってはここ一週間は大人しくしてますよ。他の奴らも遠ざけるってのもお手の物です。そしたら、そっちだって捜査がやりやすいでしょう?」
「…すまないが今日はもうゆっくり休みたいんだ。そんな事に付き合っている暇はない。」
そう言うと、アーネストは車のドアに手を掛けた。
振り返らずキーを差し込む。
「アーネスト・バッカス警部!」
モーリーは車の横から中を覗き見るようにして言った。
「懸命な判断を期待してます。」
アーネストは何も答えず、車を出した。
そして、卑しい笑みを浮かべた男だけがそこに残された。
「おかえりなさい。今日は遅かったのね。」
自宅の玄関を抜けると、ドナがリビングから顔を出した。
「ただいま。少し手間取っていてね。」
「そう、あまり無理はしないでね。」
仕事で遅くなるといつもドナはこの言葉をかける。
テーブルにはいつもの通り美味しそうな料理が並んでいた。
今温めるからと言って、ドナがキッチンへと向かうと、アーネストはその後ろ姿をぼんやりと眺めた。
ドナの料理は、お世辞抜きで素晴らしかった。
味は勿論だが、盛り付けも高級レストランさながらで、いつもアーネストは彼女の料理を楽しみにしていた。
ドナ自身も得意意識はあるらしく、時々自分が料理を作る工程を動画に撮って動画サイトに投稿しているそうだ。
夕食をとり終えると、疲れがどっと吹き出してきた。
「もう、あなたったら、せめてシャワーは浴びて寝て。」
ドナに言われ渋々浴室へと向かった。
熱い湯を浴びていると、唐突にまたあの女の事を思い出した。
女の酸で焼かれた頭皮。
頭蓋骨までどろどろになって、脳味噌まで見えそうになっていた。
アーネストはすぐさま蛇口を捻り、頭にかかっていた湯を止めた。
そんなに俺は参っているのかと、アーネストは少し驚いた。
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