魔法嫌いの魔法使い

キク クラゲ

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2.研究所での日常

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 翌朝、俺はいつものように午前八時きっかりにフランクリン魔法科学会社の門をくぐった。

 リベルティア市の産業区画に建つこの敷地は、魔法科学技術の発展を象徴する存在だ。正面の五階建て煉瓦造りの本社建物では、一階に魔法機械の展示室があり、訪れる顧客や投資家に最新技術を披露している。二階が事務室、三階と四階が研究室、そして五階が叔父の執務室と会議室になっている。

 本社建物の背後には、二つの重要な施設が並んでいる。左側の実験棟は三階建てで、新開発の魔道具の性能試験や魔法実験が行われている。厚い石壁に囲まれた建物からは、時折魔法の閃光が窓から漏れ出している。

 右側の工場棟は実験棟より一回り大きく、マナストーン採掘用魔道具の製造が行われている。叔父がマナストーン・ラッシュ時代に開発した発掘機械の改良版や、新型の魔力増幅装置などが日夜生産されている。工場の煙突からは魔力を動力とする蒸気が規則正しく立ち上り、機械音と魔法の共鳴音が敷地内に響いている。

 魔法と科学の融合——それがこの時代の象徴だった。

「おはよう、エドワード」

 三階の研究室に向かう階段で、同僚のトムと出会った。彼は俺より三つ年上で背が高く、いつも整然とした身なりをしている。魔法適性はC級だが魔法理論に関する知識は豊富で、俺よりもよほど有能な研究員だった。茶色の髪をきちんと分けて、金縁の眼鏡をかけた彼は、いかにも知識人らしい雰囲気を漂わせている。

「おはようトム」

「今日も発動式の確認作業かい?」彼は苦笑いを浮かべた。「君の慎重さには感心するが、もう少し効率を考えた方がいいんじゃないか」

 俺は何も答えなかった。効率よりも安全性を重視したい。それが今の俺にできる精一杯だった。

 研究室に入ると、既に他の同僚たちが作業を始めていた。この部屋では主に、魔法機械の改良・試験や新しい魔道具の開発が行われている。壁には魔法回路の図面や発動式の一覧表が貼られ、机の上には様々な魔石や金属片が散らばっている。

 俺の席は部屋の隅にある小さなデスクだ。今日の作業内容が書かれた紙が置いてある。

『魔法ランプの明度調整機構・動作確認』

 また単純作業だった。魔法ランプは魔力を光に変換する基本的な魔道具で、最近では明度を細かく調整できる新型が開発されている。俺の仕事は、その調整機構が正常に動作するかを確認することだった。

 本来なら10分もあれば終わる作業だ。だが俺は、魔法ランプに魔力を注入する前に、発動式を何度も見直した。

 段階的光量制御ルミナス・グラダティム・コントロール

 間違いはない。だが、本当に間違いはないのだろうか?もう一度確認しよう。

「エドワード」

 背後から低い声で名前を呼ばれて振り返ると、研究室の主任であるロバート・ウィルソンが立っていた。四十代前半の厳格な顔立ちで、角ばった顎と鋭い眼光が特徴的だ。黒髪には既に白いものが混じり始めており、いつも濃紺のスーツを着込んでいる。魔法適性はA級で都市規模の魔法を扱える優秀な魔法使いだった。

「はい」

「君の作業が遅れているようだが、何か問題でもあるのか?」

 俺は慌てて首を振った。「いえ、すぐに終わらせます」

 ウィルソンは少し眉をひそめたが、何も言わずに他の研究員のもとへ向かった。背筋をぴんと伸ばした彼の歩き方は、軍人のように規律正しかった。俺は再び魔法ランプに向き合った。

 魔力を注入する。発動式を唱える。ランプが光る。明度を調整する。問題なし。だが、俺の心は晴れなかった。なぜこんな単純な作業しか任せてもらえないのか。なぜ重要な研究から外されているのか。答えは分かっている。

 昼休みになると、俺は一人で中庭のベンチに座って弁当を食べた。他の同僚たちは食堂で楽しそうに談笑しているが、俺にはその輪に加わる気力がなかった。中庭からは、リベルティア市の街並みが一望できる。眼下に石畳の道を魔法馬車が行き交い、魔法鉄道の駅からは蒸気と魔力の混じった煙が立ち上っている。

 足元の敷地内では、右手の工場棟から金属を加工する音と魔法による精密調整の光が断続的に響き、見えている。マナストーン・ラッシュは終わったが、採掘技術の需要は依然として高く、叔父の会社の主力事業となっていた。そして遠方の工場地帯では、そこで働く労働者たちの姿が小さく見えた。

 魔法使いの人口減少は、この国にとって深刻な問題だった。建国から百年が経ち、初期の頃に比べて魔法使いの数は半分以下になっている。科学技術の発達により、非魔法使いでもある程度の魔法効果を得られるようになったが、それでも根本的な解決には至っていない。

「魔法の民主化」という建国理念は美しく聞こえるが、現実は厳しい。魔法使いと非魔法使いの格差は拡大し続け、社会の分裂は深まるばかりだった。

「エドワード」

 弁当を食べ終えた頃、叔父のウィリアムが中庭にやってきた。俺より少し背が低い叔父は、丸みを帯びた優しい顔立ちをしている。栗色の髪は薄くなり始めているが、温和な笑顔を浮かべる彼を見ていると、自然と心が落ち着いた。いつも着ている茶色のスーツは少し古いが、丁寧に手入れされている。

「昼休みに一人でいるのか?」

「他の人たちは忙しそうでしたから」

 ウィリアムは俺の隣に座った。「昨日の件だが、娘と会ってもらえるか?」

 俺は空を見上げた。雲一つない青空が広がっている。

「おじさん、俺に魔法を教える資格があるでしょうか」

「なぜそんなことを言うんだ?」

「俺は…魔法が怖いんです。毎回発動式を確認しないと使えない。こんな俺が、人に魔法を教えるなんて」

 ウィリアムは静かに俺を見つめた。その瞳には深い理解と慈愛が込められている。

「エドワード、お前は魔法に対して真摯すぎるんだ。それは決して悪いことじゃない」

「真摯?」俺は苦笑した。「ただの臆病者です」

「違う」ウィリアムは首を振った。「お前の魔法には、他の人にはない温かさがある。きっと娘もそれを感じ取るはずだ」

 温かさ。俺の魔法に?昔はそう言ってくれる人もいたが、今では遠い記憶だった。

「考えてみます」俺は小さく答えた。

 午後の作業中、俺は明日のことを考えていた。ウィリアムの娘——確か名前はエミリー——に魔法を教える。彼女は非魔法使いで、これから魔法学校に通う予定だ。

 非魔法使いが魔法学校に入学できる制度は、最近になって導入されたものだった。魔法使い人口の減少を受けて、政府が打ち出した政策の一つだ。非魔法使いでも魔道具を使って基本的な魔法を学べるようにすることで、社会の魔法技術水準を維持しようという試みだった。
 だが、この制度には反対意見も多い。魔法使いからは「魔法の神聖さが失われる」という批判があり、非魔法使いからは「結局は差別の温存だ」という不満の声が上がっている。

 夕方、仕事を終えて研究室を出ると、街では再びデモが行われていた。今度は魔法使いたちが「魔法教育の純粋性を守れ」というプラカードを掲げて行進している。俺はその光景を眺めながら、複雑な気持ちになった。魔法使いも非魔法使いも、それぞれに言い分があるのだろう。だが、こうした対立が続く限り、真の「魔法の民主化」は実現できないのではないだろうか。

 家路につく途中、俺は一つの決意を固めた。明日、エミリーに会おう。彼女がどんな想いで魔法を学ぼうとしているのか、まずはそれを聞いてみたい。そして、もし彼女が純粋な気持ちで魔法に憧れているなら...その気持ちを壊さないよう、精一杯努力してみよう。
 たとえ俺自身が魔法に絶望していても、彼女の夢まで奪う権利はないのだから。
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