御鏡の青き神さまと巫乙女

奈古七映

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5、神さまの妻問い

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 世の中のほとんどの男性に、まったく触れずに日常生活を送ることなんて不可能だ。すれ違う時に肩が触れた程度で見知らぬ相手に罰を当ててしまうなんて、まるで疫病神のようだ。学校どころか、街を歩くことすら普通にできなくなるではないか。

「今までだって……千年以上も時間あったんだから、神社の血筋に生まれた女の子なんか沢山いたはずでしょ。なんでいきなり今になって、あたしを選んだの?」

「生まれ変わりだから」

 神さまはぽつりと言った。

「は……?」

 上目使いに水音を見る目は、どこか悲しそうだった。

「巫乙女は、我のために何度でも生まれ変わって現れる運命さだめにあるのだ。そなたは過去に二度、我に仕えて生を終えたことがある。一度目は洛陽らくようで。二度めは京の都で」

「なにそれ」

 生まれ変わりという理由だけで選ばれたのなら、水音の意志や希望が入る余地などどこにもないということになる。生まれついた時からの運命と言われても、はいそうですかと素直に従えるわけがない。

 それに、水音自身を気に入ったというのならともかく、そんな理由で選ばれたことが何だか悔しい。かつて仕えてくれた女の面影を求められるなど、水音にとっては屈辱でしかない。

「あたし、そんなの知らない。やってらんない!」

 水音は鏡を持つ手から力を抜いた。

「待て!」

 月冴が阻止しようと動いたが、それより早く神さまが鏡ごと水音を抱きしめていた。

「やだ! 放して!」
「最後まで話を聞いてもくれぬのか」
「話なんか聞いたってどうにもなんない。あたしは嫌だって言ってるのに」

 水音はもがいたが、神さまの腕の力は優しいのに強く、とても逃れられそうになかった。

「お母さん」

 涙目で助けを求めると、手を伸ばしかけた母を父が抑えた。

「ダメだ、運命から逃げることは水音のためにならない」
「お父さん!」
「叔父さんの言う通りだ、水音。受け入れろ」

 月冴は真剣な顔をしていた。祖父や伯父もうなずいている。

「何よ、みんなで寄ってたかって……あたしに神社の犠牲になれっていうの!?」

「違う。そうじゃない」

 月冴はまっすぐ神さまを見て質問した。

巫乙女かんなぎおとめは神妻として仕えるべき存在。それを拒んだら、生きる価値なしとして死を賜ってしまう。違いますか?」

 不穏な内容に驚いた水音が神さまを見上げると、さっきよりずっと悲しそうな顔をしていた。

「初めの巫乙女は天寿をまっとうした。次の巫乙女は戸惑い悩んだ。神の妻になるには覚悟がいるのだろうと、そう思ったから待っていたのに、いかずちに撃たれて……取り返しのつかぬことをした。我がそれを知っていれば、あのように若くして死なせることなど決してせぬものを」

「知らなかったの?」

「物知らずな神であることが恥ずかしい。我には、ままならぬことが多いのだ」

 弱気な発言を聞いて、祖父が慌てた。

「格の高い神さまほど制約が多いものですぞ! それをお助けするために私ども神職がおるのです。何を恥じることがありましょうや」

 神さまは少しだけ微笑んで、短く礼を述べた。

「頼もしく思う」

 穏やかだが、どこか弱々しく寂しげな表情をしている。

「巫乙女の思いは聞き入れてやれない。そのように我を嫌って拒むのを、無理に縛り付けるのは心苦しいのだが」 

 神さまはきれいな青い目で水音の視線をとらえる。

「そなたを失いたくない」

 大きなオーラが揺れている。
 まるで青い炎に包まれているようで、水音は体がカーッと熱くなってくるのを感じた。内側から何か、感じたことのない感情がこみ上げてくる。

 神さまの腕に抱かれ、至近距離から見つめられ、手を離せば消えてしまうはずなのに頼もしくて、高まる鼓動で胸が苦しい。

「いつか、こんなことがあったような気が……」

 水音は既視感に戸惑った。


「席を外そう」

 宮司が立ち上がる。

「そうだな」

 祖父も続いて立ち上がり、水音の両親もうなずいた。

「学校のことやなんかは後で相談しよう」
「お父さん……」
「大丈夫、心配ない。みんなで考えれば何かいい知恵が出るさ」

 安心させようとしてか、父親は笑顔でそう言って部屋を出て行った。

「俺たちは水音に長生きして欲しいと思ってる。できたら幸せな形でな」

 月冴も力強く言い残して行く。


 やがて廊下の奥に気配が遠のき、神さまと二人きりの部屋に静寂が広がる。

 水音は緊張から身を固くしていたが、鏡を持つ手にはしっかり力を込めていた。

「みなと、と申すのだな」

 神さまは抱擁ほうようを解き、片方の手で水音の頬に触れた。生身の人間と同じように温かい手だった。

「我が妻となり、ともに居てくれぬか?」

 優しく見つめられ、水音はどきどきしてしまう。それでも、神さまが求めているのは巫乙女という存在であって、水音個人ではないと思うと……なぜか気分が悪くなってくる。

「じ、時間を下さい」
 
水音は神さまの目をしっかり見て言った。

「あたしには付き合っている人がいます。今日、彼は私にちょっと触れただけで大怪我したの。これ以上迷惑かけられないし、別れるしかない。でもまだ彼と付き合ってる状態だから、今すぐ神さまに返事できないです」

「好きな男がおるのか?」

「まだそこまでじゃ……」

 恵太の生真面目な顔が浮かび、水音の心に罪悪感が広がる。
 彼に好きと言われて素直にうれしかった。誠実そうな雰囲気に好感を持ったから付き合ったのだが、何が何でも別れたくないと思えるほどではない。好意はあっても、まだ恋愛にはなっていなかった。

「すまぬ」

 神さまは目を伏せてしまった。

「人の世で暮らす幸せは、あきらめてもらわねばならぬかも……」

「そんな顔しないで下さい」

 水音は神さまが悲しそうな顔をするたびに、どういうわけか胸が痛み、とても切ない気持ちになるのだった。

「このまま流されて決めるのは嫌なんです。受け入れるしかないとしても……生まれる前から決まってた運命だとしても、最後は自分で決めたい」

「わかった」

 神さまはにっこりと美しい顔をほころばせた。

「水音が心を決めるまで待とう。そう長くは無理だが」
「ありがとう、神さま」

 水音は両手に持った鏡をぎゅっと抱きしめた。


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