悪役令嬢は等身大な恋がしたい

都築みつる

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秋の課題編

第十七話 ソニアとの再会

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 ソニア嬢からお茶の誘いの手紙が来たのは、課題提出の三日後のことだった。

 彼女らしい薄い桃色の封筒には、小さなハートの紙切れが何枚か入っていて、便箋を取り出すとはらはらと机の上に舞った。

 ふわりと優しい香りがする。ハートの欠片を一枚手に取って匂いを嗅ぐと、それは金木犀のコロンのようだった。

 思わずふふふと笑いが漏れる。これは彼女からの暗号だ。私たちのお気に入りの小説である『恋人たち』に出てくる一節。「秋になって金木犀の香りがすると、貴女を思い出す」に掛けているのだ。

 こんなにも心躍る手紙をもらったのは初めてで、読む前から胸がときめいてしまう。

 逸る気持ちで便箋を開くと、丸みを帯びた可愛らしい文字が目に飛び込んできた。

 -------------------------

 拝啓 アメリア・サリバン様

 ここ数日でますます寒さが増してきましたが、いかがお過ごしですか。私はすでにひざ掛けが手放せなくなっています。

 先日はとても素敵な時間をありがとうございました。もしアメリア様さえよろしければ、ぜひまたお茶をご一緒しませんか。先日お話しした本も、その時にお渡ししたいです。

 本当なら我が家へご招待すべきところなのですが、サリバン様のお屋敷とは比べ物にならない小さな家で恥ずかしいので、またあの図書館前のカフェでお会いするのはどうでしょう? 

 ご都合のいい日を教えていただければ幸いです。

 P.S. 今週のおすすめのタルトはかぼちゃだそうですよ!

 ソニア・チェイサー

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 手紙を二度読み返して、そっと机に置く。なんて可愛いのかしら。

 楽しそうに手紙を書くソニア嬢を想像するだけで、ここ数日の鬱々とした気分が飛んでいくような気がした。

「嬉しいお知らせでしたか?」

 口元を綻ばせた私を見て、傍らに控えていたアンナが尋ねてくる。

「そうね。とても素敵なお手紙だったわ」

 アンナは私の返事にほっとしたような笑顔を見せた。

 あの日コレットに言い負かされて以降、情けないことにずっとふさぎ込んでしまって、アンナにもずいぶんと心配されていたのだ。

「お返事を書くから、文箱を持ってきてくれる?」
「かしこまりました」

 アンナが部屋を出ていくと、私はもう一度手紙に視線を落とした。その中の一文に目を留める。

 本当なら我が家へご招待したいのですが――

 よかった。もし本当にチェイサー邸へ招待されようものなら、丁重にお断りをしなきゃいけなかったわ。

 だってもし彼に会ってしまったら、どんな顔したらいいのかわからないもの。

 あの日の、触れそうなほどに近い距離を思い出すだけで顔が熱くなる。浮かんできたチェイサーの顔をかき消すように頭を振った。

(もう考えるのはやめよう)

 決してコレットに言われたからではない。

 ただ、私はこの感情に名前を付けるのが怖かった。どう考えても報われない、この気持ちを認める勇気がない。

 そう、今ならまだ引き返せる――。

「アメリア様、文箱をお持ちしました」
「ありがとう、じゃあさっそくお返事を書かなくちゃね」

 背後から聞こえたアンナの声に振り返り、綺麗に笑ってみせた。




 * * *




「アメリア様!」

 国立図書館の門の前で、大きく手を振るソニア嬢が見えた。軽く手を振り返すと、足を速めてその場へ向かう。

「ごめんなさい。お待たせしてしまったかしら」
「いいえ、私もちょうど今来たばかりです」

 相変わらずの小動物のような愛らしさで、ソニア嬢は笑顔を零す。

 外はもう木枯らしと表現してもいいほどの寒さだったので、私たちはさっそくカフェに入り暖を取った。

 席に着いて注文を終えるなり、ソニア嬢は抱えていた本を私に向かって差し出してきた。

「これが以前お話ししたおすすめの本です。ぜひ読んでみてください」

 それを受け取り、遠慮がちな視線を返す。

「本当にお借りしてよろしいの?」
「ええ! 私はもう何度も読んで、そらんじられるくらいですから!」
「あら、じゃあテストしてみようかしら」
「あっ、ごめんなさい、暗記してるっていうのは言い過ぎでした」

 ぱらりとページを繰ると、ソニア嬢は慌てて両手を振った。

 くすくす笑いながら運ばれてきたミルクティーに手を伸ばす。じんわりした温かさが指先に伝わってきた。

「アメリア様ってミルクティーお好きなんですか? 前にも頼んでいらっしゃいましたよね」
「ええ、そうね……」

 ソニア嬢の質問に、少し間を置く。

 ミルクティーを好きな理由は、今まで誰にも話したことがなかった。

「……笑わないでくださる?」
「もちろんです!」

 躊躇ためらう私を見て、ソニア嬢は真剣な顔でうなづいた。私は声をひそめてそっとささやいた。

「幼いころ読んだ絵本で小人が飲んでいたミルクティーがとっても美味しそうで、それでよく母にねだって入れてもらったんです。それ以来、ずっと好きで……」

 話しているうちに恥ずかしくなってきてしまい、最後は消え入るような声になってしまった。

 俯いたままの私にソニア嬢は声を振るわせた。

「……っ! アメリア様可愛いっ」
「か、かわっ!?」

 慣れない言葉にぎょっとして目を見開く。

 ソニア嬢はうんうんとうなづき、ほうっとため息をついた。

「こんなに大人っぽくてお綺麗なのに、お話しするととっても純真なんですもの」
「そんなこと初めて言われましたわ」
「ええっ、本当ですか? 学園の皆様はどこに目がついてるんですかね?」

 大げさに驚いてみせるソニア嬢とは反対に、私は肩を落とした。

「学園では私は嫌われ者ですから。チェイサー様から聞いていませんか?」
「いいえ、ちっとも。兄がアメリア様を悪く言ったことなんてありません」

 本当だろうか。それともソニア嬢なりの気遣いなのだろうか。くるりとした瞳を見つめ返しても、その真意は分からないままだった。

 その時、彼女が思い切ったように口を開いた。

「あの、アメリア様。差し支えなければ、兄を名前で呼んでいただけませんか? 私もチェイサーなので、なんだかややこしくて」
「え?」

 突然の提案に唖然とする。

 私が彼を名前で呼ぶ? ふと、当り前のように彼の名前を呼んでいたコレットの顔が思い浮かび、つきりと胸が痛んだ。

 表情を曇らせた私を覗き込み、ソニア嬢が心配そうな声を出す。

「もしかして、兄の名前をご存じないですか?」
「いえ、それは存じてますわ。ア、アルバート様、でしょう?」

 声が上ずってしまって慌てて咳払いをする。

 たった一度口にしただけなのに、気持ちがそわそわと落ち着かない。やっぱり彼を名前で呼ぶなんてとても私には無理そうだわ。

 しかし、断りの文句を述べるよりも先に、ソニア嬢が嬉しそうに笑った。

「そうです。あと、できれば私のこともソニアと呼んでいただきたいんです」

 期待に満ちた目で見つめられて、私は言葉を失ってしまった。

 彼女の名前を気軽に呼べることは嬉しい。でもそれは、チェイサーを名前で呼ぶことが条件なのだろう。

 片方だけを名前呼びすることは許されない空気が流れていた。

「わかりました。ではソニアと二人でいる時は、アルバート様とお呼びしますわ」

 仕方なく了承すると、ソニアはぱあっと瞳を輝かせた。その顔に思わずこちらも頬が緩む。

 本当に彼女は私の気持ちをほぐす達人だ。

「ソニアは人を喜ばせるのがお上手ね」
「そうですか?」
「ええ、この間いただいたお手紙もとっても素敵だったもの」
「よかった! 本当は、本物の金木犀のお花を入れたかったんですけど、さすがに季節が終わってしまっていたので」

 一気にまくし立てたあと、ソニアは安心したかのようにほっとため息をついた。

「女性にお手紙を書くことって滅多になかったので緊張したんですけど、喜んでいただけたのなら嬉しいです」

 女性には手紙を書かないってことは、男性には書いてるのかしら。

 などとうっかり下世話な想像をしてしまって反省する。ところがその一瞬の表情を見逃さず、ソニアは私に向かって口を尖らせた。

「あちこちの男性にお手紙を送っているわけじゃないんですよ? 婚約者にだけです」

 ……何ですって? あまりにもさらっと言うので、思わず自分の耳を疑った。

「もう婚約者がいらっしゃるの? 知らなかったわ」
「あまり公にはしていないので」

 目を丸くして尋ねる私にソニアはにこりと笑う。目の前の彼女と婚約という言葉がうまく結びつかなくて、ぼんやりと彼女を見遣った。

 百年前ならいざ知らず、今どきはあまり早いうちから婚約者を決めることはほぼない。

 女性も学問を学ぶようになってきて、早すぎる結婚に異を唱える風潮になってきたからだ。

 さらには国の情勢も比較的安定していることから、祖父母の時代に比べて私たちはゆっくりと結婚相手を選ぶようになってきている。生まれる前から婚約者がいるなんていうのは、一昔前の話なのだ。

 もちろん、今でも幼少期に婚約者が決まる場合もあるが、それは王族の相手だとか、何か特別な事情がある場合だけで、少なくとも学園に通っている生徒にはそのような人物はいなかった。

「どなたと婚約なさってるのか聞いてもいいかしら?」
「ニコラス・シェルト様です」

 ソニアは何でもないように答えた。

 シェルト子爵のご長男か。お話したことはないけれど、とても温厚な方だと聞いたことがある。

 とりあえず、ソニアのお相手が悪評のある方ではないことに胸をなでおろした。

「ニコラスさまと言うと、もうすぐ爵位をお継ぎになる方よね」
「ええ、彼は一番上の兄の友人で、私も昔から可愛がっていただいているんです。来年には挙式する予定なんですよ」
「えっ!」
「そういう事情もあって、私は学園に通っていないんです」

 途中退学になっちゃいますから、とソニアは苦笑する。

「私はとても幸せ者なんです。昔からよく知っている、憧れの方と結婚できるんですから」

 そう言いながらも少し寂しそうに見えるのは気のせいなのかしら。

 きっと私なんかには分からない、彼女なりの葛藤があるのかもしれない。

 二つも年下の子が、来年結婚する。その事実は思った以上に私に衝撃を与えた。私たちは、もうなのだ。

 学園を卒業するまではと考えるのを避けていたけれど、いずれ家柄の合う相手を見つけて婚姻を結ばなくてはいけない。

 目の前のソニアは、すでにそれを受け入れて気持ちの準備を始めている。彼女を可愛い妹のように思っていたけれど、私よりずっと大人なのだと感じた。

「幸せになってね」

 そう声をかけると、ソニアはとても美しくにこりと笑った。

「結婚したら、ずっと王都で過ごすわけにもいかなくなるんですよね。もちろん、社交の時期には来ますけど。だから、今のうちにたくさんお会いしたいです」
「ええ、もちろん」

 ほほ笑みを返しながら、私は自分の結婚が決まったら彼女のように美しく笑えるかしらと頭の片隅で考えた。



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