灰かぶり姫の落とした靴は

佐竹りふれ

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21. 白の空間

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 仕事を終えると、私はすぐさま皓人さんの家へと直行した。
 本当ならば、事前に連絡してから来るべきだった。でも、もしも拒絶されたら。そう考えたら怖くて連絡できなかった。
 そして、家の前で、インターフォンを押すべきか否かを指が迷いに迷って、早10分が経過した。一体自分は何をしているのか。ため息をつきながらその場で項垂れる。もはや、自分でも自分の行動が理解できない。

 もう、来ちゃったわけだから、押すしかないよね。
 内心の葛藤を押さえ込みながら、私はゆっくりとインターフォンに指を伸ばした。ボタンをグッと押した途端、頭の中を後悔が駆け巡る。

 ガチャリ、と内側から開かれた扉の向こうから現れたのは、皓人さんではなく、見知らぬ若い女性だった。
 真っ黒なショートヘアが似合う彼女は、大学生ぐらいに見える。

「どちら様ですか?」

 言い慣れた台詞のようにその言葉を口にのせる彼女の口ぶりに、それはこっちの台詞だと言い返したかった。なのに、言い返せなかった。

「えっと……」

 モゴモゴと口ごもりながら、私は自分の足元を見つめる。
 どうしてこんなにも、見知らぬ年下の女性に押されてしまっているんだろうか。

「えっと、私は」

 何と言えば良いのだろう?
 私は皓人さんの彼女? 恋人? 最近寝た相手?
 そもそも、あなたは誰? 皓人さんとはどういう関係なの?
 頭の中を様々な疑問符が飛び交う。もう、グチャグチャだ。

「外池さん、誰だった?」

 彼女の背後から聞こえた耳馴染みの良い声に、なんだか無性に泣きたくなった。なんだか自分が惨めで、泣きたくなった。
 彼の声を聞いてほっとしてしまった自分に、泣きたくなった。

「えっと、若い女性なんですけど、どなたかまだ分からなくて」

 戸惑うショートヘアの彼女の背後から、ニョイ、と皓人さんの顔が現れる。

「あれ、茉里ちゃんじゃん。どうしたの? 取りあえず、上がって」

 笑顔の皓人さんは無邪気に私を手招いた。昨日の電話での会話なんてまるでなかったかのような言動に面食らいつつも、私は素直に彼の手招きに従って玄関に上がる。
 戸惑ったように私を見つめる外池さんと呼ばれた女性を、私も見つめ返す。かわいい、という形容詞がぴったりだ。皓人さんと並ぶと身長差も相まって、小動物のようなかわいらしさを発揮する。
 ざわつく胸の内を悟られないように、私は皓人さんの顔へと視線を移した。

「外池さん、こちらは茉里ちゃん」

 皓人さんは手で示しながら、私を紹介する。

「茉里ちゃんが来た時は、いつでも通しちゃって大丈夫だから。次から覚えておいて」

 やっぱり、ここでも恋人として紹介してくれるわけじゃないんだな。
 密かに気持ちが沈んだ。
 
 外池さんは皓人さんの言葉に静かに頷くと、まだ戸惑った表情のまま私に小さく一礼して小走りに作業エリアへと戻っていった。

「外池さんは、うちにインターンで来てもらってる子なんだ」

 彼女の背中を指差しながら、皓人さんは言った。
 作業場では、彼女を含んだ複数の人々が忙しなく働いている。ここが皓人さんの家というだけではなく、仕事場でもあることをはじめて実感した。
 つまり、今の私は、仕事場に突然押し掛けてきたことになるわけで。
 それって、ただの迷惑な女じゃないか。そっと、心のなかで自分の行動を呪った。私、本当に何やってるんだろう。

「今日来るって連絡もらってたっけ?」

 いつも通りの優しい声音で皓人さんは私に訊ねる。なんてことないみたいに、私を真っ直ぐに見つめる彼の瞳を見つめ返す勇気がでなくて。私はそっと俯いた。

「ううん、勝手に来ただけ」

 答えながら、皓人さんの背後で忙しなく動き回る人々の空気に、圧倒されて萎縮してしまう。
 今、この場において自分が異物であることをひしひしと痛感させられる。
 こんなにも自分の存在を惨めに感じたのは、いつ以来だろうか。古傷がぱっくりと開いたように、心がヒリつく。

「ごめん。仕事の邪魔だよね。私、帰るね」

 後退る私の手首を、皓人さんは優しく掴んだ。思わず彼の顔を見上げてしまう。ふわり、と微笑む皓人さんを見ても、心は晴れない。

「茉里ちゃんは、邪魔なんかじゃないよ。いつだって邪魔なんかじゃないから」

 まるで子供にでも言い聞かせるみたいに、皓人さんは言う。その瞳の奥から滲みでる真剣さが、私の心を優しく撫でる。

「作業終わったらすぐ行くから、それまで上で待っててもらってもいいかな?」

 そう言って皓人さんはいつもみたいに小首を傾げる。この仕草をされてしまったら、首を振ることなんてできない。私は、ただ無言で頷いた。
 それだけで、皓人さんは花が咲いたみたいに笑顔を見せる。その無邪気な表情に、今抱えているモヤモヤなんてすべて忘れ去ってしまいたくなる。

「じゃあ、待ってて。自分の家みたいに自由に寛いでていいから」

 言いながら、まだ掴んだままだった私の手首を皓人さんは優しく引っ張った。唐突に詰められた距離に戸惑っていると、ふわりと頬に手が添えられて、そのまま優しい口づけが1つ、降ってくる。

「すぐ行くから」

 耳元に彼の吐息を感じたと思えば、すぐにそっと背中を押されて。気づけば私はゆっくりと階段を登っていた。いつもは無人の作業場で、複数の人々が忙しなく動き回っている。そして、その中心にいるのは、皓人さんだ。見慣れない光景は、私の瞳には奇妙に映った。

 不意に、外池さんの姿が視界に入り込んだ。皓人さんと会話するその姿は、あくまでもプロフェッショナルな仕事人だ。2人はただの仕事上の関係。分かっているのに、彼女を警戒してしまう自分がいる。ただの仕事上の関係であったとしても、それ以上の感情を抱いてしまうのがいかに容易か、知っているからだろうか。
 醜い感情が、心の中でゆっくりと角を生やす。
 嫉妬心を抱くなんて、一体いつぶりだろうか。再会したくなかった感情を心の奥底に押し込みつつ、私は階段を上りきった。

 真っ直ぐと向かったミニダイニングの椅子に腰掛け、すっと息を吐く。
 なんだか、なにひとつ上手くいかない。ただただ空回りを続ける自分が滑稽で、憐れで。涙ではなく笑いが漏れてしまうほどに、惨めだった。
 皓人さんと一緒にいたい。初めて会ったあの夜から、まるで直感のように抱きはじめたその気持ちは、抱くべきではなかったものなのだろうか。

 だるい心を引きずりながら、キッチンへと足を運ぶ。冷蔵庫の扉を開ければ相変わらずほとんど中身はないのに、飲み物のバリエーションだけは充実している。
 1つ1つのパッケージを眺めていると、不意に青汁の隣に並べられたパインジュースで視線が止まった。パインジュースなんてレストランやバーでは見かけることはあるものの、一般家庭の冷蔵庫にあるなんて、なんだか珍しいような気がする。
 好奇心から思わず手を伸ばしながら、その隣のオレンジジュースが視界にちらつく。

 パインジュースか、オレンジジュースか。

 悩みながら、今日菊地さんと食べたソフトクリームが頭のなかで漠然と思い出された。
 菊地さんが食べていた、ミックスソフト。そういえば、世の中にはミックスジュースなるものがあるわけで。必ずしも1つの果物を選ぶ必要はない、だなんて考えが芽生える。
 私は深く考えることなく、パインジュースとオレンジジュースの両方を冷蔵庫から取り出した。

 さあ、グラスに注ごう、と思ったところで、グラスがどこにあるのか知らないことに気が付いた。そういえばグラスはいつも皓人さんが出してくれていたから、しまい場所なんて気にしたことがなかった。恐らく備え付けの戸棚のどこかだろうけど、などと考えながら、その扉に手をのばす。
 最初に目が合ったのは、たこ焼き器。その奥に見えるあの独特の形は、おそらくタジン鍋。本当に持ってたんだ。心のなかでクスリと笑いながら、そっと扉を閉めた。初めてここへ来たときに食べたパエリアの鍋は、見当たらない。滅多に使うものではないから、きっとどこか奥の方へとしまったのだろう。

 隣の扉を開けば、グラスがいくつか並べられていた。前に使ったことのあるグラスの手前に、見慣れない新しそうなグラスが置かれている。花弁のたくさんある花の模様のような柄が入った、きれいなグラスだ。イタリアで購入したのだろうか。そんなことを思いながら、その奥にあるグラスへと手を伸ばした。

 手に取ったグラスへ、冷蔵庫から出しておいたパインジュースとオレンジジュースを同じ量になるように注いで混ぜてみる。色は、悪くないし、匂いも、良い感じだ。
 私はそっと、華やかな色のその液体を口の中に流し込んだ。
 不味くはない。不味くはないけれども、なんとなく何かが物足りなく感じがした。一体何が足りないのだろうか? 思案しながら、再び冷蔵庫の扉を開けた。

 グラスを片手に、私はダイニングに戻る。何気なく、後ろのソファの上に置かれた袋へと視線が落ちていく。よく見ると、袋の上部には付箋のようなものが貼られていて。人の荷物を勝手に見るのはよくないと分かっていても、思わずそこに書かれた文字を凝視してしまった。

「まりちゃん」

 皓人さんの人柄を連想させる柔らかいその文字に、私はドギマギしてしまう。どうして私の名前が? そう疑問に思った瞬間、背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「お待たせ!」

 いつもの笑顔を見せながら階段を駆け上がってきた皓人さんの笑顔に、私は自然と微笑み返した。
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