灰かぶり姫の落とした靴は

佐竹りふれ

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1. 灰かぶり姫の憂鬱

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 小さな頃から不思議に思っていた。
 シンデレラはどうして片方の靴だけ残して去っていったのだろう、と。
 どうせなら両方とも置いて行ってしまったら良かったのに、と。
 だって、片方だけ靴を履いたままじゃあ走りづらいし、結局のところ、靴が足の大きさにピッタリだったことが決め手となったわけでしょう?
 なら、靴なんてどっちも置いていってしまえば良かったのに。片方だけ、なんて面倒なことしなくても良かったじゃない。

「ねぇ、彩可あやかもそう思わない?」

 幼馴染で親友の彩可との久々の休日ランチ。私は不意に、幼い頃からの疑問を舌に乗せてみた。何の気なしに同意を求めてみたところ、返ってきたのは盛大すぎるため息だった。

「あのさ、そんな話よりも先に、早く注文決めてくれないかな?」

 苛立ちを隠すつもりもない彩可の声音に、私は拗ねた表情でメニューへと視線を移す。

 今日のランチは、彩可がずっと来てみたかったというパスタ屋さん。イチオシは、まるで映画に出てきそうな大きくてゴロゴロとしたミートボールが乗ったパスタ。メニューにドドンと写真付きで大きく掲載されたそれは、確かに食欲と興味をそそる。だけれども、今日の私の気分はなぜかペペロンチーノで。
 オススメのパスタと気分のパスタ。どちらも捨てがたい。
 こんな時は……。
 期待を込めてちらり、と彩可を見上げる。

「嫌だからね」

 お願いを口にだす前にぴしゃり、と言い放たれる。親友はやはり容赦がない。

「まだ何も言ってないじゃん!」

 憤慨してそう言っても、彩可はどこ吹く風だ。

「どうせ違う種類のパスタ頼んで半分ずつシェアしよう、とか言うつもりでしょ? 私はここのミートボールパスタが食べたくて食べたくて、ずーっと狙ってたんだから! 1人前ぐらい食べさせてよ!」
「……ケチ!」

 イーッと歯を見せながら自分でも子供じみていると感じる捨て台詞を放ち、私はメニューに顔を埋めた。
 ミートボールパスタか、ペペロンチーノか。
 ミートボールか、ペペロンチーノか。
 ……うーん。

 さんざん迷った挙げ句、自分の意思で決めることを放棄して、私はスマートフォンを取り出した。
 そうしておもむろに開いたのは、ルーレットアプリ。このアプリは、私にとってはなくてはならない生活必需品だ。迷ったときにはいつも、このアプリに決めてもらう。
 ルーレットが指し示した結果を、そのまま店員さんに向かって繰り返す。

「ペペロンチーノお待たせしました」

 数分後、目の前にお皿を置いてくれた店員さんに笑顔でお礼を言いながら、私はフォークを手に取った。

茉里まりさあ、いい加減そのアプリに頼るのやめたら?」

 くるくると器用に麺をフォークに巻き付けながら、彩可は言った。

「え?」

 親友からの思ってもみなかった指摘に、私は反射的に疑問符を投げ返した。

「茉里の優柔不断なところは、良いところでもあるけどさ、いつまでも全部アプリに決めてもらうわけにはいかないでしょ?」

 何気ないように聞こえる彩可の提案に、思わずフォークを握る手にグッと力が籠ってしまう。
 彼女の指摘はもっともだ。いつまでもアプリに頼るわけにはいけない。
 もう少しで30歳。いい大人なんだから、自分で物事を決めていかないと。頭ではそう分かっていても、その一歩を踏み出すことができない。
 自分で決めることへの恐怖心を、抑えられない。

「そうだね」

 作り笑いと共に紡いだ肯定の言葉は、どこまでも空虚で。彩可の表情は明らかに納得していなかった。それでも、彼女は笑ってこの話題を受け流してくれた。
 長年を共にしてきた仲だからこそ、できることだ。
 私は心のなかでそっと彩可に感謝した。

「そういえば、彩可は最近、わたるくんとどうなの?」

 話を逸らそうと、何気ないように訊ねる。
 彩可の彼氏である亘くんの話をするのは、いつものことだ。それなのに、親友が珍しく瞬時に顔を赤らめたのを見て、これは事件だ、と私は思わず前のめりになる。

「……実はさ、そろそろじゃないかと思ってるんだよね、次の展開」

 そろり、そろりと言葉を漏らす彩可に、私は仕草だけで続きを促した。

「その、この間うっかり見ちゃったんだよね、ホテルのディナーの予約メール。日付が、次の私たちの記念日でさ」
「え、それもうプロポーズ確定じゃん!」
「まだ! まだ確定はしてないけど、もしかしたら、そういうこともあるのかなって」

 照れながら話す彩可を、これでもかと盛り立てる。
 彩可と彼氏は大学生の頃からの付き合いで、付き合い始めてから10年近く経っている。
 そんな2人がようやくゴールインするなんて。親友に迫り来る幸せな将来の足音が嬉しいのに、どこかちょっぴり切なくも感じる。

「いいなぁ」

 パスタをフォークに絡めながらポツリ、と呟いた言葉はしっかりと彩可の耳にも届いていたらしい。顔を上げて視線を寄越されて、私は戸惑ってしまった。

「茉里は? 過去の出来事はもう時効だし、そろそろ新しい恋してもいいんじゃない?」

 彩可の気を使ったような言葉に、ほんの少し胸がざわつく。

「……新しい恋、ねぇ」

 笑ってごまかして、パスタに意識を集中させているふりをしながら、彩可の視線を避ける。
 一途に愛を育んできた親友の視線ほど、辛いものはない。
 だって、私は……。

「ほら、明後日から新しい部署に配属でしょ? そこで新しい出会いがあったりするかもよ?」

 努めて明るく話そうとしてくれる彩可に、私は曖昧な微笑みを返した。
 彩可が善意でこんな話をしてくれているってことは分かっている。
 日々を一緒に歩んでくれる人が隣にいてくれる。そんな幸せを当たり前のように浴びている彼女だからこその思いも、分かっている。
 それでも、親友の当たり前が自分にとっても当たり前のこと、とは限らない。

「新しい部署って言っても、前の部署で関わりがあった人たちばっかりだから」

 答えながら、モヤモヤとした影が心の周りを彷徨くのを感じた。

「あ、じゃあさ、茉里が前に、雰囲気が格好良いって言ってた、確か、き」
「そういうの、もう大丈夫だから!」

 構わず話を続けようとする彩可に、私は思わず語気を荒げてしまった。
 ごめん、と申し訳なさそうにする彩可に対して、反対に申し訳ないと思いつつも、私は続ける言葉を見つけられなかった。
 自分の傷に触れられそうになると反射的に退けようとする、そんな防衛本能が働いてしまった。ただそれだけなのに。

 長年の仲がなせる技だろう。私たちの間に漂う気まずい空気は、自然とパスタを食べ終わる頃には消えていた。
 それでも、モヤモヤは私の心に引っ掛かったままだった。

*************************

「急で申し訳ないんだけどさ、中谷さん今夜空いてたりする?」

 ある日の朝、私は唐突に先輩である仁科さんから声をかけられた。新しい部署に移動して、早くも1ヶ月が過ぎようとしていた

「特に予定はないですけど……?」

 疑問符つきで答える私に、仁科さんはニヤリ、と笑った。かと思えば、いきなり顔の前で両手を合わせ、頭を小さく下げた。

「お願い! 今夜の食事会に参加してもらえないかな? 急に何人か来られなくなっちゃったんだけど、もうお店予約済みで……」

 ちらり、と片目だけ開けて私の様子をうかがう先輩相手に、私が仕方なく頷いた。すると、彼女は安心したように微笑んだ。

「ありがとう! じゃあ今夜、よろしくね!」

 それだけ言うと、あっさりと小走りで駆けていく背中を尻目に、私はこっそりとため息をついた。
 仁科さんと私は、決して特別親しいわけではない。そんな私なんかに食事会へ出て欲しい、とわざわざ頼んできたのだ。よほど人数が足りなくて困っていたのだろう。
 そんな考えが瞬時に浮かんで、どうしても断れなかった。
 正直、複数人でワイワイと食事するような場は苦手だけれども、頷いてしまったのだから仕方がない。
 気が重いな、などと思いながら私はトイレの個室でそっと頭を抱えた。

「そーいえば、今日の合コンの最後の女子1人、決まったの?」

 ヒールの音と共に耳に入ってきた声に、私は思わず息を潜めた。このタイミングで私の噂話だなんて、ベタなタイミングだな。というか、食事会って合コンだったんだ。どこか冷静な脳みそがそうつぶやいた。

「うん。中谷さんにお願いしたら、来てくれるって」

 仁科さんの声がそう答えた途端、質問主は驚いたような声を出した。声から察するに、きっと人事の五十嵐さんだ。彼女は、噂好きで有名だ。

「でもさ、中谷さんって」
「悪いのは、人数管理もまともにできないくせに、あろうことか当日にドタキャンして逃げ出した幹事。男女の人数間違えてたとか、ありえないでしょ。あんな同期のヘマから、中谷さんは私を救ってくれたの。感謝しなきゃでしょ。……彼女の噂がどうであれ、ね」

 有無をも言わせないような仁科さんの言葉に、何か言いたげな声を漏らした五十嵐さんも、ついには何も言わなかった。
 どうやら手を洗うだけで用事を済ませたらしい2人は、ほどなくしてヒールの音を響かせながらトイレを後にした。
 2人の遠ざかっていく靴音を聴きながら、私は押し殺していた息をフーッと吐き出すと、そのまま無気力に天井を見上げた。

 噂がどうであれ。

 噂、かぁ。

 どれだけ悔いても、どれだけ恥じていても、過去の誤った選択は亡霊のように付きまとう。
 どこにいても、どこに行っても、それは私の心に棲み付いていて、逃れられない。
 どこか遠くを見つめながら、私はそっと自分の額に手を当てた。これから会議に出席しないといけないのに、この個室から離れたくないな、なんてバカなことを考えながら。
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