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黒い羊はダイヤモンドの夢を見るか
金の南瓜亭
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ロビンは、ウォルトとはまた別の国の、騎士家系の三男坊だ。
尚武の気風の濃いその家に育った彼は、怠け者ではなかった。むしろ日々鍛錬に励んだと言っていい。
だが、その努力が実ることはなかった。騎士として必要とされるスキルはほとんど身につかなかった。
父と兄たちは、拷問じみた特訓を強いた後で、芽の出ないロビンをあっさりと見捨てた。影の薄い母親は、末子をかばわなかった。
彼は『黒い羊』だったのだ。
そうして、わずかばかりの金を持たされて家を追い出されたロビンは、冒険者になる道を選んだ。
故郷を離れ、日銭を稼いでは次の街に移る。そんな暮らしを続けるうち、ロビンは少しばかりの剣術など、パーティーに加えてもらうためには役立たないことに、気付かざるを得なかった。
冒険者ギルドでは、パーティーにあぶれた駆け出したちのために、日雇い仕事を斡旋している。
その日、ロビンもギルドから荷運びの仕事を受けていた。荷馬車から降ろした積荷を料理店の通用口から運び入れようとして、足元がふらついた。
荷物ごと転倒する――その予想は実現しなかった。誰かに力強く支えられたからだ。
「おい、坊主。大丈夫か」
へたり込んだロビンを顔つきも体つきも厳つい男が見下ろしていた。
――僕よりこの人の方が、よっぽど冒険者らしいな。
「だ、大丈夫です。すぐに運びます」
「そんなへばった顔して何言ってんだ、いいからこっち来い」
強引に店内に引き込まれた。
説教で済めば良いが、ギルドに苦情を申し立てられるかもしれない。失態に青くなるロビンを尻目に、男は至って気楽な様子だった。
「おーい、ニーナ!大盛りにしてやってくれ」
「はーい!」
白い清潔なエプロンを着けた少女が、湯気の立つ食事をトレイに載せて運んできた。
何しろここ数日、売れ残りをもらった酸っぱくてむやみに固い黒パンだけでしのいできたのだ。ふうわりと良い匂いのする湯気に鼻をくすぐられれば、抵抗のしようもなかった。我を忘れてむさぼった。
「良い食いっぷりだな」
「よっぽどお腹減ってたんだね」
腹がくちくなると、周りを見る余裕が戻ってくる。感心しきった二人――店主とその娘の表情に、ロビンは赤面した。
「あ、あの、代金は?」
「いいよ、賄いだから気にしないで」
「おうよ。仕事の続きは腹が落ち着いてからで良いさ。どんな仕事でも駆け出しが一番しんどいもんだ。頑張れよ、坊主」
それをきっかけに、時々その料理店――『金の南瓜亭』で、雑用をこなすかわりに賄いを食べさせてもらうようになった。
ニーナとその両親は、いつ見ても仲が良かった。店主――パオロは、見た目こそ厳ついが、気性の穏やかな男で、妻と娘に優しかった。その妻、アンナは明るくてきぱきしていて、夫や娘と冗談を言いあっては、笑いあう。ニーナは二人を慕って、信頼しきっているのがよく分かった。
「ニーナはご両親と仲が良くて、いいね」
手伝いを終えて賄いを口に運びながら、ロビンは溜息をついた。
自分の親兄弟とは比べ物にならない。あれは『家族』とよべるものではなかった。
ロビンと同い年のニーナには、どこか人を安心させるところがある。それに誘われるように、胸に澱んでいたものを、ついはき出してしまった。
家に暴君として君臨する父親。自我があるかもあやしい亡霊のような母親。父親の悪いところの引き写しのような兄たち。彼らに追従してロビンを馬鹿にする周囲の人間。
文字通り血反吐を吐くような訓練をしても、それに応えてはくれない身体――。
「あ……ごめん。こんな愚痴なんか聞かせちゃって」
「ううん。見て、これ」
ニーナの差し出した手には、数え切れないほどの傷があった。
「私ね、お父さんみたいな料理人になりたかったの。それでがむしゃらに修行したんだけど。
……でも、絶望的にぶきっちょでね。指が落ちる前にやめとけって、止められたんだ」
少女のロビンのそれより細く小さな手の、ここそこに残る切り傷、火傷の跡は古いものと比較的新しいものが混じっている。
「やるだけやって、無理なら仕方ないよね。だったらできることをやろうって、そう思って。
お店のためにできることだったら、もっといろいろあるもの。
……だからね、ロビンにもできること、ロビンにしかできないこと、きっと他にあると思うんだ」
そう言うと、ニーナは照れたように笑った。
「なんか、偉そうなこと言っちゃって、ごめんね。
ほら、これあげるから、元気出して」
「にんじんは君が嫌いなだけだろ」
ロビンは小さく笑って、野菜を口に放り込んだ。
ロビンは確かに、骨身を惜しまず鍛錬に励んだ。だがそれは、自分の居場所が欲しい一心だった。父や騎士に憧れてああなりたいと望んだことなど一度も無い。
ニーナは自分と違って、父親を尊敬している。純粋な憧れで伸ばした手が届かなかったとき、ニーナはどんな思いをしただろうか。
でも、断念した夢を語る彼女の声に、悔しさはなかった。とっくに昇華して、前を向いているのだ。
――僕にもできること、僕にしかできないこと、か。
尚武の気風の濃いその家に育った彼は、怠け者ではなかった。むしろ日々鍛錬に励んだと言っていい。
だが、その努力が実ることはなかった。騎士として必要とされるスキルはほとんど身につかなかった。
父と兄たちは、拷問じみた特訓を強いた後で、芽の出ないロビンをあっさりと見捨てた。影の薄い母親は、末子をかばわなかった。
彼は『黒い羊』だったのだ。
そうして、わずかばかりの金を持たされて家を追い出されたロビンは、冒険者になる道を選んだ。
故郷を離れ、日銭を稼いでは次の街に移る。そんな暮らしを続けるうち、ロビンは少しばかりの剣術など、パーティーに加えてもらうためには役立たないことに、気付かざるを得なかった。
冒険者ギルドでは、パーティーにあぶれた駆け出したちのために、日雇い仕事を斡旋している。
その日、ロビンもギルドから荷運びの仕事を受けていた。荷馬車から降ろした積荷を料理店の通用口から運び入れようとして、足元がふらついた。
荷物ごと転倒する――その予想は実現しなかった。誰かに力強く支えられたからだ。
「おい、坊主。大丈夫か」
へたり込んだロビンを顔つきも体つきも厳つい男が見下ろしていた。
――僕よりこの人の方が、よっぽど冒険者らしいな。
「だ、大丈夫です。すぐに運びます」
「そんなへばった顔して何言ってんだ、いいからこっち来い」
強引に店内に引き込まれた。
説教で済めば良いが、ギルドに苦情を申し立てられるかもしれない。失態に青くなるロビンを尻目に、男は至って気楽な様子だった。
「おーい、ニーナ!大盛りにしてやってくれ」
「はーい!」
白い清潔なエプロンを着けた少女が、湯気の立つ食事をトレイに載せて運んできた。
何しろここ数日、売れ残りをもらった酸っぱくてむやみに固い黒パンだけでしのいできたのだ。ふうわりと良い匂いのする湯気に鼻をくすぐられれば、抵抗のしようもなかった。我を忘れてむさぼった。
「良い食いっぷりだな」
「よっぽどお腹減ってたんだね」
腹がくちくなると、周りを見る余裕が戻ってくる。感心しきった二人――店主とその娘の表情に、ロビンは赤面した。
「あ、あの、代金は?」
「いいよ、賄いだから気にしないで」
「おうよ。仕事の続きは腹が落ち着いてからで良いさ。どんな仕事でも駆け出しが一番しんどいもんだ。頑張れよ、坊主」
それをきっかけに、時々その料理店――『金の南瓜亭』で、雑用をこなすかわりに賄いを食べさせてもらうようになった。
ニーナとその両親は、いつ見ても仲が良かった。店主――パオロは、見た目こそ厳ついが、気性の穏やかな男で、妻と娘に優しかった。その妻、アンナは明るくてきぱきしていて、夫や娘と冗談を言いあっては、笑いあう。ニーナは二人を慕って、信頼しきっているのがよく分かった。
「ニーナはご両親と仲が良くて、いいね」
手伝いを終えて賄いを口に運びながら、ロビンは溜息をついた。
自分の親兄弟とは比べ物にならない。あれは『家族』とよべるものではなかった。
ロビンと同い年のニーナには、どこか人を安心させるところがある。それに誘われるように、胸に澱んでいたものを、ついはき出してしまった。
家に暴君として君臨する父親。自我があるかもあやしい亡霊のような母親。父親の悪いところの引き写しのような兄たち。彼らに追従してロビンを馬鹿にする周囲の人間。
文字通り血反吐を吐くような訓練をしても、それに応えてはくれない身体――。
「あ……ごめん。こんな愚痴なんか聞かせちゃって」
「ううん。見て、これ」
ニーナの差し出した手には、数え切れないほどの傷があった。
「私ね、お父さんみたいな料理人になりたかったの。それでがむしゃらに修行したんだけど。
……でも、絶望的にぶきっちょでね。指が落ちる前にやめとけって、止められたんだ」
少女のロビンのそれより細く小さな手の、ここそこに残る切り傷、火傷の跡は古いものと比較的新しいものが混じっている。
「やるだけやって、無理なら仕方ないよね。だったらできることをやろうって、そう思って。
お店のためにできることだったら、もっといろいろあるもの。
……だからね、ロビンにもできること、ロビンにしかできないこと、きっと他にあると思うんだ」
そう言うと、ニーナは照れたように笑った。
「なんか、偉そうなこと言っちゃって、ごめんね。
ほら、これあげるから、元気出して」
「にんじんは君が嫌いなだけだろ」
ロビンは小さく笑って、野菜を口に放り込んだ。
ロビンは確かに、骨身を惜しまず鍛錬に励んだ。だがそれは、自分の居場所が欲しい一心だった。父や騎士に憧れてああなりたいと望んだことなど一度も無い。
ニーナは自分と違って、父親を尊敬している。純粋な憧れで伸ばした手が届かなかったとき、ニーナはどんな思いをしただろうか。
でも、断念した夢を語る彼女の声に、悔しさはなかった。とっくに昇華して、前を向いているのだ。
――僕にもできること、僕にしかできないこと、か。
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