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せんのあすむ

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発端

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「相変わらず顕微鏡の虫だな」
ドアが開くと、エミリオの金髪と顔が覗いた。
栗色の瞳でいたずら小僧のように、にやりと笑い、
「一体だけっていっても、一応、アンプルは完成したんだろ。だったら少しは体を休めないと。あんまり立ち続けだと、腰にくるぜ?」
憎まれ口を叩きながら、敦也に缶コーヒーを投げ渡した。エミリオの手の中にあるもう一本は、すでにフタが空けられているようだ。
「サンキュ。でもな」
敦也は笑ってそれを受け取り、
「勢いがついてる間に、できる限りのことをしておきたいのさ。病気は待ってくれない。アンプルは完成したといっても一体だけじゃ、ね。この間のシミュレーションみたいになったら嫌だし、何より僕のプライドが許さない」
 エミリオは、うんうんとうなずきながら、彼の目の前の椅子に腰掛けた。
「でもさ、お前、メリルも大事にしてやれよ。あんまり放っておいたら、オレが口説くぜ?」
にやりと笑い、缶の中に残っていたコーヒーを一気に空ける。
 エミリオがメリルを好きだったことは、この二人の間だけの秘密だ。ひょっとしたら、エミリオは、メリルが敦也の恋人になった今でも、彼女のことを密かに想っているのかもしれないと、敦也は時折、余計な勘繰りをするのだけれど。
「それはそうと、さ」
苦笑しながら敦也も同じように、もう一つの椅子に腰掛け、
「君の方こそ、研究は進んでいるのかい? この間は秘密だ、って、教えてくれなかったけど、一体何を研究してるの? もうそろそろいいだろう?」
「そうだな。よし、じゃあ…それはだな」
エミリオは身を乗り出した。つられて敦也も顔を近づける。
「企業秘密だよ」
「なんだ、結局それか」
乗り出した体を再び椅子に沈め、敦也は大げさに天を仰いだ。
 エミリオは苦笑して、
「時期がきたら必ず教えるよ。今はマズイんだ。叔父貴の圧力がかかってるからさ」
「それなら、仕方ないよね」
エミリオと敦也は同時にうなずいた。
 エミリオの叔父は、アメリカ州の現大統領である。その大統領が関わっているとなると、関係者以外は知ってはいけない領域に入ってしまう。
「ところで、アンプルって、どれだ?」
ふいにエミリオは聞いた。きょろきょろと瞳をさ迷わせ、室内を見回す。そのしぐさは、幼馴染だった小さいころから少しも変わっていない。両親を早くに亡くし、子供のない叔父大統領に引き取られたという暗い影を、今の彼からは見出すことができないけれど。
 分野は違うが同じ大学に入ったのも、何かの縁かもしれない。
「君の後ろの棚にあるよ。ほら、その茶色い小ビンがそうだ。おっと、触るなよ」
「へー、すげえよな。これってさー、学会で発表したらいいのに」
「まだ実用の段階じゃなくてね。『今はマズイんだ』」
敦也がエミリオの口調を真似る。途端に大笑いになった。
「で、菌そのものはどこにあるわけ?」
ひとしきり笑った後で、エミリオは尋ねた。
「無菌室さ。僕のいるこの棟だけは、他の研究室から独立してるだろ? サリダ菌はさ、細胞壁の周りを熱で覆ってやれば感染しないんだけどさ。うっかり間違えて空気感染なんてはめになったら、それこそ『マズイ』ことになるからね」
「そうだったね」
エミリオは、この部屋に至るまでに存在する、まるで銀行の大金庫の中のような設備を思い出してうなずいた。
 雑菌を持ち込んだり、サリダ菌をもしかして体のどこかにくっつけて外へばらまいたりする可能性をふせぐための熱消毒、アルコール消毒などの、うんざりするという感覚を既に超えている設備。
 さらに、管理者である敦也の許可を得た者のみが、この研究室に入る資格を与えられているのだ。
(苦労してるんだな、こいつも)
 エミリオはため息をついて、目の前の親友を見た。
「でさ、今日もここに泊まりなのか?」
「ああ」
「大変だな」
「自分で選んだ道だもの。大変だなんて言ってられないよ。それに、さっきも言ったけど、病気は待ってくれないし」
敦也はそう言って立ち上がり、カーテンを開けて外を眺めた。
 都市の郊外にある彼らの大学から、ネオンの瞬く高層ビルが見える。
「今日はネオンが綺麗だな」
エミリオが横に立って、敦也と肩を組んだ。
「うん、よく見えるね」
霧雨の多い今の時期には珍しく、外の空気は澄んでいるらしい。
「これ、持ってきたんだ。祝いに一杯、どうかと思ってさ」
エミリオは空いた手で、懐からブランデーを取り出し、敦也の目の前で二、三度振ってみせた。
 相変わらずだと思いながら敦也は、
「これ、消毒してあるんだろうね?」
「もちろん」
エミリオはそれに笑って答える。
 敦也も苦笑を返しながら、棚から二つのグラスを取り出したのだった。

 どれくらい眠ったろうか。
 何かに誘われるようにふと、敦也は目を覚ました。疲れとアルコールの酔いも手伝って、ぐっすり眠っていたらしい。
 傍らのソファでは、エミリオが軽くいびきをかいている。
(久しぶりに飲みすぎたらしい。外の空気でも吸おうかな)
 敦也は、少しくらくらする頭を振りつつ、廊下へ出た。
(そういえば、菌は大丈夫かな。少し状態を見ておこうか)
 ぼんやりとした視界の中でふと考え、彼は無菌室へと向かう。

 しばらくして突然、警報機が鳴り響いた。
(何だ!)
 けたたましいその音に夢を破られ、エミリオは飛び起きて廊下に走り出た。
 音の発信源は、どうやら無菌室らしい。
「敦也、どうした!」
叫んでエミリオは、勝手知ったる無菌室への扉を開いた。
 途端に、むっ、っと、なんともいえない臭気が鼻をつく。
「ぐっ…」
 つい思い切り部屋の中の空気を吸い込んでしまった彼は、不覚にもむせ返り、しばらく息が出来なかった。
「あ!」
ようやく咳がおさまって屋の中を見回すと、壁一杯に張り付いているような無菌操作機の前で、敦也がうつ伏せに倒れている。
「おい、敦也、おいっ!」
 エミリオが彼の肩をつかんで揺さぶると、敦也はうっすらと目を開けた。
「良かった。気づいたか。どこもおかしくはなってないか。おい!」
しばらくの間、敦也はエミリオの声が全く耳になど入っていないかのように、うつろな瞳を宙にさまよわせていた。が、
「いけない!」
 突然起き上がり、机の上の空っぽなビーカーに目をやった。
「ああ! なんてことに!」
 叫んだかと思うと、今度は研究室へと駆け出していく。エミリオも慌てて後を追った。
「おい、何が起こったんだよ!」
 エミリオの声に耳も貸さず、
「アンプル、アンプルを」
繰り返しつぶやきながら敦也は、自分の机の中から注射器を取り出し、戸棚のアンプルの中身を吸い込ませる。そして、
「エミリオ、腕を貸せ!」
叫ぶや否やエミリオの腕をつかみ、袖を捲り上げて注射器を突き刺す。アンプル内の透明な液体が、腕の中に注ぎ込まれた。
「何すんだよ!」
 エミリオは思わず腕を払いのけていた。いくら扱いなれているからといっても、素人に注射された右腕は、その中央辺りから少し血がにじみ始めている。
「これで、君は安全だと思う。このアンプルの量は、人間一人に適合するように計算したものだから、君はもう大丈夫だよ」
エミリオに血止めの処置を施した後、敦也はソファにぐったりとその身を沈めた。
「どういうことなんだよ」
「サリダ菌が、流れ出た」
エミリオが腕を抑えながら尋ねるのに、彼は一語一句を区切るように話した。
「なんだって?」
「サリダ菌が、流れ出た。熱処理せずに置いていた物を、検査しようとして手をすべらせたんだ」
「じゃあ、じゃあどうなるんだよ」
 敦也は自分の目の前にある、親友のゆがんだ顔を見て微笑んだ。
「君はだいじょうぶだよ。アンプルを注射したろう? もう心配はいらない。安心して」
「オレのことはいいんだって。お前は、じゃあお前はどうなるってんだ!」
 敦也は軽く瞳を閉じ、
「僕は死ぬ」
「なっ!」
「知ってるだろ? この菌に感染した人間は、どんなに強靭な肉体を持っていたって、十八時間以上はもたない。前に話したよね。これは間違いない事実なんだ。僕は死ぬ」
「そうはさせないよ」
エミリオは静かに言った。敦也が不審気に、伏せていた顔を上げ、彼の瞳を見つめる。
「お前こそ忘れたか、あのシミュレーションを。五十年後には、アンプルは大量に出来てるんだぜ?行って、取ってくればいいんだ」
「何言ってるんだよ、気でも違ったか?」
 いらいらして叫ぶ敦也の肩を軽く叩き、エミリオは言った。
「オレの研究、何だと思う?」
そんなことは今更どうでもいいというように、黙ったまま俯いて頭を振る敦也に、エミリオは
「タイムマシンだよ」
言ってのけた。
 思わず彼を見上げた敦也の顔は、驚きと不審に満ちている。
(まあ、こんな反応するよな、普通)
 エミリオは苦笑を抑えながら、
「もうほとんど完成してるんだ。後は叔父貴の許可をもらえばいい。五十年後の世界に行って、そして、アリスン・ワイアットからきっとアンプルをもらってくるさ、じゃな」
「あ」
 何かを言いかけた敦也の肩をもう一度叩き、エミリオはその部屋を出る。
(幸いだな。さすが敦也の研究室。出口付近は全く汚染されてない)
 壁に取り付けてあるPPM探知機の数値を調べ、一般研究室棟との区切りの扉を素早く閉めた後、エミリオは外に乗り捨てていた彼の車へと乗り込んだ。
(手がすべったのは、オレのせいだろ、敦也。オレが酒なんて飲ませなけりゃ、こんなことには)
こぶしを乱暴にハンドルに打ち付け、彼は車を発信させたのである。

(検問だ。ちぇっ、忘れてたよ。この急いでる時に)
 大統領宅付近は、当たり前のことだが昼夜警備員であふれ返っている。その門扉からは、彼のと同じような車が、これまた昼夜を問わず列をなしている。
「くそっ!」
 エミリオは、再びこぶしをハンドルに叩きつけた。俯き加減に右親指の爪を噛み、少し考えて左脇の土手へと車を動かす。一気にその土手を登って勢いを付けたまま、大統領宅との境界を作っている高い塀を乗り越えた。
「ぐっ!」
 車ごと地面にたたきつけられた衝撃に、彼は思わず顔をしかめたが、
(来やがったな)
 バックミラーを見れば、ガードマン達の車が、ここぞとばかりにこちらへやってくる。再びめいっぱいアクセルを踏み込んで、彼は車を発進させた。
 途端、ビシッ、と音がした。見れば、サイドミラーに亀裂を残して、弾丸が食い込んでいる。
「オレの愛車になんてことすんだ、バカ!」
(いくらボロだからっつっても、年季入ってんだぞコノヤロ!)
 毒づきながら再び目線を前に戻したエミリオの視界に、突然大統領宅の玄関が飛び込んできた。
「わ!」
 咄嗟にハンドルを切る。車は悲鳴のような音を立てて、玄関の柱をへし折った。
「くっ…そー!」
慌てて車のドアを開け、外へ飛び出したエミリオのこめかみに、ひやりとした物が押し付けられる。
「…」
彼は黙ってそろりと両手を上げた。と、いきなりその片腕は、がっしりした誰かの手につかまれ、彼はそのまま大統領宅内へと連れ込まれる。
「叔父貴。相変わらず頭がまぶしいな」
「ばかもん!」
 家の内部の明かりの下で、エミリオは今にも爆発しそうな叔父大統領の赤い顔を見下ろした。来客を拒まない大統領は、こんな夜更けでも、かっちりとしたスーツ姿だ。
 大統領は、エミリオを玄関脇の客間へ押し込み、
「いったい、何の騒ぎだ」
殺した声で尋ねた。
「叔父貴、オレ」
 エミリオが説明しようと口を開いた時、玄関の扉を乱打する音が聞こえてきた。
「大統領閣下! ご無事ですか!」
「閣下!」
 ガードマン達の声が、それに重なる。大統領は、じっとしていろというように唇に指を当てて客間の扉をそっと閉め、玄関へと出て行った。
 玄関先で、彼と、彼のガードマン達が言い争う声が聞こえてきたが、それも直にやんだ。
 そして、大統領のせかせかした足音が近づいて来る。
「お前、何をやらかした」
 扉の開閉をやはりそっと行いながら、叔父の顔は怒りと呆れに支配されていた。
「え、っと」
 エミリオがどういっていいものかと思案にくれると、叔父は続けて、
「私にこんな手間を取らせおって。そんなにしてまで私に会いたかった理由は何だ」
「正直に言うよ」
 エミリオは大きく息を吸い込み、今までの経緯を話した。
「と、いうわけでさ、オレは五十年後に行きたいんだ。力を貸してくれ、叔父貴」
「しかし、しかしだな」
 大統領は話の間中、何度も首を振っていた。
「お前のシミュレーションは、正確無比だ。いくら私でも、残念ながらそれは認めざるを得ん。しかし、だな。それは、あくまでも、『現時点では確立されていない』未来なんだぞ。本当に存在するかどうかも分からんのに行って、しかも無事に帰ってこれるという保障はあるのか」
「叔父貴、あんたの心配はもっともだ。けど、やらねえより、マシだよ」
 エミリオは、真っ直ぐに叔父を見つめて言った。
「オレは行く。アイツを助けたいんだ。さっきも言ったろ。元はといえば、研究中にオレが酒なんか飲ませたからだよ。たとえ勝算はなくても、少しでも可能性があるなら、オレはそれに賭けたい。アイツがいなくなったら」
 彼は後の言葉を飲み込んだ。
(メリルが悲しむ。そんな顔、見たくない)
「分かった」
 大統領は、大きく息を吐いて言った。
「叔父貴!」
 途端に明るく輝く甥の顔をちらりと見ながら、もう一度彼はため息をつく。
 そしてそのまま、更衣室へと向かった。当然のごとくついて来る甥の方を見向きもせず、
「時間はまだあるんだな?」
コートを取り、玄関へと向かいながら尋ねた。
「あと十六時間」
 階段の踊り場にある大時計を見て、エミリオは答える。
「叔父貴、感謝するよ」
「それは、成功してからにしろ。その前に、どうやって抜け出すかが問題だろう」
 大統領が、警備の厳しい家の外を思い浮かべ、ため息をつくと、
「そんなこと、簡単さ」
エミリオは微笑んでそう言った。


 カリフォルニア大学構内敷地の、立ち入り禁止と書いてある鉄条網に囲まれた小屋。
 その前に、二つの影が立っている。
 エミリオは薄暗い明かりの中で、カギを開けようと苦労していた。扉は、旧式の錠前付きだ。旧式とはいっても、頑丈なのと辺りが暗いのとで、少々時間がかかっている。
 大統領は、車のトランクに入っていたせいなのか、まだ体のあちこちが痛むらしい。ため息をつきながら、肩や腰を揉んだり叩いたりしている。
 トランクの中に潜んでいても聞こえてきた、「大統領の甥」という言葉。 そんな動作を繰り返しながら、彼はそれを振りかざし続けていた甥にぽつりと、
「こんな冒険をしたのは何十年かぶりだよ」
吐き出す。
 エミリオは黙ったまま、肩をすくめることでそれに答えた。
 やがてかすかな音がして、小屋のカギが開き、彼は顎をしゃくって大統領を促す。
「入ってくれ、叔父貴」
二人の姿が小屋の中に消える。そしてほんの一瞬、中が明るくなったと思うとすぐ、また暗くなった。
「ここに来るときは、何だかいつもぞっと
するんだよ」
 大統領は、小屋の中のエレベーターに乗りながら、ぽつりと呟いた。その必要もないのに声を潜めて。エミリオは、再び肩をすくめて、それに答える。
 エレベーターは、非常な速度で下へ下へと潜り続けた。
 やがて。
 ガタン、という大きな音とともに、エレベーターは止まった。いつものことだが、つんのめりそうになる太った大統領を、心得たエミリオが支える。
 音もなく、エレベーターの扉が開いた。それを降りたところにある、小さなスペース。目の前の大きく頑丈な扉が、二人の行く手を阻む。
 エミリオは、扉の前に設置されているコンピューターに近づき、そのディスプレイに彼の右親指を当てた。
「―指紋照合―確認終了」
 コンピューターの、無機質な声が響く。続いて、大統領もそれに倣って自分の右親指を押し当てた。
 扉が、音もなく開いていく。途端に、暗かった室内が、まるで昼間のように明るくなった。 
 この研究に携わっている人間以外には、到底理解不能な、複雑かつ高度な機器が、部屋の四方をぐるりと取り囲んでいる。エミリオは、正面のコンピューターに近づいて、キーの一つを押した。
 すると、左側の壁がぽっかりと口を開けた。
 二人は急ぎ足でその中に生じた階段を降りていく。
「いつ見ても、素晴らしいな」
 降り立った正面に安置してある装置を見つめ、大統領はため息をついた。
「オレもまさか」
 エミリオは、それのなだらかな背中をなでながら、
「まだ試段階のこれに、人間では自分が最初に乗るなんて、思いもしなかったよ」
苦笑して言った。
 モノレールの上にあるそれ…タイムマシンは、車に似た形状をしている。
 操作には、人間が二人、必要だ。一人がドアを開けて乗り込んだ後、自分が行きたい時代の年月日を、マシン備え付けのメモリー・ボードに設定し、マシンの外に待機しているもう一人のパートナーに合図を送る。
 合図を受け取った人は、マシンの電源を入れ、バッテリーに電力を充分に送ってから、
スイッチを押してマシンのドアを閉める。
 これで準備は完了。後は発射されるのを待つばかりなのだが、
「あの、こなごなになった人形が忘れられないよ」
 準備完了後、発射を待つエミリオの声が、マシンの送声器から聞こえてきた。
「あれか…」
 大統領も苦笑混じりにうなずく。
 人形を使っての実験中、失敗したものではマシン内部の人形は、例外なく例外なく粉々になっていたのだ。ぺちゃんこになったマシンにつぶされて。
 無事だったものは、きちんと設定した時代へ行った。設定した時代をその時の五分後にしたものでは、正確に五分後に、しかしとんでもない場所(机の上、大統領の体の上…)に、その人形は再び現れた。
 そしてマシンは、人形が現れたさらにその五分後に、同じ場所に出現したのだった。
 エミリオが今乗っているのは、その成功した最新の一台である。
 そんな風に考えて、大統領は再び苦笑したが、結局言葉を発しなかった。この頑固な甥には、今更何を言っても無駄だと分かっているからだ。
 二一二×年五月二十日AM0:00
 エミリオは、メモリの数値をその年代に設定した。
 そして、
「後は頼むぜ、叔父貴」
マシンの窓越しに、装置の前にたたずんでいる叔父へ、右親指を立ててみせる。
「ああ、気を付けてな」
 それを受けて大統領は、そっと十字を切った。そして大きく息を吸い込み、甥とマシンとを見守っている。
 バッテリーの数値がぐんぐん上昇していく。
 マシンを包む光が、真っ赤に染まっていく。
(いよいよだな。未来へ行くのかそれとも)
 心臓が、痛いほどに動悸を打っている。マシンのハンドルを握り締め、エミリオは大きく深呼吸した。
 いきなり、ぐん、と体が後ろへ引っ張られる。かと思うと次の瞬間には、恐ろしい勢いでマシンはレールを滑り始めていた。
 マシンの外の景色が、マグネシウムをたいたように、真っ白に光っている。
 肋骨が、きしみを立て始める。前から来るあまりの圧力の大きさに、エミリオはほとんど息がつけなかった。
(失敗したか!)
 脳裏に、例の人形が浮かぶ。目をつぶり、日ごろはほとんどかえりみたことのない神に祈りを捧げようかと思った時。
「あ?」
 ふっ、と、彼をマシンに縛り付けていたベルトと、彼の足をささえていた床が消える。
 そして、
(わ…!)
 ドボン! と、派手な音を立てて、エミリオの体はどこかの池の中央に落下していた。
 慌てて手足を動かして、水面に顔を出す。周囲を見回した彼の顔に、笑みが浮かんだ。
 そしてそのまま、岸へと泳ぎだす。やっとの思いで地面をつかんだ時、彼は肩で息をしていた。顔を上げると、うっそうと茂る木々の中に、ほの暗い電灯が立っている。
 その横に浮かんでいる、白い文字盤の時計を確認して、
(あと、十四時間。この場所には、見覚えがあるんだけどな)
ふらふらする足取りで歩き出した。幸いにも、どうやら市の中央公園内の池に落ちたらしい。
 自分の足に、しっかりしろと言い聞かせながら、彼は歩きつづける…池を囲んでいる森の向こう、彼がいた時代よりもさらに多くの建物が林立している街へ。



to be continued…
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