風月庵にきてください 開店ガラガラ編

矢野 零時

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7スープ作り

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 月曜日の朝、正夫は店のカウンターにすわり、父が作ってくれた目玉焼きをおかずにして、朝食を食べていた。すると、店の引き戸をたたく音が聞こえてきた。店は十時から開店なので、まだ引き戸の鍵はしめたままだった。もちろん、正夫が朝食をすませて学校に行く時には引き戸を開けて出かけていく。
「はい、なんですか?」と父は言いながら、引き戸の前に立った。
「おじさん、朝早くすいません。少し兄貴たちの話を聞いてやってくれませんか?」
 それは、孝英の声だった。父は少しの間、正夫の方に顔を向けていたが、やがて引き戸の鍵穴に鍵を入れ、戸を開けてやっていた。
「どうぞ」
 孝英の後ろに二人の兄たちが門柱のように立っていた。
「まずは中に入ってください」と言って、父は三人をうながし店の中に入れた。
「ラーメン屋、天龍北銀座通り店をまかされている田中和彦といいます。これは次男で裕次です。こいつは孝英」
 和彦となのった長男は、一番背が高く、顔は母親似なのだろう。あごはほっそりとして、優しそうな顔をしていた。次男の裕次は一番父親に似ているようで、あごはごつく、いかり肩に肉がついていた。孝英は、少し小太りで、体に丸みを帯びている。後で聞いた孝英の話では、孝英は両親にはあまり似ていなくて、祖母とそっくりの体形をしているそうだ。
「孝英くんは正夫の同級生ですから、存じておりますよ。それに、和彦さんも、お店に食べに行ったことがありますので、お顔は存じております」
「お店にきていただいていたんですか。どうもありがとうございます」
 そう言って、和彦は頭をさげていた。
「実は、親父。いえ、父の田中忠行が脳卒中で倒れてしまった」
「お話は、うかがっております。ご家族の方々は大変だったと思っております」と、父は言っていた。和彦は少しの間、口ごもり顔を青くしていた。でも、意を決したように、一気に話し出した。
「大変おはずかしい話ですが、スープ作りを父にまかせっきりしていたものですから、父のような味を作れないんです。俺たちで、がんぱってみたんですが、いまだに再現ができません。昨日、孝英が、ご主人がお作りになったラーメンのスープをもらってきましたので、そのスープを飲ませてもらいました。間違いはありません。父の作ったスープと同じ味でした。どうやってお作りになったのか、教えていただきたいと思って、うかがいました」
「ラーメンのことでソバ屋がかくすことなんかありませんよ。私がわかっていることでしたら、なんでもお教えいたしますよ」
「ほんとうですか、お願いします」
 そう言って和彦が頭をさげると、いっしょになって次男の祐次、そして孝英まで頭をさげていた。
「でも、私は真似をして作っただけですのでね。店におろすような多量のスープにしただけで、味は変わってしまう」
「それは、わかっています。ですから、ご主人にスープ工場にきていただいて、スープの作り方を指導してほしいんです」
 孝英にトクリに入れた父のスープをもたせた時から、正夫には、こうなるかもしれないという予感がしていた。
「私でよければ、お手伝いをさせてもらいますよ」
「お父さん、だいじょうぶ?」と、正夫は思わず声を出していた。たしかに天龍は今が危機かもしれないけれど、まるでお客のこない風月庵の方がもっとあぶないと、正夫は思っていたからだ。父は、正夫の方に顔を向けて、ちょっと笑ってみせた。
「こちらも同じような商売をしておりますので、手伝いをするにしても、数日しかお手伝いはできないかもしれませんよ」
「本当にすいません。それでけっこうです」と、和彦は、また頭をさげていた。正夫は、もっとなんか言わなければと思ったが何も思いつかない。
「正夫、もう学校に行く時間じゃないのかな?」
 父の目は調理場のはしにおかれた置時計の針を見ていた。
「いけね」
 正夫はあわてて、ランドセルをせおうと立ち上がった。
「孝ちゃんは、どうするんだい?」
「ぼくは、もう少し兄貴たちにつきあうよ。だから、学校に行ったら、先生に今日も休むと言っておいて、ほしいんだ」
「わかったよ」
 正夫は引き戸を開け風月庵を飛び出していった。
 



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