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幻聴じゃない

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「アクア、どこ……?」

 幻聴じゃない。声は確かに聞こえた。でもどこから聞こえたのかわからなくて辺りを見回す。

『防御石だ。聞こえるか?』

 耳を澄まして良く聞けば、その声は言われた通り僕の首元から聞こえていた。慌てて取り出した防御石はいつもの濃い青に金色が散りばめられたような色から淡い水色に変わっていて、アクアの声に合わせて柔らかく光を放つ。

「聞こえる……」

『良かった。今何が起きてるのかカメラ?で観てた。よく頑張ったな』

 頑張った?僕が?ただテオドールにされるがまま震えていただけなのに。自分で自分が情けなくて、テオドールが戻った後の事が怖くて泣いていただけなのに。
 アクアの声が柔らかく続ける。それに合わせてまた防御石がゆらゆらと淡い光を放った。

『もう近くまで来てるからな。自棄を起こすなよ』

 淡い光に合わせて聞こえるアクアの低い声がゆっくりと耳に入って来て浅く早かった呼吸は少しずつ落ち着いて、カタカタ震えていた体の動きも小さくなっていく。
 パニック状態だった頭の中にかかっていた靄が一気に晴れた感覚がしてぎゅ、っと防御石を握りしめた。

「近く……皇城まで?」

『魔獣退治で警備が少し薄い。抜け穴があるらしいから今から忍び込む』

 ふと嫌な予感が頭を過る。
 テオドールは前の人生の記憶があった。そして僕とアクアが一緒にいる所を見ていた。もしアクア達が僕を助けに忍び込む事を予測していたとしたら?皇城への侵入は重罪だ。それを狙われていたら。

「ま、待って!一体どこから観てたの?」

『多分ベリルが起きた辺りからか?あの皇太子とのやり取りは観てた。あいつが戻る前に迎えに行くから安心しろ』

「違う、待って!罠かも知れない!テオドールにも前の人生の記憶があるんだ!」

 扉の外に人の気配を感じて、ハッと声を潜める。部屋に直ぐ入って来ないという事はそこにいるのはテオドールではなく、見張りの兵だろう。今の僕の声が聞こえて聞き耳を立てている可能性もある。
 どういう事だ、と聞こえた声に小さな声で答える。

「テオドールに出会った時言われたんだ。前の記憶があるって。だから僕にも記憶がある事がすぐわかった、って。出会った事がない僕の事を認識してたから嘘はついてないと思う」

 それに僕も知らなかった、僕が死んだ後の皇国がどうなったのかも知っていた。テオドールが公女様と手を組んでいるのでなければ本当に前の記憶がない限り知らない筈だ。

「だからきっと抜け穴には騎士団が配置されてる」

 学生時代のテオドールが使っていたという抜け穴。それは主にユヴェーレンとの逢瀬の為に使われていた物だったのだろう。けれどまだテオドールが僕に優しかった子供の頃その抜け穴の存在を教えてくれた事があった。一緒に外に抜け出そうとして護衛騎士に二人揃って怒られた懐かしい記憶が蘇る。
 記憶があるのなら僕が抜け穴の存在を知っている事も気付いていると思う。万が一僕が逃げ出すのならそこを使う筈だ、と予測を立てているだろう。

『だけど正面突破は無理だぞ』

「わかってる……もう1つ、今もあるかわからないけど、テオドールも知らない抜け道を知ってる」

 それは本当の緊急時、もしも僕の身に危険が迫ってどうしても皇城から逃げ出さないといけなくなった時に使え、と。

 ――アレク、どうかそなたがこの抜け道を使わなくて済む事を祈っておる

 皇帝陛下しか知らない、第一王子の母だった亡き前皇后陛下専用の抜け道。敵だらけの皇城で、僕に万が一が迫った時にと僕だけに教えてくれた秘密の通路だ。勿論それは前の人生の僕への気遣いで、今の僕が使う資格はないだろうけれどテオドールが知らない抜け道はここしかない。
 結局何度も皇城から逃げ出したくなったけれど最期まで使う事のなかった抜け道は、僕が死んだ後すぐ皇国が滅びたのなら誰にも知られる事はなかった筈だ。

『その部屋からそこまでは?行けるのか?』

 チラリと扉を振り返るけれど、外の気配が中に入ってこようとする様子はない。
 僕は窓からバルコニーに出て外の様子を確かめる。遠くに町で燃える炎が見えて明々と時計台が照らされていて、またも鳴った鐘は午前2時になった事を知らせていた。
 地上から4階辺りにあるらしいこの部屋から上は灯りが付いていなくて、下の階層には僅かながら灯りが灯っている。
 丁度バルコニーから近い位置に大きな木が植わっているのが見えて、その周りは背の低い木やガゼボがあった。

(離宮か)

 僕は皇城に住んでいた。その方が仕事を押し付けやすかったからだろう。離宮には確かテオドールの実母である皇后陛下が住んでいた筈だ。ただそれはテオドールが皇帝になってからだったから、皇帝陛下が生きている今この離宮は普段使われていなかった筈。
 それでも手入れされている離宮の庭園の向こうに亡き前皇后陛下の温室があるのは周知だった。皇后陛下でありながら離宮に追いやられた彼女が最期まで愛した温室にその扉はある。

「大丈夫……このくらいなら、いける。もしあの抜け道がまだあるなら出口は貴族街のもう使われてない古井戸だ」
 


 バルコニーから木に飛び移って数分身を潜めていたけれど特に騒ぎになる様子はない。多分テオドール自身僕から精霊術を取り上げれば何も出来ないと油断しているからだろう。ならその隙にここを逃げ出すだけだ。
 アクアの声を聞かなかったら冷静になれないまま逃げ出す選択肢も頭に浮かばなかったかも知れない。例え逃げ出したとしても、バカ正直にテオドールに教わった抜け穴に行っていたかも知れない。

「あんた声から何か魔力でも出てんの?」

『何だ?惚れ惚れするような良い声か?』

 万が一抜け道がなかった時の為にずっと繋がったままの防御石からアクアの声がするから冷静でいられる。
 向こうも移動中なのか時折声が乱れるけれど、ずっと明るく話しかけてくれるそれに随分と救われた。だから変に委縮する事なく見回りをやり過ごしながらそこへ辿り着く。
 月明りに照らされた黄色い小さな花が甘い香りを振りまく温室。この小さな黄色い花はフローリアンリヒトという皇国にだけ咲く花だ。王家は光の精霊王リヒトの末裔だという神話を元に名付けられたこの花は小ぶりながら華やかで、この温室には精霊達も沢山いてどんな時でもここに来れば癒された。日の当たる時間には行けないから夜の闇にこっそり紛れて気が付いたらそのまま花の中で眠ってしまってオブシディアンに揺り起こされた事も何度かある。
 皇帝陛下も執務の間に良く足を運んでいたこの温室にテオドールが来た事は一度もない。花に興味がなかったのもあるだろうし、この温室は実母が嫌う前皇后陛下が管理していた物だったから。
 それに皇帝陛下はこの温室の抜け道をテオドールにすら教えていないと言っていた。本当は前皇后陛下や第一王子をここから逃がしたかったんじゃないか、って当時の僕は漠然と思いながら聞いていたんだ。

『どうだ?あったか?』

「……ある」

 小さな花の根本。絡まり合う茎を避けて手を入れた所についた取っ手が僕の手の平にひんやりと存在を主張していた。

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