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ドール2
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2祖母の死
弘子は会社を休んでいた。休暇簿には、祖母の具合が悪いので見舞いに帰りたいと書いておいた。しかし、本当は違った。同じ会社の上司、吉田課長が福岡への出張を命じられ、その旅程に合わせて弘子も福岡に行くためだった。
吉田には妻がいた。吉田と妻との仲は冷え切り、いつ別れてもおかしくなかった。しかし、それでも不倫旅行にかわりはない。会社の人たちに知られるわけにはいかなかった。福岡のホテルで二人は別々の部屋をとったが、その晩、弘子は吉田の部屋に泊まりこんでいた。
朝方、ベッドそばのサイドテーブルに置いたバッグの中の携帯がなった。隣にいる吉田は眼を閉じたままで、うるさそうに顔をしかめていた。弘子は手だけを伸ばしてバッグから携帯をつかみだして耳にあてた。
「はい、山本ですが」
「弘子、どこにいるの?」
それは、木村智子からの電話だった。会社の机が隣同士で、五時以降に一緒に飲みにいったりする仲で携帯の電話番号も教えていた。だが、電話をかけてこなければならない用事などないはずであった。
「なに?」
「少し前に田中実子さんという女の人から電話があったわよ」
田中実子は、弘子の母方の叔母にあたる。
「祖母の葬儀の連絡を留守電に入れておいたけど、まだ来てないし、連絡もつかないと言われたわ」
「本当?」
「だいたい、あなた、どこにいるのよ。平田町にいるんじゃないの?」
「レンタカーを借りて帰ってみたんだけど、途中で車が故障してしまって、いま道の駅にいるわ」
「へえ、そうなの?ともかく、早く行ってあげなさいよ」
「わかったわ」
弘子の声が大きくなると、吉田も目を開けていた。
「まずいな。早く行ってやった方がいいな」
吉田の言葉に、思わず弘子は口先を尖らかしていた。だが、今やらなければならない事は、平田町に帰ることでしかなかった。
一時間後、弘子は飛行機にのっていた。ついた空港から、すぐにタクシーにのり急がせた。それでも通夜が行われている家についた時には十時をすぎていた。弘子の声を聞いて玄関先まで迎えにでた母に案内をされて客間に入っていくと、一瞬、ざわつきが途絶えた。
「ごめんなさい。ちょっと社内旅行に行っていたものだから」
弘子は思いついた嘘を声に出していた。それでも、弘子のいいわけで納得をしてくれたのだろう。部屋に集まった親族たちは、ふたたび祖母の思い出話でざわめき出していった。
「まずは、お祖母ちゃんに手をあわせて」
母に促されて、弘子はお棺の前にすわった。手をあわせようとして、数珠を持ってきてないことに気がついた。
「しょうがないわね。これでも使ったら。お祖母ちゃんの形見だよ」
叔母の実子が、仏壇の脇に置かれたケースから水晶の数珠を取り出して弘子に差し出した。だが、あわてた弘子は叔母が手を離す前に数珠を引っ張ってしまっていた。数珠の糸は切れ、百八個の珠はバラバラと音をたてて畳の上をころがっていった。
「あ~あ、これ、形見分けにもらおうと思っていたのに」と叔母は弘子にいやみを言いながら、右手の平の上に数珠の珠を拾い集めていた。
「叔母ちゃん、いいわよ。数珠なしで、手をあわすから」
弘子は、手だけを合わせて、しばらく頭をさげていた。そして、お棺につけられた窓から、祖母の顔をのぞいた。
祖母の顔に薄化粧がほどこされていた。だが、生きていた時の祖母はこんな顔をしてはいない。弘子が知っていたやさしい笑顔は、もうそこにはなかった。
「弘子さん、ちゃんと食べてないんじゃないの?」
叔母の娘、久美子が、弘子に声をかけてきた。久美子に言われて、ここにくるまでの間、何も食べられなかったことを思い出していた。久美子は、弘子と同じ年で、すでに結婚をしていた。久美子が指さした平テーブルの上には、大きな寿司桶に握り鮨が二十貫近く残っていた。
「うん」と言って、弘子は平テーブルの前にすわった。鮨を食べ出した弘子の所に久美子が一升びんを持ってやってきた。
「会社勤めも大変でしょう。いやなことも結構あるよね」と言いながら、久美子は平テーブルの上に置かれていたコップを弘子に持たすとそれに酒をついでくれた。
「そういえば、お祖母ちゃん、毎年のように美吉神社のお守りを送ってくれていたわね。これがあると、なんか守ってもらっている気がしていた。でも、これからは、お守りを送ってもらう事もなくなった」
久美子は財布の中からお守りを出して弘子に見せた。確かに、弘子も祖母からお守りを送ってもらっている。だが、どこに置いたのか、思い出すことができなかった。急速に酔いが回りだしていった。
弘子は会社を休んでいた。休暇簿には、祖母の具合が悪いので見舞いに帰りたいと書いておいた。しかし、本当は違った。同じ会社の上司、吉田課長が福岡への出張を命じられ、その旅程に合わせて弘子も福岡に行くためだった。
吉田には妻がいた。吉田と妻との仲は冷え切り、いつ別れてもおかしくなかった。しかし、それでも不倫旅行にかわりはない。会社の人たちに知られるわけにはいかなかった。福岡のホテルで二人は別々の部屋をとったが、その晩、弘子は吉田の部屋に泊まりこんでいた。
朝方、ベッドそばのサイドテーブルに置いたバッグの中の携帯がなった。隣にいる吉田は眼を閉じたままで、うるさそうに顔をしかめていた。弘子は手だけを伸ばしてバッグから携帯をつかみだして耳にあてた。
「はい、山本ですが」
「弘子、どこにいるの?」
それは、木村智子からの電話だった。会社の机が隣同士で、五時以降に一緒に飲みにいったりする仲で携帯の電話番号も教えていた。だが、電話をかけてこなければならない用事などないはずであった。
「なに?」
「少し前に田中実子さんという女の人から電話があったわよ」
田中実子は、弘子の母方の叔母にあたる。
「祖母の葬儀の連絡を留守電に入れておいたけど、まだ来てないし、連絡もつかないと言われたわ」
「本当?」
「だいたい、あなた、どこにいるのよ。平田町にいるんじゃないの?」
「レンタカーを借りて帰ってみたんだけど、途中で車が故障してしまって、いま道の駅にいるわ」
「へえ、そうなの?ともかく、早く行ってあげなさいよ」
「わかったわ」
弘子の声が大きくなると、吉田も目を開けていた。
「まずいな。早く行ってやった方がいいな」
吉田の言葉に、思わず弘子は口先を尖らかしていた。だが、今やらなければならない事は、平田町に帰ることでしかなかった。
一時間後、弘子は飛行機にのっていた。ついた空港から、すぐにタクシーにのり急がせた。それでも通夜が行われている家についた時には十時をすぎていた。弘子の声を聞いて玄関先まで迎えにでた母に案内をされて客間に入っていくと、一瞬、ざわつきが途絶えた。
「ごめんなさい。ちょっと社内旅行に行っていたものだから」
弘子は思いついた嘘を声に出していた。それでも、弘子のいいわけで納得をしてくれたのだろう。部屋に集まった親族たちは、ふたたび祖母の思い出話でざわめき出していった。
「まずは、お祖母ちゃんに手をあわせて」
母に促されて、弘子はお棺の前にすわった。手をあわせようとして、数珠を持ってきてないことに気がついた。
「しょうがないわね。これでも使ったら。お祖母ちゃんの形見だよ」
叔母の実子が、仏壇の脇に置かれたケースから水晶の数珠を取り出して弘子に差し出した。だが、あわてた弘子は叔母が手を離す前に数珠を引っ張ってしまっていた。数珠の糸は切れ、百八個の珠はバラバラと音をたてて畳の上をころがっていった。
「あ~あ、これ、形見分けにもらおうと思っていたのに」と叔母は弘子にいやみを言いながら、右手の平の上に数珠の珠を拾い集めていた。
「叔母ちゃん、いいわよ。数珠なしで、手をあわすから」
弘子は、手だけを合わせて、しばらく頭をさげていた。そして、お棺につけられた窓から、祖母の顔をのぞいた。
祖母の顔に薄化粧がほどこされていた。だが、生きていた時の祖母はこんな顔をしてはいない。弘子が知っていたやさしい笑顔は、もうそこにはなかった。
「弘子さん、ちゃんと食べてないんじゃないの?」
叔母の娘、久美子が、弘子に声をかけてきた。久美子に言われて、ここにくるまでの間、何も食べられなかったことを思い出していた。久美子は、弘子と同じ年で、すでに結婚をしていた。久美子が指さした平テーブルの上には、大きな寿司桶に握り鮨が二十貫近く残っていた。
「うん」と言って、弘子は平テーブルの前にすわった。鮨を食べ出した弘子の所に久美子が一升びんを持ってやってきた。
「会社勤めも大変でしょう。いやなことも結構あるよね」と言いながら、久美子は平テーブルの上に置かれていたコップを弘子に持たすとそれに酒をついでくれた。
「そういえば、お祖母ちゃん、毎年のように美吉神社のお守りを送ってくれていたわね。これがあると、なんか守ってもらっている気がしていた。でも、これからは、お守りを送ってもらう事もなくなった」
久美子は財布の中からお守りを出して弘子に見せた。確かに、弘子も祖母からお守りを送ってもらっている。だが、どこに置いたのか、思い出すことができなかった。急速に酔いが回りだしていった。
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