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渾身
「……変な人ではないと思いたいのですが……」
シァルを見ているだけで心拍数は激増、呼吸は荒くなり、目はうるみ、つないだ手を死んでも離したくないので変質者かもしれない。
首を洗いたくなったセィムに、ユリは笑った。
『シァルが連れてきた人は初めてだよ。だいじょうぶ。どうぞ入って』
扉の鍵が開く音がした。
シァルが手をひいてくれる。
広やかな玄関は吹きぬけになっていた。
長身のシァルにあわせてなのだろうか、天井が高い。
明かりとりの窓が大きく開けられ、射しこむ夕陽の茜にきらめいた。
廊下も広く、扉がいくつも並んでいる。
奢侈な装飾はひとつもなく、真白な石で造られた邸は、清廉ですさまじく強いシァルそのものな気がした。
きっとシァルのために、建てられた家だ。
大きな邸宅は、不思議な魔道具の光に満ちていた。
あちこちに魔石が輝き、魔力がゆらめくように立ちのぼる。
『人間を入れると、シァルに夜這いしたり、性的な意味で襲いかかったりで大変なんだ。だからこの邸は、ぜんぶ魔道具で管理してるんだよ。僕が作って、調整してる』
玄関にも魔石が飾られてあって、そこに映ったもしゃもしゃユリから声がする。
「すごいです!」
拍手するセィムに、ユリは照れくさそうに笑った。
面白くなさそうに眉をあげたシァルが、セィムの手を引く。
「ありがとう、ユリ。また」
『はいはい、お邪魔しましたー』
笑ったユリが手を振って、セィムも不遜かと思いながらあわてて手を振った。
「ありがとうございました!」
魔石の光が消えると、ユリの映像も掻き消える。シァルの瞳のような空色の魔石が、何事もなかったかのようにたたずんだ。
「おいで、セィム」
シァルが手をひいてくれる。
うっとり見あげたセィムは、唇をひらく。
「はい」
いつも常にセィムの返事は『はい』
決まっている。
螺旋の階段をのぼり、広大な邸の最奥に位置するのが、シァルの部屋だという。
シァルが扉を開けてくれる。
開け放たれた窓から、春風にのって新緑の香が吹きこんだ。
白い天蓋の揺れる大きな寝台が鎮座しているのを見ないように目をそらした。
シァルが、あそこで眠っている。
想像するだけで、頬が熱い。
「楽にして。お茶を淹れるよ」
シァルの言葉に、目を剥いた。
「そんなもったいない! わたくしが!」
あわてて振り向いたセィムは、あまりに近いシァルのかんばせに息をのむ。
家のものを初対面の人に勝手にさわられるのは、抵抗があるかもしれない。しかし英傑にお茶を淹れてもらうだなんて、ありえない……!
逡巡したセィムは、そっと口をひらく。
「もし、おいやでなければ、わたくしが」
空の瞳をほそめて、シァルは微笑んだ。
「じゃあお願いしようかな。茶器はそこ。茶葉はこれ。水はここ。魔道具で沸くから」
示された白磁は、花が浮き彫りになっていた。
たぶん、目が飛びでるほど、高価な茶器だと思われる。
ぷるぷるふるえる指で、セィムは丁寧に頭をさげる。
「かしこまりました」
セィムの担当は窓口だが、ずっと座っていればいいというものではなく、暇だろうと断定され雑多な事務をこれでもかと押しつけられるし、視察に来られる宰相閣下や来賓にお茶を淹れたりするのも業務のうちだ。
お茶がおいしく淹れられるかどうかで、カィザ選王国の印象が決まってしまうこともある。特に豪商の納税のときには気を遣う。
その鍛えあげた渾身の腕で、セィムは丁寧に、丁寧にお茶を淹れた。
「どうぞ、シァルさま」
茶器をおく指は微かにふるえたが、陶器が音をたてる失敗は免れた。これも日ごろの鍛錬の成果だろう。
ほ、と息をついたセィムの前で
「ありがとう」
微笑んだシァルのくちびるが、白磁にふれた。
救国の英傑、憧れの遠い存在だったシァルが、自分の淹れたお茶を飲んでくれるという事実に、全身のうぶげが逆立った。
今まで感じたことのない愉悦が、セィムの背を駆けあがる。
シァルの空の瞳が見開かれた。
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