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西国の動乱
④
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長門国・萩。
関ケ原の戦いで中国地方の覇者毛利輝元はその領土の過半を失い、長門・周防30万石あまりにまで領土を削減されていた。
その責任を取って、輝元は家督を長子秀就に譲り、表向きは時代から下がることとなった。しかし、実際には毛利氏の運営に強い影響力を持っていた。
5月10日、萩城の二の丸にある屋敷に、輝元は吉川広家を呼び寄せていた。
「遠路はるばる済まぬな、広家」
輝元はそう言って、茶を勧める。
吉川広家は、毛利の両川と呼ばれた吉川元春の四男であり、兄元長の早世を受けて吉川家の当主となった。父元春には似ぬ慎重な知略派であり、関ケ原では徳川家率いる東軍の勝利を読み当てて毛利秀元の参戦を陰ながら阻止している。毛利輝元が西軍の総大将という立場でありながら、何とか領土削減で済んだのは吉川広家の貢献によるところが大きい。もっとも、毛利家領内では、宗主に歯向かうような行動をとった広家を良く思わない傾向があるのも確かであった。
「いえ、とんでもございません」
広家は汗を拭きながら、輝元から勧められた茶を飲み干す。飲み干さなければならない理由があった。
「大坂のことは聞き及んでおるか?」
輝元の質問は、広家の予想するところであった。というよりも、今日呼ばれた時からその件をひたすら責められるだろうことは予想していた。
広家は関ケ原の時から、親徳川…というより、毛利は徳川を認めることで生き延びることができるという考えを貫いていた。領土が大幅に削減されたのは誤算であったが、毛利氏が生き延びることができたのは自分が必死に頑張ったからだとも自負していた。
しかし、直近の戦いにおいて風向きは完全に変わったことを広家は認めざるを得なかった。日本の支配者になると信じていた徳川家は家康・秀忠の死によりその威信を激減させていた。一方、輝元はというと。
「元盛が早馬で戻ってきてな。時は今と告げてきた」
「……」
「大坂で真田が徳川家康と秀忠を討ったということだ」
「聞き及んで、おります」
広家にとっては辛い時間である。宗家のために敢えて汚れ役にならんとばかりに徳川家に尽くしてきたのに、その徳川家が負けてしまったからであるから。
広家の負い目はそれだけではない。内藤元盛が佐野道可を名乗って大坂に入っていたことに対する反対的な態度にもあった。
輝元が、親族の内藤元盛を偽名で大坂城に送り込んだと知った時、広家は筆頭家老の福原広俊とともに輝元に苦言を呈することこの上なかった。その時点では徳川家が勝つことは疑いようがなかったからである。「敗戦必至の大坂方に意味もなく賭ける愚かこのうえない行為」と広家は思っていた。
しかし、現実は異なっていた。徳川家康と秀忠は戦死し、内藤元盛は大坂で勝利を経験した将として、萩に戻ってくる前から評価が急上昇していたのである。
(こんなことがあっていいのか)
広家は率直にそう思ったが、それで現実を変えることはできない。輝元の分の悪い賭けは見事に勝ちをおさめたのである。
しかし、勝ち誇って嫌味を言うかと思いきや、輝元は穏やかな表情で茶筅を回している。
「もう一つ、どうか?」
「……いただきます」
広家は自身がまな板の上の魚の立場であると感じた。仮にこの茶に毒が盛られていたとしても、それを飲むしかないと思うほどである。
「広家、そちはわしをうつけと思うか?」
「……は?」
予想外の質問に広家は戸惑った。
「わしをうつけと思うか?」
「とんでもございませぬ。輝元殿は豊臣家の可能性を信じ、元盛を送っていたのでしょう、それが見事に的中した今、どうしてうつけなどと……」
広家の釈明に輝元は自嘲するような笑いを浮かべた。
「広家、それは偶々じゃ」
「……もちろん、武運によるところもありますが、あらゆる可能性を考慮することは…」
「広家、誤魔化さずとも良い。わしはうつけであろう?」
「そのようなことは……」
内藤元盛の件を聞いた時には、「どうしてそんな無意味なことをするのだ」と思ったことは事実である。しかし、その無意味と思われた行為が現時点では有利な要素となっているのは疑いようもない。
「武運。確かにその通りじゃ。ただのう、広家、わしはやはり己はうつけだと思うのだ」
「……」
「広家、少しばかりわしの戯言を聞いてくれるか?」
「戯言などと……。どうかお聞かせください」
「広家、わしは元就様に天下を狙うなと言われた。そのことは知っておろう?」
「はい……」
毛利家が戦国時代でも屈指の大名となれたのはひとえに二人の祖父毛利元就の力によるところが大きい。しかし、元就自身は天下をも狙っていたとも言われているが、その死に及んで輝元らに「天下を狙うな」と言った。子孫の才能に限界を感じていたのか、時代が毛利家の味方をしないと感じていたのか、家の存続に専念するように言い残したのである。
「その意味では、広家。お主は祖父様の遺言を忠実に守ってくれた」
「……はい」
それは広家の自負するところでもあった。吉川広家の父元春は天下に対する色気を少しばかり有していた。兄元長もそうだったかもしれない。しかし、自分達の寿命が尽きたことを知るに及んで、元春も元長も元就の家訓を重んじるようになった。「毛利家を残せ」、それを心に刻んで、広家は行動してきたのである。国中から後ろ指を刺されることになっても、何とか毛利家存続のために尽くしてきた。そのことは広家の絶対的な自負であり、仮に閻魔大王の前に立たされても自信をもって言えることであった。
「だがのう、わしは、天下への道を見てしまったのじゃ」
「天下への道?」
「そうだ。関ケ原の時、大坂にいたわしは天下への道を見てしまった。正直に言うと、その時のわしは重荷だと感じていた。実際、わしには務まらない荷であったから、西軍諸将には迷惑をかけてしまった」
「天下への……道……」
それは広家には見たこともないものである。しかし、確かに関ケ原の合戦時点で輝元に天下の夢が広がっていたことは間違いない。仮に関ケ原で西軍が勝利していた場合、石田三成に西軍全軍を掌握することはできない。上杉景勝は動いていない。前田利長は中立であった。小早川秀秋、宇喜多秀家と比較したとすれば、毛利輝元の方が上である。であれば、豊臣秀頼を擁して天下に号令をかけることができたのは輝元一人である。
そう、確かに関ケ原の戦いの時、毛利輝元の目の前には天下が広がっていたのである。
それを阻んでしまった決定的な要因は小早川秀秋である。しかし、南宮山にいた毛利秀元の大部隊が東軍を攻撃することがないよう止めていたのは…吉川広家であった。
「広家、そちを責めているつもりではない。わしが言いたいのは、わしは一度、天下を見てしまったということじゃ」
「天下を……見る」
「のう、広家。明智光秀は、どうしてあれだけあっさりうち滅ぼされるような状況だったのに織田信長公を討ったと思う? 公暁は、北条義時公に騙されていると誰もが思える状況でどうして源実朝公を討ったと思う?」
「……」
「広家、わしは自らをうつけだと思うておる。光秀、公暁の気持ちに気づいたのは、関ケ原で負けて萩に押し込められてからのことじゃ。本来なら、わしは関ケ原の時に天下に向かって貧弱でも牙を剥くべきだった。現実はどうか、わしは、天下の誘いを感じることすらできない愚か者で、だから家康はわしを生かす気になったのだろうな」
「輝元、殿……」
広家は輝元が泣いていることに気づいた。
「広家、わしはその立場から遠く離されて初めて、自分が天下に挑むことができたかもしれないと気づいたのじゃ。その時の惨めさと来たらなかった。何故、わしはもっと三成のために行動することができなかったのか、お前たちに対してしかと決意を示すことができなかったのか。フフフ、元就様の言われる通り、わしは天下を狙えるような器ではなかった。光秀や公暁はそれが実現する可能性が僅かであると思いつつもその可能性を夢見た。夢見ることができる能力があった。わしは夢見ることすらなかった。見ることができたと気づいたのは全てが終わってからだった」
「殿が元盛殿らを派遣していたのは、そのためでございましたか…」
「そうだ。はっきり言ってしまえば、既に失ったはずの機会を未練がましく求めるうつけ極まりない行為よ。少なくともわしが当主であればできないことであった」
「左様でございますな。しかし、家康と秀忠が死に、輝元殿の行為は無駄ではなくなりました」
「信じられないことだ。動かずに天下への夢を失ってから、足掻いたとて好機が来るであろうか? 来るはずがない。わしも自分自身そう思っておった」
「しかし、来ました……」
「広家、そなたには色々苦労をかけた。元盛の件も相まって、お主が大坂に通じているといういわれもない話も出されてしまったな」
「はい……」
内藤元盛の件は、冬の陣が終わる頃には毛利家の間では話題になっていた。親徳川家の広家にとっては許されざる行為であったが、さすがに大事にすることもできずに黙殺する形で藩を収めた。ただ、そうした噂自体は領民へも広がっていき、そこにたまたま豊臣秀頼からの誘いかけがあったという噂から、広家がこの件に関与しており大坂に走るというような噂が国内外に広がっていたのである。親徳川の広家にとっては青天の霹靂でもあった。
「率直に言う、わしは最後の機会と思って、天下を目指したい。ただ、お主が祖父元就様の遺訓を胸に尽くしてきてくれたことも知っておる。従って」
輝元は懐中から書状を取り出した。
「広家、そなたが望むなら、一度福山に隠居してもらいたい。そのうえで、わしが失敗した場合にはわしに責任を負わせてそなたが毛利家の当主となれるよう、書類を作成しておる」
「輝元殿」
広家は知らず、頭を下げていた。
「輝元殿は、自らが天下を望む機会を逃したことを悔やんでいると言いながら、それがしに天下取りの助けをできる機会を黙って見ていろと仰せでございますか?」
「失敗すればわしとともに三条河原を引き回されるかもしれんぞ」
「その時は、元就様に二人で詫びようではありませぬか」
「広家。有難い」
輝元は広家の手を取った。
関ケ原の戦いで中国地方の覇者毛利輝元はその領土の過半を失い、長門・周防30万石あまりにまで領土を削減されていた。
その責任を取って、輝元は家督を長子秀就に譲り、表向きは時代から下がることとなった。しかし、実際には毛利氏の運営に強い影響力を持っていた。
5月10日、萩城の二の丸にある屋敷に、輝元は吉川広家を呼び寄せていた。
「遠路はるばる済まぬな、広家」
輝元はそう言って、茶を勧める。
吉川広家は、毛利の両川と呼ばれた吉川元春の四男であり、兄元長の早世を受けて吉川家の当主となった。父元春には似ぬ慎重な知略派であり、関ケ原では徳川家率いる東軍の勝利を読み当てて毛利秀元の参戦を陰ながら阻止している。毛利輝元が西軍の総大将という立場でありながら、何とか領土削減で済んだのは吉川広家の貢献によるところが大きい。もっとも、毛利家領内では、宗主に歯向かうような行動をとった広家を良く思わない傾向があるのも確かであった。
「いえ、とんでもございません」
広家は汗を拭きながら、輝元から勧められた茶を飲み干す。飲み干さなければならない理由があった。
「大坂のことは聞き及んでおるか?」
輝元の質問は、広家の予想するところであった。というよりも、今日呼ばれた時からその件をひたすら責められるだろうことは予想していた。
広家は関ケ原の時から、親徳川…というより、毛利は徳川を認めることで生き延びることができるという考えを貫いていた。領土が大幅に削減されたのは誤算であったが、毛利氏が生き延びることができたのは自分が必死に頑張ったからだとも自負していた。
しかし、直近の戦いにおいて風向きは完全に変わったことを広家は認めざるを得なかった。日本の支配者になると信じていた徳川家は家康・秀忠の死によりその威信を激減させていた。一方、輝元はというと。
「元盛が早馬で戻ってきてな。時は今と告げてきた」
「……」
「大坂で真田が徳川家康と秀忠を討ったということだ」
「聞き及んで、おります」
広家にとっては辛い時間である。宗家のために敢えて汚れ役にならんとばかりに徳川家に尽くしてきたのに、その徳川家が負けてしまったからであるから。
広家の負い目はそれだけではない。内藤元盛が佐野道可を名乗って大坂に入っていたことに対する反対的な態度にもあった。
輝元が、親族の内藤元盛を偽名で大坂城に送り込んだと知った時、広家は筆頭家老の福原広俊とともに輝元に苦言を呈することこの上なかった。その時点では徳川家が勝つことは疑いようがなかったからである。「敗戦必至の大坂方に意味もなく賭ける愚かこのうえない行為」と広家は思っていた。
しかし、現実は異なっていた。徳川家康と秀忠は戦死し、内藤元盛は大坂で勝利を経験した将として、萩に戻ってくる前から評価が急上昇していたのである。
(こんなことがあっていいのか)
広家は率直にそう思ったが、それで現実を変えることはできない。輝元の分の悪い賭けは見事に勝ちをおさめたのである。
しかし、勝ち誇って嫌味を言うかと思いきや、輝元は穏やかな表情で茶筅を回している。
「もう一つ、どうか?」
「……いただきます」
広家は自身がまな板の上の魚の立場であると感じた。仮にこの茶に毒が盛られていたとしても、それを飲むしかないと思うほどである。
「広家、そちはわしをうつけと思うか?」
「……は?」
予想外の質問に広家は戸惑った。
「わしをうつけと思うか?」
「とんでもございませぬ。輝元殿は豊臣家の可能性を信じ、元盛を送っていたのでしょう、それが見事に的中した今、どうしてうつけなどと……」
広家の釈明に輝元は自嘲するような笑いを浮かべた。
「広家、それは偶々じゃ」
「……もちろん、武運によるところもありますが、あらゆる可能性を考慮することは…」
「広家、誤魔化さずとも良い。わしはうつけであろう?」
「そのようなことは……」
内藤元盛の件を聞いた時には、「どうしてそんな無意味なことをするのだ」と思ったことは事実である。しかし、その無意味と思われた行為が現時点では有利な要素となっているのは疑いようもない。
「武運。確かにその通りじゃ。ただのう、広家、わしはやはり己はうつけだと思うのだ」
「……」
「広家、少しばかりわしの戯言を聞いてくれるか?」
「戯言などと……。どうかお聞かせください」
「広家、わしは元就様に天下を狙うなと言われた。そのことは知っておろう?」
「はい……」
毛利家が戦国時代でも屈指の大名となれたのはひとえに二人の祖父毛利元就の力によるところが大きい。しかし、元就自身は天下をも狙っていたとも言われているが、その死に及んで輝元らに「天下を狙うな」と言った。子孫の才能に限界を感じていたのか、時代が毛利家の味方をしないと感じていたのか、家の存続に専念するように言い残したのである。
「その意味では、広家。お主は祖父様の遺言を忠実に守ってくれた」
「……はい」
それは広家の自負するところでもあった。吉川広家の父元春は天下に対する色気を少しばかり有していた。兄元長もそうだったかもしれない。しかし、自分達の寿命が尽きたことを知るに及んで、元春も元長も元就の家訓を重んじるようになった。「毛利家を残せ」、それを心に刻んで、広家は行動してきたのである。国中から後ろ指を刺されることになっても、何とか毛利家存続のために尽くしてきた。そのことは広家の絶対的な自負であり、仮に閻魔大王の前に立たされても自信をもって言えることであった。
「だがのう、わしは、天下への道を見てしまったのじゃ」
「天下への道?」
「そうだ。関ケ原の時、大坂にいたわしは天下への道を見てしまった。正直に言うと、その時のわしは重荷だと感じていた。実際、わしには務まらない荷であったから、西軍諸将には迷惑をかけてしまった」
「天下への……道……」
それは広家には見たこともないものである。しかし、確かに関ケ原の合戦時点で輝元に天下の夢が広がっていたことは間違いない。仮に関ケ原で西軍が勝利していた場合、石田三成に西軍全軍を掌握することはできない。上杉景勝は動いていない。前田利長は中立であった。小早川秀秋、宇喜多秀家と比較したとすれば、毛利輝元の方が上である。であれば、豊臣秀頼を擁して天下に号令をかけることができたのは輝元一人である。
そう、確かに関ケ原の戦いの時、毛利輝元の目の前には天下が広がっていたのである。
それを阻んでしまった決定的な要因は小早川秀秋である。しかし、南宮山にいた毛利秀元の大部隊が東軍を攻撃することがないよう止めていたのは…吉川広家であった。
「広家、そちを責めているつもりではない。わしが言いたいのは、わしは一度、天下を見てしまったということじゃ」
「天下を……見る」
「のう、広家。明智光秀は、どうしてあれだけあっさりうち滅ぼされるような状況だったのに織田信長公を討ったと思う? 公暁は、北条義時公に騙されていると誰もが思える状況でどうして源実朝公を討ったと思う?」
「……」
「広家、わしは自らをうつけだと思うておる。光秀、公暁の気持ちに気づいたのは、関ケ原で負けて萩に押し込められてからのことじゃ。本来なら、わしは関ケ原の時に天下に向かって貧弱でも牙を剥くべきだった。現実はどうか、わしは、天下の誘いを感じることすらできない愚か者で、だから家康はわしを生かす気になったのだろうな」
「輝元、殿……」
広家は輝元が泣いていることに気づいた。
「広家、わしはその立場から遠く離されて初めて、自分が天下に挑むことができたかもしれないと気づいたのじゃ。その時の惨めさと来たらなかった。何故、わしはもっと三成のために行動することができなかったのか、お前たちに対してしかと決意を示すことができなかったのか。フフフ、元就様の言われる通り、わしは天下を狙えるような器ではなかった。光秀や公暁はそれが実現する可能性が僅かであると思いつつもその可能性を夢見た。夢見ることができる能力があった。わしは夢見ることすらなかった。見ることができたと気づいたのは全てが終わってからだった」
「殿が元盛殿らを派遣していたのは、そのためでございましたか…」
「そうだ。はっきり言ってしまえば、既に失ったはずの機会を未練がましく求めるうつけ極まりない行為よ。少なくともわしが当主であればできないことであった」
「左様でございますな。しかし、家康と秀忠が死に、輝元殿の行為は無駄ではなくなりました」
「信じられないことだ。動かずに天下への夢を失ってから、足掻いたとて好機が来るであろうか? 来るはずがない。わしも自分自身そう思っておった」
「しかし、来ました……」
「広家、そなたには色々苦労をかけた。元盛の件も相まって、お主が大坂に通じているといういわれもない話も出されてしまったな」
「はい……」
内藤元盛の件は、冬の陣が終わる頃には毛利家の間では話題になっていた。親徳川家の広家にとっては許されざる行為であったが、さすがに大事にすることもできずに黙殺する形で藩を収めた。ただ、そうした噂自体は領民へも広がっていき、そこにたまたま豊臣秀頼からの誘いかけがあったという噂から、広家がこの件に関与しており大坂に走るというような噂が国内外に広がっていたのである。親徳川の広家にとっては青天の霹靂でもあった。
「率直に言う、わしは最後の機会と思って、天下を目指したい。ただ、お主が祖父元就様の遺訓を胸に尽くしてきてくれたことも知っておる。従って」
輝元は懐中から書状を取り出した。
「広家、そなたが望むなら、一度福山に隠居してもらいたい。そのうえで、わしが失敗した場合にはわしに責任を負わせてそなたが毛利家の当主となれるよう、書類を作成しておる」
「輝元殿」
広家は知らず、頭を下げていた。
「輝元殿は、自らが天下を望む機会を逃したことを悔やんでいると言いながら、それがしに天下取りの助けをできる機会を黙って見ていろと仰せでございますか?」
「失敗すればわしとともに三条河原を引き回されるかもしれんぞ」
「その時は、元就様に二人で詫びようではありませぬか」
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輝元は広家の手を取った。
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(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
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