教皇の獲物(ジビエ) 〜コンスタンティノポリスに角笛が響く時〜

H・カザーン

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第2章

アドリアーノポリスへ

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 それは十二月の寒い朝だった。
 いよいよメフメトに会うためにアドリアーノポリスに出かける日とあって、今朝の朝食は三人とも無口だ。
 この頃になると、コンスタンティノポリスでは上着が必要なだけでなく、外に出かけるには厚手のコートが欠かせないようだ。西欧では、北の国ならともかく、ローマやラヴェンナでは冬でもたまにしか毛皮を必要としない気候だった。レオナルドたちがイタリアから持参した外套は厚手の革製だが、ここらの住民は毛皮を着用している。
「あ?」
 身支度を始めると、外套の横には、裏が毛皮になったマントとカシミアの大きなストールが用意されていた。
「エルネストか」
 彼らしい気配りだ。これから出かける長旅に、髪や顔を覆って埃を避けるものがきっと役に立つ。そんな思いを込めてエルネストは準備してくれたのだ。
 早めの朝食を済ませたレオナルドたちは、テオドシウスの壁の北から二番目にあたるカリシウス門まで道を下る。そこには――頭にターバンを巻いた使者たちが待っていた。オスマンから来た道案内である。
「陛下」
 坂道の上を見上げると、出立する前にコンスタンティヌス十一世までもが見送りに姿を見せていた。
「それでは、行ってまいります」
「うむ、滞りなく終わることを心より願う」
 馬の腹を軽く脚で締めて、レオナルドたちは発進させた。
 ここから、オスマンの首都アドリアーノポリスのメフメト二世の宮廷に向かう――今回はるばる海を渡ってやってきた、外交大使という重い任務の門出だった。
 初冬の朝靄(あさもや)の中を、北西に向けて進んで行く。
 しばらくは低木と起伏のある草原が続いていた。靄が晴れてくる頃には、街道に沿ってオスマンの街並もぽつぽつと見られるようになってきた。街を抜け、延々と馬を走らせていくとまた街道脇に小さな村がある……。それを幾度か繰り返した頃、ようやく帝都に入る門へたどり着いた。
 街を囲んでいる壁に続く背の高い門で、皇帝メフメトから送られてきた迎えの小隊が待っていた。
 アドリアーノポリスは小高い丘の上に広がっている。オスマンの都はコンスタンティノポリスよりもずっと大きい。ターバンと腰のシャムシールが厳めしい門衛は、ローマ教皇の特使たちを、来賓扱いでなくただの訪問者として事務的に所持品をあらためる。
 市街地に入ってしばらく進んだところで、ユージェニオがフィリベルトにささやいた。
「注意して街の様子を見ろ。『カフヴェハーネ』――直訳すれば『コーヒーの家』という意味の、オスマン特有の建物がある。公共の場で飲み物を提供するところだ。我が国にも、将来同じようなものを開きたいと思っている。よく観察しておけ」
「え? コーヒー・ハウスって?」
 ターバンを巻いた兵士に取り囲まれて緊張の極地にあった様子のフィリベルトは、こんな命に関わる任務の最中だというのに王太子がビジネスの話などをしているのを知って少なからず驚いた。
「西ヨーロッパのように、誰かの家で目的を持って主催された会合(サロン)では、主催者に不利益をもたらす自由な意見をやり取りすることは難しい。もし祖国にもこういう場所が存在すれば、人びとはそこで世の中を変えるようなアイデアを飛び交わせることだってできるだろう」
 プレッシャーを受けながらも、必ず生きて祖国に帰るつもりでいる――それはユージェニオに限らず、レオナルドも同じだった。
 オスマンの男たちが、特に敵意を示すでもなくただ遠くからこっちを窺っている帝都の通り……。注意して辺りを見回すと、街角のあちこちに人の集まっている窓の大きな店がある。タバコの煙が渦巻いていた。
 確かに、公共の場で人が集まることができるスペースが存在するというのは、貴重なことなのかもしれない。西欧では見られない習慣だった。
 やがて丘の頂に、鋭いミナレットが何本も天を突き刺す剣のようにそびえる中に、それに守られ大きな丸屋根の宮殿が姿を現した。
 ここが、スルタンの城……。
 宮殿も、東ローマ帝国より大規模なものだった。ただそれでもメフメトがここに満足しきれなかったのは、やはり「あの街」が「コンスタンティノポリス」だからに違いない。イスラムの丸屋根は、欧風の柔らかな半球ではなく、塔の上に大きなターバンを乗せたような膨らみを持ち、先の尖ったアラビア式の屋根だ。
 教皇特使の一行が宮殿の門に近づいて行く……。すると、旗手が旗を揚げた。その動きをなにげに目で追っていた時、いきなり飛び上がるかと思うほどの巨大な爆音が駆け抜け、一瞬耳が聞こえなくなった。
「うおぅ」
 馬も怯えて突然後ずさりしようとする。
 レオナルドとユージェニオは、手綱を軽く引いてパニックを鎮めた。
「歓迎の空砲にございます」
 案内の兵士がすました顔で告げる。
「いや、歓迎って……それどころじゃ……、うわっ!」
 馬を操れないでいるフィリベルトの両側に、オスマン兵たちはピタリと自分たちの馬を付けて挟むようにする。ようやく彼の馬も、何とか気を取り直し落ち着いた。
 くっ、ずいぶん手荒い挨拶だな。
 何事が起きようとも驚きを表に出さないよう訓練されている王太子でさえ、青ざめるほどの爆音だった。フィリベルトに至っては、自分を取り戻すのにしばらく手間取っている。
「あれが、ウルバンの大砲と呼ばれる新兵器か……」
 本来キリスト教徒であるハンガリー人のウルバンは、最初から東ローマ帝国を裏切るつもりでメフメトに武器を売り込んだわけではない。ちゃんと筋を通して、この大砲の設計図をオスマンより先にコンスタンティヌス十一世に持ちかけたのだ。しかしビザンティンから断られてしまった。そこで彼は敵のオスマンの門を叩き、メフメト二世の前で設計図を広げたらしい。スルタンはその武器に大変興味を示し、「金はいくらでも払う」と言って即刻製作に取りかからせたと聞いた。
 たぶんメフメトの企みは――大砲が完成した時が戦を始める時期――そういう目論見に違いない。
「いよいよ秘密兵器が完成に近づいたらしい」
「それ……って、秘密のはずじゃ……?」
 解せないようすのフィリベルト。
 コンスタンティノポリスから来たレオナルドのいるところで発砲するということは、メフメトにとっては秘密でも何でもないというわけだ。もっとも聞かせたのは音だけで、大砲自体は城壁の後ろに隠されていたが。空砲であれだけの音を出すということは、実際に攻撃されたらもっと数倍も恐ろしい武器になるだろう。
 音だけ聞かせて脅す方法が、実物を見せるより、こんなにも効果的だとは……。
 東ローマ帝国がウルバン砲の導入を断ったのは、三重の壁に多大な自信を持っていたから――その判断は間違いでもないし、コンスタンティヌスを戦略に乏しい皇帝だと決めつけて良いわけではなかった。確かに大砲というものは、外から城を攻撃する側には有利かもしれないが、壁の中で守りを固めるほうにはあまり有効ではない。攻撃範囲が広過ぎて、弾の製作に要する材料や労力に見合うほど、一度に殺せる敵兵数が多くないからだ。けれどこの大砲は、こっちの弱点を押さえ込むほどの脅威だった。
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