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原田たちがひなののお墓参りに行っていた頃、薫は田舎の実家に帰省していた。
正月は毎年帰っていたが、夏場の暑い時期に帰るのは久しぶりで、酷く懐かしい気持ちに包まれた。
開け放した縁側で姉の子供が遊び、その相手をしていた祖母が、薫を見て目を細める。冷えたスイカと麦茶を並べたテーブルには、アルバムが2冊、置いてあった。
「やっと見せられるわ」
そう言いながら姉が開いたアルバムには、幼い頃の薫がたくさん写っていた。──ソラと一緒に。
「ほら、この写真なんて、本当は私の結婚式のムービーで使いたかったんだからね」
家族が並んだ写真の真ん中に、浴衣を着た姉と薫と、ソラがいる。ここにある写真の薫の横には、必ずソラがいた。
薫の向かいに腰を下ろした母が、懐かしそうにアルバムを覗き込む。
「ソラは優しい犬だったからね。あんたが悲しまないように、思い出も一緒に持って行ったんだろうって、話してたんだよ」
「そういえばあんた、いまだに泳げないんだって?」
「……悪かったな」
意地悪く笑う姉に、薫は肩を竦めた。
薫が中学校1年生の時、近くの湖で、溺れ掛けたことがあった。
その頃はもう寝ていることの多かったソラが、この日は珍しく自分からボールを咥えてきた。薫は嬉しくて、いつもの湖にソラと出掛け、浅瀬でボールを投げて遊んでいた。そして、何かの弾みで流されたボールを取りに行こうとして──深みに足を取られた。普段は穏やかな湖が、薫に牙を剥いた瞬間だった。
ソラは薫を助けようと、服を咬み腕をも咬んで岸へと引っ張ったのだろう、打ち上げられた薫の服は無惨に千切れ、咬まれた腕から流れ出た血で、赤く染まっていたそうだ。
「ソラはあの時もう、15歳だったからね。人間で言うとおじいちゃんだよ。最後の力を振り絞って、力尽きたんだね」
駆けつけた大人たちの介抱で、辛うじて息を吹き返した薫が病院に運ばれるのを見送り安心したように、ソラは息を引き取った。
「あんたが知ったらどんなに悲しむだろうって、話してたんだよ。ソラはそれを、聞いていたんだね」
母が、優しそうに写真のソラを撫でる。
意識を取り戻した薫は、何故か、ソラとの記憶が一切なかった。医者には、ストレスによる一時的な記憶障害と言われたそうだ。
家族は、ソラとの思い出を薫から隠した。少しの間だけでも薫が悲しい思いをしないようにと、写真もそうだがソラの小屋や玩具も片付け、目に触れさせないようにした。それだけではなく、薫の友達にもソラの話をしないよう、お願いまでしたそうだ。薫は、愛されている。
「当時は、すぐに思い出すだろうって思ってたのよ。まさかこんなに掛かるなんて、思わないじゃない」
お陰で色々と不便だったのよ、と姉が笑った。
薫は、湖で溺れ掛けたことは何となく覚えていたが、ソラのことは記憶になかった。あの晩、ソラに会うまでは。
「……ソラの、お墓は」
「神主さんがね、ソラは家族想いの優しい犬だからって供養してくれたのよ。だから、福美さんとこの敷地の、裏手のとこよ」
福美神社の裏手、小さな墓標の前に膝をついて、薫は久しぶりに泣いた。
あの晩、ひなのから守ってくれたソラは、15歳くらいの少年だった。それでも、あの黒い瞳はソラだと分かった。あんな瞳は、ソラしか知らない。……あと相川と。
ソラを抱きしめて、顔を舐められた感触が、まだ残っている気がする。声が、耳に残っている。
『薫、薫……大好きだ!』
(番外編・おわり)
正月は毎年帰っていたが、夏場の暑い時期に帰るのは久しぶりで、酷く懐かしい気持ちに包まれた。
開け放した縁側で姉の子供が遊び、その相手をしていた祖母が、薫を見て目を細める。冷えたスイカと麦茶を並べたテーブルには、アルバムが2冊、置いてあった。
「やっと見せられるわ」
そう言いながら姉が開いたアルバムには、幼い頃の薫がたくさん写っていた。──ソラと一緒に。
「ほら、この写真なんて、本当は私の結婚式のムービーで使いたかったんだからね」
家族が並んだ写真の真ん中に、浴衣を着た姉と薫と、ソラがいる。ここにある写真の薫の横には、必ずソラがいた。
薫の向かいに腰を下ろした母が、懐かしそうにアルバムを覗き込む。
「ソラは優しい犬だったからね。あんたが悲しまないように、思い出も一緒に持って行ったんだろうって、話してたんだよ」
「そういえばあんた、いまだに泳げないんだって?」
「……悪かったな」
意地悪く笑う姉に、薫は肩を竦めた。
薫が中学校1年生の時、近くの湖で、溺れ掛けたことがあった。
その頃はもう寝ていることの多かったソラが、この日は珍しく自分からボールを咥えてきた。薫は嬉しくて、いつもの湖にソラと出掛け、浅瀬でボールを投げて遊んでいた。そして、何かの弾みで流されたボールを取りに行こうとして──深みに足を取られた。普段は穏やかな湖が、薫に牙を剥いた瞬間だった。
ソラは薫を助けようと、服を咬み腕をも咬んで岸へと引っ張ったのだろう、打ち上げられた薫の服は無惨に千切れ、咬まれた腕から流れ出た血で、赤く染まっていたそうだ。
「ソラはあの時もう、15歳だったからね。人間で言うとおじいちゃんだよ。最後の力を振り絞って、力尽きたんだね」
駆けつけた大人たちの介抱で、辛うじて息を吹き返した薫が病院に運ばれるのを見送り安心したように、ソラは息を引き取った。
「あんたが知ったらどんなに悲しむだろうって、話してたんだよ。ソラはそれを、聞いていたんだね」
母が、優しそうに写真のソラを撫でる。
意識を取り戻した薫は、何故か、ソラとの記憶が一切なかった。医者には、ストレスによる一時的な記憶障害と言われたそうだ。
家族は、ソラとの思い出を薫から隠した。少しの間だけでも薫が悲しい思いをしないようにと、写真もそうだがソラの小屋や玩具も片付け、目に触れさせないようにした。それだけではなく、薫の友達にもソラの話をしないよう、お願いまでしたそうだ。薫は、愛されている。
「当時は、すぐに思い出すだろうって思ってたのよ。まさかこんなに掛かるなんて、思わないじゃない」
お陰で色々と不便だったのよ、と姉が笑った。
薫は、湖で溺れ掛けたことは何となく覚えていたが、ソラのことは記憶になかった。あの晩、ソラに会うまでは。
「……ソラの、お墓は」
「神主さんがね、ソラは家族想いの優しい犬だからって供養してくれたのよ。だから、福美さんとこの敷地の、裏手のとこよ」
福美神社の裏手、小さな墓標の前に膝をついて、薫は久しぶりに泣いた。
あの晩、ひなのから守ってくれたソラは、15歳くらいの少年だった。それでも、あの黒い瞳はソラだと分かった。あんな瞳は、ソラしか知らない。……あと相川と。
ソラを抱きしめて、顔を舐められた感触が、まだ残っている気がする。声が、耳に残っている。
『薫、薫……大好きだ!』
(番外編・おわり)
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