死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第八十七話 愛しき者のために

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 誰も動けなかった。

 ミハイルさんが口を開きかけるのを見たときには、皇帝の袖の中から緋色の刃が放たれるのが視界の端に引っかかった。なのに、体が動かなかった。悲鳴も出なかった。だけどミハイルさんもフェオドラさんも動けなかったのだから無理はないと思う。
 でも、たった一人だけは違った。

「リエーフ!!」

 悲鳴じみたミハイルさんの声と、ガシャン、とカップが床に落ちる音。
 椅子ごとミハイルさんを突き飛ばしたリエーフさんの背に深々と刃が突き刺さっている。色を失った顔で、起き上がったミハイルさんが崩れ落ちるリエーフさんの体を支える。
 フェオドラさんが椅子を蹴って立ち上がり、腰の剣に手を掛ける。

「その力……ッ、やはり貴様、陛下ではないなッ!?」
「口を慎め、フェオドラ」

 身構えるフェオドラさんに、皇帝が厳かに答える。

「やはりとは、もしや大元帥から何か聞いていたかね? だとしたらそれは誤解だ。私は紛れもなくアルマン・ゼフエルドア本人だよ」
「ならば証拠を! ロセリア侵攻から……いや、結界が消えた頃から陛下は変わられた! 妙な魔術を研究させたり、軍と関わりのない不審な者を使ったり、挙句大元帥の不審死……ッ」
「変わったのではない、私はずっと結界が消えるのを待っていただけだ。疑うなら聞いてみるがいい。大元帥……エノス本人に」
「何を……ッ、元帥は……!」

 フェオドラさんの剣を持った手が震える。それをじっと眺めながら、皇帝が右手を掲げる。

『来い、エノス』

 呼び声に答えるかのように、皇帝の前に現れた人物を見て、フェオドラさんが息を飲んだのがわかった。

「うそだ……!」
「フェオドラ。僕の命令なら従えるね? プリヴィデーニ伯爵夫人を捕らえるんだ」
「…………ッ」

 ――彼とフェオドラさんの関係を、私は知る由もない。だけど私を向いたフェオドラさんの目は、いつもの彼女のそれではなかった。

「話が途中だったね。私の目的は初めから君だ、白石澪。君が来るのを待っていた」
「どうして……」

 うまく声にならない言葉をどうにか繋いで、問う。

「正確には君の魂とその指輪だ。本来、死ねば器は消え、魂は巡り別の器に宿り別の人生を歩む。永い……永い間探していた。よもや別の世界に在ろうとはな。三年前は残念だったよ……結界に邪魔された。今度はしくじらん」
「ミオ!」

 ミハイルさんが私へと手を伸ばそうとする。だが、リエーフさんの体がそれを阻んだ。その様子を一瞥し、皇帝が再び口を開く。

「悪いがミハイル君が邪魔をしないようにしておいてくれ、リエーフ。主からの命令だ」
「……旦那……様……」

 口から血を流しながら、リエーフさんが微かに呻く。
 まだ、この事態に思考が追い付かない。追い付かないけど、リエーフさんが口にしたことは一つの答えだ。

「私は帝国皇帝アルマン・ゼフエルドアにして……ロセリアのミロン・プリヴィデーニでもある。そして白石澪、君の魂は私が命を奪った我が妻のものだ」
「……うそ。そんなこと」
「真実だ。魂は巡り別人となってもその質は変わらない。息子と死別した上に夫に命を断たれた魂はさぞ薄幸であったろうな。現に君は若くして死んだ」
「そんなこと……そんなことない! そうだとしても、私には家族がいたし不幸だなんて思ったことない! 私のことを決めつけられたくない!」
「そう思い込もうとしているだけではないのか? よく思い出してみるといい」

 そう言われても、私にはもう記憶が。
 でも反面、わかってもいる。元の世界のこと、生活のこと、仕事のこと、弟の世話をしたこと……折に触れて思い出すことはあるのに、引き出せない記憶があること。そのちぐはぐな違和感。
 ……頭にこびりつく、サイレンの音。

「……やめろ! どけリエーフ、どかないと……」
「さて殺せるのか、君に?」

 左手でナイフを抜いたミハイルさんを見て、皇帝がせせら笑う。
 じりじりとフェオドラさんが剣を向けて近づいてくる。でも、まだ迷っている。
 落ち着いて……落ち着いて考えないと。なのに頭がうるさい。あまりにも多くの情報が入りすぎて、そして事態はあまりにも手詰まりで。

 今は、大人しく捕まるしかないのかもしれない。
 そう観念した瞬間――銀色の光が私と皇帝の間を割いた。

「……リエーフは私が、少佐はエノスが押さえられると踏んでいた。だが君のことは予定外だった」
「レナート!」

 扉をこじあけて駆け込んできた白装束の少年が、キッと皇帝を睨み付ける。

「イスカの王子よ。もはや死霊の溢れるこの世界を浄化するなど不可能だ。私は最善を尽くしている。資源はいつか枯れる。生命も必ず潰える。生命を資源として循環させることこそが永遠への唯一の道なのだ」
「ふざけたことを。その結果がこの死んだ土地だろうが。滅びが自然の定めならばイスカはそれに従う!」
「ならば勝手に滅びるがいい。私は今度こそ大事なものを守らねばならん」
「ほざけ、魂がどうあれミオは別の人間だろうが。……おいフェオドラ、いつまで日和ってる。お前の前にいるそいつが誰か知らんがな、そいつは死霊だ。しかもおそらく自我すらないただの器を模した傀儡だ」

 フェオドラさんが唇を噛み締める。その瞳に僅か光が戻る。瞬間、皇帝の眉間をナイフが貫いた。いつの間にか傍に来ていたミハイルさんが私を自分の後ろに押しやる。その背の向こうで、皇帝が静かな声を上げる。

「私に歯向かうのかリエーフ……それもまた、予定外だ」

 ミハイルさんの背中を掴みながら覗いた先で、皇帝は額にナイフを突き立てても微動だにせず、流れる血を舐めてにやりと笑う。

「来い……我が愛しき傀儡どもよ」

 そのささやきが彼の唇から零れると共に、一斉に。
 部屋中に無数の死霊がひしめいた。
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