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セバ
しおりを挟む「きみの名は、セバにしよう。精霊の言葉で『忠誠』
執事に多い名なんだ。よい主にお仕えできますように」
ふわふわの白髭につつまれた孤児院長が、やさしいしわの手で、名づけてくれた。
生まれてすぐ孤児院に投げ棄てられ、誰が親かも分からぬ平民の孤児が、よい主になど仕えられるわけがない。
院長の願望は『セバ』名乗るたび、呼ばれるたび、セバを潰した。
どこにでもいる蘇芳の髪と蘇芳の目だが、頭はわるくなかったと思う。一度聞いたことは覚えたし、孤児院に寄贈された文字を憶える本を読み込み、書くこともできるようになった。
「セバは賢いなあ」
「さすがセバ!」
「いい名をもらったな」
肩を叩かれるたび、鼻白む。
孤児は、どこまで行っても孤児だ。
身寄りがない、後ろ盾もない、親もない。親族だってひとりもいない。
学もない、金もない、礼儀作法もない。
こんなに何もなかったらさぞ身軽だろうと思うのに、なさすぎて首が絞まる。
「将来、何になりたい?」
聞かれるたび、ため息が漏れた。
ドディア帝国の孤児の将来は、職人になれたら最優秀賞だ。使用人や下働きになれたら優秀賞、日雇い労働者になれたら頑張ったで賞、浮浪者になったら、まだまともで賞、ごろつきや悪事を働く者に堕ちたら、よくあるで賞、執事だなんて夢のまた夢だ。
最優秀賞の職人になるには、手先が器用で才覚があり、さらに人から可愛がってもらえるという特殊能力までなければ難しい。師匠に仕事を教えてもらい、推薦状まで貰って他の職人のもとに修行に出て、最低三年は頑張り技術を認められて初めて職人となれる。
ひとりで食べていくことができる夢の職だが、縁故の全くない孤児には遥かな高望み、だからこそ最優秀賞だ。
現実的に実現可能な目標を夢と定義するセバの将来の夢は、使用人だ。
頑張ったら達成できる希望があるかもしれない優秀賞なら、懸命に背伸びしたら手が届くかもしれない。
「がんばって、みよう」
自分を救うのは、自分だ。
セバは勉強した。
孤児院に寄贈された本は難しいものもすべて読破したし、院長が街に買い物に行ったり、街のえらい人に会いに行くときには率先して荷物持ちを請け負った。
商人の振る舞い、品物の相場、えらい人に対する礼儀作法、言葉遣い、腰を折る角度を見て学ぶ。
「セバはとても優秀だね」
白髭を揺らし微笑んで頭をなでてくれる皺の手は、やさしかった。
『セバ』名づけた院長を憎らしく思っていたのは確かだけれど、セバの頭を撫でてくれるのは、セバと手を繋いでくれるのは、ロヌ院長だけだった。
孤児院の本を読破してしまったセバのために新たな本を選び買い求め、セバを連れて歩いてくれるのは、ロヌだ。
「……いつも、ありがとう」
ちいさな声は、聞こえただろうか。
しわの目じりで笑って、セバの手を握ってくれた。
でもロヌは皆の院長で、セバはたくさんいる孤児のうちのひとりでしかない。皆の頭を撫で、皆を褒め、皆を導くロヌのぬくもりを、とても大切におもう自分が、恥ずかしかった。
皆の親代わりになるロヌが小児性愛者や悪辣な人売りでなかったことは、セバと孤児皆のさいわいだった。
孤児院がドディア帝国の筆頭侯爵ジェディス家領にあったからこそ、皆が清潔に餓えることなく暮らせ、院長になる人が厳正に審査されていると知ったのは、次期侯爵がこの冬のはじまりに視察に訪れると聞いたときだ。
「しさつ?」
「えらい人が、見に来るんだって!」
「じき、こーしゃ?」
孤児院に寄贈された『国を支える人々』の本には、貴族の序列が書かれていた。しっかり覚えたから、次期侯爵がえらい人なのはわかる。でもどれほどえらいのか、8歳のセバには体感としてよく解らなかった。
天のうえの世界の人々は、皆空のうえで、あまり違いが理解できない。
清貧を貴ぶ質素な木造の孤児院は、いつも皆が綺麗に掃除しているのでぴかぴかだ。それでも次期侯爵がいらっしゃるからと、更に皆で磨きあげる。
皆でお湯と石鹸を使って身体を洗い、よく洗濯した服を着て、ロヌ院長と一緒に次期侯爵の馬車を迎えた。
ギンギンギラギラの馬車が来ると思っていたセバは、装飾を削ぎ落とした真白な馬車に瞬いた。
「さあ皆、門の前に並ぼうね」
ロヌの言葉に一番後ろに並ぼうとしたセバは、皆に最前列に押しだされた。
現侯爵はおじいちゃんで、次期侯爵はおじちゃんだろう。
お腹も顎もだるんだるんの、宝飾でギンギラの人がよれよれ降りてくるのを想像していたセバは、開かれた扉の向こうに息をのむ。
月の髪が、初冬のひかりに、たゆとうように流れた。透きとおる蒼の瞳が、長い月の睫の向こうでけぶるようにひらめく。
すらりと長い手足を、細い腰を彩るように、真白な衣がひるがえる。
「出迎え、ありがとう。ゲォルグ・ディオ・ジェディスだ」
青年の唇が、ほのかに弧をえがく。
吐息が、止まった。
恋が、降った。
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