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前編
しおりを挟む「にゃあ」
いつもの帰り道、いつもの塀にいつもの野良猫。
「ノラ吉、今夜も元気そうだね」
声をかけると彼はぴょんと飛び降りて私の足にすり寄ってきた。
「なーん」
丸い頭を撫でまわすと、ゴロゴロと喉を鳴らしてまとわりついてくる。
「飼えたらいいのにな」
私のアパートは古くてボロいくせにペット禁止で、金魚ですらダメだと言い渡されている。ペット可の物件に引越す余裕もない。
「お腹すいてる?」
トートバッグから百均で買った猫のカリカリを取り出し、手のひらにあけて差し出す。疑いもせず食べはじめる姿に小さな幸せを感じた。
野良猫にエサなんて良くないことかもしれないが、たまにこうして孤独を分かち合うくらい大目に見てもらいたい。
私に親はいない。
小さい頃、母親が亡くなって父親も逃げた。施設で育ち、高校を卒業すると町の食品工場に就職して独り立ちした。
それから25歳の現在まで、仕事して帰って寝るだけの日々が続いている。
安いお給料でやりくりするのに贅沢はできない。頼れる身内がいないから、いざという時のために貯金しておきたいのだが、切り詰めてもなかなか増えてくれない。
恋人になってくれそうな人もいないし、結婚なんて一生縁がないんじゃないかと思う。
だから猫でも一緒に暮らせたらと夢みてしまうのだ。
「なーん」
手のひらにカリカリがなくなって、ノラ吉が私を見上げて鳴く。
「お腹いっぱいあげられなくてごめんね。また百均で買ってくるから」
頭を撫でると、ノラ吉は目を細めた。
「ノラ吉」
小声で呼びかける。
「今日もいないの?」
周囲を気にしながらカリカリの小袋をふって音を立ててみても、猫は現れない。
ノラ吉を見なくなって1週間になる。
はじめはタイミングが合わないだけかと思ったが、こんなに長く姿を見ないと心配になってくる。
まさかどこかで冷たくなってるんじゃ……気になって仕事帰りに探し回りはじめた。
ノラ吉は野良猫だけど、私にとってはそれだけじゃないのだ。見つけたら今度こそ貯金をはたいてペット可物件に引越し、彼を飼おうと決めた。
「にゃー」
妙な声が耳についた。
ノラ吉を探しはじめて3日目の夜。
「こんばんは」
声をかけてきたのは小太りのおっさんだった。いつもノラ吉がいた塀に座っている。
「やっと会えたにゃ」
あっけに取られていると、おっさんはぴょんと軽やかに地面に降り立ち、私の腹めがけて頭突きしてきた。
「えっなに!?」
変質者……変態……通報……いろんな言葉が頭に浮かんでぐるぐる巡る。だけどとっさに動けなかった。
「おいらノラ吉だよ、おねえさん」
おっさんはとんでもないことを言い出し、まん丸い顔で笑った。
「なに言ってるんですか?」
後ずさりしながらトートバッグを胸に抱きしめてガードする。
「警察呼びますよ」
「あれっ、わかんないの?」
おっさんは小首をかしげて悲しそうな顔をした。
「いつも百均のでごめんねって言いながらカリカリくれてたのに」
確かにその通りだけど……立ち聞きされてたのかもしれない。ノラ吉がおっさんになったなんてありえないし、なりすましで接近を企むにしても設定が荒唐無稽すぎるだろう。
「何が目的か知らないけど、お金なら持ってませんからね!」
私は言うだけ言うとダッシュで逃げ出した。
翌日、おそるおそる塀のところを通ると、猫もおっさんもいなかった。
「なんだったんだろ」
丸顔で手足の短い小太りのおっさんは、言われてみればノラ吉と同じ体型で、むっくりした鼻の下なんか猫っぽい気がしないでもない。
だけど、擬人化なんてゲームやアニメじゃあるまいし、現実にはあるはずないことだ。だいたい、擬人化するならするであれはない。もっとイケメンで現れるとか……いやいや、私なに考えてんだ。
「おねえさん」
立ち止まっていたら、後ろから声をかけられ飛び上がるほどびっくりした。
「驚かせてごめんね」
しょぼんとした声に思わずふり向くと、肩を落としたおっさんが立っていた。
「おいら、急に苦しくなって倒れて、死ぬんなら最後におねえさんに会いたかったなって気絶して、起きたら人間になってたんだ」
「……嘘ですよね?」
「ほんとだよ。人間の中でおねえさんが一番優しかったから、助けてもらおうと思って待ってたんだ」
どう受け止めたらいいんだろう。
見たところ50代か60代、短く刈り込んだ頭髪は白髪まじりだ。こんないい歳のおっさんが、しょうもない作り話をする意味がわからない。
「人間ってなに食べていいのかわかんなくて」
おっさんは情けない顔で私を見る。
ぐーきゅるると、彼の腹が鳴った。
灰色のトレーナーにスウェットパンツをはいた変なおっさん。猫だというなら、この服はいったいどうしたのだ?
「あの……」
この時の私は、きっとどうかしていたに違いない。
「ごはん食べます?」
テーブルに作った料理を並べる。
猫に塩分やネギ類は良くないと知ってるけど、人間の食べ物がいいと言うので、いつも通りのごはんにした。
……いや、猫だと信じたわけじゃないけど!
「美味しそうな匂いがする!」
おっさんは目を輝かせて手を伸ばす。卵焼きをチョイチョイつつきはじめたので、その手をべしっと叩いた。
「なんで?」
叩かれたところをぺろぺろ舐めながら戸惑った顔をするおっさん。
「手でじかに触ったらだめ……っていうか、ほんとに猫なの?」
きょとんと首をかしげたおっさんは、目を細めて私を見た。
「うん、ノラ吉だよ!」
その表情は、たしかにカリカリをねだる時のノラ吉と同じものだった。
「いってらっしゃい」
おっさんに見送られ、いつものように歩いて出勤する。
帰宅する頃には、部屋は窓まできれいに掃除してあって、お風呂もわいている。
「おかえりなさい」
ちんまり座って洗濯物をたたむおっさんは、私の帰宅が嬉しそう。
この自称猫のおっさんは、あの日からうちに住みついてしまった。
つぶらな瞳をうるうるさせ「なんでもするからここに置いて」とペコペコするので、私もつい気の毒になってしまって追い出せなかったのだ。
客用の布団なんてないので、こたつで寝かせているが、妙に満足げである。
「おいら去勢されてるし、もう歳だから外に出たくない」
聞けば、小さい頃は人に飼われていたくせに、ちょっとしたいたずら心で脱走したら帰れなくなったのだという。
「昔すぎて、どんな人だか覚えてないんだよね」
おっさんはてへっと舌を出すけど、元の飼い主が男か女かもわからないなんて、恩知らずにも程がある。
でもまあ、猫なんてそんなもんなのかも。
もちろん、どう見ても人間だし、猫だと信じた訳ではない。だけど、おっさんは工場の同僚たちより裏表がない気がするのだ。
テレビで花火中継を見ては目をまわし、掃除や洗濯を教えれば一生懸命やり、そのくせガスの火が怖いと料理だけはできなかったりする。
嬉しいとにこにこ笑い、びっくりすると飛び上がり、悲しいドラマを見てはわんわん泣く。素の感情丸出しで生きているようで、不覚にも可愛らしく見えてしまう時がある。どうにも憎めないのだ。
「このお魚うまいなあ」
安いオスのシシャモを焼いただけなのに、おっさんは大喜びでむしゃむしゃ食べる。よく似た形の細いイワシを焼いたら変な顔して黙って食べる。
「ごちそうさま!」
まん丸い顔で満足そうに言われると、次は奮発して子持ちシシャモを買ってきてやろうと思ってしまう。
おっさんとの同居に慣れるにつれ、毎日がちょっと楽しいものになっていく。初めての感覚だった。
「ちょっと」
大家さんに呼び止められたのは、おっさんを拾ってまもなく1ヶ月になる頃だった。
「彼氏でも一緒に住んでるの?」
「いえ、とんでもない!」
「隣の人がね、男の声がするって言うのよね」
「は、はぁ……」
冷や汗が出そうになる。
「もし同居人がいるなら申告してもらわないと、なにかあった時困るわ」
「あの、同居ってわけじゃなくて……ち、父が来てて」
とっさに苦しい嘘で誤魔化すと、大家さんは表情をやわらげた。
「あら、お父さんと再会できたの。よかったわね!」
「……はい」
苦しい言い訳だったが、大家さんは信じてくれたようだ。手放しで祝われてしまって、ちょっとうしろめたい。
本当は私を捨てて逃げた父など、顔も名前も知らないし会いたいとも思っていなかった。生きているのかどうかもわからない。いつか迎えに来てくれるかも、なんて期待は施設にいた頃とっくに捨て去っていた。
「ただいま」
部屋に入ると、おっさんがこたつから顔だけ出してこっちを見た。
「おかえりなさい」
なんだか元気がない。
「ごめんね、今日お掃除できなかった」
「どうしたの?」
近寄っておでこに手を当てると熱いような気がした。
「なんか動けなくて」
「風邪ひいたのかな。おかゆにしよっか」
猫舌なおっさんは、たっぷり時間をかけておかゆを平らげ、もぞもぞとこたつにもぐりこんで丸くなった。
「寝るね」
心配だったけど風邪薬の買い置きはなく、猫に飲ませていいかどうかもわからないので、そっとしておくことにした。
久しぶりに自分でわかしたお風呂に入り、起こさないようにそっと出ると、おっさんが私のトートバッグを手に取っていた。
ドキンと心臓が鳴る。
トートバッグには通帳が入っている。知らないおっさんに留守を任せるのに、あんまり無防備でもと思い、念のため持ち歩いていたのだ。
隠れて見ていると、おっさんは通帳を出してじっと眺め、またバッグに戻して元通りのところに置いた。
やっぱり私はだまされて、なけなしの貯金を盗まれるのだろうか――現場を見たのだから、怒って叩き出してやればいいのに声も足も出なかった。
おっさんが怖かったからではない。
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