摩天楼の君主(His Majesty of Manhattan)

H・カザーン

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第1章 ニューヨーク

皇帝という名のオフィス 2

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 ――それにしても、この部屋を訪れる男の人たちは、どうしてこうも支配欲が強いのかしら?

 彼女がそう思ったのは、営業担当のカイルに案内されて現れたクライアントの男性が、打ち合わせのメモを取るリサに、必要以上に視線を留めているのに気づいた時だった。まあそのおかげでとても気難しいはずのこの人は、驚くほどジェレミーの意のままに操られていたのだが。
「……ということで五十年代の雰囲気を出すため、是非ともユベール・ラングロワ氏が今シーズンのファッションショーで使ったのと同じ回転木馬カルーゼルを、撮りたいんだ」
 ディレクターは、熱心に番組の趣旨を説明した。つまり、ドラマの脚本の中にガレット・デ・ロワのプロモーション・ムービーに使われているエピソードを織り込みたい――という話だ。
「ラングロワ氏が許可してくれるかな?」
「ええ問題ありません。コマーシャル映画のシナリオを書いているのは僕ですから、著作権は僕にあるんです」
 ジャン=ピエールはさらりと、自分がデザイナーであるばかりかシナリオ・ライターでもあることを強調する。

 ――ちょ、ちょっと? なぜに? そんな自信たっぷりな目を、わたしに向けるの?

 ◇ ◇ ◇

「ねえ、君みたいに若くて可愛い子が、なんで妻帯者なんかとつき合ってるわけ?」
 ……っ!?
 ――コーヒーを吹きそうになった。
 ジャン=ピエールがリサにいきなり聞いてきたのは、昼食の席だった。デザートを食べながら二人きりになったのを見計らって尋ねられ、思わず顔を赤らめそうになる。なんとか平静を保とうとするも、言葉が出てこない。
 ミーティングの後、クライアントのNBC社員たちを見送り、残りの参加者が昼食をとっているレストランでのできごとだ。

 オフィスビルの一、二階には、かしこまった高級なレストランからバルやカフェまで様ざまな店が入っていた。最近アール・ヌーボーにリニューアルされたエンパイアステート・ビルのロビーは、ベル・エポック当時のニューヨークが戻ってきたような雰囲気がある。ただし生まれ変わったのは、世界恐慌の真っただ中でテナントが入らず、エンプティー(空っぽな)ステート・ビルなどと揶揄された、建設当初の三十年代ではない。経済成長で賑わっている頃の姿だ。
 ニューヨークは今、古き良き時代が新しい。特に第一次世界大戦前のマンハッタンは、凝った装飾のビルが溢れ誰もが胸をときめかせる街だった。上流階級の人間が貴族然としていられた美しきエポックなのだ。
 そんなロビーの雰囲気に合わせたバルで、ジェレミーは今、カイルと一緒にドリンクエリアにコーヒーを取りに行っている。バリスタがハンドドリップしてくれるのを待っており、あと数分はテーブルに帰って来ないはずだ。
「わ、わたしたちおつきあいなんてしてませんけど」
「ふうん、そういうことにしておこうか……、でもなんか外堀から埋められてるって感じだよね」
 ジャン=ピエールはコーヒーを啜ると、カップの中身に満足そうな顔を浮かべて頷いている。
 ――あ、また……ドリンクバーのルイス社長に微笑みかけたりして。
 まるではたから見たら、この人とわたしが仲良く話しているのかと誤解されかねない。
「ま、わかるけど、ね、社長が魅力的に見えるってのは。だけどさぁそうやって女の子が会社の上司に憧れて、自分にふさわしい年齢の男に見向きもしないから世の中……」
 彼のしっとりとしたすみれ色のビロードのような瞳が光る。言っていることは、失礼極まりない。なのに口調は丁寧だ。
「いや、よけいなお世話……かな。で、やっぱり君はこっちで就職するつもりなんだ?」
「はい?」
 ――話が全然つながってないんですけど。
「そ、それが何か?」
「女の子と二人だけで、贅沢な食事にしょっちゅう誘うCEOも、どうかとは思うけど」
「どうしてあなたが、それを?」
 ――知ってるわけ?
「ジェレミーに聞いたんじゃないよ」
 ――アニエス……がしゃべるわけないし……。
「あ、受付の……」
 そういえばさっきここへ来る前に、美人レセプショニストとなんか話していた。
「あのね、一緒に食事をするのは……」
 実習生としてのストラテジーを学ぶためだとジェレミー……ルイス社長は言う。いちおう今のところは、若い女の子に特別なおもてなしをしてるってことになっている。だけど、仮にインターンが男子学生だったら……。
 そう、相手が男だったら、ルイス社長はゲイなんじゃないかって噂が囁かれているだろう。間違いなく!

 けれど二人の間には何もないのだ。
 ――だってジェレミーは……、今朝のことにしても、あんな風に秘密めいた表情で微笑みかけたりしたことなんてないのに……。なのになぜかこの人の前で、わざとわたしと二人だけの隠し事でもあるかのような態度を……とったの。
 リサが彼の名前を検索ボックスにタイプしてみた時も、ジェレミー・D・ルイス氏に関する情報はインターネット上に溢れていて、キャサリンや子供たちと睦まじく過ごす完璧な夫であり父親である姿を、いやというほどリサは見せつけられた。
 だから……要するにダンスや食事はただの自分の勘違いなのだと言い聞かせ、全てを忘れてしまおうとした。なのにその後もリサに対する扱いは冷めるどころか、二人だけの食事の回数は、前より頻繁になった。それに彼女のために選ぶレストランのランクも決して下がることはなかった。

「このままずっと、あの人の犠牲になっても構わないの?」
 ――いったい何を言っているの……この人は?
「よかったら、僕が罠から抜け出させてあげようか?」
「どういう意味……?」
「つまり、そう言う意味だよ」
 こんな人見たことない、リサはそう思った。フランス人のジャン=ピエールが向ける微笑は、ずいぶん大人びている。たぶん彼女は、怒りを示すべきなのだろう。だが、とても意地悪な言葉を投げかけているのに優雅さを漂わせることができる……人。こんなに大人びた雰囲気の溢れる二十代の男性は、アメリカにはいない。

 やがて社長たちがテーブルに戻ってくると、ジャン=ピエールは今までの会話はどこ吹く風という口調でジェレミーに話しかけた。
「さすが発祥の地だけあって、サードウェイブ・コーヒーは濃くてもすっきりしていて飲みやすいですね。シアトル系と違って」
「ふん、ハンドドリップとプレスの味の違いがわかったのは、褒めておこう。ただしここのコーヒーはサードじゃなくて、仕入先やクオリティも管理されているフォースだが」
 社長がそれを知っているということは、レストランに豆を卸しているのはルイス・エンタープライズに違いない。
「ああ、今は四番目の波まで来たんでしたっけ? フランスには、セカンドウェイブすら上陸しなかったみたいですけど」
 それはもちろん謙遜ではなく、ヨーロッパのコーヒー文化はアメリカの波に呑まれず伝統を守ったという皮肉である。
 シアトル系のチェーン店はパリに数軒あるが、アメリカや日本みたいにどこのメトロの駅の近くにも進出するというような現象は起こらなかった。むしろ、社長室にあるコーヒーマシンを販売する店の方が、パリのあちこちで見られる現象が起きた。

 カイルもジャン=ピエールの横柄な態度にびっくりしている。けれど大企業のCEOに対抗するためには、気取った欧風風おうふうかぜを吹かせることは、若輩ジャン=ピエールにとって大きな意味がある行為なのに違いない。ルイス一族だって普通のアメリカ人ではなくて、フランスの貴族の家系だという自尊心を持っているのだから、まあ結局は、そういうヒエラルキーの順番になるのだが……。

「おかげで、とても有意義なプロジェクトになりそうです」
 去り際にジェレミーと握手を交わしたジャン=ピエールの目は、挑戦的な光を帯びて輝いていた。
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