おっさん拾いました。

奈古七映

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後編

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 翌朝、おっさんがよく寝ているのを確認した私は、起こさないで静かに家を出た。

 財布の中身は減っていないし、通帳も印鑑も盗られてはいなかった。
 それでもあやしい動きを見てしまったからには、なにごともなかったような顔ではいられない。かといって、どんな態度でいたらいいのか……。



 その日の仕事は散々で、朝一で頼まれた在庫確認を忘れて昼休みをつぶしたり、賞味期限スタンプのチェックミスでダンボール箱を数十枚ムダにして、まわりに迷惑をかけてしまった。

「社員がミスしたらパートさんや派遣さんたちに示しがつかないよ」

 主任にもきつく叱られた。
 この工場では、数人の社員が多くの非正規雇用の従業員さんたちのリーダーとなって仕事をまわしている。だから社員がミスすると大変なことになるのだ。



 更衣室のすみで始末書を書いていると、ベテランのパートさんが私の肩をポンと叩いた。

「いつも几帳面な仕事する人が今日はどうしたの? なんかあった?」

 私のせいで残業するはめになったというのに、気遣ってくれているらしい。

「ちょっと、落ち込むことあって……」

 泣きそうなのを必死でこらえると、のどの奥が痛くなってくる。

「迷惑かけてすいませんでした」

 やっとの思いでそれだけ伝えると、パートさんは笑って首をふった。

「こっちがミスした時、よけいな嫌味とか言わないで助けてくれるじゃない。他の社員さんが近くにいたって、みんな問題発生したら、わざわざあなたを捜しに行ってるでしょ。一番信頼できるって、みんな言ってるよ」

 ただ黙々とやってきた仕事を、そんなふうに思ってもらえていたなんて……涙がこぼれてくる。

「元気出して。明日からもよろしくね」

 胸がいっぱいで、頭を下げることしかできなかった。



 帰り道、泣いて少しすっきりした私は、ノラ吉がいつもいた塀のところで立ち止まり、猫の姿がないかキョロキョロして見た。

「やっぱりいないよね」

 通帳に関心がある猫なんかいるわけがない。だから、おっさんは人間に違いない。
 朝は逃げるように出てきてしまったが、きちんと見たことを話し、おっさんの目的をはっきりさせなければいけないと思った。

 施設にいた頃、似たような境遇の子供たちの中で、私は真面目な方だった。
 勉強も頑張ったし、小さい子の世話を手伝ったり掃除も手を抜かないでやっていた。
 なのに、どうしてなのか、私は他の子たちの輪に入れてもらえなかった。意地悪などはされず、挨拶やあたりさわりない会話は交わす。だけど、誰かと悩みを相談しあうとか遊びに出るとかいうことはなかった。

 施設を出てから一度だけ、仲間で集まろうと言われて行ったことがあるが、自分だけ浮いているのを感じていたたまれず、それ以来ずっと欠席している。

 天涯孤独。

 私には友達すらいない。
 だから、簡単におっさんを家に入れてしまったのかもしれない。



「ただいま」

 部屋に入ると灯りが点いていて、テーブルに不格好な白むすびが二個、ラップして置いてあった。
 おっさんの姿はどこにもなかった。





 そして、自称猫が消えてから3ヶ月が過ぎた。

 奇妙な同居はたった1ヶ月にも満たなかったのに、その3倍の月日がたっても、帰宅すれば思わず「ただいま」と言ってしまう。消える前の晩、具合が悪そうだったのも気になって、なかなか頭から離れなかった。
 あの後、銀行で確認したら貯金は無事だった。何度か続けて記帳に行って変化がなかったので、それ以上疑い続けるのも浅ましい気がしてやめた。

「いったいなんだったんだろ」

 まん丸いおっさんの顔を思い浮かべるたび、寂しいような、心配なような、それでいて腹立たしいような、複雑極まりない気持ちになる。

 そういえば名前も知らなかった。ノラ吉だと言い張るから……猫も結局あのまま行方不明なので、どこかで死んでしまったのかなと思うと寂しいし悲しい。でもそれが、おっさんとイコールになることはない。おっさんはおっさん、ノラ吉はノラ吉。擬人化なんてファンタジーは、やっぱりあるわけないのだ。



「子猫いらない?」

 食堂でお弁当を食べていると、パートさんに話しかけられた。以前、ミスした時に励ましてくれた人だ。

「うちの子が5匹も拾ってきちゃって。そんなに飼えないから里親探してるのよ」

 心が動いて断れずにいると、パートさんはスマホの画面を見せた。

「可愛いでしょ?」

 約30秒後、私は子猫を見に行く約束をしていた。



 片手に乗るほど小さい猫たち。
 白黒が2匹、黒が1匹、トラ模様が2匹。

「残したいのはトラと白黒で、もう1匹の白黒も里親が決まってるの」

 パートさんが、もらい手のいない2匹を箱から出した。

 もこもこ動いてじゃれ合う子猫たちは、ちょっと毛がボサボサで、目と耳だけやたら大きく見える。

「たぶんメスだと思う」

 パートさんが指で黒猫の背中をつんつん押すと、とたんに小さな前足をふり上げて応戦のかまえを見せる。私も真似してトラ猫をつつくと、こっちも元気よく猫パンチを繰り出してきた。

「この子たち、もらっていいですか?」

「2匹もいいの?」

 どちらか1匹だけ、というのは可哀想な気がする。

「ちゃんと準備してから迎えにきます」

 いよいよ貯金を使う時が……と思ったら武者震いした。

 帰りの足で大家さんを訪ね、猫を飼いたいから引越すと話した。

「何匹?」

「2匹ですけど」

 大家さんは腕組みしてウーンとうなった。

「実はね、もう古くて新しく入居する人もなかなかいないから、ペットOKにしようかって家族で話してたところなの」

 こんなラッキー展開、嘘みたいだ。

「あなたみたいに若いのに真面目な店子たなこさんには出て行かれたくないのよね」





 猫用品をそろえる資金を引き出しに銀行へ行くと、通帳にありえない残高が記されて戻ってきた。

「ごひゃくま……!」

 声に出しそうになって慌てて口を押さえる。
 記帳された振り込みの日付は2ヶ月前、振り込み元はノラキチと印字してある。

「そんな馬鹿な」

 おっさんが私の通帳をじっと眺めていた姿が脳裏に浮かんでくる。
 ぼう然とする自分の顔が、ATMのミラー部分にうつっていた。丸い輪郭のタヌキに似たむっくりした顔立ち。

「まさか……」

 ふらふらと外へ出て、少しためらったが、心を決めて前を向くことにした。





 育った施設の先生は、待っていたように私を迎えてくれた。

「知らせないでと頼まれたものの、このままでいいのか迷ってたんだよ」

 おっさんと出会った塀を曲がり角の先の門までたどってみたら、真新しい「売家」の看板があった。

「病気で長くないから処分するって聞いた」

 近所の人は、私の顔を見ると理由も聞かず入院先を教えてくれた。

 病院、ケースワーカーさん、不動産屋……あちこち訪ね歩いた末ヘトヘトになってたどり着いたのは、私の住んでいるオンボロアパートだった。





 チャイムを押すと、のんきそうなおっさんが出てきた。

「どちらさん?」

 私の顔を見ると大慌てでドアを閉めようとする。すき間に足をねじ込むと、彼は観念したようにノブから手を離した。

「お久しぶり」

 声をかけると、おっさんはビクビクしながら頭を下げた。

「にゃーん」

 奥から声が聞こえ、目をやると見覚えのある太った猫が見えた。

「ノラ吉!?」

 あ然としてしまった。

「すまないっ」

 おっさんはガバッと這いつくばり、頭を床にすりつけんばかりの勢いで土下座した。

「なにに対して謝ってるの?」

「う、嘘ついたこととか色々……」

「それよりもっと謝るべきことがあるよね?」

 ひゅっと息を呑んだおっさん。私を見上げて目に涙を溜めている。

「2回も捨てて逃げるなんて!」

 おっさんはわっと泣き出してしまった。

「泣きたいのはこっちの方なんだけど」

「すいませんでした」

 ゴンゴンおでこを床に打ちはじめたので、慌てて止めに入る。

「そんなことしなくていいから、説明してよ。お父さんなんでしょ?」

 おっさんは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、その隣でよく似た顔のノラ吉が目を細めて私を見ていた。 





 父は昔、幼い私を施設に預けて失踪した。妻を亡くした失意から、後追いするつもりだったらしい。
 死に場所を求めてさまよったが、結局ホームレスになって何年も過ごし、そのうち病気に倒れて行政のお世話になったという。
 その時やっと娘のことを思い出した。会いに行くにも今のままではダメだと一念発起して、退院すると遠洋漁業の船に乗った。

「お金貯めて小さい家を買った。ようやく迎えに行けると勇んで訪ねたら、就職して施設を出たって聞いて……遅過ぎたんだ」

 おっさん─父はしょんぼりして語った。

「なんで会いに来なかったの?」

「……独りで頑張ってるの見て、今さら現れても困らせるだけかなと」

 それはそうかもしれない。私は父の顔も名前も知らなかったのだから、急に「お父さんだよ」なんて来られても、なにを今さらと受け付けなかっただろう。

「だから陰から見守ろうと思って」

 父が買った家が、私の通勤路にあったのは偶然らしい。ノラ吉は父より先にあの家に住み着いていたのだという。

「病院で聞いたよ。ただの胃潰瘍なのにガンだと思い込んで自宅を処分した患者の噂」

「医者の話を立ち聞きして、勘違いしたんだ」

 父は死を覚悟して家を売り、ノラ吉を知人に預けて入院したのにすぐ退院になった。

「てっきり死が近いから帰されたと……だから少しだけでも一緒に暮らしたくて」

 それでノラ吉になりきって私の部屋に転がり込み、調子が悪くなった時いよいよかと姿を消し、私の口座に持ち金のほとんどを振込んだのだ。

 その後、医者によく諭さとされて勘違いを認めたが、家も金も手放した後だったと……まあ、あきれ返る話だ。

「役所で民生委員を紹介されて、家賃が最安値だからってここに……今はバイトで生計立ててるよ」

 どうにも憎めない……私は甘い人間なのかな。

「売った家、買い戻そうよ」

「えっ?」

「私と暮らそうと思って買ってくれた家なんでしょ?」

 その後わんわん泣き出した父をなだめるのは、とてもめんどくさい作業だったが、心の中はとてもすっきりしていて、嫌だとはちっとも思わなかった。





「ノラ吉、くまこ、とらこ、ごはんだよ」

 太った猫と2匹の子猫に、国産メーカーのカリカリを与える。

「ほら、お父さんも起きて」

 縁側のカーテンを開け放つと、狭い庭に紫陽花が咲いていた。
 むくりと起き上がった父に声をかける。

「朝ごはんできてるよ」

「うん、ありがとう」

 丸い顔が嬉しそうに笑う。ふり返ればそこにも大小3つの丸い顔。

「にゃーん」

 まん丸い顔の大切な家族たち。

「今日も良い日にしようね」

 私はお日様に向かって思いっきり伸びをした。



(おわり)

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感想 1

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みんなの感想(1件)

アリストカ
2019.05.05 アリストカ

転生ものかと思ったら、最後 とっても気持ちよく裏切られました。
楽しいお話、ありがとうございました。

2019.05.09 奈古七映

感想ありがとうございます!
お礼と承認が遅くなってごめんなさいでした( ´>ω<)人

解除

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