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第七十話 帝国の地
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吐く息が白く凍る。
馬車を降りると、さくりとした感触がブーツの底に伝わった。この、白く冷たいものの名前を、私は知っている。
「雪……」
「ほう、良く知っているな。ロセリアには降らんだろうに」
探るようなフェオドラさんの視線から逃れるように目を背ける。
余計なことを言ってしまった。
雪を知っているのはきっと、この世界に来る前の……前世の私。そんな話、信じてもらえるわけもないし、敵かもしれない彼女にする話でもない。
まだ、背中に刺さる視線は消えないが。
逸らした視線の先で、派手にリエーフさんが足を滑らせて慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「ええ。滑るので驚きました」
「圧雪された場所は滑りやすいので気をつけて下さい」
フェオドラさんに怪しまれないよう、手をそえて小声で伝える。
「それに、雪道にも慣れているようだ」
「……」
あまり意味はなかった。聞こえたわけではないだろうけど、多分歩き方で見抜かれてる。
「これ以上余計な詮索をするなら帰らせてもらう」
「それは困るな。他意はないがやめておこう」
ミハイルさんの不機嫌な声に、ようやくまとわりつく視線が消える。ほっと息をつく先で、フェオドラさんが肩を竦めて苦笑していた。
お屋敷を出て7日目になる。
ようやく私たちは、帝国領へと入った。さすがのリエーフさんも帝国のことはよく知らないようで、寒いと聞いたことがあると厚手の服を用意してくれたのだが、フェオドラさんがさらに防寒着を人数分用意してくれていた。雪が積もるほどとは思っていなかった。
温暖な気候に慣れきっていた体に、冷気が容赦なく突き刺さる。
「この雪は、帝国の唯一の資源だ。この雪を動力として色々な機械を動かしている」
寒さに動きが鈍る私たちの中で、唯一フェオドラさんだけが、私たちより薄着にもかかわらずいつもと同じ調子で雪に触れる。その指先に触れて溶けた雪が、僅かに光ったように見えた。
「雪が動力……、雪解け水とかですか?」
「水?」
「雪は溶けると水になるでしょう?」
怪訝な顔をして、フェオドラさんが私に手の平を見せる。
「妙なことを言うな。そんな魔法のような話は聞いた事がない。雪は溶けたら消えるだけだ」
「なら、どのように動力源となるんですか?」
「消えるときになんらかのエネルギーを発する。それが何かまでは解明されていない」
手袋を外して雪に触れてみる。私が知る雪は、溶けたあと水になる。だけど雪が溶けた私の手が濡れることはなく。
……前の世界の常識が通じるとは限らない。わかっているけれど、不思議な感覚だ。とにかく、私が知る雪とはだいぶ違う。
「帝都まではまだしばらく掛かる。もう少し行けば街があるから、今日はそこに宿を取ろう」
「はい」
再び馬車に乗り込むフェオドラさんの後に続こうとして、足を止める。
「ミハイルさん?」
立ち止まったままのミハイルさんを、リエーフさんも怪訝そうな顔で見上げる。
「ご主人様……、顔色が優れませんね」
「……嫌な空気だ。ミオ、お前は何も感じないか」
問われて、首を捻る。
「いえ、特には。慣れない気候ですし、風邪かもしれませんよ」
「うーん……坊ちゃんは体だけは丈夫なはずなんですが」
「まるで頭は悪いと言いたげだな。……ミオが何ともないならいい」
突っ込む元気はあるようで、少しほっとした。でも……馬車に乗り込む足取りが少し、重いように感じる。
「……無理してないといいんですけど」
「していそうな感じですね。フェオドラ様が味方と言えない以上、弱っていると悟られたくはないのでしょう」
ひそひそと会話を交わしていると、「おい」と呼ぶ声に遮られる。顔を上げると、馬車から顔を出したフェオドラさんが、困惑した調子で声を上げた。
「プリヴィデーニ卿が倒れたぞ」
「え!?」
言ってる側から。
弾かれたように駆け出すリエーフさんの後を追うと、座席にもたれかかるようにして倒れているミハイルさんの姿が視界に入る。
「……転んだだけだ」
意識を失っていたように見えたけれど、すぐに彼は起き上がって座り直した。だがお世辞にも体調が良いようには見えない。
額に触れてみると、少しだけ熱かった。倒れるほどの熱じゃないと思うけど。……それより。
触れた瞬間、乱れていた呼吸が整った。
もしかして。
「な……何だ」
少し焦ったような声を出したのは、私が顔を近づけたからだろう。だけど、さっきと明らかに顔つきが違う。苦痛の色が薄らいでいる。
それを口にしようとしたとき、二対の視線を背に感じて、慌てて振り返る。
「あ、どうぞわたくし達のことはお気になさらず」
「うむ、続けてくれ」
「ちっ、違いますっ!!」
ニコニコするリエーフさんと、腕組みしてこちらを凝視するフェオドラさんに、つい車内で思い切り立ち上がってしまって、天井で頭を打った。
「死霊関連での苦痛ではないかと……、それだと、指輪の作用で苦痛が和らぐと聞いたから……」
死霊という単語に、フェオドラさんがややのけぞる。
「そうでしたか。ではでは是非是非どうぞどうぞピッタリとお近くに」
「うむ。よくわからんが、私たちは見て見ぬふりをしよう」
相変わらずリエーフさんはニコニコと、フェオドラさんはやや顔をひきつらせながらも視線は逸らさず。
「フェオドラさんまで、どうしてそんな意地悪をするんですか……?」
「意地悪とは心外な。若い二人を羨んでいるだけだ」
「ええ、ええ。若いとは良いことでございます」
「なんか熟年夫婦みたいですよ」
「それは光栄です。しかしわたくしから見ればフェオドラ様も充分にお若いですし、些か失礼かと」
ここぞとばかりに言い返してみても動じやしない。これじゃ動じている自分が余計恥ずかしいだけじゃないか。
なんか、リエーフさんが二人に増えたみたいだ……
「どうでもいいが、さっさと出発してくれ」
うんざりしたようなミハイルさんの声が場に落ちた。
馬車を降りると、さくりとした感触がブーツの底に伝わった。この、白く冷たいものの名前を、私は知っている。
「雪……」
「ほう、良く知っているな。ロセリアには降らんだろうに」
探るようなフェオドラさんの視線から逃れるように目を背ける。
余計なことを言ってしまった。
雪を知っているのはきっと、この世界に来る前の……前世の私。そんな話、信じてもらえるわけもないし、敵かもしれない彼女にする話でもない。
まだ、背中に刺さる視線は消えないが。
逸らした視線の先で、派手にリエーフさんが足を滑らせて慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「ええ。滑るので驚きました」
「圧雪された場所は滑りやすいので気をつけて下さい」
フェオドラさんに怪しまれないよう、手をそえて小声で伝える。
「それに、雪道にも慣れているようだ」
「……」
あまり意味はなかった。聞こえたわけではないだろうけど、多分歩き方で見抜かれてる。
「これ以上余計な詮索をするなら帰らせてもらう」
「それは困るな。他意はないがやめておこう」
ミハイルさんの不機嫌な声に、ようやくまとわりつく視線が消える。ほっと息をつく先で、フェオドラさんが肩を竦めて苦笑していた。
お屋敷を出て7日目になる。
ようやく私たちは、帝国領へと入った。さすがのリエーフさんも帝国のことはよく知らないようで、寒いと聞いたことがあると厚手の服を用意してくれたのだが、フェオドラさんがさらに防寒着を人数分用意してくれていた。雪が積もるほどとは思っていなかった。
温暖な気候に慣れきっていた体に、冷気が容赦なく突き刺さる。
「この雪は、帝国の唯一の資源だ。この雪を動力として色々な機械を動かしている」
寒さに動きが鈍る私たちの中で、唯一フェオドラさんだけが、私たちより薄着にもかかわらずいつもと同じ調子で雪に触れる。その指先に触れて溶けた雪が、僅かに光ったように見えた。
「雪が動力……、雪解け水とかですか?」
「水?」
「雪は溶けると水になるでしょう?」
怪訝な顔をして、フェオドラさんが私に手の平を見せる。
「妙なことを言うな。そんな魔法のような話は聞いた事がない。雪は溶けたら消えるだけだ」
「なら、どのように動力源となるんですか?」
「消えるときになんらかのエネルギーを発する。それが何かまでは解明されていない」
手袋を外して雪に触れてみる。私が知る雪は、溶けたあと水になる。だけど雪が溶けた私の手が濡れることはなく。
……前の世界の常識が通じるとは限らない。わかっているけれど、不思議な感覚だ。とにかく、私が知る雪とはだいぶ違う。
「帝都まではまだしばらく掛かる。もう少し行けば街があるから、今日はそこに宿を取ろう」
「はい」
再び馬車に乗り込むフェオドラさんの後に続こうとして、足を止める。
「ミハイルさん?」
立ち止まったままのミハイルさんを、リエーフさんも怪訝そうな顔で見上げる。
「ご主人様……、顔色が優れませんね」
「……嫌な空気だ。ミオ、お前は何も感じないか」
問われて、首を捻る。
「いえ、特には。慣れない気候ですし、風邪かもしれませんよ」
「うーん……坊ちゃんは体だけは丈夫なはずなんですが」
「まるで頭は悪いと言いたげだな。……ミオが何ともないならいい」
突っ込む元気はあるようで、少しほっとした。でも……馬車に乗り込む足取りが少し、重いように感じる。
「……無理してないといいんですけど」
「していそうな感じですね。フェオドラ様が味方と言えない以上、弱っていると悟られたくはないのでしょう」
ひそひそと会話を交わしていると、「おい」と呼ぶ声に遮られる。顔を上げると、馬車から顔を出したフェオドラさんが、困惑した調子で声を上げた。
「プリヴィデーニ卿が倒れたぞ」
「え!?」
言ってる側から。
弾かれたように駆け出すリエーフさんの後を追うと、座席にもたれかかるようにして倒れているミハイルさんの姿が視界に入る。
「……転んだだけだ」
意識を失っていたように見えたけれど、すぐに彼は起き上がって座り直した。だがお世辞にも体調が良いようには見えない。
額に触れてみると、少しだけ熱かった。倒れるほどの熱じゃないと思うけど。……それより。
触れた瞬間、乱れていた呼吸が整った。
もしかして。
「な……何だ」
少し焦ったような声を出したのは、私が顔を近づけたからだろう。だけど、さっきと明らかに顔つきが違う。苦痛の色が薄らいでいる。
それを口にしようとしたとき、二対の視線を背に感じて、慌てて振り返る。
「あ、どうぞわたくし達のことはお気になさらず」
「うむ、続けてくれ」
「ちっ、違いますっ!!」
ニコニコするリエーフさんと、腕組みしてこちらを凝視するフェオドラさんに、つい車内で思い切り立ち上がってしまって、天井で頭を打った。
「死霊関連での苦痛ではないかと……、それだと、指輪の作用で苦痛が和らぐと聞いたから……」
死霊という単語に、フェオドラさんがややのけぞる。
「そうでしたか。ではでは是非是非どうぞどうぞピッタリとお近くに」
「うむ。よくわからんが、私たちは見て見ぬふりをしよう」
相変わらずリエーフさんはニコニコと、フェオドラさんはやや顔をひきつらせながらも視線は逸らさず。
「フェオドラさんまで、どうしてそんな意地悪をするんですか……?」
「意地悪とは心外な。若い二人を羨んでいるだけだ」
「ええ、ええ。若いとは良いことでございます」
「なんか熟年夫婦みたいですよ」
「それは光栄です。しかしわたくしから見ればフェオドラ様も充分にお若いですし、些か失礼かと」
ここぞとばかりに言い返してみても動じやしない。これじゃ動じている自分が余計恥ずかしいだけじゃないか。
なんか、リエーフさんが二人に増えたみたいだ……
「どうでもいいが、さっさと出発してくれ」
うんざりしたようなミハイルさんの声が場に落ちた。
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