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第三幕 子猫はもっと遊びたい
子猫たちは猫探しを始める 1
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「おおっ!? おおおぉー!?」
杵柄神社の境内で感嘆の声を上げている一人の少女がいた。
昨日は緊張もあって百合丸と霧から離れることはなかった愛姫だが、慣れた途端にふらっと離れてしまって、あっさり迷子になった。
普通の子供なら連れの者とはぐれてしまうと不安になるものだけれど、生まれた時から『奉仕される側』として育ってきた愛姫にそんな感覚はない。
連れの二人の姿が見えなくなっても「そのうち見つけてくれるじゃろ」と、勝手に右へ左へと歩き回り、今は甘い香りのするべっこう飴売りの屋台の前でちんまりと座り込んで、職人が作る琥珀色の飴人形をキラキラした目で見上げている。
職人は坩堝の中で鼈甲色に溶けた飴を二本の菜箸でみょーんと伸ばしては、くるくると丸め、時々ちょんちょんと細工鋏で切って形を整えながら箸の先に小さな動物を作っている。
愛姫はそれが面白いらしくて、さっきから一つ出来上がるたびに大はしゃぎしていた。
見目の良い少女が人目も憚らずにとても楽しそうな声を上げているので、祭りの物見客はそれほど凄い技を持っている職人なのかと一人、二人、通り過ぎようとしていた足を曲げて集まり始めている。
大まかな形を作った職人は、飴が冷めて固まらないうちにヘラでちまちまと形を整えると、最後に兎の耳をとりつけてぱちんと鋏を入れた。
少しばかり左右の耳の太さが違う兎の完成だ。
「す、凄いなお主。そのような箸の先で、ようもこんなちんまりとした愛らしい兎が作れるとは! まるで運慶の再来じゃな!」
愛姫は有名な仏師の名を引き合いに出して褒める褒める。その天井知らずな褒めように周囲にいた者たちからどっと笑いが起きた。
物見高い江戸の町人たちからしたらその職人の腕はさほどのものでもなかった。むしろその程度の細工で感激している女の子の方が面白かった。
これが皮肉なら職人はとんでもない恥をかかされた事になるのだけれど、食い入るように目をまん丸に開いて瞳を輝かせている少女は本気で凄いと思っているらしく、頬を僅かに紅潮させている。
「いやなに。これくらいは誰にでも……」
実際この職人はこの商売を始めてまだ半年程度の駆け出しで誇れるような技術など習得していない。
それは職人自身が嫌と言うほどに分かっている。
それなのにふらっとやって来た少女から過剰な絶賛を受けてどうしたものかと困惑していた。
「次は? 次は何を作ってくれるのじゃ?」
「あ……その。作った物が売れたらまた作るから……作りすぎても無駄になるし」
思わず「見せ物じゃないんだから帰ってくんねぇか」と言いそうになったが、自分が見せ物で商売していることを思い出して、言うに言えなかった。
この職人、元々は伝統ある和菓子屋で修行をしていた身。それが一月の間に三度も大鍋の餡を焦がしてしまい店から放逐されていた。
男は食っていくために手元にあるわずかな銭で砂糖を購うと、見よう見まねでべっこう飴細工の辻売りを始めて、その日その日を手元の銭とにらめっこしながら生きる綱渡りでどうにか生活をしていた。
気が進まないままにべっこう飴を作っては売っているものの、商売を替えて半年が過ぎた今になってもこの老舗菓子店の職人だったという中途半端な自尊心がこの男の心から消えず、芸人のように技を披露して物を売るべっこう飴売りという職を見下していて、飴細工の技を磨くことはしなかったし、売るための口上(売り文句)を工夫しようともしなかった。
『困った。こんなにもたくさんの客に囲まれて自分の拙い技を見られるなんて……。ちくしょうめ、まるで針の筵に座らされている心地だ』
背中から冷たい汗が流れる。男は思う。どこで生きていく路を間違えてしまったのやら、と。
本当なら今頃俺は菓子店の奥の厨房で黙々と和菓子を作っているはずなんだ。こんな子供の無垢な目で見つめられながら冷や汗を流してこんな不細工な飴を晒すなんて……どうしてこうなったんだコンチクショウ。
わりと因果応報な仕打ちを喰らっているだけなことを棚に上げて、男は客寄せの元になっている愛姫を追い払いにかかった。
「さ、お嬢さん。買わないなら帰っておくれ。こっちも商売でしていることなんでね」
「そうか。これが売れないと作るところはもう見られないのか……しかたないのう」
餌を取り上げられてしまった猫のようにしょぼんと顔を曇らせる愛姫。
その姿を見ていた恰幅の良い商人らしき男が懐から太い銭袋を出して飴売りに声を掛けた。
「ええぃ、江戸っ子がしみったれたことをするもんじゃねぇや。おう、飴売り。拵えてあんの全部俺が買ってやらぁ! だからこのお嬢ちゃんにどんどん作ってやんな!」
歪な飴細工が並ぶ板の上に小判を一枚、パシッと将棋の駒を打つように叩きつけたものだからドッと周囲の見物客が湧いた。
「よっ! 粋だねぃ旦那!」
「あたぼうよ! これが江戸っ子ってもんだ!」
周囲からやんややんやと歓声が起きる。
「おおっ! そちはなかなか良い奴じゃな。気に入ったぞ」
愛姫のわくわくした目を向けられて商人はさらに鼻を高くした。
「さぁさぁどうしたい。この子にあんたのとっておきの技を見せてやんな!」
見物客たちの拍手喝采につられ、さらに人が「なんだ。どうした」と集まってくる。
なんてこった!
飴売りの顔から血の気が退く。
こんな事になるなら不貞腐れてないでちゃんと飴細工の修練をしておくんだった!
祭りの真っ最中に不真面目でいた過去の自分を呪っても、それこそ後の祭りというもの。
「さぁさぁ、どうした飴売り! どうせなら景気よく、でっけぇ鳳凰でも作ってやんな!」
「おおっ! それはいかにも凄そうじゃ。是非見てみたいぞ!」
「か、勘弁して下さいぃー!」
飴売りがそんな悲鳴を上げても、まだまだ祭りは続く。
杵柄神社の境内で感嘆の声を上げている一人の少女がいた。
昨日は緊張もあって百合丸と霧から離れることはなかった愛姫だが、慣れた途端にふらっと離れてしまって、あっさり迷子になった。
普通の子供なら連れの者とはぐれてしまうと不安になるものだけれど、生まれた時から『奉仕される側』として育ってきた愛姫にそんな感覚はない。
連れの二人の姿が見えなくなっても「そのうち見つけてくれるじゃろ」と、勝手に右へ左へと歩き回り、今は甘い香りのするべっこう飴売りの屋台の前でちんまりと座り込んで、職人が作る琥珀色の飴人形をキラキラした目で見上げている。
職人は坩堝の中で鼈甲色に溶けた飴を二本の菜箸でみょーんと伸ばしては、くるくると丸め、時々ちょんちょんと細工鋏で切って形を整えながら箸の先に小さな動物を作っている。
愛姫はそれが面白いらしくて、さっきから一つ出来上がるたびに大はしゃぎしていた。
見目の良い少女が人目も憚らずにとても楽しそうな声を上げているので、祭りの物見客はそれほど凄い技を持っている職人なのかと一人、二人、通り過ぎようとしていた足を曲げて集まり始めている。
大まかな形を作った職人は、飴が冷めて固まらないうちにヘラでちまちまと形を整えると、最後に兎の耳をとりつけてぱちんと鋏を入れた。
少しばかり左右の耳の太さが違う兎の完成だ。
「す、凄いなお主。そのような箸の先で、ようもこんなちんまりとした愛らしい兎が作れるとは! まるで運慶の再来じゃな!」
愛姫は有名な仏師の名を引き合いに出して褒める褒める。その天井知らずな褒めように周囲にいた者たちからどっと笑いが起きた。
物見高い江戸の町人たちからしたらその職人の腕はさほどのものでもなかった。むしろその程度の細工で感激している女の子の方が面白かった。
これが皮肉なら職人はとんでもない恥をかかされた事になるのだけれど、食い入るように目をまん丸に開いて瞳を輝かせている少女は本気で凄いと思っているらしく、頬を僅かに紅潮させている。
「いやなに。これくらいは誰にでも……」
実際この職人はこの商売を始めてまだ半年程度の駆け出しで誇れるような技術など習得していない。
それは職人自身が嫌と言うほどに分かっている。
それなのにふらっとやって来た少女から過剰な絶賛を受けてどうしたものかと困惑していた。
「次は? 次は何を作ってくれるのじゃ?」
「あ……その。作った物が売れたらまた作るから……作りすぎても無駄になるし」
思わず「見せ物じゃないんだから帰ってくんねぇか」と言いそうになったが、自分が見せ物で商売していることを思い出して、言うに言えなかった。
この職人、元々は伝統ある和菓子屋で修行をしていた身。それが一月の間に三度も大鍋の餡を焦がしてしまい店から放逐されていた。
男は食っていくために手元にあるわずかな銭で砂糖を購うと、見よう見まねでべっこう飴細工の辻売りを始めて、その日その日を手元の銭とにらめっこしながら生きる綱渡りでどうにか生活をしていた。
気が進まないままにべっこう飴を作っては売っているものの、商売を替えて半年が過ぎた今になってもこの老舗菓子店の職人だったという中途半端な自尊心がこの男の心から消えず、芸人のように技を披露して物を売るべっこう飴売りという職を見下していて、飴細工の技を磨くことはしなかったし、売るための口上(売り文句)を工夫しようともしなかった。
『困った。こんなにもたくさんの客に囲まれて自分の拙い技を見られるなんて……。ちくしょうめ、まるで針の筵に座らされている心地だ』
背中から冷たい汗が流れる。男は思う。どこで生きていく路を間違えてしまったのやら、と。
本当なら今頃俺は菓子店の奥の厨房で黙々と和菓子を作っているはずなんだ。こんな子供の無垢な目で見つめられながら冷や汗を流してこんな不細工な飴を晒すなんて……どうしてこうなったんだコンチクショウ。
わりと因果応報な仕打ちを喰らっているだけなことを棚に上げて、男は客寄せの元になっている愛姫を追い払いにかかった。
「さ、お嬢さん。買わないなら帰っておくれ。こっちも商売でしていることなんでね」
「そうか。これが売れないと作るところはもう見られないのか……しかたないのう」
餌を取り上げられてしまった猫のようにしょぼんと顔を曇らせる愛姫。
その姿を見ていた恰幅の良い商人らしき男が懐から太い銭袋を出して飴売りに声を掛けた。
「ええぃ、江戸っ子がしみったれたことをするもんじゃねぇや。おう、飴売り。拵えてあんの全部俺が買ってやらぁ! だからこのお嬢ちゃんにどんどん作ってやんな!」
歪な飴細工が並ぶ板の上に小判を一枚、パシッと将棋の駒を打つように叩きつけたものだからドッと周囲の見物客が湧いた。
「よっ! 粋だねぃ旦那!」
「あたぼうよ! これが江戸っ子ってもんだ!」
周囲からやんややんやと歓声が起きる。
「おおっ! そちはなかなか良い奴じゃな。気に入ったぞ」
愛姫のわくわくした目を向けられて商人はさらに鼻を高くした。
「さぁさぁどうしたい。この子にあんたのとっておきの技を見せてやんな!」
見物客たちの拍手喝采につられ、さらに人が「なんだ。どうした」と集まってくる。
なんてこった!
飴売りの顔から血の気が退く。
こんな事になるなら不貞腐れてないでちゃんと飴細工の修練をしておくんだった!
祭りの真っ最中に不真面目でいた過去の自分を呪っても、それこそ後の祭りというもの。
「さぁさぁ、どうした飴売り! どうせなら景気よく、でっけぇ鳳凰でも作ってやんな!」
「おおっ! それはいかにも凄そうじゃ。是非見てみたいぞ!」
「か、勘弁して下さいぃー!」
飴売りがそんな悲鳴を上げても、まだまだ祭りは続く。
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