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番外編
或る穏やかな午後
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「クラリーチェ、少しいいか?」
クラリーチェが自室で刺繍をしていると、突然ノックの音が聞こえ、それとほぼ同時に扉が開き、エドアルドが顔を覗かせた。
「エドアルド様」
愛しい夫の登場に、クラリーチェは自然と笑顔を浮かべる。
それを見たエドアルドもまた、嬉しそうに顔を綻ばせながらクラリーチェの傍まで歩み寄ると、彼女の隣へと腰を下ろした。
壁際に控えていた侍女のリディアとアンナはその様子を見、そそくさと部屋の外へと退散する。
一瞬妙な静寂が部屋を染めるが、クラリーチェは気を取り直し、刺繍していた布をテーブルへと置いてエドアルドに向き直った。
「執務のほうは落ち着かれたのですか?」
「ああ。あとはラファエロと宰相が適当に捌いてくれる筈だ」
それを聞いたクラリーチェは、小さく肩を竦めた。
「まあ………」
「少しくらい休息しても、文句は言われないさ」
水色の瞳に悪戯っぽい光を含ませるとクラリーチェの顔を覗き込んだ。
クラリーチェは軽く頷き、エドアルドを見つめた。
あの粛清以来、エドアルドがどれだけの努力をして、キエザ王国を立て直したのかは充分に理解をしている。それに、その仕事量を今も変わらずに熟していることも。
しかし、エドアルドはそんな多忙な中でもこうして執務室を抜け出し、クラリーチェの顔を見に来るのだ。
それが嬉しくもあるのだが、エドアルド自身が身体を壊してしまうのではないかと心配だった。
「休息と仰るのであれば、きちんとお休み下さいね」
やんわりとそう告げると、エドアルドは軽く目を見開き、それからクラリーチェに優しく笑いかける。
「貴女の顔を見るだけで心が休まるから、問題ないさ。寧ろ休息が必要なのは、貴女の方だろう?」
驚いたように、クラリーチェは目を見開いた。
「そんな事はありません。妊娠が分かってから、私は少し怠け過ぎです。少しくらい仕事をしなければ、生まれてくるこの子に顔向けが出来ませんわ」
困ったように眉毛を寄せると、クラリーチェはそっと腹部に手を当てた。
まだ膨らみは分からないが、確かにそこに宿る命が、愛おしくてたまらない一方で、過保護とも言えるエドアルドの命令により、クラリーチェは一日を自室で過ごす事を余儀なくされていた。
「もう体調も落ち着いてきましたし、お腹の子の状態もとても良いと、お医者様も仰っていましたし………」
ほんの少し唇を尖らせ、クラリーチェはエドアルドに訴えかけた。
お腹の子の事は勿論大切だが、皆が忙しくしている中で自分だけが何もしない、というのはクラリーチェの性に合わない。
体に負担をかけないような、例えば書類の推敲のような仕事であれば自分でも役に立てるかもしれない。
そんな思いで、クラリーチェは己の気持ちを吐露した。
「………そうか」
エドアルドはじっとクラリーチェの話に耳を傾けてから、少し考えーーーそれからにやりと笑った。
「それならば………貴女にしか出来ない仕事があるぞ」
「私にしか出来ない仕事、ですか………?」
「ああ。………何だか、分かるか?」
エドアルドの言葉に、クラリーチェは不思議そうに目を瞬いた。
そのような仕事が、果たしてあるのだろうか。
クラリーチェは懸命に考えてみたものの、全く思いつかなかった。
「……ろ分かりません。一体、どんなお仕事なのですか?」
暫く思案した後、観念したクラリーチェは素直にエドアルドに答えを尋ねた。
するとエドアルドは、ゆっくりと体勢を崩したかと思うとーーー隣に座るクラリーチェの腿を枕に、寝転がった。
「エ………エドアルド様…………っ?」
エドアルドの予想外の行動に、クラリーチェは慌てふためく。
その様子を楽しそうに眺めながら、エドアルドは頭のすぐ横にあるクラリーチェの腹部にそっと触れた。
「私の疲れを癒し、私に幸せを与える………。まさに、貴女にしか出来ない仕事だろう?」
「で、ですが………」
「私の体調を心配してくれていたのだろう?こうして疲れが取れれば、貴女の憂いも減るから、一石二鳥だな」
全く悪びれる様子もなく、そう囁くと、エドアルドはクラリーチェに視線を合わせる。
「………どうだ?これでもまだ足りないか?」
手を伸ばし、愛おしそうに目を細めながら、自分の頬に触れる優しい温もりに、クラリーチェは微笑み、ゆっくりと首を振った。
「いいえ。身に余る、光栄です」
思っていた『仕事』とはだいぶ違うが、何を言っても、エドアルドは譲らないだろう。
それに、クラリーチェにとっても愛しい人との触れ合いは、何よりの幸福だった。
二人の間を流れる、ゆったりとした穏やかな時間を、柔らかな陽射しが優しく照らしていた。
クラリーチェが自室で刺繍をしていると、突然ノックの音が聞こえ、それとほぼ同時に扉が開き、エドアルドが顔を覗かせた。
「エドアルド様」
愛しい夫の登場に、クラリーチェは自然と笑顔を浮かべる。
それを見たエドアルドもまた、嬉しそうに顔を綻ばせながらクラリーチェの傍まで歩み寄ると、彼女の隣へと腰を下ろした。
壁際に控えていた侍女のリディアとアンナはその様子を見、そそくさと部屋の外へと退散する。
一瞬妙な静寂が部屋を染めるが、クラリーチェは気を取り直し、刺繍していた布をテーブルへと置いてエドアルドに向き直った。
「執務のほうは落ち着かれたのですか?」
「ああ。あとはラファエロと宰相が適当に捌いてくれる筈だ」
それを聞いたクラリーチェは、小さく肩を竦めた。
「まあ………」
「少しくらい休息しても、文句は言われないさ」
水色の瞳に悪戯っぽい光を含ませるとクラリーチェの顔を覗き込んだ。
クラリーチェは軽く頷き、エドアルドを見つめた。
あの粛清以来、エドアルドがどれだけの努力をして、キエザ王国を立て直したのかは充分に理解をしている。それに、その仕事量を今も変わらずに熟していることも。
しかし、エドアルドはそんな多忙な中でもこうして執務室を抜け出し、クラリーチェの顔を見に来るのだ。
それが嬉しくもあるのだが、エドアルド自身が身体を壊してしまうのではないかと心配だった。
「休息と仰るのであれば、きちんとお休み下さいね」
やんわりとそう告げると、エドアルドは軽く目を見開き、それからクラリーチェに優しく笑いかける。
「貴女の顔を見るだけで心が休まるから、問題ないさ。寧ろ休息が必要なのは、貴女の方だろう?」
驚いたように、クラリーチェは目を見開いた。
「そんな事はありません。妊娠が分かってから、私は少し怠け過ぎです。少しくらい仕事をしなければ、生まれてくるこの子に顔向けが出来ませんわ」
困ったように眉毛を寄せると、クラリーチェはそっと腹部に手を当てた。
まだ膨らみは分からないが、確かにそこに宿る命が、愛おしくてたまらない一方で、過保護とも言えるエドアルドの命令により、クラリーチェは一日を自室で過ごす事を余儀なくされていた。
「もう体調も落ち着いてきましたし、お腹の子の状態もとても良いと、お医者様も仰っていましたし………」
ほんの少し唇を尖らせ、クラリーチェはエドアルドに訴えかけた。
お腹の子の事は勿論大切だが、皆が忙しくしている中で自分だけが何もしない、というのはクラリーチェの性に合わない。
体に負担をかけないような、例えば書類の推敲のような仕事であれば自分でも役に立てるかもしれない。
そんな思いで、クラリーチェは己の気持ちを吐露した。
「………そうか」
エドアルドはじっとクラリーチェの話に耳を傾けてから、少し考えーーーそれからにやりと笑った。
「それならば………貴女にしか出来ない仕事があるぞ」
「私にしか出来ない仕事、ですか………?」
「ああ。………何だか、分かるか?」
エドアルドの言葉に、クラリーチェは不思議そうに目を瞬いた。
そのような仕事が、果たしてあるのだろうか。
クラリーチェは懸命に考えてみたものの、全く思いつかなかった。
「……ろ分かりません。一体、どんなお仕事なのですか?」
暫く思案した後、観念したクラリーチェは素直にエドアルドに答えを尋ねた。
するとエドアルドは、ゆっくりと体勢を崩したかと思うとーーー隣に座るクラリーチェの腿を枕に、寝転がった。
「エ………エドアルド様…………っ?」
エドアルドの予想外の行動に、クラリーチェは慌てふためく。
その様子を楽しそうに眺めながら、エドアルドは頭のすぐ横にあるクラリーチェの腹部にそっと触れた。
「私の疲れを癒し、私に幸せを与える………。まさに、貴女にしか出来ない仕事だろう?」
「で、ですが………」
「私の体調を心配してくれていたのだろう?こうして疲れが取れれば、貴女の憂いも減るから、一石二鳥だな」
全く悪びれる様子もなく、そう囁くと、エドアルドはクラリーチェに視線を合わせる。
「………どうだ?これでもまだ足りないか?」
手を伸ばし、愛おしそうに目を細めながら、自分の頬に触れる優しい温もりに、クラリーチェは微笑み、ゆっくりと首を振った。
「いいえ。身に余る、光栄です」
思っていた『仕事』とはだいぶ違うが、何を言っても、エドアルドは譲らないだろう。
それに、クラリーチェにとっても愛しい人との触れ合いは、何よりの幸福だった。
二人の間を流れる、ゆったりとした穏やかな時間を、柔らかな陽射しが優しく照らしていた。
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いぬぞ〜様
御無沙汰しております😊
またお会いできて嬉しいです✨
書籍化3周年記念としてアップしたお話ですが、楽しんで頂けたら嬉しいです😊
なかなか執筆に時間が割けず、ここのところ年一更新で申し訳ないです💦
でもいぬぞ〜様のコメント読んで、ラファエロ君のベストセラー小説誕生秘話、書いてみたくなりました(笑)
更新されて嬉しいです。クラリーチェの前だと優しいですが、また残酷な程に怖いエドアルドが読みたいです!更新されるといいなーと待ちわびています!
hananokeiji様
御無沙汰しております!またお会いできて嬉しいです✨
書籍化3周年記念としてアップしたお話ですが、楽しんで頂けたら嬉しいです😊
残酷なエドアルド…。
はい。暫く登場していないですね💦ご希望に添えるよう、頑張ります✨
クラリーチェちゃん、それはめっちゃ取り越し苦労だから。
アンナちゃんにあんなに優しく接する事ができてるし、もしお母さんに育てられた記憶がなくて困ったら、クラリーチェちゃん命の義妹リリアーナちゃんに応援を頼めば…っていうか勝手に来て色々手伝ってくれるから大丈夫。
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どう考えても兄上が子供とバチバチする未来しか想像できないのに(笑)。
↑ 親としての愛情はたっぷりあるがクラリーチェちゃんは自分のものなので譲れない。
いぬぞ〜様
いつもありがとうございます✨
結局クラリーチェは、親が早くに亡くなってしまった事が劣等感(というか負い目)になっているんですよね💦
陛下と義妹リリアーナちゃん(笑)の重くて深い愛、それに周囲の沢山の人の愛に包まれて、いつかそれもなくなっていくといいな、と思います🙂↕️
子どもとクラリーチェを巡って戦う陛下………!🤣🤣
想像つきすぎて面白すぎます😂