記憶喪失だからと都合よく躾をするのはやめませんか!?

珀空

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◆第1章.

002.私はただの"ノア"

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プロローグより少し前の話。


◇◆



「ノアちゃん、パン持っていきなよ。今朝焼いたばっかりなんだ」
「わあ…。おじちゃんありがとう!」
「ノアちゃん、シチューも持っておいき。作りすぎちまってねえ」
「おばちゃんもいつもありがとうね」


 いつものように薬草を村を定期的に訪れる商人に渡し、代わりに代金を貰ってから帰る途中のことだった。


 ノアを見つけた夫婦は手招きをしながらそう言ってくるので、ノアは彼らに近寄りながら笑顔を浮べる。



「これと、これと.....、あとは、これも入れておくね」


 彼らの家に寄れば、ノアの持っていたバスケットにパンとシチューの入ったポットを入れて、ついでとばかりに娘と作ったというクッキーも詰めてくれる。


「こんなに良いんですか?」
「良いんだよ!じっさまもついこの前逝っちまってノアちゃんは1人だもんなあ。家事に薬草集めに森の整備は大変だろう?」
「まあ大変といえば大変ですね。でも、もう慣れました」


 つい数ヶ月前は二人でやっていたことを一人でやるようになったので大変ではあるが、何だかんだどうにかなっている。


「ノアちゃん、まだ記憶は戻らないんだろ?」
「はい。でも、もう戻らなくても良いかなあって...」
「絶対良いところのお嬢様だと思うんだけどなあ。一つ一つの動きが綺麗だし、言葉遣いも丁寧で別嬪さんだしなあ。それに字も読めるだろう?」


 そう、ノアは記憶喪失だ。約1年前、この村の外れに倒れていたのを拾ってくれたのがついこの前亡くなった老人だった。


 ノアの身なりや所作、言葉遣い、そして字が読める所から村人たちからは「訳アリのお嬢様」だろうと思われている。


「まあノアちゃんがそれでいいならいいよ。困ったらいつでも頼りな」
「はい」


 この村の人々はとても優しい。周りの地域との交流は殆どなく、商人が定期的に訪れて物を売る以外で、外部から人が来ることは殆どない閉鎖的な村だ。


 そんな村だと仲間意識が強く、部外者は遠巻きにされそうだが、彼らは明らかに外から来たノアのことを快く受け入れてくれた。


 最初はこの村の外れの森に住む薬草売りの老人がノアを拾ってくれたから優しくしてくれるのかと思っていたが、老人が持病で逝ってしまったあとも心変わりすることなく接してくれる。


「そういえば、おじちゃん、おばちゃん。薬はまだありますか?」
「あー、酔い止めがそろそろ切れるかもなあ」
「この前、シシを刈ったときにお祭り騒ぎだったからねえ...」
「じゃあ次は酔い止めの薬を持ってきますね」
「おう、ありがとうな」
「はい!ではまた」


 パンとシチュー、そしてクッキーの入ったバスケットを大事に抱えてノアは歩き出す。今日の夕飯はこれで決まりだ。


「酔い止め、っと」


 道中ワンピースのポケットに入れていたメモ帳に「酔い止め」と書き付けておくことも忘れない。


 老人から受け継いだこのメモ帳には魔法で刻印がされていて、いくら書き付けてもページが追加されていく優れものだ。


 とある印に指を当てて魔力を流せば、昔書いたものを見ることができる。ノアが受け継ぐ前は老人のものだったので、前へとページを捲っていけば老人の昔のメモも見ることができる。


 薬の煎じ方、薬草の効果、毒草について、各薬草の生えている場所、森の整備の仕方、とある日の走り書き、国中を回った時に見た珍しいものについて、よく分からない落書き、.....__。


 かの人が生きた証がしっかりと残っているのを目に焼き付けて、ノアは森へと入る。


「もう夕方かあ.....」


 今日はいつもよりも村の人々や商人と沢山話しをしたためか、既に森の中は暗かった。昼間でも薄暗い森だが、光が更に射さないと雰囲気が随分と違う。


 ノアは炎の魔法で火の玉を作り、それを自分の前にぷかぷかと浮かせて森を進む。普通の人が入れば同じように見えるような景色に怯むことなく、ノアは確かな足取りで家へと歩を進めた。




「爺様、ただいま」


 家に帰り、テーブルにバスケットを置きながらそう呟く。外装のボロさとは雰囲気の違う綺麗な内装にはもう慣れてしまった。


 信用する人以外、人を寄り付かせたくなかったらしい老人が掛けていたカモフラージュの魔法を真似てノアが掛けているのだが、彼と同じように保持出来ているのでほっと息をつく。


「明日は隣の街に行かないと…」


 今日は村に来ている商人から薬を売るついでに食品や日用品は買うことができた。


 それが入った魔法のバッグにはどれだけの量でも物が詰められ、かつ保存が効くので重宝している。買ってきたものを取り出し、仕分けながら明日のことを思い浮かべる。


 明日は数ヶ月ぶりにいつもの薬草と依頼が来ていた物を売りに行かないと行けない日だった。


 向こうの街にも薬草売りはいるためほぼ行かないが、ここら辺では、この森でしか採れない薬草やらキノコやらちょっとした魔石やらがあるため、それらを届けるためにかの街に行かなければいけない。


 隣の街とはいえ、一日に数回出ている乗り合いの馬車で2時間はかかるため、少々億劫だ。老人が生きていた頃は、暇な時間は彼の若い頃の話やタメになる話が聞けていたから楽しかったが、今はそんな相手もいない。


 転移魔法で行きたいところだが、向こうの街にはあまり行っていないため、ちゃんと辿り着けるか不安だ。帰りはこの家に座標を指定するための印を付けているので、多少場所にズレはあっても帰って来れるだろう。


「これが終われば薬売りは少しだけゆっくりできる...。明日まで頑張ろう.....」


 今週分の薬は明日売れば終わりだ。あとは森の整備やら薬草集め、老人から教わった方法で薬を煎じる時間だ。


 ノアには薬を煎じる才と、それに応用できる魔法を使えたため、老人と過した僅かな時間にそれはもう仕込まれた。


 老人亡き後も、持ち前の向上心で彼の残したメモや書籍から知識を取り入れることをやめず、失敗を重ねながら薬を一生懸命作るためか、ノアの薬師としての腕はまあまあではあるが、あるらしい。


 ノアはある程度買ってきたものを仕舞い込むと、今日村のおじさんやおばさんから貰ったパンとシチューを夕飯にすることにした。


「.....」


 独りになってしまだた食卓でぼんやりと食事をする時間は慣れないかもしれない、そう思っていたのに案外そうでもない。


 むしろ、誰かと一緒に食事をとることの方が慣れなかったなあ、なんて考えながらゆっくりと食事をした。



 ◇◆



 翌日、ノアは老人から貰った指輪を小指に着ける。するとなかなかに目立つローズピンクの髪もエメラルドグリーンの瞳も色が変わる。


 茶髪には青い目。この辺りではよくある色彩だ。


 どうもノアの本来持つ色は目立つらしい。この村の人にはノアが倒れていたときに見られているから良いが、隣の街に行く時には決まってこの色に変えてから行くようにしていた。


 村人からは、少し昔に流行っていた国外追放されたお嬢様なのでは?とも推測されている。


 というのも、この国ではあまりなかったが、周辺国の貴族や王族たちの間では「自分の婚約者にありもしない罪を着せ、婚約破棄をして国外追放にし、自分は真実の愛だと言って浮気相手と~」というものが流行っていたらしい。


 何ともおぞましい流行りではあるが、それの被害にあった男女はほぼ冤罪を掛けられ、家からも国からも追い出され、右も左も分からぬ状態で市井に放され、お金もなく、心にも傷を負い、世間からも笑いものにされたらしい。中には自殺者も出ている。


 それらの発端となったのは、とある聖女を騙った女だったという。聖女を選定し、崇め奉る文化のあるその国で、彼女を起因して起こり、そして他国にも被害があるため事態はなかなかに深刻だった。



 彼女が無償で掛けた魔法や配った魔石には"人を惑わす"効果が付与されていたらしい。


 聖女を騙った女は、表の顔は無垢で清純な人であったらしく、彼女が原因だと分かるまで、急に自分の周りの人間が豹変するので、周辺国の貴族や王族たちは随分と殺伐としていたという。


 現在では魔石も魔法も見つけ次第 破壊されていて、魔法に掛かっていたものは正気に戻り婚約者を探したり追悼したりしている。


 婚約者破棄した側もされた側も被害者ということで、お互いに悪く言えず、時間が随分と経った今でもヤキモキしているようだ。


 しかし、まだその魔法や魔石が全て破壊されてはいないようで、その名残があるのか偶にそういう事態はあるらしくノアもそれに巻き込まれ、ショックで記憶を失ったのでは?と思われているのだ。


「何処の乙女ゲームよ.....」


 ノアは老人や村人から聞いた話を思い出しながらポツリと呟く。


 外部と交流がない割に、外の情報は沢山入ってくるこの村の人たちの推測や貴族の世界で起こった事件には少しだけ既視感がある。



「記憶、ねえ」


 ノアには前世の記憶というものがほんの僅かにだがある。今世での記憶は正直全くないが、前世の記憶は辛うじてあるため記憶がなくてもパニックにならずに済んだようだ。


 __記憶喪失かあ、物語では"あるある"だわ。自分がなるとは思わなかったけど。


 そう前世の"私"が、ノアの意識の深いところで呟く。1連の事件にあった"婚約破棄"だの"聖女を騙った女"だの"記憶喪失"だのといったキーワードは物語によくあるものだ。


(ま、こんな辺鄙な田舎の村に倒れていたんだもの、婚約破棄された側というより、悪役令嬢ポジションで追放されて行き着いたんだろうなあ)


 本当に婚約破棄された側ならこの1年の間に自分を探す人たちから捜索されているはずだ。


 一連の事件はこんな辺鄙な村の人間まで知っているのだから、ノアが本当に婚約者された側なら「こんな方を探しています」という噂が回ってきて、とっくに帰れているだろう。


(記憶がなくて正解だったのかもね...)


 新しい生活も構築できたし、生きる術も家事も常識もある程度身についた。変に記憶を思い出して、今保っているバランスが崩れ欲しくはない。


(私はここでゆっくり生きていくんだ.....)


「ノア」


 それだけ覚えていればいい。どうにか無くさなかったらしいその名前だけ覚えていれば、もうそれ以外はいらない。


 __そんなことを考えている矢先に"彼"に会うことになるなんて思いもしなかった。
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