ブライダル・ラプソディー

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　終始俯いていた女性はぴくりと反応し、小さな声で震えるように『ごめんなさい』と、謝った。『君が謝ることはない』と父が宥めていたが、その女性はとうとう一度も顔を上げなかった。おそらく２人は、自分を引き取る話をしに来た筈なのだが、一度もそのことを口にしなかった。

　奈津には、この小さく震えている女性が悪い人には見えなかった。むしろ、その逆だった。この女性も、父も、母も、祖父母も、皆、優しくていい人たちだ。

　人を好きになるのは理屈じゃないことくらい、その当時から分かっていたし大人になった今ではより一層理解できる。

　でも、やっぱり不義はだめだ。
　優しい人たちを、こんなにも傷つける。

　夫婦になったのなら、お互いを裏切るようなことなど、あってはならない。奈津はあの時、そう思った筈だった。──今の不甲斐ない自分を見たら、母は何て思うだろう。

　その女性と会ったのは、その時だけだった。父とは、ごくたまに連絡を取り合っている。自分には腹違いの妹がいることになるのだが、一度も会ったことはない。いつか、会ってみたいと思う。

　大学を卒業する頃、母の兄である伯父から、自宅を二世帯住宅にするという話が持ち上がり、祖父母がそちらに移るのをきっかけに１人暮らしを始めた。その当初も、また大学を卒後して就職した会社が２年足らずで倒産した時も、祖父母は随分援助してくれて感謝してもしきれない。

　程なくして、縁あって櫻井音楽事務所に就職することができた。その際には、マネージャーの本城が随分と自分を推してくれたと聞く。本城の期待には応えたいし、この仕事も気に入っている。だから、メルマリーの仕事も続けたいと思っているのだが──

（………）

　奈津は空になったコーヒーの缶を捨てるために立ち上がった。辺りはもう、暗くなり始めている。日が落ちる直前の、青い靄が辺りに立ち込めていた。

　さわさわと揺れる大きな桜の木を見上げて、深呼吸を１つする。

　すっかり落ち着きを取り戻した奈津は、コーヒーの缶をゴミ箱に落とし、荷物を取りにメルマリーに戻って行った。