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第1章

コンスタンティノポリス

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 ちょうどその頃、メフメトが見下ろしていた聖ソフィアから西に向けてなだらかな坂道を上がった所にある、コンスタンティヌス十一世の宮殿ブラケルナエでは、ある重要な打ち合わせが行われていた。
「それではまず明日、他国より先にセルビアに使いを派遣いたします。それとも陛下は、もっと若い相手のほうがお気に召しましたでしょうか?」
「いや、予定通りで構わぬ。だが余には、それほど滞りなく事が運ぶとは思えぬが……」
 窓からテオドシウスの三重(さんじゅう)の壁が見下ろせる部屋で、宰相ノタラスは皇帝のそばに控え縁談を持ちかけていた。
 コンスタンティヌス・パレオロゴス・ドラガセス――四十六歳になるこの東ローマ帝国の第一〇一代目の皇帝は、その温和な人柄に反して、プライベートでは妻や子供に恵まれない孤独な生活をおくっていた。頑強な体つきではないが背が高く、見事なあごひげが威厳を示している。統治能力に長け、国民から敬愛されてやまない皇帝だった。
 しかし子供を持つことなく二度も妃に先立たれるという不幸が続き、現在も次の花嫁を捜しているところだ。
 実はナポリやグルジアの王女らへの縁談と並行して、セルビアの王女マーラもその有力候補の一人に挙げられている。ムラト二世の寵妃として慈しまれていたが、残念ながら子がなかったため、ムラトの死後実家セルビア王の元に返されてきていた。現在まだ二十八歳と、充分に世継ぎに恵まれる可能性のある年齢の王女で、ムラトに差し出される前の婚姻では出産経験もあった。
 そして今、東ローマ帝国皇妃の候補に挙がっている一番の理由……、それは年齢よりも何よりも「継母である彼女に対する扱いに、メフメトの尊敬が込められていること」だった。かたくななマーラは、ハレムにいた時もついぞイスラム教徒に改宗しなかった。その意思を尊重し父が亡くなった時支度金まで添えて母国セルビアに送り返してやったのは、他ならぬメフメト二世だ。
 ここ東ローマ帝国にとってオスマンとの外交は、常に気が抜けない、緊張の連続である。それでもなるべく争い事を避けようという姿勢の感じられたムラト二世と違って、今度の皇帝は未だに和平協定を結ぼうとする兆しすらない。何を考えているかまったくわからない好戦的な十九歳の青年だ。もしマーラがコンスタンティヌスの妃になれば、オスマンも少しは欧州との外交に気遣いを見せるのではないだろうか。そういう思いが、他の国の王女たちに先んじてこの縁組を進める根底にあった。
「再婚でも初婚でも、そんなことはどうでも構わぬ。余が懸念しておるのはむしろマーラの強固な意志……、イスラムのスルタンと婚姻しても変わることのない信仰心を持つ者が、今さら新しい夫と連れ添う気になるだろうか」
 千年前の東ローマ皇帝、テオドシウス二世によって築かれた世界最強と言われる壁を見下ろしながら、コンスタンティヌスは、この壁を頼る思いが刻一刻と強まっていくのを感じるのだった。
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