灰かぶり姫の落とした靴は

佐竹りふれ

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72. 白との会話

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 ゴクリ、と唾を飲み込む。
 目の前には、もう2度と来ることがないと思っていた、皓人さんの……スタジオのインターフォンがある。結局、私はこの場所に戻って来てしまった。
 
 菊地さんが部屋を後にしてから、ひとしきり泣いた。
 泣いて、とにかく泣いて、それでも、心と頭のモヤモヤは晴れなかった。
 一番知りたかった何かを、結局知ることができなかったから。
 そして、その答えを持っているのは……皓人さんだと気づいた。

 気づいてからは、もう一直線だった。部屋を飛び出して電車に飛び乗って、無我夢中でここまでやって来た。やって来てから、足が止まった。
 我に返った、というべきなのだろうか。
 インターフォンを押すべきか否か、玄関の前で20分近く頭を悩ませている。

 迷っていても、仕方がない。

 私は意を決して、目の前のボタンを押した。
 ガチャリ、と開かれた扉から出てきたのは、皓人さんではなく外池さんで。彼女の顔を見るなり、思わず息を吐き出してしまい、自分がそれまで呼吸を忘れていたことに気づいた。
 私の顔を見るなり、外池さんは「あ」と小さな声を上げて、慌てて皓人さんを呼ぶ。そのまま私を建物の中に手招きする彼女の容姿に、苦笑いを漏らした。これまで私がもやもやとした複雑な感情を抱いていた相手からは、私に対しての警戒心だとかそういった感情は一切感じ取れない。

「そんなに慌てて、何?」

 あからさまに機嫌の悪そうな皓人さんは、珍しく眉間に深い皺を刻みながら現れた。その様子は、絵に描いたような気難しい上司のそれで、2人が完全にビジネスな関係であることを私はようやく理解した。今さら理解したところで、何がある、というわけではないけれども。
 
 私を視界にとらえた瞬間、皓人さんの顔色が変わった。
 最初に顔に広がった感情は、驚き、そしてすぐに心配の色が浮かぶ。そこでようやく、自分が今、よっぽどひどい顔をしているであろうことに気づいた。あれだけ泣いたのだ、目が晴れていて当然だ。

「悪いんだけどさ、2人で大事な話をしたいからどっか外に出ててもらえる?」

 そう皓人さんが言うが早いか、外池さんはどこからともなく鞄とコートを手に取って、そそくさとスタジオを後にした。完全なる沈黙が私たち2人だけの空間に広がったのを合図に、皓人さんは私の元へと一歩ずつ近寄ってくる。
 そっと、私の頬に彼の白い手が触れる。
 そのままゆっくりと、彼は私の目の下をなぞった。

「泣いた?」

 ただ一言。
 たった一言。
 それだけで、私の心に張り詰めていた何かが、緩まる。
 
 小さく一度頷けば、彼はそのまま私を抱き寄せる。
 理由を聞かずに、抱き寄せる。
 もう2度と、彼の腕の中で過ごすことはないだろう、と思っていた。それなのに、こうやって久々に彼のぬくもりを感じて、私はなぜか安心してしまった。
 菊地さんとは違う、安心感。
 いつの間にか、彼の腰に腕を回していた私は、そのまましばらく彼の胸元に顔をうずめた。

「菊地さんと、話した」

 ぽつり、と私は言葉を紡ぐ。
 皓人さんが小さく鼻を鳴らして、相槌を打つ。これだけ近い距離にいなかったら、絶対に聞き逃していたに違いない、微かな音だった。

「今度は、皓人さんの番だよ」

 私の言葉に、彼がわずかに頭を動かしたのを感じる。きっと、頷いたのだろう。
 私たちはどちらからともなく、互いにそっと離れると、まるでずっと前から決まっていたかのように、ゆっくりと階段を上り始めた。

「あたたかいコーヒーでも飲む?」

 いつものテーブルにつくなり、皓人さんは問いかける。

「ミルクティーは?」

 当たり前のように私が問いかけると、彼は笑いながら頷いた。
 元カレの家に突然押しかけて、我が物顔でダイニングに居座り、飲み物のリクエストまでするなんて、いつから私はこんなに図太くなったんだろう。自分の変化に、自分でも驚く。それが良いことなのか悪いことなのかは、分からない。
 湯気の出るマグカップを両手に持った皓人さんは、テーブルにそれを置くと、自分の椅子に座る。まるで空白期間がなかったみたいに、付き合っていたころの私たちの距離感だ。
 大きな違いは、私たちは今、話をしようとしているということだろう。
 付き合っている間には、しようとはしなかったことだ。

「玄也からは、何の話を聞いたの?」

 自分のマグカップを口元に運びながら、皓人さんは問いかける。

「高校の頃からの、2人の馴れ初めとか」

 聞かれたことに答えただけなのに、皓人さんは興味なさそうに「ふーん」と答えただけで、遠くを見つめる。彼らしいとは思いつつも、わずかないら立ちが私を襲う。

「で、茉里ちゃんはおれから何の話を聞きたいの?」

 不意に投げかけられる彼の挑むような視線に、私も鋭い視線を返した。

「私たちの、馴れ初め」

 そう声に出しながら、頭の中をずっと巡っていた彼の言葉が、再び回り始める。

『おれは、茉里ちゃんのことが好き。……たぶん、茉里ちゃんがおれに出会う前から、ね』

 出会う前とは、いったいどういうことだったのか、と。
 
『茉里ちゃんは本当に、おれたちの出会いが偶然だと思ってる?』

 それはつまり、偶然ではなかったということなのか、と。
 私の頭で考えても答えは出ない。なら、その答えを知っている人から、聞くしかない。

「おれたちの馴れ初め、ね」

 皓人さんは意味ありげに呟くと、テーブルの上にそっとマグカップを置いた。

「あれは、いつだったかな? 玄也が、面白い新人を見かけたって言うんだよ。会社の女性の話なんてほとんどしない玄也が、自分からそんな話するなんて珍しいなって。それから、その新人さんの話が玄也の口から何度も出るようになって。それで気になったんだよね、それがどんな子か」

 そう言って、皓人さんはゆっくりと私を指さした。

「で、絶対に言いたがらない玄也から無理やり聞き出したのが、中谷茉里って名前」

 自分から聞いておいて、いざ矛先が向けられると、急にドギマギしてしまう。私は戸惑いをごまかすかのように、ミルクティーの入ったマグカップを自身の口元へと運んだ。

「まあ、検索したり、自分なりにも調べてみたけど、茉里ちゃんSNSとかやってないから全然見つからなくて。1回だけ玄也に頼み込んで、会社の前で待ち伏せしてどの子か教えてもらったんだ。すっごい美人で、びっくりした。それからしばらくして、茉里ちゃんが会社でまずい状況になってるって、玄也が話してた。針のむしろになってて、会社にも居づらそうだって、めちゃくちゃ心配してたよ。けどさ、その話を聞いておれは別のことを思ったよ。茉里ちゃんはおれたちの仲間なんじゃないかって。玄也にも暗にそう言ったんだけど、アイツはちっとも行動を起こそうともしないで、そのまま時間だけが過ぎて行ってさ。呆れちゃうよね」

 カラカラ、と独特の笑い声をあげる皓人さんに、私はどう反応したらよいのか分からず、ただ眉間にしわを寄せた。彩可が指摘していた通り、やはり皓人さんからはどことなくストーカー気質というか、執着心の強さみたいなものが垣間見える気がする。

「茉里ちゃんの話が初めて出る少し前にさ、当時付き合ってた人との関係を解消したのね、おれたち。で、その後も候補者を何人か玄也には紹介したんだけど、茉里ちゃんと出会ってからは一向に首を縦に振らない。玄也からも、付き合いたい人がいるって話は一切出なくて。もうさ、そんなの茉里ちゃんのことが好きだからに決まってるじゃん? なのに、『中谷とは同僚で、そんなんじゃない』の1点張り。もどかしいっていうか歯がゆいっていうか、玄也らしいっていうか」

 そう言って笑う皓人さんの表情は、口調とは裏腹に優しい表情をしていて。菊地さんのことを語る時にしか見せないその表情に、彼の愛情を感じずにはいられない。

「で、茉里ちゃんが同じ部署に異動になったら、まあ玄也の話の中心は茉里ちゃん一色だよね。あんなに分かりやすくて、どうするんだって、思ったよ。なのに、相変わらず何かするつもりはないっていうから、もういいや! って思ってさ」

 そこまで言うと、唐突に皓人さんはテーブルに身を乗り出した。

「荒療治的な? 玄也に頼みこんで、無理やり茉里ちゃんとの出会いの場をセッティングしてもらった」

 満足げなどや顔を見せる彼に、背筋がゾクリ、と震えた。
 これが良い震えなのかどうか、判別がつかないところが、最も恐ろしい部分だ。

「……ばんそうこうを、一気に剥がした?」

 無意識のうちに、私はそんな言葉を口にしていた。いつだったか、皓人さんが言っていた言葉だ。

「そうそう、そんな感じ。で、玄也がなんか飲み会の幹事? やるからって、予約した店におれも友達呼んで、当日は急用ができたとかで玄也をその会に参加させないで、おれと茉里ちゃんは無事に出会えたってわけ」

 その言葉を聞きながら、微かな記憶がよみがえってくる。
 そういえば、仁科さんは急に幹事を任されることになった、とぼやいていた気がする。菊地さんも、急用で行けなくなった、と。
 ああ、そういうことか。
 パズルのピースがまた1つ、はまっていく。

「じゃあ、ヒールは?」

 咄嗟に口から飛び出した言葉に、皓人さんは一瞬首をかしげる。

「ヒール?」
 
「あの日、パンプスのヒールが折れたのも作戦のうち?」

 私が再度質問すると、皓人さんは思い出したかのように手を叩くと、再びからからと笑い始めた。

「さすがにあれは偶然。本当は店の前じゃなくて、店の中で出会う予定だったし。おれが酔っぱらったふりして茉里ちゃんにぶつかって、ごめんなさい、って謝ってきっかけを作るつもりだったんだ。そう考えたら、おれたちの出会いも案外、偶然だね」

 ニコリ、と効果音がしそうな表情でコテン、と小首を傾げる。
 私がこの表情に弱いこと、やっぱり皓人さんには完全にばれてしまっている気がする。

「これが、おれと茉里ちゃんの物語の始まり」

 同じ笑顔のはずなのに。どうしてこんなにも与える印象が違うのか。
 どこか不敵さを孕んだその笑みに、私は思わずマグカップをぎゅっと握りしめた。
 私たちの話は、まだ始まったばかりだ。
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