蒼天の雲(長編版)

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一部 小田原 壱

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 彼女が産声を上げた永正元年は、京将軍家で政所執事の補佐をしていたその祖父入道が、さまざまな経緯を経て東国へ下り、今川氏の城であった興国寺城を預かってから三十年余り、そして入道が前城主大森氏を追い出して城を奪ってから十年余りの頃。彼女の一族が伊豆にようやく根を下ろした時分である。

 祖父は、小田原城を奪取したちょうど同じ頃に頭を丸めて法体となり、早雲庵宗端と名乗っていた。入道となる前は伊勢新九郎長氏といい、元々は、桓武伊勢平氏の流れを汲む備中国(岡山)荏原荘領主の次男である。それが、幕府の中央で政所執事をしていた伯父、伊勢貞親の命令で京へ上ったのだが、それはこの頃やっと、遠い昔のようなことになった応仁の乱が起きた少し前のこと…。

「生まれやったか!」

そして今、入道は小田原城を自分の息子の「氏綱どのへ任せた…」とばかりに、自身で初めて築いた韮山を根拠地としたまま、小田原へはたまさかに訪れるだけであったのに、

「まだお生まれにならぬか…」

 と、一週間ほど前に「嫁、出産間近」の報せを受けてより文字通り飛ぶようにしてやってきて、そのまま桜の植わっている庭を臨むこの部屋に詰めきっているのである。

「姫か。…まあ、よいよい」

 やがて女児出産の報せを別室で受け取ると、瞬間、落胆したような表情を見せたその顔は、しかしすぐに笑顔になり、

「元気によう泣いておるの。ここまで泣き声が聞こえてくるわ」

 と、傍らの松田左衛門を振り向いた。左衛門は小田原近くの松田城城主である。小田原城を落とした長氏の手際の鮮やかさに心服し、それより伊勢一族に従った伊豆土着の武士で、性情はまさに謹厳実直そのものであった。氏綱の付家老として長氏から特に氏綱を任せられた者でもある。よって氏綱の娘が生まれた今は、そのお守り役も果たさねばならぬだろうと、今からあれやこれやと心配し始めているらしい。正直者ゆえにその表情にすぐに出るので分かるのだ。

「いや、お元気が何より。おめでとう存じまする」

「そうじゃなア。太郎であれ姫であれ、お子が元気ならばそれでよい」

 君臣共に、にこりと笑いあったところへ、侍女が懐に白い産着にくるんだ赤子を見せに来る。

「古河高基様からもお祝いのお品が届いてござりまする。お方様のおわす次の間に、山と」

 と、その赤子を「祖父」に差し出しながら乳母が言うのへ、

「なんと、のう。お気遣いの早いことよ」

 長氏は大事そうに受け取った。まるで待ち構えていたかのような古河殿からの「祝い」に苦笑した祖父の鼻は、その拍子に横に大きく広がる。

 祖父の手に抱かれると、赤子は少し驚いたようにまだ見えぬ眼を見張り、しかし泣き止んでたちまち健やかな寝息を立て始める。若い頃より鍛えた祖父の腕は、法衣に包まれているが未だに頑健そのものであり、それが赤子にとってはこの上ない安心感をもたらされるらしい。

 『人生五十年』といわれていたこの時代、齢八十を越えてなお腰もしゃんと伸びたまま、自ら戦の先頭に立つだけの精神と体力があったというのは、彼以外になかったと言ってよい。いわゆる鷲鼻、というのであろう。大きく横に張った彼のそれは、彼の顔の中央に確たる自信を持って座しているように見え、それが強い意志に結ばれた唇や少し出ている額とあいまって、

「うむ。別嬪じゃ。こなた様がこの爺に似ぬでよかったのう」

 と、今、赤子に向かって冗談交じりに言ったように、決して美男とは言えぬが何ともいえぬ愛嬌をかもしだしているのだ。

「こなたのな、ほれ、娘」

 むぐむぐと口を動かすその寝顔を、目を細めて眺めながら、長氏は乳母へ話しかけた。

「何と申したかな、そうそう、八重であったな」

「はい」

「元気に育っておるかな」

「おかげさまを持ちまして」

 この乳母は、古くからの家臣の一人である多目権兵衛の娘であり、主君の孫娘に先立つこと三ヶ月、やはり女児をあげたばかりである。

「これのな、遊び相手にどうかのう」

「恐れ入りまする」

「高基様のところにも、若君がおわしたのう。これより二、三歳ほど上になるか」

 乳母が手をつかえて頭を下げるのを見ながら、長氏は独り言のように呟いた。

 古河高基とは、関東公方、足利高基のことであり、室町幕府初代将軍尊氏の次男、基氏を祖としている。

 関東は、いわゆる関東公方を頂点とした鎌倉府によって治められていた。足利将軍家の関東出張所のようなものであり、文字通り関東一帯の政治、軍事を管轄している。

 武家の棟梁である将軍の連枝を公方(公家)、と呼ぶのもまた奇妙な「はなし」ではあるが、これは足利三代目将軍、義満に負うところが大きい。彼が武家の棟梁である征夷大将軍と公家の頂点である太政大臣をかねたところから、その親戚筋に当たる鎌倉府の長も同様に人々はそう呼ぶようになったのだ。

 そして永享十一(一四三九)年、三代義満がみまかって後を継いだ四代目義教の代に、とみに衰えを見せ始めていた幕府の権威を、当時の関東公方、古河持氏は侮った。そして義教及び関東管領の上杉憲実とついに対立、結果、持氏は討たれるという争いが起きている(永享の乱)。

 さらにはその翌年、結城氏朝らが持氏の遺児である春王・安王の二人の子らを守って管領方の上杉清方に攻め滅ぼされ(結城合戦)、その後辛うじて末子であった成氏がその後を襲うことによって、ようやく安定するかに見えた『鎌倉府』は、享徳三(一四五四)年成氏が関東管領の上杉憲忠を殺したことにより、再び戦いの渦に巻き込まれることになる(享徳の乱)。

 幕府は、これも将軍家の遠縁に当たる今川範忠を上杉方の援軍として差し向けた。長氏の妹婿の父である今川範忠は分倍河原の戦い、小栗城の戦いなどを経て、最終的には鎌倉をその手に奪うことに成功した。その時、上杉勢を追って鎌倉府を留守にしていた成氏は、

「空き巣狙いに不意を突かれた。我が家に備えを残しておかなんだのは、我らが不覚ではあるが」

 …先だっての戦いでは勝っていながら、と、ほぞを噛んで悔しがったそうな。

 鎌倉を追われ、彼は、新たに下総古河を根拠とした。以降の鎌倉府の長を「古河殿」と呼ぶのはここからきている。

 ちなみに、関東へ八代将軍義政の弟、足利政知が「古河殿」を牽制する目的で新たに公方として派遣されてきたのは、これより四年ほどのち、長禄二年(一四五八)のこと。

 結果的には足利政知は、『古河公方』に阻まれて関東の奥深くに入ることは叶わず、堀越で足止めを余儀なくされた。よってその場所を拠点とし、それがために『堀越公方』と呼ばれたのだが、それより両者はなんと三十年の長きに渡ってあい争い続けたのである。

 さらに公方を補佐しなければならない役目を負うはずの関東管領、上杉家さえも…そもそも彼らは扇谷、山内の二つの家が交代にお役目を継いでいたのだが…袂を分かって前者は古河、後者は堀越、それぞれの公方の元で争い始め、関東の情勢は混乱を極めた。こういった一連の出来事を見ていると、関東の混乱は成氏によってもたらされたと言えなくも無い。

 それに一つの区切りをつけたのが、いましがた生まれたばかりの赤子の祖父、新九郎長氏である。彼の伊豆進出の格好な口実となったのが、堀越公方のいわゆる『お家騒動』。

 実の父と側室、円満院及び腹違いの弟である潤童子を切り捨てた堀越茶々丸を、幕府の勅許を得ぬまま攻め滅ぼしたのである。茶々丸もまた、父政知を殺して後を襲ったのはいいが、女と見れば伽を命じたり、無辜の民をむやみに切り捨てたり、またそれを諫めた老臣に切腹を命じるなど、およそ領主としてふさわしからぬと領内の民衆から怨嗟の声を浴びていたのだ…。

 よって長氏の行動は幕府によってお咎めなしとなり、古河公方側もまた、『目と鼻の先の腫れ物』を長氏が滅ぼしてくれたということで、

「してやったり…」

 と手を叩きながら、心の片隅にでも『北条』へいささかの好意を持ったかもしれない。それは長氏が小田原城を奪取しても…扇谷上杉と縁があった前城主、大森藤頼が城から追われてそちらへ逃げたという事実はあっても…『鎌倉府』からは何の苦情も寄越されなかったことで伺えたのである。

 時は移って、鎌倉府は永正元年現在、ひとまずは成氏の子である政氏がその長となっている。伊勢入道はこの年、武蔵立河原で政氏と戦ったばかりであり、その嫡子である古河高基から形ばかりとはいえ「出産祝い」が贈られてきたのには、

「これは、まあ…高基様からというよりも簗田どののお心遣いであろうがなあ」

 入道が苦笑しながら言うように、高基側近の力が働いたのであろう。

 成氏から政氏、高基と辛うじて続く「格式の高い…」関東公方のお家では、懲りずにまた政氏、高基が父子で争いはじめる気配を見せている。つい先だって、

「我らがお味方申し上げる」

 と、伊勢入道、長氏が高基側の家臣である簗田高助へ申し送ったことにより、拮抗していた力関係は若い高基のほうへやや傾いたようなのだが、やはり決着はつかぬままらしい。

「こちらからも答礼せねばなるまい。其許、ご足労であるが古河へ参ってくれるかの」

 腕にしっかりと抱いた赤子の寝顔に顔をほころばせながら、長氏は左衛門を振り返った。この左衛門、先だって伊勢氏が小田原を奪取した際、古河公方への伊勢の叛意無き旨を述べに使者として参っている。先方も、顔見知りの彼のほうが心安かろうと長氏は考えたのだ。

 早速、左衛門がいそいそとその部屋を出て行くと、入れ替わるように氏綱が姿を現した。

「…こちらにおわしまいたか。氏綱、ただ今ご挨拶に伺いました」

「何じゃこなた、まだ姫を抱いておらなんだのか」

「は…なにさま、こればかりは女どもの領分にて」

 産室となった部屋を追い出されたのだと苦笑する入道の息子は、父の側へ腰を下ろして慇懃に頭を下げた。父に似てはいるのだが、彼の父ほどに頬はそそけだってはいない『氏綱どの』は、今のように顎を引くと少しであるがその首の肉が押されて盛り上がり、その辺りに皺が出来る。どちらかといえば幾分おっとりした面差しをしているように見える。

 その氏綱殿へ…伊勢氏は将軍家より『大名』として正式に任じられたわけではないので、このような名称を使うのは少々おかしいのだが…入道は家督を譲っていなかった。彼にしてみれば、息子である『氏綱どの』はまだまだ頼りない。彼の命のあるうちに、将来彼の息子の前に立ちはだかるだろう諸々の強敵を、彼自身の手で滅ぼしておくつもりだったのだろう。若い氏綱にはいささか不満もあっただろうが、長氏がいかに一族の行く末を案じていたかが伺える。
「そうかそうか。ではこなた様を抱いた男どもの中では、この『爺』が嫁御前や乳母殿を除いて一番槍か」

 長氏は初孫を抱いて他愛なく目じりを垂れ下がらせている。その様子を見て微苦笑をもらしながら、氏綱もまたその場に座った。

「これ、この子のな…こなたの母御に似ておるわえ。うむ、やはり別嬪じゃ」

 息子が座るのを待ちかねて、入道は腕に抱いた赤子をそちらへ示す。彼の正室は、長氏より三十は歳が離れている小笠原政清の娘、依姫である。世子の氏綱と共に小田原へ置かれたその女房どのは、今日は嫁の産室で何くれと世話を焼くのに忙しいらしい。ちなみに、赤子の母となった氏綱の正室もまた小笠原家より迎えているので、「祖母殿」にとっては満更赤の他人でもないのだ。

「生まれたばかりでまだ何とも申せませぬでしょうが」

 小笠原氏とは無論、礼法を司る京の「公家武士」、小笠原流の宗家のことである。

 祖父、長氏の一族である伊勢氏もまた、遠くは桓武天皇を祖先とする桓武伊勢平氏の出であり、同じように礼儀作法を司る名門である。壮年であった頃の祖父が京で申次衆をしていた間、彼の従兄弟であった伊勢貞守が、

「…小笠原の娘をご存知か」

 と、その時五十歳を過ぎても独り身でいた入道へと「はなし」を持ちかけたのだそうな。

 依姫は、高貴の出らしく頬はふっくらと、肌は触れれば吸い付くように白く、まさに手弱女、と呼ぶに相応しかった。しかし「今川の後継問題を収束させよ」との幕府の命を受けた長氏と共に東国へ下り、まだ幼かった「今川の正統な後継者」を夫の妹、故北川殿とともに逃れ隠れた所の長者、小川の法永の館(小川城)で守り通した芯の強さは、やはり尋常な公家武士の娘のそれではない。

 見た目ははんなりとしていながら、並みの男性より余程肝が据わっているのである。

「いや、別嬪に違いないのじゃ。のう…こなた様は、この爺が名をつけて差し上げる。『志保』とのう。良い名であろうが」 

 その母にあまり似られても困ると氏綱が苦笑するのに構わず、長氏は赤子へ話し続けた。

「そうじゃ。こなた様の指導はな、箱根の海実殿へお任せしよう。菊寿と共に権現様で学ぶようにすればよい。菊寿はこなたの父御や我らよりずんと頭が良いでなあ。こなた様がようよう片言を話し出す頃には戻ってこよう。戻ってきたなら、こなた様の面倒もみてくれよう」

 菊寿丸、母は「あに」とは異なり、父の側室である葛山氏の娘。後の『北条』幻庵宗哲、長綱である。幼い頃より僧門を叩いて箱根権現寺へ入り、長じては父と同じように京へ向かった。今頃は三井寺で修行の最中であろう。僧でありながら、武術のほうも父や兄に引けは取らぬ。

「これからはのう」

 先走る父にただ苦笑する息子に、変わらずにこにこと笑いかけながら、入道は赤子を抱いたまま庭先へ立った。庭に植わっている桜が、春ののどかな光の中で静かに薄桃色の花弁を散らしており、

「生まれてくるお子には、男であるから、女であるからと区別せずにお育て申し上げる時がやってくる。菊寿にも、よっくとそのことを申し述べてのう」

 それを見上げる祖父入道の腕の中で、赤子は春の日差しのまぶしさに顔を時折しかめながらも、やはりすやすやと眠っていたのである。

 赤子の祖父入道は、まことに多忙であった。

 敵対していた扇谷、山内両上杉が手を組んだのがその後の永正三年。同時期、古河政氏、高基父子の対立がいよいよ表面化し、高基は古河より下野宇都宮へその居を移している。父子の仲たがいは、山内顕定の斡旋により、永正六年に高基が古河へ戻ることで一時的には収まるかのように見えたのだが…。

 その両上杉を一度に相手にするのは得策でないと、永正六年八月には山内顕定、扇谷朝良が共に越後へ出陣した隙をついて、入道は扇谷朝良の本拠である江戸城へ迫ったのである。だが、それを聞き知った扇谷朝良が上野国より直ちに兵を返したため、翌永正七年まで武蔵、相模国で戦わねばならぬ羽目になった。ちなみに、公方父子の仲裁をした山内顕定はそのまま攻め入った先の越後で戦死している。その報せが関東に伝わると同時に、古河高基は再び古河を離れて、重臣である簗田高助の関宿城へ移っており、再び親子間で争いが起きる兆しが見え始めていた。

「おじじ様」

「おお、おお」

 祖父入道がようよう小田原で落ち着いたのは、志保が箱根権現で学問を始めた永正七年の秋のことである。習い終えたのだというつたない字を書いた紙を手に駆け寄ってくる孫娘へ、ホッとしたような顔をしながら、長氏は続いて出てきた別当の海実へ慇懃に頭を下げた。

「本日も読経を?」

 海実が、一渡り彼の孫姫の頭のよさを褒め上げてから、いつものごとくそう尋ねるのへ、

「はは、まあ…己の自己満足のためでおざるよ」

 入道はほろ苦く笑った。

「ではどうぞ、こちらへ」

 掌を上へ向け、海実は長氏入道を導く。海実の傍らには、入道の第三子、菊寿丸も迎えに立っていて、かすかな笑みを浮かべて彼に頭を下げた。すりよってくる小さな孫娘の手をぐっと握り締め、

「参ろうかの」

 それこそ、孫に見まごう年齢の息子へ声をかけながら、入道は濡れ縁から中へ入る。

「ささ、お座りなされ」

 本堂の中央に安置されている仏の前へ、長氏は孫娘を膝に抱いて座した。

 戦から帰ってくると、祖父入道はこうして志保と共に仏前に額いて香を焚き、華を手向けるのが常だった。すると志保もまた、無心に小さな両手を仏へ向かって合わせるのだ。

「苦しい戦いであったと耳に挟みまいた」

 やがてその「いつもの儀式」が終わる頃を見計らい、海実が熱い茶を運んできた。それへ軽く頭を下げて湯飲みを押し頂きながら、

「うむ…十年ぶりの出陣であったのだがのう。虫食いだとばかり思うていた杉でも、がっちり組むと、意外に丈夫なものよ。政盛にはまっこと、申し訳ないことをした」

 入道もまた、ほろ苦く笑う。扇谷、山内上杉は、伊勢入道側に味方すると言っていた扇谷上杉方の武将であった権現山城城主の上田政盛を攻めて城を落城させたのである。当然ながら政盛は自害して果て、一族は苦しい立場に追い込まれた。

「今度は、まさもり、というお方が、お亡くなりになったのですか? それゆえ、おじじ様はお経をあげに来られたのでおざりまするか?」

「ふむ…そればかりではないが」

(知らぬうちに「わけ知り」になったものよ…)

 膝の上の孫娘が発した言葉に、祖父入道は一瞬目を丸くして、それからさらに苦い顔をしつつも正直に頷いた。せっかく離反させた上田政盛を見殺しにした結果になったばかりではなく、扇谷縁故の三浦道寸までもが出てきて住吉要害を奪ったのである。これに対して入道は、扇谷上杉との和睦でやっと切り抜けたという、手痛い敗北を喫したばかりなのだ。

「…志保殿。この戦ではなあ」

 と、そこでむっと唇を結び、鼻の穴から大きく意気を吐き出して、祖父は再び続ける。

「爺は失わずとも良い命をたくさん失のうた。我らに味方してくれた家の子、郎党どもだけでのうてな、我らの手にかかった相手の者どものための読経でもある」

「ふうン…?」

 祖父は、志保がどんな問いを発しても真摯に応える。決して茶化したりはしないその答えは、

(なにゆえに、敵のためにまでおじじ様は)

 しかしやはり幼い彼女にはまだ難しく、肩でそろえられた切り髪が頷く動きに合わせて二、三、軽く揺れた。同時に、細く白い筋を引く香の煙が風に吹かれる。それが強く志保の鼻をついたと思うと、

「父上。生き延びまいた味方の者ども、全て無事に小田原以西へ引き上げてござりまする」

 その風は、どうやら氏綱によって吹かせられたものらしい。黒烏帽子に鎧姿のままで濡れ縁から上がってどっかと寺の床へあぐらをかき、志保の父は入道へ向かって頭を下げる。

「さようか。ご苦労であったなア」

「は、それは…そのようなことよりも」

 氏綱もまた、ほろ苦く笑って眼前の仏を見上げる。

「父上。一言、よろしいか」

「うむ」

「父上が戦よりご帰還のたびに、こうして読経されるのは、散ったお味方のためばかりではない…我らの前に立ちはだかる敵のためでもあると」

「おお、そうじゃ」

 入道は謎のような笑みを湛えて頷いた。氏綱の前へも、海実が熱い茶を運ぶ。しかし、氏綱はそれへ軽く頭を下げたのみで手をつけず、

「以前より思うておりまいたが、なにゆえ父上は、我らが敵のためにも読経されるのでござりましょうや」

「ああ…ふむ」

「父上の読経のお姿を拝見するだに、僭越ながら思うておりました。猫が、己の糧とするために殺した鼠を食いながら、『彼が哀れである』と申しておるのと同じではないかと」 

 戦場から還ってきたばかりで、どうやらまだ興奮が冷め切っていないらしい志保の父は、唇を苦々しく歪めて彼の父をなじった。おまけにこの度は負け戦の後なのだ。まだ若い氏綱が苛立って声を荒げるのも無理はないのだが、

「父上は、おじじ様がお嫌いなのでござりまするか?」

「…失礼致す」

 そこで発せられた幼い我が娘の無邪気な問いに、氏綱はぱっと顔を赤らめた。娘の前で

(父をなじってしまった…)

 のが、日ごろより「理性の勝ったお方よ」と常々家中で噂されるのが心ひそかに自慢である彼には、瞬時に恥じられたらしい。

「先に小田原へ帰っており申す。志保はお任せしても」

「ああ、よいよい」

「では、これにて」

 そのまま立ち上がってそそくさと出て行く息子の後ろ姿へ、

「無理もないのう。こたびは負けも負け、綺麗さっぱり負け申した故」

 呟くように言って、

「志保殿、助太刀感謝いたす」

 長氏が膝の孫娘を苦笑しながら見やると、海実も同様に苦笑した。氏綱に言われるまでもなく、入道自身も内心、忸怩たる思いを抱いているのだ。

 その祖父の顔を見上げながら、

「おじじ様。父上は、おじじ様がお嫌いなのでござりまするか?」

「いや…そうではないのじゃ。違いよ、考えの違いじゃ」

 澄んだ大きな瞳で繰り返し尋ねた孫娘の頭を、皺深い手で軽くたたきながら、祖父入道は大きく嘆息する。

「いずれ、なあ。全てはいずれ、大きゅうなられたら志保殿にもお分かりになる。こなた様の父が爺へあのように申した理由も、爺がこうして敵にも経を捧げる理由ものう」

「…はい…?」

「ははは。さァて、ぼつぼつ小田原の城へ戻りましょうぞ」

 まだ要領を得ないように彼を見上げる無邪気な顔は、大変に愛らしい。ささくれた心を少し慰められたような思いで、祖父入道は志保の小さな手をぐっと握った。

「あまりに遅うなりまいたら、それこそこなた様の父御に叱られましょうでな。戻りまいたら、爺のお拾いに付き合いなされ」

「はい」

 こっくりと、幼い頬が再び頷いた。

 ようよう柔らかくなりかけたの初秋日差しが、社の階段を降りてゆく祖父と孫娘の背中を照らす。

「気をつけられて…」

 それへまた、権現別当の海実が声をかけ、菊寿丸と共に微笑でもって見送るのも「いつもの景色」になっている。

 実際、入道にとってはこのようなひと時が大変に貴重なものだった。重い鎧を厭うて軽い法衣をまとい、頭巾を被ったのみのいでたちで戦いに明け暮れては、箱根権現へ学問に通う孫姫の元へ戻り、散策へ出かける。

 その光景が当たり前になり始めて久しく、まさに「気がつけば」成長していた孫娘へ縁談が持ち込まれたのは、彼女が数え年十三、実年齢は十一か十二になったばかりの春のことだった。

「私、亀若様とやらのもとへは参りませぬ」

「しかし、参ると約束してくれねば父が困る」

 …やれやれまたか。居並ぶ家臣は、湧きあがってくる好意の微笑を堪えつつ、父娘の言い争いを眺めていた。

「菊寿(きくじゅ)、そなた、志保へどういう教育をしたのだ」

「これは」

 女は親の言うままの先へ嫁ぎ、嫁ぎ先の夫が死ねば出家するのが当たり前とされていた時代である。怒りを振られ、その場に列席していた娘の父の異母弟、幻庵長綱もまた、苦笑した。「あに」だけでなく、一族のたれもが、未だに彼を出家前、幼名の「菊寿丸」で呼ぶ。

 兄弟のたれよりも父に似ていると常々言われていた『菊寿丸』は、北条一族のたれよりも長く生きた。一族の興亡を文字通りその目で見、肌で感じたのである。彼自身もまた、彼の父が生きたよりもさらに五年あまりも長生きするとは夢にも思わなかったに違いない。

 一族の領国へ正式に帰ってきてからは、箱根権現の別当を継いだ。そのまま還俗せずに相模中郡と武蔵小机領の領地を父より任されることになるのだが、それは今、「あに」から、その娘と同じように説教を食らっているこの時期よりも少し後の事である。

「菊兄さまのせいではありませぬ」

 日は既に高い。座敷の外にある植え込みの葉の影をそれが長く床の上へ伸ばすのを、長い睫を一瞬だけ伏せた瞳で見やってから、額に鉢巻をした娘はするどく叫び返した。

「市右衛門と稽古中でありましたものを、わざわざのお呼びたて。何事かと思えばくだらぬ」

 そして、小田原付家老、松田左衛門の孫の名を口にして、頬をぷっと膨らませる。

「くだらぬとは何事じゃ! 女が剣の稽古に精を出さずともよい」

 たちまち飛んだ父の一喝に、娘は膨らませた頬をぷいと横へ向けた。

「のう。志保」

 それでも父、氏綱は、いらいらと扇を弄びながら、聞き分けのない娘へ説得を重ねようと、虚しい努力を続けるのである。

「我らが一族のため、聞き分けぬか。こなたが古河殿へ嫁ぐのは、我らがためばかりではなく、遠く民草の将来をも見据えたゆえの布石なのじゃというに」

「なりませぬ」

「頑固な奴めが。誰に似おったのか」

「血というものがあるではございませぬか」

 家臣達は、とうとう浮かぶ微笑を堪えきれずにそっぽを向いた。中には吹き出す者もいて、氏綱はそちらをじろりと睨めつける。

「女は、道具ではありませぬ。私は他の女とは違う、心というものがござりまする。聴けば亀若殿には、すでにご正室候補として挙げられている方がいらっしゃるとか…私、『側室』は嫌でござりまする。よって古河殿へ参るのは気が進まぬ。気の進まぬ殿方へ嫁げといきなり告げられて、『はいそうですか』などとは言えませぬ。まして、お家のためになどと、到底納得はいきませぬ」

 数え年十三になったばかりというのに一人前の口を利く。睨みつけても平然とした顔をしてそっぽを向く娘に、氏綱は、尚も説教してやろうと口を開きかけた。するとその時、

「やれやれ。苦労しておられるようだの」

ひょこひょこ、と、僧衣をまとった人物がその広間へ姿を現した。

「ほ、これは」

「おじじ様」

 いつもながら、そのあまりの手軽さに氏綱は恐縮し、家臣達ともども一斉に手をつくのだが、

「これ、志保」

 その中でただ一人、頭を下げぬ娘へ氏綱の叱責が飛ぶ。

「ああ、よいよい…氏綱どの。顔を上げられよ」 

 「おじじ様」と呼ばれたその人物…早雲入道は、にこにこしながら彼女の頭をごつごつと節くれた手で軽く撫でた。「おじじ様」にとっては彼女が初孫であり、数少ない女児の一人であるがゆえに、かわゆくてならぬものらしい。

「ちと手間取っておられるとお聞き致したのでの。及ばずながら参上いたした。特にやるべきこともなし、否、忙中、閑あり、といったところかの」

 彼はいつものごとく、主に彼の住まいであり一族の政の中心である韮山の城から、「暇であったから訪れた」といった体で、笑みを崩さず彼の息子へ話し掛ける。伊豆、相模一帯を着々と手中にしつつあるとはいえ、三浦半島には未だに頑強に一族に抗う三浦氏が健在なのだ。


「それにこちらのな、ご様子を聞きまいているうちに、志保殿やお千代殿の顔が見とうてたまらなくなりまいたのでな。ああそれ、そのように畏まられるな。氏綱どのやそこに並んでおるようなむさ苦しい老臣(おとな)どもは『ついで』じゃ、『ついで』」

「は、これは」

 額に滲み出た汗を、氏綱は懐へ思わず手をやって取り出した懐紙で拭い、父へ向かって再び頭を下げた。老臣たちもまた、苦笑しながら再び手を仕える。

「これ、このように頑固なものですから」

「頑固は血かもしれぬのう」

 志保の祖父、長氏が、けろりとした顔で言ってのけたので、とうとう家臣達は声を上げて笑い出した。その中で、氏綱と志保だけが憮然とした顔を崩さない。

「ときに志保どの」

「はい」

 何を言われても聞くものか、という固く引き締まった顔をした孫娘をにこにこと見ながら、祖父は言った。

「久しぶりにの。この爺と一緒にお拾いに行かれませぬか」

「お拾い、でございますか」

 必ず説教が飛んでくる、そう思っていたらしい孫娘の顔は、その瞬間いかにも子供らしいきょとんとした顔になる。

「さよう、お拾いじゃ。この爺に付き合いなされ」

 それへ頷いて、祖父は孫娘へ皺深い手の平を上にして差し出す。

「…お供致しまする」

 内心の照れ臭さも手伝って、志保もまた、その手を取って立ち上がった。その背はいとけない少女でありながら物怖じすることもなくしゃんと伸び、長く伸ばされて黒い光沢を放つ髪もまた、何の飾り気も無く後ろで一つにきりりと束ねられているのみ。稽古中であったとの言葉どおり、袴姿である。だがその様子が反って彼女の美しさを際立たせていた。

「怖じずにはきはきと物申すのが、こなた様の良いところじゃ。氏綱どのもな」

(これはまっこと、祖母に似た)

 孫娘をにこにこと見やり、祖父は思う。正室、依姫は永正四(一五○八)年にみまかっており、当時四つほどの幼子であった志保は、無論その顔を覚えてはいない。

「…氏綱どのもな」

 彼女の面影を孫娘の表情に重ね、憮然としたままの息子へ、部屋を隔てる襖の敷居を無造作に足の裏で踏みしめながら、彼はこんこんと諭すように言った。

「人に物を申すときには、つけつけとは言わぬことじゃ。あれでは聞いてもらえるものも、聞いてもらえぬ道理であろ」

「は」

「新九郎様」

 再び額へ赤く血を上らせて黙りこんでしまった氏綱を救うように、古くからの家臣の一人である荒木兵庫頭が口を挟んだ。兵庫は未だに長氏を若い頃の通り名で呼ぶ。

「お二人のみで大丈夫ですかの」

「ほ、年を取ってもまだまだ若い者には負けはしませんぞ」

 荒木兵庫は播磨赤松家の遺臣だった。上よりも下の顎ががっしりと出張っている上に、顎の肉付きもひと目で「あれは頑固者じゃ」と人へ思わせるほどにたっぷりとついている。にこりとすることも滅多になく、口を開けば出てくるのは遠慮も何もあったものではない苦言ばかりだと、志保の祖父は苦笑を漏らすのである。

「少しはお年を考えなされ。もう八十と…」 

「三、四になるかのう。こなたとて似たようなものであろ。すまじきものは長生きですのう。うるさい年寄りばかりでは、若い者は息もつけまいて」

 旗揚げした古い仲間へからりと言い捨てて、荒木兵庫の口に微苦笑が浮かぶのをちらりと見やってから、
「さて、参りましょうかの」

 祖父は志保を促した。

 二人の素足が広間より廊下の広縁を踏んだ拍子に、辺りへ良い香りを漂わせていた満開の木蓮の花びらが、はらり、と一つ散りかかる…。

「おお、良い天気ですの。春じゃなあ」

「はい」

 祖父の心の中では、まだまだ彼女は二つ三つの童女のままであるらしい。転ぶといけないから、と、その片手を握って離さない。「一国の領主」が、その孫娘と二人のみで出かけるというのは、あまりにも手軽すぎて、

「おじじさま」

「よいよい。よいのじゃ」

 祖父にはいつも、孫娘の言いたいことが一言のみで分かるらしい。人の良さげな笑みを口元へ上せたまま、

「どうせ大道寺あたりが、見え隠れに乱発(らっぱ)など我らにつけておろうからの」

 これまた古い家臣の名の一つをこともなげに言い捨て、前を向く。志保も苦笑しながら歩みを進めた。

 祖父の言う「乱発」とは、後の「忍び」のことである。当時、『北条殿』に仕えていたとされる「忍び」は、主として風間一族だと伝えられており、その頭領といえる風間小太郎は、髪を結い上げることなく『がっそう』にしていかつい口元を厳しく結んだ風貌であったという。これもまた、どこまでが真実なのかは分からないが、『後北条』家が間諜を使っていたのは事実であるらしい。

 確かに、彼らがついてあれば祖父とその孫娘の身はそれ以上ないほど安心と言っていい。

 また、彼らを慕う農民や土着民もまた、隠れた『間諜』であった。

 明らかにこの土地の者ではないと判断される者や、怪しげな旅人などを見かければ、別段頼まずとも彼らのほうから教えに来るのである。さほどかように、『北条殿』は領国の民に愛されていたと言えよう。

「氏綱どのもなあ」

 祖父はのんびりと歩き続ける。ひょっとすると今この時にも命を狙われているかも知れぬなどと考えもしない風情で、

「頭は良いのだが、この爺に似ず真面目すぎて、融通の利かぬところがござっての。『これ』と思い込むとその他が見えぬ。それゆえに、なあ、あの物言いは許しておやりなされ」

 まるであくびを堪えているような様子で、ゆるゆると言うのである。

 すると、深い皺が刻まれた固い頬の上にはうっすらと涙すら流れて、それをまた祖父は無造作に右の袖で拭うのだ。

「それは…はい」

 志保もまた、その様子には微苦笑を禁じ得ない。およそ礼儀を司る家の出らしくなく、

「しばし待ちなされ、ちと野暮用じゃ」

 時折、田のあぜの片隅で祖父は足を止めては彼女から背中を向けて己の一物を取り出し、さも心地よさ気に尿を草むらへ向けて放ちさえする。そして手の中のそれを二、三度振るった後、

「氏綱殿にはくれぐれも内密にのう。あれに知られてはまた叱られる」

 まるで悪さを見つかった子供のような表情で、片目をつぶって野袴を無造作に捌きながら、彼は志保を振り向くのが常なのだ。

「それは、もう」

 苦笑しながらも、

(この放埓さも嫌いではない…)

 むしろ好ましい面として、志保の目には映る。

 簗田高助の「はなし」へ少し乗り気であるかのような態度を示したのは、この長氏なのである。だもので、父氏綱も頑なに彼女へ古河公方の元へ嫁ぐように言い張った。父自身もこのような磊落な彼の父を、実は好きでたまらぬのである。それゆえに、その言いつけは絶対のもの、氏綱殿にとっては「必ず実行されなければならぬもの」なのだということも、彼女はよく知っていた。

 今日も、耕された土の匂いは日差しに照らされて濃く漂っている。風向きが変われば、今しがた畑へ撒き散らされたばかりの牛糞の臭いさえ時折鼻を突く。豊かに広がる畑の畝の中には、手ぬぐいでほっかむりをした人々の姿が点々と散らばっていて、

「おお、お城の大殿さまと志保さまじゃ」

「今日もお二人でお拾いじゃそうな」

 それらの畑を耕していた農民達が、二人に気づいて遠くより手を振った。近くへ駆け寄ってこようとするのへ、「ああ、よいよい」と叫び返して手を振り、にこにこと祖父は彼女へ笑いかける。

「のう。皆が我らを慕ってくれる。素晴らしいことであろ」

「はい」

 祖父は興国寺城を今川氏から『預かった』時、その頃公五民五が当たり前とされていた年貢の率を、

「我らが贅沢さえしなければ、やってやれぬことではない」

 と、公四民六にしたばかりか、その当時流行っていた風土病の治療にも力を尽くし、一挙に民の心をつかんだ。

「上に立つものがぜいたくをしてはならない。民の声すなわち天の声じゃ」

 彼はいわゆる「応仁の乱」が勃発した時には京に居た。そこで、つぶさに民の惨状を見てきた経験がそう言わせたか、建仁寺において禅を学んだ故に出た考えなのかは、志保には分からぬ。

 ともかく彼の思案は、当時の身分の高い「申次衆」が考えることにしては意外なほどに開けていた。「一にも二にも領主は節約」が、伊豆へ拠点を移した現在に至るまで変わらぬ長氏の口癖なのである。

「民の心をな、しっかとつかんでいなければ、所領の経営は成り立たぬ。これはのう、爺が志保どのよりも十ほど年を経たときに、お天道様から教わったことでの…その頃はまだ、荏原(備中)にいたのじゃが」

 よっこらしょ、と掛け声を発しながらしゃがんだ祖父の節くれた指は路傍の花を折り、孫娘へとそれを差し出す。それを受け取った彼女へ、祖父はいつもの言葉を口にした。ここまでは彼女も、というよりも一族のもの皆が訓戒として普段聞いている通りである。だが、

「領主は、民あってこそのもの。民を守るためにある。こなた様が爺に会いにこられるずっと前に、爺が京の将軍家から命じられて、ほれ、氏綱どののお従兄の氏親殿(今川氏親。故今川義忠の正室で長氏の妹だった北川殿の息子。現今川当主)のために、お家を取り戻して差し上げられたのも、その功あって、興国寺のお城を氏親殿からお預かり出来たのも、こうやって爺がこの豊かな伊豆を己の手の中へ収められたのも…全てこの爺の志が天に叶うたがゆえだと思うておる。それゆえ爺は、民を氏綱どのや菊寿どの、こなた様と同じように思ってきた」

 今日の祖父は、志保が聞いているのかどうかを確かめようともせず、彼女には今まで語られることのなかった言葉でとつとつと語る。

「子は宝じゃ」

 そして、孫娘の顔を微笑でもって眺め、

「男子であるから、女子であるから、というようにはお育て申さなんだ。菊寿や海実殿にこなた様の指導を預けたときも、わしはそのことを特に申し聞かせておった」

「はい」

 志保もまた、こくりと頷く。

「どうであろ。こなた様には、この爺や父の領地がうまく治まっていると思われるか」

「それは、もちろん。この地のみならず他の地でも、おじじ様を徳と仰がぬ者はないと聞いておりまする」

「そうか、そうか」

 孫娘が大きく頷いて答えるのへ、祖父はつるりと顔をなでた。これが照れた時のこの人の癖なのである。

 まこと、伊豆は穏やかな気候に恵まれた豊かな土地であり、当時は川から砂金も取れた。海から得られる海産物も豊富であり、小田原城を手に入れるために祖父が使った「卑怯な手段」のことも、また、祖父に頑強に抵抗した下田の深根津城の領主どころか城内の女子供全ての首を祖父が切るように命じ、空の下に晒したことも志保は聞き知っている。

 一族や家臣が彼の耳に痛いだろうと思われることを言っても、決して声を荒げて怒鳴ったりせず穏やかに耳を傾ける祖父が、逆らう敵を皆殺しにするような酷烈な一面も持つとはとても信じられない。ましてや祖父は『禅宗』に深く帰依した出家の者なのである。もっとも、彼が非情ともいえる『裁き』を敵へ施したのは、後にも先にもその時一度きりではあったのだが…それでも志保が彼を慕う、その思いの深さに変わりは無い。

「それもこれも、全てお天道様の思し召しじゃ。こなた様も知っての通り、この爺は、こなた様の祖母と出会うのが遅れた故に、こなた様の父御をお天道様から授かるのも遅かった。おばばに会うまでに、しておきたいと思うたことがたくさんにありすぎての」

「はい」

 すげ笠に野袴、虎縞の羽織という、とても領主とは思えぬ格好で、大地をゆるゆると踏みしめて歩きながら、

「じゃが、こなた様らにお会いして分かった。子はいわば天からの授かり物。まさかにこの爺も八十を越えてまで生きて、こなた様やお千代殿に会えるとは思いもしませなんだ。繰り返しになるが、全てこれ、天の思し召し。であるからの」

 走り寄ってきた領民の子供達へ手を振り、祖父は話し続ける。

「我らが領地内に生ける者、皆に幸せになって欲しいとのう、そう思う。そのためには、これからも流されねばならぬ血もあろうがのう」

 しかし、己にも言い聞かせるように語る彼の瞳に、少しだけ陰りがあるのを孫娘は見逃さない。その表情を見るにつけ、彼女が思い出すのは、戦が終わるたびに志保の学問所でもあった箱根権現へ来て香を焚いた祖父の姿である。

 その彼を、「猫が鼠へかける情け」だと父はなじった。

(…皮一枚ばかりの情けを、己が手にかけた敵へかけるのは偽善に過ぎぬ)

恐らく父はあの時、そう言いたかったに違いない。その父へ、祖父はただ苦笑でもってのみ答えたのであるが…。

(…そんなことは)

 志保は、ゆるゆると、しかし力強く歩き続ける年老いた祖父を時折見やりながら思う。

 …勝者が敗者へ何をどういった形で与えようとも、嫌味にしかならない。祖父には百も承知なのだ。それでも、彼はそうせざるを得なかったのだ、と。

(仏の心で、鬼の裁きを…)

 祖父、新九郎長氏は、彼女が幼い頃に何かの話に聞いていた「閻魔」という、降魔の剣を持った仏の使いに違いないのだ…。

「…あらゆるものはのう。お天道様に生かされておる」

まだ春だというのに、戦に明け暮れる祖父の鼻の頭はすでに浅黒く日に焼け、薄く皮膚さえ剥け始めている。志保の手をつないでいないもう片方の手の平で、祖父はそれを擦り落とすかのように再び顔をつるりとなで、

「関東管領家も、関東公方家も、そして京におる将軍家に様々な公家どもも…それらは皆、己の今の地位が天からの授かりものであることを忘れておるのじゃ」

 言いながら「むっ」と口を結ぶと、その周りに濃く現れ出でる意志の強さも彼女が生まれた当時のままである。烏の爪痕が刻まれたような皺深い目じりに、いつも地下の者たちへは労わりの笑みを湛える瞳の奥には尚、力強く光が宿る。

「それゆえ爺は、それらに代わって、その支配に喘ぐ領国の民を助けたいと思うた。そのためには二つに分かれてなお、関東公方に深く根を張って未だに戦う扇谷、山内の腐った二本の杉をまず切り倒すという荒療治をせねばならん。そう思いながらのう、爺は昔…ほれ、三島明神様へお篭りに参りまいた。それがお天道様のご意志に叶うかどうかを尋ねにのう」

「アア…はい」

 志保もそのことは、「じい」の松田左衛門から聞き知っている。彼女が顎を引いて頷くと、祖父もまた頷いて、

「そこで爺は夢を見まいての…小さな小さな鼠が、広大な野原に生える二本の大きな杉を根から齧り倒してやがて大きな虎になる…」

 彼女の手を握り締めた手と、もう片方の手でその大きさを示してみせる。 

 祖父は壬子(一四三二年)の生まれである。であるから、その鼠はおそらく祖父自身であろう、そして広大な平原とは武蔵野、二本の杉とは扇谷、山内両上杉のことであろう。となると、これは『伊勢』一族がいずれ、関東の覇者になろうという『お告げ…』に相違ないと、居並ぶ家臣の前で祖父は自身で『夢解き』をしたのである。

 そして祖父が『霊夢』を告げた年は、まさに『寅年』に当たっていた。あるいはそれは、家臣を納得させるための彼の自演であったのかもしれぬし、事実そうであったのだろうが…家中の者は皆、縋るようにそれを信じ、

「我らが関東の覇者となるのだ」

 やがて各々の胸のうちでずっしりと根を下ろして信仰の一つと化した。そうさせるだけの『何か』が、長氏にあったからに他ならない。

 無論、志保もその「霊夢」についてはいちいちを老臣どもから聞かされている。彼女もまた、それが真実、祖父にお天道様が示した啓示だと信じて、生涯疑うことがなかった。

「間違うことなく、これはお天道様のお告げじゃと思うた。伸びすぎた杉の枝をこなたが矯めよと、お天道様は申しにお出やったのじゃとなあ」

 少年のように瞳を輝かせ、祖父は語る。

「根っこになどお天道様の光はいらぬ、土の中へ隠れておるのじゃからというのは誤りじゃ…伸びる場所を間違えた枝は、あらぬ場所へ葉を茂らせて、肝心な土へお天道様の光を届かぬようにさせてしもう。この爺が杉の枝を矯める…それはすなわち、我らが伊勢一族の領地と支配とをその地にまで広げるということで、いわば長年の爺の果たすべき希いでもある。遠い遠い我らがご先祖様のお一人の将門公が、関東の地へ作ろうとした『常世の国』を、たといどれほど時間がかかろうとも、子孫の我らの手で作ることが出来るなら、なんとも痛快ではないか…くどいようだが、そのためには流されずともよい血は、これからも流れよう。そのためにこの爺はこれからも鬼になろう。じゃがのう、志保殿」

「…はい」

 頷きながら、時折見上げる蒼い空には、一欠けらの白い雲がのんきに浮かんでいる。

「その、流れねばならぬ血をなるだけ少なく…そのためには、関東公方様のご威光を我らが背にのう、しっかと負うて、我らには公方様がついてござる、それゆえに我らが守れば安心じゃと言うて回るのが一番だとのう。そのためには公方様と縁をつながねばならぬ。よってそれをこなた様に、上に立つものの一員として果たしてもらおうと、爺は思うた」

「…」

「それは決して天の意志に背くことではないとよくよく考えたゆえのことじゃ。古河公方様へは、事が起きた際には我らが必ずやお味方するという誠の証としてもの。幸い、こなた様をいずれ亀若君の側室のお一人にという先方様からの申し出もあったことじゃし、のう?」
 
 …少し気の早いはなしではあるが、と、祖父は苦笑する。

「…おじじ様」

「ああ、案じなさるな。事実は、そういったはなしが出ているというだけのことですわいの。この爺がちと色気を示しただけじゃに、氏綱どのは騒ぎすぎなのじゃ」 

 当時、古河公方における政治の実権を握っていたのは、このはなしを持ち込んだ簗田高助だった。高助にとっては関東公方家における己の権力維持と保身のため、伊勢氏にとっても、堀越公方と争い続けた為に衰えたとはいえ、古河公方の権力を後ろ盾に出来ようというもので、これが実現すれば双方にとって渡りに船である。 京にいる足利将軍本家が、ずいぶん昔に地方へ下った同族のことを気にかけていた様子はないが、関東公方のほうでは、己が京の将軍家の一員であることを忘れなかった。その思いはそのまま、現代の古河公方、高基(亀若丸の父)へと受け継がれたものである。

 「関東の将軍家」であることを誇りに思い、肥大して歪んだ自尊心を抱く高基のこと。いかにかつては京で申次衆をしていたとはいえ

「所詮は成り上がりではないか」

 高助からその「はなし」を聞かされたときには、一度は鼻を鳴らしてそう言い捨てたそうな。もちろん、その中には一度も京へは行けなかった高基の、都にいたことがある者への嫉妬も混じっていたであろう。

 伊勢氏は、決して成り上がりなどではない。先に述べたように将軍家に仕える名門であり、氏綱の正室、志保と千代丸の母もまた、小笠原氏から迎えている。

 だが、当時の貴人の感覚としては、その高い身分をわざわざ蹴って東国へ下るというのは、ただの平民に成り下がることに等しい。それゆえに、古河高基が伊勢平入道とその一族へ投げつけた言葉も、そういった当時の貴人としての無理からぬ認識から来るものだったと言えなくもない。それを間諜から伝え聞いた祖父入道は、

「我らは『成り上がり』か。だがそれでよい」

 ただそう言って笑っただけであったが…。

「確かに嫁げば先方様にあるのは、こなた様にとって敵ばかりとなろう。それによって、こなた様が不幸になるのは分かりきっておったのにのう。これは爺の黒星である。お天道様の意志に背いたということじゃ。一人も千人も、その幸せの重さは同じ。ならば、爺は、誰より大事なこなた様の幸せをも考えねばならなかった。お聞きお呼びであろ。この爺がこなた様の名をつけたとの」

「はい」

志保が頷くと、祖父は空を仰いで大きく息を吸い、

「志を、保つ。…我らが一族の…」

 そして鼻の穴を膨らませながら、ゆるゆるとそれを吐き出した。

「全てはお天道様の思し召し。この、蒼い蒼い、どこまでも広がるお天道様の、のう」

つられて見上げた蒼い空には、鳶が大きく輪を描いて舞っている。

「志保どの」

 しばらくその動きを無言のまま目で追った後、

「…ご自身でよう考えて、これ、と思われた殿方へ嫁がれよ。なに、公方様とのご縁があるなら、こなた様が無理に公方様へ嫁がずとも、他の形でいずれはそうなろうでの」

やがて祖父の口から出た言葉に、志保は大きく目を見張った。

「ですがのう。志保どの御自身で選ばれて、嫁いだのであれば、我がままは利きませぬぞ。踏ん張って、そして…幸せになられよ」

「…おじじ様」

「やれ、ちとお喋りが過ぎまいたの」

 再び顔をつるりとなで、祖父はそっと彼女の手を離して前を歩く。

「しょう様!」

そこへ、後ろから新たに声がかかった。振り返ってみれば、

「八重。市右衛門も一緒であったのかや」

 志保が幼い頃は遊び相手として、長じては家臣として付き従っている「友」の姿がそこにある。たちまち、身分も年の差も関係なく他愛ない遊びに打ち興じた日々が志保の脳裏によみがえった。

「お拾いに出かけなされたと聞き、我ら、若輩の身ながらお迎えに参じました」

 市右衛門と呼ばれた、志保よりも二、三年上の若者と、最初に志保へ声をかけた娘が共に微笑を含んで地面に片膝をつき、慇懃に頭を下げた。この松田左衛門の孫息子は、今年の正月に元服を済ませたばかりである。

「次の戦にはなあ、我らも大殿についてゆこうと、市右衛門は張り切っておるのでございますよ、しょう様」

 乳姉妹である八重もまた、笑って後を引き継いだ。彼ら二人は彼らの主である志保を、幼い頃からの癖で、シホと発音できずショウと呼ぶ。

「市右は次の戦が初陣。それゆえぜひ名のある敵の首を挙げまいて、帰りましたら大殿や我らがお祖父に祝言をお許し頂こうと」

 同い年の彼女が頬を染めて告げるのを、志保は羨ましく聞いた。

 幼い頃は、男も女もなくただ交わり遊んでいたものが、いつの間にか互いを異性として意識して、好意を抱き始める…。

(たれかを好きになるというのは、きっと蕩ける様に甘く素敵な気持ちなのであろうのう。市右に八重も、きっと幸せに違いない)

 まだ恋をというものを知らぬ胸のうちで、志保はそのように二人の気持ちを忖度してみたりもする。 

 市右衛門と八重ならば、たれが見ても身分の上からも年頃からも申し分のない組み合わせと映るだろう。だが、志保は一国の領主の娘なのだ。祖父は「嫁ぐ相手は自分で決めよ」と言ってはくれたが、周りは納得しまい。

 二人の「友」とわが身を引き比べながら、

(領主の一族というのは、何不自由ないように見えても不自由だらけなものじゃ。恋する相手とて見つからぬ)

 志保はそっとため息をつく。もっとも、彼女自身はそういった相手を未だに必要とはしていないのだが…。

「次の戦はなあ、いよいよ三浦との合戦じゃ。これに勝つか否かで我らが伊勢の、武蔵野への足がかりが得られるかどうかが決まろうと、家中もっぱらの噂にござります。上は我らが祖父、松田左衛門ほか筆頭家老荒木兵庫様、下は足軽一兵卒に至るまで具足を磨いて香を焚き込め、張り切ってござるとのこと。無論、私も同様に張り切りまいておりまする。いよいよ大殿が見られた夢が…三島大明神が告げられたご神託が真になりつつあるとのう」

 市右衛門が気負い立った言葉を吐くのへ、

「それは、なあ」

(私も八重も、それに市右も、戦というものを本当には知らぬゆえ何とも言えぬが)

 志保はあいまいに頷いて、八重のほうを見やりながら、

「待ってござる者もおるのじゃ。生きて帰って参れよ、市右」

「それはもう」

 彼ら若い者三人がいつしか並んで歩きながら交わす会話をその背中で聞きながら、少し前を歩いている志保の祖父は何と思っているのか…いつしかその間はかなり離れており、志保は慌ててその後を追った。市右衛門と八重も、同様に続く。

「おじじ様」

「おお」

 志保が呼びかけると、皺深い顔がにこにこと振り返った。ごつごつと節くれたその手を何よりも頼もしく、愛しいと思いながら、自らその手をつないで志保は呟くように祖父へ言う。

「お天道様がござるあの蒼い空…頂はいずこでござりましょうなあ」 
 
 今よりもさらに幼い頃、祖父へ出した問いを、今一度繰り返す。

「そうじゃのう」

 白い指先が、翻って蒼天を指差す。同じように被っていた菅笠を少しかしげて空を仰いだ祖父の目も、それを映してまた蒼い。

「おじじ様は、何でもご存知でおわしまするゆえ」

「これこれ、そのように持ち上げなさるな。しかしのう、それは」

 祖父は、彼女の少し冷たい手をぐっと握り締め、

「この爺の、志保どのへの『宿題』としておきましょうぞ。お天道様は、どこまでもどこまでも…いかなる地へもつながってござる。願わくはのう、志保どの」

 にこ、と笑って、同じように蒼天の隅を空いた手の少し曲がった指で示した。

「ほれ、あすこにぷかり、ぷかりと浮いてござる白い雲のようにのう、のんびり過ごしたいものよのう」

 祖父の好きな、早春の雲。四人の目が一斉に見上げた、蒼く晴れた早春の空に浮かぶひとひらの白い雲を、自らの僧号とするほどに彼は愛したのだ。

 小田原城への道を辿りながら、やがて祖父は、

「…したが、なあ、志保どの。市右に八重も聞きや」

「はい」

「謹んで伺っておりまする」

孫娘の家臣たちもまた、神妙に頷くのを見て、

「お天道様は遠いようで近く、近いようでまだまだ遠いわとのう、この爺は思うておる。ワッハッハッハ」

 謎のようなことを言い、笑った。

「おじじ様、それは」

「あ、あアッ」

 問いかけた志保の手ごと虚空へ上げながら、祖父は大きくあくびをして、

「さあて、少し急がねばの。皆がさすがに心配しておろうよ」

 答えを紛らしたのである。

 いつしか日は傾きかけていた。手をつないで城へ帰る祖父とその孫娘、そして彼らに従う後の二人を、やはりあふれんばかりの好意でもって領民達は眺めている…。

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