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そのさき
しおりを挟む「せっかく来たから、人間の暮らしを見学してくか。
ここが畑。作物を植えて、これは麦か? この部分を食うんだ」
教えてくれるアライアの指が緑の草をつまみ、僕に、むぎを見せてくれる。
「くー?」
首をかしげる僕に、アライアはうなずいた。
「食ったら出る。さっきの厠の下が肥溜めになってて、発酵させた排泄物を畑にまくんだ。そしたら豊かに作物が実る。
耕して、世話して、食って、出して、まいて、って回ってるわけだ」
ふふんと胸をそらして得意そうに教えてくれるアライアに、リィフェルの切れ長の瞳が大きく見開かれた。
「まく!? さらに、食う──!?」
仰け反ったリィフェルが、ぷるぷるしてる。
僕もいっしょに、ぷるぷるした。
親子ぷるぷるに、アライアがお腹を抱えて笑ってる。
「ほら、あんな感じ」
肥溜めから、ものすごい匂いのするのを桶に汲んだ人間が、はたけという耕したところに、まいてる──!
泣きそうなリィフェルと一緒に、僕も涙目だ。
「そんで、あっちが食う」
数人の人間が集まって、楽しそうに笑いながら、何かを口に入れていた。
もぐもぐしてる。
「くー」
「そうそう。で、食ったものが腹を通って消化されて、尻から出るんだ。出したらまた肥やしになって、畑にまく」
「うぅ……」
気もちわるくなったらしいリィフェルに、僕は決して食べないことを心に誓う。
「精霊界の果物なら吸収されるから、出ねえと思うぞ。ノォナに言って、食ってみよう」
涙目で首をふる僕に、アライアは胸を叩く。
「だーいじょうぶだって! な、リィフェル!」
「あ、ああ。トェルが排泄しても、畑にまいて更に食べても、トェルは私の愛息だ」
微笑んでくれるリィフェルの顔色が、真っ白だ。
「くー、や!」
ぶんぶん首をふる僕を、リィフェルの腕が抱きしめる。
「だ、だいじょうぶだ! 今のはちょっと、戸惑っただけだ!」
月のひかりがパチパチしてるリィフェルに、アライアがお腹を抱えて、ぷるぷるしてる。
緑の麦が、陽のひかりにきらめいた。
楽しげな笑い声と、微かに響く歌と、汗と血と死と麦の匂いをのせた風が僕の髪を揺らした。
生きるはずだった、しぬはずだった世界だ。
なつかしく思う気持ちも、帰りたいと願う気持ちも、何にもなかった。
生まれてすぐ殺された世界に未練がないのとは、ちがう気がした。
しぬところを救ってくれた、だからリィフェルを大切に思うのも、ちがう気がした。
リィフェルがお義父さんになってくれたから、家族だから大すきなのも、ちがう気がする。
僕には、おとうさんが、すべてだ。
ずっと、ずっと、傍にいたくて、いつか、お役に立ちたくて、きらわれるくらいなら、しねばいいと願ってしまうほど。
それはあまやかに、狂おしく僕の喉を絞める何かだ。
僕の鼓動を駆けさせ、頬を火照らせる、何かだ。
知ってはいけない気がした。
知りたくてたまらない気もした。
「おとーた」
呼びかけたら、振り向いてくれる。
手をつないだら、にぎり返してくれる。
真っ暗な髪をなでて、笑ってくれる。
それ以上を、望んではいけない気がした。
……それいじょう……?
知ってはいけないその先を
求めてはいけないその先を
どうしてだろう、僕はもう、知っている気がする。
1,010
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