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第四幕 三 「私もバラを育てているのですよ」
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三
コンコンコン。
ガラス張りの温室の扉を、礼儀正しくノックする音が聞こえる。
「すみません。」
呼びかけの声が中に響く。
温室の扉を既に開いてからノックしているため、入室の許可というよりは中にいる人間に対して注意を引くための行為だろう。
「何方かいらっしゃいませんか?」
ガラス張りの温室は、商業用のビニルハウスとは違い、ガーデニング用の高級商品といった感じの実用性よりも装飾を重視した観賞用のものだった。外観だけを見ると、中の花の色と相まって、宝石箱のようにも見える。広大な庭の中にぽつんと立つ様子は、箱庭の用でもあった。
「どちら様ですか?」
色とりどりに咲き乱れた淡いバラの支配する温室の中から、やっと人影が現れる。中背で痩身。ラフな格好をした繊細そうな印象の青年だ。少し長めに伸びた髪は細く、青白い肌は不健康そうで、内にこもる芸術家といった風体である。不安そうに震えた声は、予期せぬ闖入者への警戒と恐怖の反応だ。
「突然の訪問をお許し下さい。私は、探偵をしております凍神ヒョウと申します。こちらは、助手のリンです。」
温室の主に、大仰に頭を下げるヒョウ。リンもヒョウにつられてヒョウの背後で頭を下げた。
「あの探偵さんが何か?」
闖入者の動向を窺うように探るように、おどおどとした態度で温室の主は尋ねる。
ヒョウとの間に一定の距離を取って、一行に近づいてこない温室の主は、自分のテリトリーの中で必死に防衛態勢に入っているようだった。
あえてテリトリーを犯すことをせずに、ヒョウは入り口から一歩も動かずに尋ねる。
「こちらに温室があると伺ったので、宜しければ拝見させていただこうと思いまして。」
顔の上には微笑が浮かんでいる。
温室の話題になったことと相手がテリトリーを犯してこないことに、温室の主は少しの安堵を覚えたようだが、まだ警戒は解かずに質問を続けた。
「父さんが、先日の事件のことで探偵を雇うと言っていました。貴方は、それで来たんでしょ?事件の話をしに来たんですね?」
まるで入国審査のように、闖入者の危険度を測っている。
ヒョウは微笑のまま、気負った様子も無理に押し入る様子もなく答える。
「確かに。孝造氏から依頼を受けました。貴方に事件の話を聞くことも必要でしょう。ですが、私が温室に興味を持ってはいけませんか?」
「事件が起きたのは、別の場所です。」
「ええ、知っています。」
腹の探り合いのように、隠し持った武器を探してでもいるかのように温室の主は質問を続けていく。
ヒョウは微笑を崩すことなく、主の審査に付き合っていた。
「温室に興味があるようなフリをして、僕の気を緩ませて話を聞こうと思っているんでしょうが、そうはいきませんよ。」
猜疑心というよりは、他人に対しての怯えから出た言葉。疑心暗鬼よりも対人恐怖に近い。怯えて震える小動物のような目をしている。
この質問には、ヒョウはわざと答えなかった。無言。それこそが答えだといわんばかりに、ただ温室の戸口に佇んでいる。
青年は、少し声音に力を込めながら、もう一度尋ねた。
「答えないのは図星だからですか?」
ヒョウはまだ答えない。
青年はそれを肯定と解釈していた。ため息をつきながら、入国拒否の宣告をするように、淡々と呟く。
「でしたら、お引取り下さい。僕はもう警察に、何もかも知っていることをお話しました。父さんの力なら、警察から、僕の証言を教えてもらうことも出来るでしょう?だったら、僕がお話しすることはありません。」
「事件の話をしたくない。そう仰っているんですね?それは、何故ですか?」
答えの代わりにヒョウが返したのは質問だった。
今までおとなしくしていたリンも、ヒョウの背中から覗き込むようにして顔を出した。
二人分の敵意のない視線に見つめられ、青年は口ごもってしまう。追及するような攻撃の口調も、感情のない視線の圧力に耐えられなかった。
青年が視線から逃げるように俯く。
ヒョウは助け舟を出すように、質問を収めた。
「私も、別に嫌がる貴方から事件の話を聞こうと思ってきたのではありませんよ。私は、名探偵殿のように事件解決に躍起になっているわけではありませんから、ご安心下さい。」
そして、ヒョウは足を一歩温室内に進める。
「先程、庭師の田上サンから、この温室のことを聞きました。亡き奥方の、貴方にとっては母君の思い出の温室なのでしょう?なるほど、大切に育てられているようです。バラがキレイに咲いていますね?」
審査をパスしていないものの入室には慣れないらしく、青年は身を強張らせている。
青年に構うことなく、ヒョウは手近にあった純白のバラに微笑みかける。
「私もバラを育てているのですよ。私の場合は温室ではないですが。バラの水遣りは、このリンの仕事なのですよ。ねぇ、リン。」
ガラスの温室内に、ガラスよりも澄んでいる鈴の音色が響く。
響いた鈴の音に、青年は顔を上げた。
顔を上げた青年の視線に、ヒョウの微笑がぶつかる。
ヒョウは、黒いスーツの胸ポケットから、一輪挿しの青バラのコサージュを取り出した。
「これは、私が育てたものです。お近づきの印しに、宜しかったらどうぞ。」
コンコンコン。
ガラス張りの温室の扉を、礼儀正しくノックする音が聞こえる。
「すみません。」
呼びかけの声が中に響く。
温室の扉を既に開いてからノックしているため、入室の許可というよりは中にいる人間に対して注意を引くための行為だろう。
「何方かいらっしゃいませんか?」
ガラス張りの温室は、商業用のビニルハウスとは違い、ガーデニング用の高級商品といった感じの実用性よりも装飾を重視した観賞用のものだった。外観だけを見ると、中の花の色と相まって、宝石箱のようにも見える。広大な庭の中にぽつんと立つ様子は、箱庭の用でもあった。
「どちら様ですか?」
色とりどりに咲き乱れた淡いバラの支配する温室の中から、やっと人影が現れる。中背で痩身。ラフな格好をした繊細そうな印象の青年だ。少し長めに伸びた髪は細く、青白い肌は不健康そうで、内にこもる芸術家といった風体である。不安そうに震えた声は、予期せぬ闖入者への警戒と恐怖の反応だ。
「突然の訪問をお許し下さい。私は、探偵をしております凍神ヒョウと申します。こちらは、助手のリンです。」
温室の主に、大仰に頭を下げるヒョウ。リンもヒョウにつられてヒョウの背後で頭を下げた。
「あの探偵さんが何か?」
闖入者の動向を窺うように探るように、おどおどとした態度で温室の主は尋ねる。
ヒョウとの間に一定の距離を取って、一行に近づいてこない温室の主は、自分のテリトリーの中で必死に防衛態勢に入っているようだった。
あえてテリトリーを犯すことをせずに、ヒョウは入り口から一歩も動かずに尋ねる。
「こちらに温室があると伺ったので、宜しければ拝見させていただこうと思いまして。」
顔の上には微笑が浮かんでいる。
温室の話題になったことと相手がテリトリーを犯してこないことに、温室の主は少しの安堵を覚えたようだが、まだ警戒は解かずに質問を続けた。
「父さんが、先日の事件のことで探偵を雇うと言っていました。貴方は、それで来たんでしょ?事件の話をしに来たんですね?」
まるで入国審査のように、闖入者の危険度を測っている。
ヒョウは微笑のまま、気負った様子も無理に押し入る様子もなく答える。
「確かに。孝造氏から依頼を受けました。貴方に事件の話を聞くことも必要でしょう。ですが、私が温室に興味を持ってはいけませんか?」
「事件が起きたのは、別の場所です。」
「ええ、知っています。」
腹の探り合いのように、隠し持った武器を探してでもいるかのように温室の主は質問を続けていく。
ヒョウは微笑を崩すことなく、主の審査に付き合っていた。
「温室に興味があるようなフリをして、僕の気を緩ませて話を聞こうと思っているんでしょうが、そうはいきませんよ。」
猜疑心というよりは、他人に対しての怯えから出た言葉。疑心暗鬼よりも対人恐怖に近い。怯えて震える小動物のような目をしている。
この質問には、ヒョウはわざと答えなかった。無言。それこそが答えだといわんばかりに、ただ温室の戸口に佇んでいる。
青年は、少し声音に力を込めながら、もう一度尋ねた。
「答えないのは図星だからですか?」
ヒョウはまだ答えない。
青年はそれを肯定と解釈していた。ため息をつきながら、入国拒否の宣告をするように、淡々と呟く。
「でしたら、お引取り下さい。僕はもう警察に、何もかも知っていることをお話しました。父さんの力なら、警察から、僕の証言を教えてもらうことも出来るでしょう?だったら、僕がお話しすることはありません。」
「事件の話をしたくない。そう仰っているんですね?それは、何故ですか?」
答えの代わりにヒョウが返したのは質問だった。
今までおとなしくしていたリンも、ヒョウの背中から覗き込むようにして顔を出した。
二人分の敵意のない視線に見つめられ、青年は口ごもってしまう。追及するような攻撃の口調も、感情のない視線の圧力に耐えられなかった。
青年が視線から逃げるように俯く。
ヒョウは助け舟を出すように、質問を収めた。
「私も、別に嫌がる貴方から事件の話を聞こうと思ってきたのではありませんよ。私は、名探偵殿のように事件解決に躍起になっているわけではありませんから、ご安心下さい。」
そして、ヒョウは足を一歩温室内に進める。
「先程、庭師の田上サンから、この温室のことを聞きました。亡き奥方の、貴方にとっては母君の思い出の温室なのでしょう?なるほど、大切に育てられているようです。バラがキレイに咲いていますね?」
審査をパスしていないものの入室には慣れないらしく、青年は身を強張らせている。
青年に構うことなく、ヒョウは手近にあった純白のバラに微笑みかける。
「私もバラを育てているのですよ。私の場合は温室ではないですが。バラの水遣りは、このリンの仕事なのですよ。ねぇ、リン。」
ガラスの温室内に、ガラスよりも澄んでいる鈴の音色が響く。
響いた鈴の音に、青年は顔を上げた。
顔を上げた青年の視線に、ヒョウの微笑がぶつかる。
ヒョウは、黒いスーツの胸ポケットから、一輪挿しの青バラのコサージュを取り出した。
「これは、私が育てたものです。お近づきの印しに、宜しかったらどうぞ。」
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