【13万字完結】結婚相手は魔王の尖兵!

ジャワカレー澤田

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「橋」の管理人

47 大松樹さんは悪くない!

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 結局、ヒルダは最後までヒューのことに気がつかなかったようだ。

 そしてヒューからヒルダに「お前はヒルダだな!?」と詰問することもなかった。いや、言えなかった。ハイレグ魔操服の代わりに白いブラウスとタイトスカートを着たヒルダは、どこからどう見ても「普通のおばさん」だからだ。

 そんなおばさんが、

「あなた、私の夫のようになりたいの? それじゃあ、もっと勉強しなきゃね」

 と、ヒューに向かって微笑んだ。ここで注目すべきは「私の夫」という文言である。ヒルダは日本で結婚している、ということだ。

 あのヒルダが、この世界で旦那さんを見つけて幸せそうに笑っている。旦那さんの腕に抱き着きながら、呑気に上野見物を楽しんでいる。

 ふと、ヒューの脳裏にリディアの姿が浮かんだ。

 ヒューのアイスブレードで全身を引き裂かれながら、「助けて」と泣き叫ぶリディア。最後はヒートウィンドの炎に包まれ、そのまま消滅した。

 今、俺の目の前にいるヒルダもそうやって倒さないといけないのか? 昔からコミュ障気味の俺に向かって優しく微笑んでくれている、ごく普通のおばさんを——。

 *****

「本当にありがとな、兄ちゃん。気をつけて帰れよ」

 男は最後にそう言って背を向けた。ヒルダもそれに続く。

 呆然としながら2人の背中を見送るヒューの右手には、男の名刺と1万円札。「これで美味いもんでも食いな」と、男が小遣いをくれたのだ。恐ろしく気前のいい人物だった。

 そして、名刺から男の名前が「松島孝介」ということが判明した。

 一体誰なんだ、この松島って? ヒューの関心は、今やヒルダではなく松島孝介に向けられている。

 ヒューはその場でスマホを手に取り、松島孝介なる人物について調べ始めた。そしてこの検索作業は、ヒューが中野区の実家に帰ったあとも深夜まで続くことになる。

 結果、ヒルダが「夫」と呼んでいる男の正体を隅々まで知ることができた。

 松島孝介はライターだ。大手出版社大衆文芸館のWebメディア『趣味の歴史研究』や、その紙媒体版『趣味の歴史研究 The Wheels』などで筆を執る人物。彼の文章は平明で分かりやすいという定評があり、実際に読みやすかった。記事の内容がそのまま脳に注入されていくような具合だ。

 そうか、だからあの時あの2人は俺をファンだと勘違いしたのか。

 そんな松島孝介は、かつて大相撲の力士だった。

 松島孝介の力士時代の四股名は大松樹。最高番付は西前頭筆頭。ヒュー自身は大相撲にはまったく興味を持っていないが、父方の祖父が相撲好きだったため子供の頃はテレビでの相撲観戦に付き合わされていた。前頭という番付にいる力士が相当強いことは、かろうじて知っている。

 しかもこの大松樹は、現役時代に金星を3回も挙げている。横綱を負かしたことがあるほどの実力の持ち主だった、ということだ。

 しかし、将来を嘱望されていた大松樹の相撲人生は突如終わりを迎えることになる。

 16年前に発生した「梅咲事件」である。

 大松樹の所属していた梅咲部屋の師匠梅咲親方が、反社絡みの野球賭博を行っていたという出来事だ。しかも賭け金の集計を手伝っていたとして、賭博開帳図利幇助の容疑で警察に逮捕されている。

 その騒動の発覚は、報道週刊誌『週刊晩秋』のとある記事がきっかけだった。

 梅咲親方が部屋の経理を操作して野球賭博の賭け金を作っていたことを、何と大松樹が自ら筆を執って告発したのだ。

 そこから芋づる式に角界の「野球賭博汚染」が掘り起こされた。梅咲親方以外にも2人の年寄、4人の関取、そして4人の力士養成員が野球賭博に手を出していたのだ。

 彼らには懲戒解雇処分が下された。そしてこの違法行為を告発した大松樹は、その責めを負う形で引退する。

 松島孝介の経歴を知ったその夜、ヒューは一睡もできなかった。形容し難い興奮と緊張、そして怒りがヒューの全身を容赦なく包んだ。

 どうして犯罪を告発した大松樹さんが引退する羽目になったんだ? この人は大相撲の世界から野球賭博を追い出した功労者じゃないか!

 現にその後の日本相撲協会は、「組織改革」を合言葉に大胆な人事替えを行った。理事長はハワイ出身の元大関三川丸、12代土岐原が就任した。土岐原親方は角界では珍しいギャンブル嫌いの人物で、かつてパチンコ依存症になった弟子を馘首したほど。当然、理事長になった土岐原親方は違法賭博の締め出しに動いた。梅咲事件以降も2人の協会員が野球賭博に手を出したとして懲戒解雇になっているが、これは賭博問題に対する土岐原親方の姿勢を表すものだった。

 大松樹の犠牲は、相撲協会の浄化につながったのだ。

 なら尚更、大松樹さんを引退させたままにするのはおかしい!

 ヒューの憤慨は、翌日異世界に移動してからも続いた。
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