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泣く幽霊画
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泥棒は一枚の巻物を片手に自分のねぐらに飛び込みました。古い商家から持ち出した巻物に箱はなく、紐で簡単にくくられているだけなのでこの巻物の値打ちがわかる人は滅多にいないでしょう。
するするとほどいて、ぱらりと巻物を広げるとこちらに背を向けた女性の姿が描かれています。巻物と思われたものは掛け軸でした。いつの時代の物かはわかりませんが、相当古い掛け軸のようで隅に小さなシミがありました。女性は腰を丸めて着物の袂で目を押さえています。泣いている様子の女性のまわりには枯れた木が点在し、岩や地面には生気のある草花が一本も描かれていません。
寂しく物悲しい風情に、この絵を見る人は辛いことを思い出して一緒に悲しみ、嘆き、果ては命まで絶ってしまうほどだそうです。"泣く幽霊画"として有名になり好事家の間で高値で取引されていました。
「どんなに、好きでも自分の商売潰すほどとはな」
男は幽霊画を部屋に飾ってしげしげと眺めます。代々続いていた商家がまたたくまに傾いていくという噂を拾って、男はその家に忍び込みました。細身で逃げ足の速いこの男は、喧嘩や殴り合いには慣れていないので、すばしっこく走り回り物陰にそっと隠れて役人をやり過ごすのが毎度の手でした。しかも盗むものが決まって大金や目立つ金品でないため役人に被害届を出す主人も少なく、体面のために黙ってしまいます。
「よお、源助。首尾はどうだい?」
独り身のはずの自分の家から低い声がして、呆れながらも源助と呼ばれた男が幽霊画の方を見ながら答えました。
「どうやら、この絵が店を潰したようだよ」
闇の中から浮き上がるようにでてきた男は小柄で、細い目を光らせてあたりを探っています。きょろきょろと動き回る瞳が幽霊画の方に向いて、残念そうな顔になりました。
「なんだ、後ろ向いちまっているのかい」
「これじゃあ、べっぴんさんかどうかもわからないな」
「店を傾けるほどの絵だ。べっぴんさんに決まってるさ」
静かな闇夜の中でけらけらと笑ってふと押し黙りました。
「源助は、これで足を洗うって言っていたな?」
「ああ、そろそろ潮時だ。江戸にいるのもなんだしな。しばらくの間、上方にでも行っているさ」
江戸の町を静かに荒らしまわった泥棒は、役人だけでなく同業者からも見張られていることに気がついていました。男は大きなため息をついて、寂しそうに笑います。
「源に感謝している旦那方も多いぜ」
「目立つようになっちまったからなあ」
源助は静かに微笑んで、囲炉裏端へと向かってあぐらをかいて座りました。源助と同じように囲炉裏端に座って、一緒に幽霊画を眺めています。二人は幽霊画の噂が本当かどうか、もし本当ならこの後どうすれば良いのか相談するつもりでした。
夜の深い闇は明かりのない家の中を包んでいましたが、わずかに漏れる月光が幽霊画を穏やかに照らします。しばらくすると遠くで犬の吠え声が聞こえてきました。どれぐらい待ったのか、身じろぎ一つしなかった源助がそばにいる男に話かけようと口を開いた時、小さくすすり泣く声が聞こえてきました。
すすり泣きは源助の胸の奥深いところでざわめき、思わず涙がこぼれそうになります。侘しく、寂しく、誰にも自分の悲しみをわかってはもらえない。そんな諦めのような泣き声は、次第に二人を落ち着かなくさせました。しばらく泣いていたと思ったら、幽霊画の中の女性がゆっくり振り向きました。
朝になりいつの間にか眠っていた源助は軽く伸びをしました。昨日一緒だった小柄な男は姿を消し、部屋の中にかかかっていた幽霊画はいつの間にか消えています。両肩をまわして立ち上がると、急いで旅の支度を整えて家をでます。もう、この江戸には近づくことはないと思うと寂しいような気もしましたが最後の仕事が無事に終わったことでほっとしていました。
「まさか、片割れを探して泣いていたとはな」
源助は振り売りが朝の魚や総菜を売り歩くそばを駆け足で走って行きます。幽霊画に描かれていた女性は最初は、きちんとこちらを向いてにっこり微笑んでいたのだという噂がありました。
いつから幽霊画として出回ったのか誰にもわからず、気づけば百物語の装飾やその手の話が好きな人物たちの間に点々とするようになったと言います。あまりに哀れに泣く女性は実は遊女だったのではないか、子を亡くした母なのだとか、惚れた男に捨てられた様子なのだとか様々な話が出回りました。
後ろ姿しか見せないため、想像を膨らませた持ち手は絵に描かれた女性の顔が見たいとやっきになりました。すすり泣きは夜半の月あかりの中でしか聞くことができないとの話は、怪談話のようで好事家たちを惹きつけました。昨夜、すすり泣く女性がこちらをちろりと振り向いたのは源助にとって幸運でした。まさか絵の中の人間が動くなど、誰かに話せば頭がどうかしたのかと疑われてしまいます。
密やかに伝えられた女性が振り向くという話は、昨夜一緒にいた男が苦労して聞きだしてきたものでした。
『振り向いてもらうためには、じっとじっとその女のことだけ見ていなくちゃならない』
それでも振り向かない場合もあるというのだから、賭けのようなものでした。振り向いた女性は源助と男のことをじっと見てこちらが見惚れるような笑顔を見せました。ここで男がどうして泣いているのかと聞くと、寂し気に首を傾けてこちらに向かって手を合わせます。それから、唇をさかんに動かして何かを伝えようとするので、根気よく唇の動きを見てようやっと女性の話を聞きだすことができました。
この絵は対になっていて、もう片方の絵には貴公子の姿が描かれていると語りました。女性の絵を気に入った幕府の役人が、こっそり女性の絵だけ拝借してしまったのだとうつむきました。両方そろって初めて縁起物として飾られ、商家や貴人の家を繁盛させる掛け軸だという説明を聞きだしました。
唇の動きを月明かりの中で読み取るのは苦労しましたが、理由がわかったことで肩の力が抜け後の始末は小柄な男に任せてしまうことにしました。
盗むのは源助でも、物の情報や後の始末をつけるのはいつだって、小柄な男の仕事だったので源助は助かっていました。絵の中の女に片割れを見つけるよう算段してみると話すと、それはそれは嬉しそうに微笑みました。源助も小柄な男も思わず見取れてしまう微笑みは、どんな表情を他の持ち主に見せていたのだろうと気になりました。
源助は足をとめて振り返ります。大丈夫だろうと思いつつも小柄な男が無事に始末をつけただろうかと心配になりました。
「いけねぇ。俺はもう足を洗うんだ」
首を横に振ってから今まで盗んだ品物を思い浮かべて、にんまりと笑いました。
「妙なものばっかり盗んだが、面白い仕事だったよ」
名残惜しそうに江戸の町を眺めてから、源助はほとんど走るようにして先を急ぎました。
するするとほどいて、ぱらりと巻物を広げるとこちらに背を向けた女性の姿が描かれています。巻物と思われたものは掛け軸でした。いつの時代の物かはわかりませんが、相当古い掛け軸のようで隅に小さなシミがありました。女性は腰を丸めて着物の袂で目を押さえています。泣いている様子の女性のまわりには枯れた木が点在し、岩や地面には生気のある草花が一本も描かれていません。
寂しく物悲しい風情に、この絵を見る人は辛いことを思い出して一緒に悲しみ、嘆き、果ては命まで絶ってしまうほどだそうです。"泣く幽霊画"として有名になり好事家の間で高値で取引されていました。
「どんなに、好きでも自分の商売潰すほどとはな」
男は幽霊画を部屋に飾ってしげしげと眺めます。代々続いていた商家がまたたくまに傾いていくという噂を拾って、男はその家に忍び込みました。細身で逃げ足の速いこの男は、喧嘩や殴り合いには慣れていないので、すばしっこく走り回り物陰にそっと隠れて役人をやり過ごすのが毎度の手でした。しかも盗むものが決まって大金や目立つ金品でないため役人に被害届を出す主人も少なく、体面のために黙ってしまいます。
「よお、源助。首尾はどうだい?」
独り身のはずの自分の家から低い声がして、呆れながらも源助と呼ばれた男が幽霊画の方を見ながら答えました。
「どうやら、この絵が店を潰したようだよ」
闇の中から浮き上がるようにでてきた男は小柄で、細い目を光らせてあたりを探っています。きょろきょろと動き回る瞳が幽霊画の方に向いて、残念そうな顔になりました。
「なんだ、後ろ向いちまっているのかい」
「これじゃあ、べっぴんさんかどうかもわからないな」
「店を傾けるほどの絵だ。べっぴんさんに決まってるさ」
静かな闇夜の中でけらけらと笑ってふと押し黙りました。
「源助は、これで足を洗うって言っていたな?」
「ああ、そろそろ潮時だ。江戸にいるのもなんだしな。しばらくの間、上方にでも行っているさ」
江戸の町を静かに荒らしまわった泥棒は、役人だけでなく同業者からも見張られていることに気がついていました。男は大きなため息をついて、寂しそうに笑います。
「源に感謝している旦那方も多いぜ」
「目立つようになっちまったからなあ」
源助は静かに微笑んで、囲炉裏端へと向かってあぐらをかいて座りました。源助と同じように囲炉裏端に座って、一緒に幽霊画を眺めています。二人は幽霊画の噂が本当かどうか、もし本当ならこの後どうすれば良いのか相談するつもりでした。
夜の深い闇は明かりのない家の中を包んでいましたが、わずかに漏れる月光が幽霊画を穏やかに照らします。しばらくすると遠くで犬の吠え声が聞こえてきました。どれぐらい待ったのか、身じろぎ一つしなかった源助がそばにいる男に話かけようと口を開いた時、小さくすすり泣く声が聞こえてきました。
すすり泣きは源助の胸の奥深いところでざわめき、思わず涙がこぼれそうになります。侘しく、寂しく、誰にも自分の悲しみをわかってはもらえない。そんな諦めのような泣き声は、次第に二人を落ち着かなくさせました。しばらく泣いていたと思ったら、幽霊画の中の女性がゆっくり振り向きました。
朝になりいつの間にか眠っていた源助は軽く伸びをしました。昨日一緒だった小柄な男は姿を消し、部屋の中にかかかっていた幽霊画はいつの間にか消えています。両肩をまわして立ち上がると、急いで旅の支度を整えて家をでます。もう、この江戸には近づくことはないと思うと寂しいような気もしましたが最後の仕事が無事に終わったことでほっとしていました。
「まさか、片割れを探して泣いていたとはな」
源助は振り売りが朝の魚や総菜を売り歩くそばを駆け足で走って行きます。幽霊画に描かれていた女性は最初は、きちんとこちらを向いてにっこり微笑んでいたのだという噂がありました。
いつから幽霊画として出回ったのか誰にもわからず、気づけば百物語の装飾やその手の話が好きな人物たちの間に点々とするようになったと言います。あまりに哀れに泣く女性は実は遊女だったのではないか、子を亡くした母なのだとか、惚れた男に捨てられた様子なのだとか様々な話が出回りました。
後ろ姿しか見せないため、想像を膨らませた持ち手は絵に描かれた女性の顔が見たいとやっきになりました。すすり泣きは夜半の月あかりの中でしか聞くことができないとの話は、怪談話のようで好事家たちを惹きつけました。昨夜、すすり泣く女性がこちらをちろりと振り向いたのは源助にとって幸運でした。まさか絵の中の人間が動くなど、誰かに話せば頭がどうかしたのかと疑われてしまいます。
密やかに伝えられた女性が振り向くという話は、昨夜一緒にいた男が苦労して聞きだしてきたものでした。
『振り向いてもらうためには、じっとじっとその女のことだけ見ていなくちゃならない』
それでも振り向かない場合もあるというのだから、賭けのようなものでした。振り向いた女性は源助と男のことをじっと見てこちらが見惚れるような笑顔を見せました。ここで男がどうして泣いているのかと聞くと、寂し気に首を傾けてこちらに向かって手を合わせます。それから、唇をさかんに動かして何かを伝えようとするので、根気よく唇の動きを見てようやっと女性の話を聞きだすことができました。
この絵は対になっていて、もう片方の絵には貴公子の姿が描かれていると語りました。女性の絵を気に入った幕府の役人が、こっそり女性の絵だけ拝借してしまったのだとうつむきました。両方そろって初めて縁起物として飾られ、商家や貴人の家を繁盛させる掛け軸だという説明を聞きだしました。
唇の動きを月明かりの中で読み取るのは苦労しましたが、理由がわかったことで肩の力が抜け後の始末は小柄な男に任せてしまうことにしました。
盗むのは源助でも、物の情報や後の始末をつけるのはいつだって、小柄な男の仕事だったので源助は助かっていました。絵の中の女に片割れを見つけるよう算段してみると話すと、それはそれは嬉しそうに微笑みました。源助も小柄な男も思わず見取れてしまう微笑みは、どんな表情を他の持ち主に見せていたのだろうと気になりました。
源助は足をとめて振り返ります。大丈夫だろうと思いつつも小柄な男が無事に始末をつけただろうかと心配になりました。
「いけねぇ。俺はもう足を洗うんだ」
首を横に振ってから今まで盗んだ品物を思い浮かべて、にんまりと笑いました。
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