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北陸と江戸と
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「殿、大坂のことは聞きました」
芳春院(まつ)が口を開く。
「聞けば、大御所様が既に討死されていたとのことではございますが、義父を裏切ってまで得るものは大きいのでしょうや?」
「ならば芳春院様にお伺いいたしますが、そのまま徳川に仕えていた方が良かったと言えるのでしょうか?」
芳春院はしばらく利常の顔を見た。
「分かりました。その場の成り行きで考えられたことではないということですね。それならば私の方から申すことはございませぬ。珠は可哀相ですが…」
「はい。それは承知しております。ですが、それがしも前田家のことを考えてのことでございますれば」
「……分かりました。して、殿、私に何か用向きが?」
「用向きと申しますか、芳春院様に経緯を説明しておく必要はあろうかと思ってまいりました次第です」
「そのような配慮は無用です。家の大事というのに、老境にさしかかった女に報告している時間など、利常殿にはありますまい」
「……失礼いたします」
芳春院の部屋を出た後、利常は城の庭をたたずんでいた。
「殿」
池をぼんやり眺めていると、後ろから声をかけられた。横山長知の姿がある。
「大膳か、どうした」
「先ほど芳春院様に捕まって、話をしておりました」
利常は苦笑した。
「わしの悪口を申されていたか?」
「いえ、殿は大器でございますれば、その考えは女には分からないところもあるでしょう。今、できることは信じることのみです、と仰せでした」
「悪口を申す方より意地が悪いわ」
「しかし、殿、芳春院様と同じようなことを言うのは心苦しいですが、このようなところでのんびりしている時間はないのでは?」
「どういうことだ?」
「現在、東軍の面々が江戸に向かっておりまして、恐らく次の将軍を決めるものと思われます。これが決まれば、我が前田家は袋叩きに遭うのではありますまいか?」
「ふむ。今は停戦中であるが、それが明けたら越前からは松平忠直、越後からは松平忠輝、飛騨からは金森可重を先鋒に徳川義直らが攻め寄せて来るかもしれぬのう」
「た、大変でござる……」
長知は本当に恐れ慄いている。それを見て、利常はおかしくなって笑った。
「心配するな、向こうも攻めたくとも、そうそう簡単に攻めるは無理じゃ」
「……と申されますと?」
「徳川家が新しい当主を決める。これは自明のことじゃ。恐らく、その新しい当主は徳川竹千代、松平忠輝、松平忠直の三人から選ばれるであろう。ただ、こやつらの名望は家康・秀忠と比べてどうじゃ?」
「それはまあ、見劣りしますが……、しかし、兵力という点では」
「兵力のことはいいのじゃ。家康と秀忠は征夷大将軍だった。にもかかわらず、二人まとめて敗死した。そのうえ、その二人より見劣りする者がついたとして、朝廷が簡単に征夷大将軍位を与えると思うか?」
「……まあ、それは簡単には無理でしょうな。しかし、逆に将軍位が欲しいから、実績を作らんと我が前田家を総力でつぶしに来る可能性はないでしょうか?」
長知の提案に、利常はぽんと手を叩く。
「おお、そうか。大膳、おぬし、いいところに気が付いたのう」
「殿ぉ……?」
「そう慄くな。それもない」
「本当ですか?」
「うむ。権威をつけるためなら前田を狙うことはないであろう」
「何故?」
「時間がかかるからじゃ。少なくとも半年という猶予期間はあるし、その間にわしらがしっかりと防備を固めて、防戦に応ずれば徳川が十五万の兵士を集めたとしても、攻め落とすは無理。逆に朝廷の側で徳川頼りなしという話が出てくるであろう」
「なるほど……」
「わしらがまず行うは、徳川が来てもしっかり防備ができる状況を作ることじゃ。わしらがしっかり領国を固めれば固めるほど、徳川は前田と戦うのを避けるようになる。今、ばたばたと金沢から動くは賢くない」
「内政を整えるわけでございますな」
「そういうことじゃ」
「……そういうことなら安心しました」
長知が安堵の息をついた。
「それがし、戦場は苦手でございますゆえ」
「とはいえ、家臣団に領地もないことには前田家も安定しない。であるので、領地を一つは取る必要があるわけであるが」
「攻め込むのでございますか?」
「そのうちな。本格的な戦にまでは発展しないだろうとは思うが……」
前田家の領地・加賀・越中・能登と接しているのは、三家である。
越前の松平忠直。
越後高田の松平忠輝。
最後に、飛騨高山の金森可重であった。
そのうちの飛騨・高山。
この地を治めるのは金森可重は領主としては二代目であった。
この金森氏、現在、後継問題で難事を抱えていたのである。
可重は、織田信長や豊臣秀吉に仕えてきた金森長近の養子となり、長近の隠居後、この飛騨高山の領主となっていた。しかし、その後、高齢の長近に男子が生まれたことから、可重は自分が当主であることに負い目を感じていた。自分の次の代は長近の子孫に家督を返したいと考えたのである。そこで、長近の孫を養子として迎え入れていた。これが三男の重頼である。
しかし、可重の嫡男である重近は父親の方針に反発しており、自分こそが金森家の三代当主であるという主張を譲らない。こうした経緯があるので、その他のことでもこの親子は対立するようになり、大坂の陣の前には、重近は可重が東軍につくことも反対した。この発言により、可重は息子重近を廃嫡し、重頼を後継者とするよう定めていた。尚、次男の重次は徳川秀忠の下におり、旗本となることが濃厚だったため、候補から外れていたし、本人もあまり反発するところがなかった。
多少の反発はあれども、これで継承問題が解決するはずであったが、ここで最大の誤算が生じた。言う間でもなく大坂でのまさかの結末である。東軍につくことに反発したことを理由に廃嫡したにもかかわらず、東軍が負けてしまったことで、廃嫡の正当性が大いに揺らいでしまった。
重近一派は、徳川敗戦の報が伝わってくると、すぐに高山領内に、「西軍の勝利を予測していた重近を廃嫡するなど、可重は当主にふさわしくない」という運動を始めたのである。
そんな状況と知らぬ高山可重は駿府まで出向いてしまったため、重近を止めるものがおらず、飛騨・高山は大混乱となってしまったのである。こうした中、重近派が頼りにしたのが前田家であり、彼らは前田利常が金沢に戻ってくるよりも早く、応援要請を出していたのである。
前田利常は当初、静観の構えをとるつもりであった。六か月の停戦期間を破るつもりはないし、お家騒動がどう発展するか分からないので、ひとしきり様子を見ようとしていたのである。
しかし、金沢に戻って、改めて様子を見ていると、どうにも家中を二分するような戦へと発展する可能性もあった。飛騨の中でやる分には構わないが、場合によっては越中・加賀の近くでも戦闘が発生する可能性がある。
(ま、そうなればそうなったで良いようにもっていくわ)
戦闘が起こりうるということは、国境近くに兵を置いておく理由になるし、兵の訓練などの根拠にもなる。前田家の力を示すという点では悪いことではない。
(呼び戻すにもいい理由になるし)
とも考えていた。呼び戻すとは誰のことか。
数年前まで、金沢は切支丹の著名人が多く集うところであった。
豊臣政権下で大名として君臨していた高山重友や、如安の名前で知られる内藤忠俊などである。禁教令が完全なものとなり、現在は国外に追放されているが、金沢城の建築にも携わるなど前田家の中での切支丹の影響力は小さくない。
また、明石全登など国内にいる最後の切支丹も、取り込めるものなら取り込みたいとは考えている。この点では期せずして明石全登本人とも考えが一致していた。
芳春院(まつ)が口を開く。
「聞けば、大御所様が既に討死されていたとのことではございますが、義父を裏切ってまで得るものは大きいのでしょうや?」
「ならば芳春院様にお伺いいたしますが、そのまま徳川に仕えていた方が良かったと言えるのでしょうか?」
芳春院はしばらく利常の顔を見た。
「分かりました。その場の成り行きで考えられたことではないということですね。それならば私の方から申すことはございませぬ。珠は可哀相ですが…」
「はい。それは承知しております。ですが、それがしも前田家のことを考えてのことでございますれば」
「……分かりました。して、殿、私に何か用向きが?」
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「そのような配慮は無用です。家の大事というのに、老境にさしかかった女に報告している時間など、利常殿にはありますまい」
「……失礼いたします」
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「殿」
池をぼんやり眺めていると、後ろから声をかけられた。横山長知の姿がある。
「大膳か、どうした」
「先ほど芳春院様に捕まって、話をしておりました」
利常は苦笑した。
「わしの悪口を申されていたか?」
「いえ、殿は大器でございますれば、その考えは女には分からないところもあるでしょう。今、できることは信じることのみです、と仰せでした」
「悪口を申す方より意地が悪いわ」
「しかし、殿、芳春院様と同じようなことを言うのは心苦しいですが、このようなところでのんびりしている時間はないのでは?」
「どういうことだ?」
「現在、東軍の面々が江戸に向かっておりまして、恐らく次の将軍を決めるものと思われます。これが決まれば、我が前田家は袋叩きに遭うのではありますまいか?」
「ふむ。今は停戦中であるが、それが明けたら越前からは松平忠直、越後からは松平忠輝、飛騨からは金森可重を先鋒に徳川義直らが攻め寄せて来るかもしれぬのう」
「た、大変でござる……」
長知は本当に恐れ慄いている。それを見て、利常はおかしくなって笑った。
「心配するな、向こうも攻めたくとも、そうそう簡単に攻めるは無理じゃ」
「……と申されますと?」
「徳川家が新しい当主を決める。これは自明のことじゃ。恐らく、その新しい当主は徳川竹千代、松平忠輝、松平忠直の三人から選ばれるであろう。ただ、こやつらの名望は家康・秀忠と比べてどうじゃ?」
「それはまあ、見劣りしますが……、しかし、兵力という点では」
「兵力のことはいいのじゃ。家康と秀忠は征夷大将軍だった。にもかかわらず、二人まとめて敗死した。そのうえ、その二人より見劣りする者がついたとして、朝廷が簡単に征夷大将軍位を与えると思うか?」
「……まあ、それは簡単には無理でしょうな。しかし、逆に将軍位が欲しいから、実績を作らんと我が前田家を総力でつぶしに来る可能性はないでしょうか?」
長知の提案に、利常はぽんと手を叩く。
「おお、そうか。大膳、おぬし、いいところに気が付いたのう」
「殿ぉ……?」
「そう慄くな。それもない」
「本当ですか?」
「うむ。権威をつけるためなら前田を狙うことはないであろう」
「何故?」
「時間がかかるからじゃ。少なくとも半年という猶予期間はあるし、その間にわしらがしっかりと防備を固めて、防戦に応ずれば徳川が十五万の兵士を集めたとしても、攻め落とすは無理。逆に朝廷の側で徳川頼りなしという話が出てくるであろう」
「なるほど……」
「わしらがまず行うは、徳川が来てもしっかり防備ができる状況を作ることじゃ。わしらがしっかり領国を固めれば固めるほど、徳川は前田と戦うのを避けるようになる。今、ばたばたと金沢から動くは賢くない」
「内政を整えるわけでございますな」
「そういうことじゃ」
「……そういうことなら安心しました」
長知が安堵の息をついた。
「それがし、戦場は苦手でございますゆえ」
「とはいえ、家臣団に領地もないことには前田家も安定しない。であるので、領地を一つは取る必要があるわけであるが」
「攻め込むのでございますか?」
「そのうちな。本格的な戦にまでは発展しないだろうとは思うが……」
前田家の領地・加賀・越中・能登と接しているのは、三家である。
越前の松平忠直。
越後高田の松平忠輝。
最後に、飛騨高山の金森可重であった。
そのうちの飛騨・高山。
この地を治めるのは金森可重は領主としては二代目であった。
この金森氏、現在、後継問題で難事を抱えていたのである。
可重は、織田信長や豊臣秀吉に仕えてきた金森長近の養子となり、長近の隠居後、この飛騨高山の領主となっていた。しかし、その後、高齢の長近に男子が生まれたことから、可重は自分が当主であることに負い目を感じていた。自分の次の代は長近の子孫に家督を返したいと考えたのである。そこで、長近の孫を養子として迎え入れていた。これが三男の重頼である。
しかし、可重の嫡男である重近は父親の方針に反発しており、自分こそが金森家の三代当主であるという主張を譲らない。こうした経緯があるので、その他のことでもこの親子は対立するようになり、大坂の陣の前には、重近は可重が東軍につくことも反対した。この発言により、可重は息子重近を廃嫡し、重頼を後継者とするよう定めていた。尚、次男の重次は徳川秀忠の下におり、旗本となることが濃厚だったため、候補から外れていたし、本人もあまり反発するところがなかった。
多少の反発はあれども、これで継承問題が解決するはずであったが、ここで最大の誤算が生じた。言う間でもなく大坂でのまさかの結末である。東軍につくことに反発したことを理由に廃嫡したにもかかわらず、東軍が負けてしまったことで、廃嫡の正当性が大いに揺らいでしまった。
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そんな状況と知らぬ高山可重は駿府まで出向いてしまったため、重近を止めるものがおらず、飛騨・高山は大混乱となってしまったのである。こうした中、重近派が頼りにしたのが前田家であり、彼らは前田利常が金沢に戻ってくるよりも早く、応援要請を出していたのである。
前田利常は当初、静観の構えをとるつもりであった。六か月の停戦期間を破るつもりはないし、お家騒動がどう発展するか分からないので、ひとしきり様子を見ようとしていたのである。
しかし、金沢に戻って、改めて様子を見ていると、どうにも家中を二分するような戦へと発展する可能性もあった。飛騨の中でやる分には構わないが、場合によっては越中・加賀の近くでも戦闘が発生する可能性がある。
(ま、そうなればそうなったで良いようにもっていくわ)
戦闘が起こりうるということは、国境近くに兵を置いておく理由になるし、兵の訓練などの根拠にもなる。前田家の力を示すという点では悪いことではない。
(呼び戻すにもいい理由になるし)
とも考えていた。呼び戻すとは誰のことか。
数年前まで、金沢は切支丹の著名人が多く集うところであった。
豊臣政権下で大名として君臨していた高山重友や、如安の名前で知られる内藤忠俊などである。禁教令が完全なものとなり、現在は国外に追放されているが、金沢城の建築にも携わるなど前田家の中での切支丹の影響力は小さくない。
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