幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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第三十五話 血塗られた真実

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 ミハイルさんが息を飲んだのがわかった。きっと、わかったからだ……リエーフさんの意図が。

 返せと呟き続けていた伯爵が、その言葉を止めた。伯爵にもわかったのだろう。 
 ……私にも、わかった。

 恐しく美しいリエーフさんのその表情には、一片の迷いもなかった。哀れみも困惑も混乱も何もない。私もよく知っている、いつもの穏やかな笑顔だった。

「どうか、旦那様。この屋敷に集った人々を最後まで導いて下さると……お約束下さい」

 リエーフさんが、短剣を逆手に持ち替え、その切っ先を自分の胸に当てる。
 止めなきゃ。でも体が動かない。見たくない。でも目を閉じることもできない。
 この後に起こることがわかっているのに。見たくないのに。金縛りにあったように体が言うことを聞かない。
 時間がコマ送りのように、いやにゆっくり進んでいく。ゆっくり、ゆっくり、リエーフさんの手が動く――、ふっと、目の前が暗くなる。

「済まぬ、リエーフ……」

 暗闇の中で、伯爵の声が聞こえる。
 それっきり訪れた静寂の中で、ようやくミハイルさんに目を塞がれていることに気が付いた。何も見えない。見えないはずなのに、瞼の裏に、短剣を胸に当てたリエーフさんの笑顔が焼き付いて離れない。
 やがて手が離れても、私は扉の中を――、そこにあるはずの、リエーフさんの亡骸を見る勇気はなかった。でも見上げたミハイルさんは、扉の中をじっと見ていた。
 私なんかより……ずっと辛いはずなのに。

「これでこの子は……蘇る……」

 耳が痛くなるほどの静寂を裂いて、伯爵の呟きが聞こえる。そして、足音も。

「走れるか、ミオ」

 不意に問われて、ちらりと一瞬扉の中に視線を向ける。その一瞬、我が子の亡骸を抱いて部屋を出ようとしている伯爵が見えた。

「待って……、足が……」

 膝がガクガクと震えている。
 今伯爵と鉢合わせるのはまずい。まるで言うことを聞かない足をなんとか持ち上げようと必死になっていると、突然ふわりと体が浮いた。
 私を抱き上げて、ミハイルさんが階段をかけのぼる。

「嫌な予感がする」
「嫌な……予感?」
「これで伯爵の息子が生き返ったなら、エドアルトたちは何故死んだ?」

 青ざめながらそう自問するように問いかけるミハイルさんに、私も背中に冷たいものが走る。
 階段を登り切ると、開いたままの隠し扉の脇で、夫人が泣いていた。

「降ろして下さい。もう、大丈夫です」

 ほとんど強がりだったけど、これ以上足手まといになるのも嫌だ。床に降ろしてもらい、泣きじゃくる夫人の脇を通り過ぎた瞬間、地下で絶叫が聞こえた。

「何故だ! 何故目覚めないのだ!!」

 狂気に満ちた声に異変を感じたのか、夫人が立ち上がり、階段を下りて行く。そして次に聞こえたのは、夫人の悲鳴と、絶叫だった。
 隠し扉を離れて、物陰に身を潜めて、じっと待つ。やがて、ぬっと伯爵が地下から姿を現した。

「足りん……きっと命が足りんのだ!」

 髪を振り乱し、血塗れの剣を携え、伯爵が叫ぶ。剣を持つのと逆の手には、だらんと力なく垂れさがる夫人の姿があった。開いたままの目から流れた涙が、血と混じって赤い筋を作っている。それを目にしてしまって、胃液が逆流しそうになる。

 ミハイルさんに手を引かれて、前も見ずに走り出す。
 背に聞こえる声で、どんな惨劇が起こっているのか予想がついてしまう。
 悲鳴。泣き声。断末魔。それを必死に脳裏から引きはがしながら、とにかく走る。

「この声だ……、いつも聞こえていたのは……」

 隣で、ミハイルさんが小さく呻いた。
 転がるように屋敷を出ると、夕方でもないのに空が赤く染まっている。振り返ると、屋敷に火の手が上がり、それは信じられない速さで瞬く間に屋敷を包んだ。

「伯爵だけなら、エドアルトが止められただろうが……、これでは誰も助からないわけだ……」

 火に巻かれ、崩れ落ちる屋敷を見ながら、溜息とともにミハイルさんが言葉を吐き出した。

「誰も……助けられなかった……っ」

 人々の悲鳴が耳に残っている。自分が逃げることで精いっぱいで、その他には何も考えられなかった。屋敷の中にはライサもいたはずなのに。

「落ち着け、ミオ。これは『もう起こってしまった過去』だ」

 わかってる。なのに、涙と嗚咽が止まらなかった。呼吸を落ち着けようとすれば、余計に乱れた。そんな私の肩を掴んで、ミハイルさんが自分の方に引き寄せる。

「済まない。辛いものを見させたな……」

 泣きじゃくる私を抱きしめて、ミハイルさんが呟く。頭を抱く手が、落ち着かせるように優しく髪を撫でる。
 
 ミハイルさんの方がリエーフさんにもこのお屋敷にも縁が深いのに。ずっと辛いはずなのに。
 ……ミハイルさんは、いつもこんな声の中にいて。親しい人の死の瞬間を見て、祖先の乱心を見て。

「どうして、そんなに落ち着いていられるんですか……っ」
「……落ち着いてなど、いない」
「でも……冷静です。なのに、私が取り乱して……すみません……」

 顔を上げようとすると、髪を撫でていた手が頭を押さえた。少し苦しいくらいに、腕の力が強まる。

「冷静でもない。だから……頼む。もう少しこのままでいてくれ……」

 懇願するような声に、少しだけほっとしていた。負担や迷惑ではなかったのなら、少しでも、私がいることで気が紛れてくれるなら……良かった。

 そのまま、どれくらい経っただろうか。

 私は少し眠ってしまったらしい。気が付いたときには空は白み始め、屋敷を飲み込んでいた火はいつの間にか消えていた。

「……幽霊屋敷になった原因はわかったが。問題はどうやって戻るかだな」

 私が目を覚ましたことに気が付いたのか、ミハイルさんが呟いた。少し憔悴した様子の彼と目があって、私は首を横に振った。

「いえ、まだです……、これだけでは幽霊になった理由がわからないし、屋敷に戻れたとしても、どうすれば暴走した幽霊たちを止められるのかもわかりません」

 私もどうにか落ち着いて、頭も回るようになってきた。思ったことをそのまま口にすると、ミハイルさんも思案するように宙を睨む。

「それはそうだが……」
「……魔法を伝えたという賢者を探しませんか? 屋敷で死んだ者の怨念が幽霊になったというよりも、伯爵が使った魔法が原因じゃないかという気がするんです。でも私もミハイルさんも魔法のことは何もわかりませんし。今なら魔法を伝えた賢者張本人が、この国のどこかにいるはずですよね?」
「簡単に言うが、どこにいるかもわからない賢者をどうやって探すつもりだ」
「それは……」

 言葉に詰まる。あてもなく探すのは、やはり無謀か――

「ご案内しましょうか?」

 聞こえてきた声に。咄嗟にミハイルさんが私の腕を引いて後ろに下げる。その声には覚えが、とてもよく聞き覚えがあった。

「リエーフ……」
「そんなに警戒しないで下さい。あなた方に危害を加える気なんて毛頭ありません」

 その名を唸るミハイルさんに、リエーフさんが敵意のない笑みを見せる。

「お前は……俺たちと扉を潜ったリエーフだな?」
「はい」
「こちらにいるリエーフと同化しないのか」
「エドアルト達は魂だけの存在ですからね。本体に引き寄せられるのは仕方ありません。でもわたくしは」
「……やはり、そうか。お前は……」

 共に言葉を切った二人はなかなか後を続けず。やがて息を吸い、言葉を継いだのはミハイルさんの方だった。

「死者ではないんだな。リエーフ」
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