ブライダル・ラプソディー

葉月凛

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 それは、始まった時と同様に、唐突に終わってしまった。1002号室へは、ぱったりと呼ばれなくなった。

 真一以外の人間に自分が饗されることもなかったが、それだけに、彼が特別だったのだと思い知った。

 でもそれも、もう終わったのだ。
 そう思っていた。──今日まで。

「コートをどうぞ、相川さん」

 雅巳さんが私にあのブルームーンを作らせた時、私はこの相川という人が新しい特別なのかと思った。この、随分と若い、子供のような彼が。

 でも、違った。
 真一に引きずられるように帰って行く姿を見て、全てを悟る。

 雅巳さんの目的は、相川じゃない。
 真一だ。雅巳さんの特別は、3年経った今も、真一だ。……やっと忘れ掛けた苦い気持ちが、ふつふつと蘇る。

 フロアを覗くと、カウンター席の雅巳さんの隣に、手付かずのブルームーンが置いたままになっていた。

(──下げてしまおう)

 トレイを持ってカウンター席へ行き、妖しい紫がかった青色の液体が入ったグラスを、下げようとした。

「失礼します」

 伸ばした指先がグラスに触れる直前に、雅巳さんは私の手首をそっと掴んだ。

「──忍。これは、君にあげよう」
「え?」
「飲みなさい」
「でも、これは……」

 このカクテルには、催淫剤が入っている。雅巳さんに言われて、自分が入れたのだ。

「ほら、今なら誰も見ていない。それを飲んだら、あとで部屋に来なさい。いいね?」

 雅巳さんは胸ポケットからカード型のルームキーをちらりと見せた。──1002号室と書いてある。

「飲みなさい。──忍」

 雅巳さんは、私を見た。
 さっき真一と会って、無意識に躰の内に灯った劣情の焔を見透かすような視線だった。

「………」

 私はフロアの客に見えないように背を向け、膝を折って、ひと息にそれを飲み干した。
 爽やかな香りが鼻に抜ける。私はこの人に、逆らえない。

「いい子だね、忍」
「………」
「では、今からちょうど1時間後に部屋に来なさい。店には私から言っておく」
「えっ……」

 それは無理だ。この薬は、即効性だ。もって30分がいいところだろう。
 1時間後では──間に合わない。

「でも、あの」
「いいね、きっちり1時間後だ。さあ、仕事に戻りなさい」
「……はい」

 ブルームーンが、あの妖しい液体が、躰に染み込んでゆく。

 雅巳さんは、時に酷く残酷だ。

               (おわり)


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