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駄々漏れ
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◇◇
ベリルを救出したのが明け方、寝て起きたのはその日の夕方、ヴォルフとのやり取りを終えて少し休んだ今は恐らくまた明け方の筈。
アクアはベッドに凭れかかったまま寝入っているらしいベリルの後頭部を見つめる。その向こう側にいるイグニスも壁に凭れたまま寝ているようだ。満月が終わって朝陽が昇り始めているのだろう。昨日の熱が嘘かと思う程スッキリとした目覚めだ。
夢うつつにヴォルフが手紙を持って精霊国に旅立ったのは聞こえたから今はいない筈。
そしてもう1つ、耳に残る言葉がある。
――もう誰かに恋して傷つきたくない
イグニスが抱えた不安に申し訳なさを感じて、ベリルの言葉に言い様のない感情が込み上げた。
あの皇太子に恋して傷ついた昔の記憶を引きずって臆病になっているのだろう。公女に聞いたアレキサンドリートへの扱いは相当な物だったし、実際カメラ越しに聞こえた皇太子の言動はそれが公女の妄想ではなく真実だと言う事を十分すぎる程に伝えてきた。
かくり、と揺れる頭に手を伸ばす。サラサラと流れる白髪は今日も手触りが良い。何度か手を滑らせた所でしなやかな手に掴まれて振り向いた赤い瞳に睨まれてしまった。
「あんた髪触るの好きなの?」
「ベリルの髪は触り心地が良いからな」
するりと指の間をすり抜けていく絹糸のような癖のない髪はベリルの母とは似ていない。彼女もまた精霊師ではあるけれど、属性は風だから深い緑の髪色をしていて緩やかなウェーブを描いている。でも少しだけツリ目な所や意志の強そうな口元はそっくりだ。けれど彼女に抱いたのは憧れに近い恋慕だったと今なら言える。
なら彼女によく似たベリルに抱く思いは何なのだろうか。泣き顔が可愛いと思った。笑顔をもっと見たいと思った。照れて動揺する姿にいたずら心が沸いてつい抱き締めて、腕の中の温もりを離したくないと思った。彼女には抱いた事のない思いだ。
「熱は下がったの?」
まだイグニスが寝ているからなのか小声で訊いてくるその唇に触れたいと思うこの想いの正体は。
◇◇
何だか妙に熱心に髪を梳いてくるアクアの腕を掴む。昨日あれだけ熱を持っていた肌はいつもの通り僅かに暖かいだけでもう心配はなさそうだ。それでも少しの会話の後熱が下がったのか訊いたのは僕を見つめてくる瞳が何だかまだ普段と違う光を帯びている気がしたから。
「満月が過ぎれば大丈夫だ」
掴んだ腕をやんわり外されて、代わりにするりと撫でられた指先にびっくりして手を引っ込めてしまう。一体何なの、と叫びかけて背後のイグニスがまだ寝ている事を辛うじて思い出して言葉を飲み込んだ。
心臓がドッ、ドッ、と飛び出しそうな鼓動を刻んでいる。
(本当に何なの、一体!熱でおかしくなった!?)
撫でられた指先が熱い。
赤くなる頬に気付かれたくなくてアクアに背中を向ける。この空気を何とかしたくて昨日はアクアがしんどそうで訊けなかった殿下との会話の気になった事を訊いてみた。
「き、昨日言ってた、海蛇ってまだ残党がいるの?」
海蛇。昔精霊国にいた秘密組織だというのは知っている。国際指名手配された極悪組織だけど、上層部は全て処刑された筈だ。僕が皇妃だった時にも海蛇の残党がいるかも知れない、と言われて調査をしたけれど少なくとも皇国にはいなかった。ただ彼らが活動していた頃は僕はまだ子供過ぎて実際何をした集団なのか詳しくは知らないんだけど。
「信じたくないけど、ヴォルフの情報は正確だからな。生き残った奴らがいたんだろ」
「……あんたとの因縁、って何」
また髪を梳かれる感覚がしてドキドキと煩い心臓を持て余しながら言葉を待つ。
「そうだな……隠すのはもうやめようか」
ギシリとベッドを軋ませて立ち上がったアクアが大きく伸びをする。
「イグニス、起きてるだろ」
「……起きてます」
起きてたんだ?
何だか気恥ずかしくなって俯く僕の頭を一撫でして、先に飯にしようと部屋を出て行くアクアに昨日の不調の跡は見られない。その事に安心して僕も立ち上がった。
「駄々洩れ……」
「う、うるさいな!何も洩れてないし!」
珍しく、ふ、と笑うイグニスの脇腹を小突きながら部屋を出ると食事の用意をしようとしていたらしいアクアが目を丸くしてこっちを見ている。
「一晩見ない内にえらく仲良くなったな」
「別に!」
今までは何だか無口だしとっつきにくいと思ってたイグニスが実は惚気るタイプだって知ったり、心の中では年相応に不安や悩みを抱えてるって思ったら少し親近感は湧いたけど、それだけだ。
殿下から好きに使って良いと言われているだけあって二人共どこに何があるか熟知していて、正直僕が出る幕は全くない。だから手持ち無沙汰に二人が簡易キッチンで食事の用意をしている姿を眺める。
イグニスは僕に自分の居場所を取られるかもなんて馬鹿な心配をしてたけれど、二人は何も言わなくても通じ合っていてアクアが何か探す素振りをすればイグニスが調味料を手渡すし、イグニスの手が止まればアクアが食材を差し出すしカカ母さんとトムじいさんみたいだ。正直その通じ合ってる感じがモヤモヤするんだけど、イグニスには一晩でも語りたいくらい好きな恋人がいるらしいからアクアと恋愛感情があって側にいるわけではないのはわかってる。
(何か、複雑……)
想いを伝える気はないんだからアクアが誰と仲良くしてたって僕には関係ないのに。
そう言えばアクアは殿下にもキスされてた気がするな。殿下は一体どこまで本気なんだろう。少なくともアクアの様子を見る限り恋人同士というよりは諦めてされるがままって感じがしたけど。
「……あんた無防備過ぎるんじゃない?」
「何で飯運んできただけで文句言われてるんだろう、俺……」
ベリルを救出したのが明け方、寝て起きたのはその日の夕方、ヴォルフとのやり取りを終えて少し休んだ今は恐らくまた明け方の筈。
アクアはベッドに凭れかかったまま寝入っているらしいベリルの後頭部を見つめる。その向こう側にいるイグニスも壁に凭れたまま寝ているようだ。満月が終わって朝陽が昇り始めているのだろう。昨日の熱が嘘かと思う程スッキリとした目覚めだ。
夢うつつにヴォルフが手紙を持って精霊国に旅立ったのは聞こえたから今はいない筈。
そしてもう1つ、耳に残る言葉がある。
――もう誰かに恋して傷つきたくない
イグニスが抱えた不安に申し訳なさを感じて、ベリルの言葉に言い様のない感情が込み上げた。
あの皇太子に恋して傷ついた昔の記憶を引きずって臆病になっているのだろう。公女に聞いたアレキサンドリートへの扱いは相当な物だったし、実際カメラ越しに聞こえた皇太子の言動はそれが公女の妄想ではなく真実だと言う事を十分すぎる程に伝えてきた。
かくり、と揺れる頭に手を伸ばす。サラサラと流れる白髪は今日も手触りが良い。何度か手を滑らせた所でしなやかな手に掴まれて振り向いた赤い瞳に睨まれてしまった。
「あんた髪触るの好きなの?」
「ベリルの髪は触り心地が良いからな」
するりと指の間をすり抜けていく絹糸のような癖のない髪はベリルの母とは似ていない。彼女もまた精霊師ではあるけれど、属性は風だから深い緑の髪色をしていて緩やかなウェーブを描いている。でも少しだけツリ目な所や意志の強そうな口元はそっくりだ。けれど彼女に抱いたのは憧れに近い恋慕だったと今なら言える。
なら彼女によく似たベリルに抱く思いは何なのだろうか。泣き顔が可愛いと思った。笑顔をもっと見たいと思った。照れて動揺する姿にいたずら心が沸いてつい抱き締めて、腕の中の温もりを離したくないと思った。彼女には抱いた事のない思いだ。
「熱は下がったの?」
まだイグニスが寝ているからなのか小声で訊いてくるその唇に触れたいと思うこの想いの正体は。
◇◇
何だか妙に熱心に髪を梳いてくるアクアの腕を掴む。昨日あれだけ熱を持っていた肌はいつもの通り僅かに暖かいだけでもう心配はなさそうだ。それでも少しの会話の後熱が下がったのか訊いたのは僕を見つめてくる瞳が何だかまだ普段と違う光を帯びている気がしたから。
「満月が過ぎれば大丈夫だ」
掴んだ腕をやんわり外されて、代わりにするりと撫でられた指先にびっくりして手を引っ込めてしまう。一体何なの、と叫びかけて背後のイグニスがまだ寝ている事を辛うじて思い出して言葉を飲み込んだ。
心臓がドッ、ドッ、と飛び出しそうな鼓動を刻んでいる。
(本当に何なの、一体!熱でおかしくなった!?)
撫でられた指先が熱い。
赤くなる頬に気付かれたくなくてアクアに背中を向ける。この空気を何とかしたくて昨日はアクアがしんどそうで訊けなかった殿下との会話の気になった事を訊いてみた。
「き、昨日言ってた、海蛇ってまだ残党がいるの?」
海蛇。昔精霊国にいた秘密組織だというのは知っている。国際指名手配された極悪組織だけど、上層部は全て処刑された筈だ。僕が皇妃だった時にも海蛇の残党がいるかも知れない、と言われて調査をしたけれど少なくとも皇国にはいなかった。ただ彼らが活動していた頃は僕はまだ子供過ぎて実際何をした集団なのか詳しくは知らないんだけど。
「信じたくないけど、ヴォルフの情報は正確だからな。生き残った奴らがいたんだろ」
「……あんたとの因縁、って何」
また髪を梳かれる感覚がしてドキドキと煩い心臓を持て余しながら言葉を待つ。
「そうだな……隠すのはもうやめようか」
ギシリとベッドを軋ませて立ち上がったアクアが大きく伸びをする。
「イグニス、起きてるだろ」
「……起きてます」
起きてたんだ?
何だか気恥ずかしくなって俯く僕の頭を一撫でして、先に飯にしようと部屋を出て行くアクアに昨日の不調の跡は見られない。その事に安心して僕も立ち上がった。
「駄々洩れ……」
「う、うるさいな!何も洩れてないし!」
珍しく、ふ、と笑うイグニスの脇腹を小突きながら部屋を出ると食事の用意をしようとしていたらしいアクアが目を丸くしてこっちを見ている。
「一晩見ない内にえらく仲良くなったな」
「別に!」
今までは何だか無口だしとっつきにくいと思ってたイグニスが実は惚気るタイプだって知ったり、心の中では年相応に不安や悩みを抱えてるって思ったら少し親近感は湧いたけど、それだけだ。
殿下から好きに使って良いと言われているだけあって二人共どこに何があるか熟知していて、正直僕が出る幕は全くない。だから手持ち無沙汰に二人が簡易キッチンで食事の用意をしている姿を眺める。
イグニスは僕に自分の居場所を取られるかもなんて馬鹿な心配をしてたけれど、二人は何も言わなくても通じ合っていてアクアが何か探す素振りをすればイグニスが調味料を手渡すし、イグニスの手が止まればアクアが食材を差し出すしカカ母さんとトムじいさんみたいだ。正直その通じ合ってる感じがモヤモヤするんだけど、イグニスには一晩でも語りたいくらい好きな恋人がいるらしいからアクアと恋愛感情があって側にいるわけではないのはわかってる。
(何か、複雑……)
想いを伝える気はないんだからアクアが誰と仲良くしてたって僕には関係ないのに。
そう言えばアクアは殿下にもキスされてた気がするな。殿下は一体どこまで本気なんだろう。少なくともアクアの様子を見る限り恋人同士というよりは諦めてされるがままって感じがしたけど。
「……あんた無防備過ぎるんじゃない?」
「何で飯運んできただけで文句言われてるんだろう、俺……」
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