幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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番外編(ミオ一人称)

ミハイルとリエーフ

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 いつも通りの朝。
 いつもの作業着に袖を通し、欠伸を噛み殺しながら、顔を洗いに中庭に降りる。
 そのまま、いつもの通りに草花の世話をするつもりだったけど、いつもと違うことが私の足を止める。

 庭園の手前、少し開けた場所に、二人の影。朝陽を弾いて輝く銀髪と、対照的な闇色。……リエーフさんとミハイルさんだ。
 二人は少し距離を取って、向き合って立っていた。彼らがまとう空気は、少しピリピリしていて。声を掛けるかどうかためらう。
 だけど、井戸から水を汲もうとすると、どうしてもその近くを通る必要がある。邪魔しないようにこっそり……ともできなそうなので、意を決して声を上げる。

「あの……!」

 それと、ほぼ同時だった。リエーフさんが消えた。いや、消えたと見紛うくらいに早く動いていた。一瞬でミハイルさんとの距離をなくし、彼の眼前に手を突き出す。それを見て、悲鳴がこぼれそうになった。その手にはいつの間にかナイフがあった。食事用とかではなく、刺されば軽傷じゃ済まないような、かなりごつくて鋭利なものだ。

 しかしミハイルさんは慌てることなくそれを半歩ずれて捌き、リエーフさんの腕を取って締め上げる。その細い腕が折られてしまいそうに軋んでも、リエーフさんの表情には苦悶一つなかったが、指が開いてナイフが落ちる。落ちたナイフを蹴り飛ばしてから着いた足を軸に、腕と襟首を取ってミハイルさんがリエーフさんを投げ飛ばす。
 銀色の尻尾が弧を描き、空中でくるりと身を反転させてリエーフさんが着地する。が、その時には既にミハイルさんが殴りかかっていた。その拳をかわそうともせずに体で受けて、涼しい顔で今度はリエーフさんがミハイルさんの足を払う。

「っ、急所を突いたら体勢くらい崩せ!」
「慣れてしまいました。わたくしに通る攻撃が少ないからといって、ワンパターンすぎるのはいかがかと」
「く……っ」

 転倒したミハイルさんの顔面めがけて、リエーフさんがいつの間にか拾っていたナイフを突き立てて、今度こそ悲鳴が喉を滑り出た。
 途端、二人の動きが止まる。

「おや、ミオさん。おはようございます」

 地面に深々と刺さったナイフを引き抜きながら、リエーフさんが呑気な声を上げる。
 ミハイルさんはナイフを躱してはいたが、掠ったのだろう、頬からは血が流れていて、それを拭いながら体を起こした。

「なっ、何してるんですか!」
「朝の運動です。お気になさらず」
「気になりますよ!」

 朝っぱらから、外れたとは言え人の顔面に刃物突き立ててる場面を見て、心穏やかでいられるわけもない。

「ミハイルさん、怪我――」

 頬に手を伸ばそうとすると、仏頂面でその手を振り払われる。が、今更そのくらいでは怯まない。仏頂面を返して再び手を伸ばしかけた私に、ミハイルさんがいつも通り面倒そうに吐き捨てる。

「大したことない」
「この前の、私の切り傷よりはよほど酷いです」
「……お前は普通の人間だろう」
「ミハイルさんだってそうでしょう」

 彼だけは、この屋敷で唯一、幽霊ではない人。だからそう言ったのだけど、ミハイルさんは珍しくその顔に驚きに似たものを浮かべて、僅かに目を見開いた。

「朝から尊いものを見せて頂きました」

 なぜか目頭にハンカチを当てて、リエーフさんが意味のわからないことを呟く。その手からハンカチを奪い取って、まだ呆然としているミハイルさんの頬に押し当てる。
 白いハンカチがみるみる朱に染まった。
 思ったより深いじゃないか……

「どうしてこんなこと」
「たまには動いてもらわないと鈍ってしまいますから」
「だからって刃物まで使わなくても」
「そのくらいしないと、坊ちゃん真面目にやらないですし」
「でも……」

 ふと、傷を押さえている手に何かが触れて顔を上げる。重なっているのがミハイルさんの手だと気付いて――慌てて手を引っ込める。

「ふっ。振り払うとムキになる癖に」
「わざとですね……?」

くっ……動揺してしまったのが悔しい。

「尊い……」
「やかましい黙れ」

 ミハイルさんの拳が綺麗にリエーフさんの頬を抉る。吹っ飛んでいく彼を半眼で見ながら、ミハイルさんが溜め息をつく。

「実際、少し最近鈍り気味なのでな……、俺が付き合わせているだけだ。気にするな」
「でも……」
「あと俺は普通の人間とは違う」
 
 そう言って、ミハイルさんが私の前を横切っていく。そのまま立ち上がったリエーフさんに、再び拳を振りかぶる。

 ……確かに幽霊屋敷の当主で、人とは違う力を持っているのかもしれないけど。
 でも、斬られれば普通に傷つくし、普通に痛いだろう。血で汚れたハンカチを見ているだけで痛々しい。

 でも……、私が口を挟めることじゃないみたい。再び戦い始める二人を後目に、私は井戸へと向かった。


 
 ※



「まだやってたんですか……?」

 思わず呆れた声が出た。

 あれから、草花の状態を見て、必要なものには水をやり、雑草を抜いたりもして、一時間以上は過ぎているはず。

 リエーフさんは疲れも痛みも感じていないようで涼しい顔だが、ミハイルさんの方は……、傷も増えているし汗だくで、激しく肩で息をついている。無理もない……

「もう終わりですか? 子供の頃の方がまだマシでしたね」
「……っ」

 立っているのもやっとという感じのミハイルさんが、右手を動かす。あちこちから流れる血が寄り集まって刃になり、リエーフさんを貫く。彼は微動だにしなかったが、刃の方が逸れて、僅かにリエーフさんの腕を抉っただけだった。

「幽霊すらも貫けないようでは……、守りたいものは守れませんよ」
「ない……そんなもの」
「ならどうして今更手合わせなどする気になったのですか」

 腕を流れる自らの血を舐めながら、リエーフさんが呆れたような声を落とす。その言葉が終わる頃には、彼の傷は綺麗に消えていた。

「もう少し素直にならないと、何もかも失ってしまいます」
「うるさい。俺には最初から何もない……」

 顔を上げた、彼の闇色の瞳に再び闘志が宿る。それを見て、私は咄嗟に彼の腕を掴んで止めていた。

「もう止めましょう……? せめて少し休んで下さい」
「お前には関係ない」

 今私に気づいたような顔をしながらも、冷たくそう吐き捨てる。振り払われないように強く腕を掴み直した。

「関係あります。私の雇い主です。何かあったら困ります」
「俺はそう簡単には死なん」
「そんなのわかりません。リエーフさん、お願いです、もう止めて下さい」
「おやおや……、ミオさんに心配される始末では先が思いやられますね。では続きは夕方にでも」

 ……また夕方やるの……?
 涼やかな笑顔でなかなかにキツいことを言う。

「さて、朝食の準備をして参ります」

 リエーフさんの気配が消えると同時に、ミハイルさんが膝をつく。

「大丈夫ですか?」
 
 咄嗟に支えたものの、私の力じゃ倒れる彼の体を支え切ることもできなくて。
 それでもなんとか支えようとした結果、ずるずると一緒に崩れ落ち、彼の頭が膝の上に乗る。

「あっ、あの……」
「すまん、動けん。少し休めば治る。放っておけ……」

 そう言われても、こんな状態で放っておくこともできない。

「じゃあそれまで、このままでいます。嫌でなければ……」

 答えは返ってこなかったが、嫌とも言われず、とりあえず膝枕状態が続く。傷を診ようと思ったけど、さすがに恥ずかしすぎて直視できない。

「り……リエーフさんて、意外とスパルタなんですね」

 なんとか気をそらすために話題を探す。

「昔からあいつはああだ」
「そう……なんですか?」
「先代が死んで、これでもう力を使うために自傷することも、幽霊と関わることもせずに済むと思ったのに……、屋敷中が俺を見限ってもあいつは……」

 その口調は淡々としているけど……だけど、多分。

「リエーフさんは、ミハイルさんのことが大事だから厳しいんですね」
「違う。あいつが大事なのは屋敷だけだ」

 ぴしゃりとミハイルさんが否定する。

「そう……でしょうか?」
「ああ。だが別にいい。失うくらいなら初めから……何も持たない方がいい……」
「ミハイルさん……?」

 それきり声は消えて、寝息が聞こえる。
 見下ろすと、血と泥で汚れた寝顔は、無防備であどけなかった。

 そういえば、ミハイルさんて幾つなんだろう。こうして見ると、思ってたよりさらに若いような。

 ……、ちょっと、可愛いかも……

 そっと、髪に触れてみても、彼は目を覚まさなかった。

 リエーフさんが大事なのがお屋敷だけでも別にいい、と言いながら、目が少し寂しそうだった。でも、リエーフさんの話をするミハイルさんは、淡々としてたけど少し……優しい顔をしてた。

「ふふっ……」

 知らず笑みが溢れる。そのまま、髪を撫でているとふと、視線を感じた。

「おやおや。坊ちゃんが霊避けも掛けず、こんなに無防備に熟睡するとは珍しい」
「うわああああ!!!??」

 つい、ばっと立ち上がってしまった。ごつ、と鈍い音がしてミハイルさんの頭が地面に落ちる。

「ああ! すみません!」
「リエーフ……」

 だいぶ、調子が良くなったのだろうか。起き上がれないまでも、打った頭を押さえてミハイルさんが呻く。

「とても良いものを拝ませてもらったので、夕方の訓練は手加減して差し上げます。さ、朝食にしましょう」
「もう!? 用意するの異常に早くないですか!?」
「仕込みは早朝に終えておりましたので」

 それにしたって……、いや、リエーフさんに突っ込んだところで無駄か。

「坊ちゃん、動けないならわたくしが運んで差し上げましょうか?」
「断る!」
「ついこの間までは小さくて可愛らしかったのに」
「いつの話だ……」

 ぶつぶつ文句を言いながら、ミハイルさんが立ち上がりリエーフさんの後を追って歩き出す。それを微笑ましく眺めていると、ふと彼はこちらを振り返った。

「何を笑っている」
「いえ。ミハイルさんとリエーフさんて、親子みたいだなって思って」
「勘弁してくれ」

 心底嫌そうな顔をしながら、その声には棘がない。まだふらついているミハイルさんに手を貸して歩き出す。

 お屋敷からは、リエーフさんが作った朝食の匂いであろう、いい匂いが漂ってきている。
 ――とても優しい匂い。

「お腹すきましたね」
「……ああ」

 短く答えて、ミハイルさんは小さく笑った。
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