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第3章

教会の鐘の音

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 東ローマ帝国に、砲撃のない日々が三日間続く。
 だが見渡す限り城壁の外を埋め尽くすオスマンの兵士たちが、一斉にメッカの方角を向いて地面に張り付くように祈る姿を壁の上から眺めているだけで、コンスタンティノポリスは不気味な恐怖に包まれた。メフメトはまさか、その効果まで期待してこの儀式を行ったのではないだろう。けれど「天才」とは、その戦略により予想もしなかった効果まで生み出す人物を元来そう呼ぶのだ。

 会戦前夜、炎の揺らぐ松明で照らし出されたメフメトは、突撃の際の各軍への命令を与える。短い指令の後で腰の剣を抜き、切っ先を天に向けて宣誓した。
「皇帝メフメト二世は、アラーの神の名により、また父ムラト二世の名にかけて、そしてこの剣にかけて誓う。この街を征服した後に、汝らは三日間に渡り無制限に略奪の許可を与えられることを! そして、これは決して忘れてはならない。我々にとって最も名誉なのは、難攻不落の都コンスタンティノポリスを、手に入れる栄冠を得たという揺るぎない真実だ!!」
 兵士たちの間から「ジャグマ、ジャグマ(略奪、略奪)」という叫び声が起きた。 コンスタンティノポリスは何百年もの長い間に渡って、世界で最も富に溢れる街であり続けた。彼らは城壁の内側にある全ての物……、宝石や財産を奪い、高貴な身分のギリシャ人やイタリア人を奴隷にする夢を頭の中に描く。続いて「アラー・イル・アラー(アラーこそ唯一の神)」という歓声が上がった。それは嵐の海に打ち寄せる荒波のように、大地に敷き詰めたオスマン軍の中から押し寄せ、広がり、テオドシウスの壁に木霊するかのように打ちつけるのだった。

 五月二十八日、東ローマ帝国に何十と存在するすべての教会の鐘の音は、その日一日中鳴り止むことはなかった。
 聖ソフィアの傍(かたわら)で半球型の屋根を見上げながら、レオナルドは人々が心にざわめきを感じるのを見ていた。ヴァティカンでも、教皇崩御の時にはこんな風にローマ中の教会という教会がすべて、朝から晩まで鐘楼から音を響かせる。ここギリシャ正教の総本山、聖ソフィア大聖堂の最上階の鐘楼にはそれぞれ音の異なる七つの鐘があり、そのひとつは他の六つより大きい。
「七つ目の鐘を、打ち付けよ」
 この決定を下したのは、現総主教アサナシウスだった。
 この七つ目の鐘はコンスタンディヌーポリ、つまり総主教が亡くなった時にだけ叩かれる鐘だった。ギリシャ正教における最高権力者が崩御すると、大聖堂のこの大鐘がゴーン、ゴーンと一日中重厚に轟き渡り、信者たちに落命を知らせるのだ。今聖ソフィアでは、総主教が壮健だというのに特別な大鐘が鳴り続けていた。
 聖ソフィアに祈りに訪れた信者たちは、出迎えてくれる彼の健やかな姿を見ても驚かなかった。民たちは教会に来る前からうっすらと悟っていた、それは聖堂の臨終のために鳴っているのだと……。
 正教会で原則が破られた理由は、おそらく総主教が、このまま街が敵に滅ぼされてしまったら、誰も死後の安らぎを祈る鐘を鳴らす者がいなくなることを懸念していたからではないだろうか。もしオスマンがこの中へ入ってきたら、たとえ敵がギリシャ正教徒を殺さなかったとしても、この美しい聖ソフィア大聖堂はキリスト教徒のものでなくなってしまう。希望と安らぎを与えてくれた叡智に溢れるソフィアは、メフメト二世のものになる……。
 鐘の音に引き寄せられた信者たちによって、おごそかな祈りが捧げられた。
 敵のオスマンが攻撃を止めてアラーに祈りを捧げているのは、まもなく大きな一斉攻撃をかけてくるつもりなのだと、レオナルドたちや戦士でなくともこの街の誰もが知っている。半年前に東西合同ミサが行われて以来、頻繁に訪れるようになった西欧人も含めた、コンスタンティノポリスの民衆全てによるミサが、今……始まった。
 皇帝コンスタンティヌスは、全信者の前に立つ。
「もしやかつて、余が皆の怒りを買うようなことをしていたらば、どうか許したもう」
 祭壇の上からのたまうその謙虚であると同時に高貴な行いは、まさしく皇帝の懺悔だった。彼は神に赦しを請うのではなく、民に謝罪したのだ。感極まった人びとは涙を流しながら誓う。
「我らも最後まで、陛下と共に戦います!」
 三万の命と心を惹きつけている皇帝……。名誉という名のもとに、多くの命を危険にさらすことになってしまった総司令官……。
「皮肉なものだ」
「……ですね、猊下。戦う前はあんなに反発していたギリシャ人とヴェネツィア人、ジェノヴァ人が、今は彼(か)の人――コンスタンティヌス十一世の威光の前に、こんなにも固く結ばれて「
 これまで、皇帝が戦い続けるという厳しい結論を導き出した理由のひとつには、妻子がいないことが一因になっているのではという疑問を、レオナルドはずっと抱いていた。自分が守らなければならない肉親や妻や特別な存在の近しい人間がいない者たちは、あまりにも潔(いさぎよ)過ぎることが多々ある。
 だが、愛する者たちを守るためには、消極的になる必要もあるし、不名誉なことでも成し遂げねばならない場合もある。そのために自分が何と評価されようとも構わないと割り切るだけの傲慢さすらも、時には必要とされるのだ。
 この国のほとんどの民には、配偶者や親や子がいる。なのにそれを持たない君主は、孤高であるがゆえに、こんな最も厳しい道を選択してしまったのではないのだろうか……と。
 皇帝の人柄が嫌いなわけではない。そのカリスマ性に溢れた人格は、どんな相手でも崇拝者にしてしまうような力があるのは認める。けれど、……けれどそれほど権威に満ちた人物だからこそ、この人は自分がどれほど民に影響を及ぼすのかを、考える義務も重厚なはずだった。だから今まで、コンスタンティヌス十一世の潔さが、レオナルドにはもどかしくもあった。
 ところが今ここにきて、レオナルドは勘違いをしていたのかもしれない――そう思い至った。大きな変化が生じた。その高徳の人は今、民に頭を下げている!
「民よ……」
 皇帝の声が聖堂に響き渡った。
「コンスタンティヌスの子供たちよ、もはや闇が迫りて、獣(けもの)どもがやってくる」
 民衆にざわめきが走った。静まるのを待って、彼は続けた。
「この地から離れ去れ! 天の使いミカエルは、いつの日か必ずや我に、復讐の剣を与えるであろう」
 それはまるで、のしかかっていた重い石が、取り除かれたような勅(みことのり)だった。自尊心の高い皇帝は、彼一人の意志で今までそういう態度をとっていたのではなく、ギリシャ正教の教えを象徴して振る舞っていただけなのだ。
 決して言い訳をしないために、誰もがつい忘れてしまいそうになるのは、このプライドの高い皇帝がローマ皇帝や西欧諸国に頭を下げ、協力を求め続けてきたことだった。西欧と連携して以来、聖ソフィアに礼拝に来なくなっていた頑ななギリシャ正教の聖職者たちが何人も存在するというのに……だ。おそらく皇帝は、上に立つ者でなかったら、最も頑固にギリシャ正教の独立した道を進みたかったであろうに。皇帝は、自分の責任を知っていて、それにふさわしい行いをした。来るべき瞬間が来たら、この地から離れ去れと民に命じたのだ。
 レオナルドは今までこの人が理想の生き方だけを追い続けていると思い込んでいた。だが、それは違っていた。この皇帝は、人民の現実をちゃんと理解している。

 その後、先日天で起こった月の異変――月食による神の怒りを鎮めるために、市民は聖像(イコン)を担いで街中を練り歩いた。この神を讃える行事の最中に、こともあろうか、聖像が台座から滑り落ちると言う事故が起きてしまう。人びとは「神はますますお怒りだ」と落ち込むのだった。
 兵士たちの多くは、最後のミサに出席できなかった。敵の攻撃はなくとも、悲惨な状態になったテオドシウスの壁を、少しでも修復する必要があったからだ。彼らは鐘楼から流れてくる七つの鐘の音を聞いて、働きながら祈り続けた。
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