魔法で生きる、この世界

㌧カツ

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Episode.3 出会いと別れのセブンロード

7話 遠い彼方でひとりきり

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 振り向いた瞬間。奴を視界にいれた瞬間。
 安堵と平穏で満たされていた思考が、再び憤怒によって埋め尽くされた。

 その怒りの矛先は、怒りを発生させた張本人であるダリッツではなく、視界に入っていなかったはずのミクトに向けられる。
 怒りをのだ。
 本来怒りを向けるべき相手は、もう俺の視界の中にはいない。

 俺の思考を支配しているのは、目の前にいるミクト・アーダインに対する怒りだけだ。

「――『火槍ファイアスピア』」

 俺の抗おうとする意識とは裏腹に、体は、口は、勝手に動き始める。
 ミクトを殺すためだけに、ただそれだけのために。

 そして奴の力は、怒りの矛先を操作することだけではない。
 怒りの感情の共鳴、そしてその増幅。

 相手に怒りをぶつければぶつけるほど、それは何倍もの怒りとなって己に返ってくる。
 俺達を繋ぐ怒りの環状線が、怒りを増幅させて運ぶのだ。

「――――」

 俺から放たれた火炎の槍が、ミクトが振るう長剣によって容易く切断される。

 馬鹿か。なんで魔法がそこらに売ってるただの長剣で切れる。

 魔法を切るには高度な技術が必要な上、それに付け加えて属性が付与されている魔法剣でなければ切ることが出来ない。
 その辺りを全部無視して攻撃できると言うのならば、操り人形の力は強すぎるぐらいだ。

 いや、俺の魔法に何か仕組まれているという事なのか?

 ――ダメだ。思考がうまく巡らない。
 視界がだんだんと薄れていっている気がする。
 魔法が剣に弾かれる音も、自分の呼吸の音さえも、聞こえなくなってきた。

 暗転する視界とともに、俺の意識も闇へと吸い込まれていっ


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 気がつくと僕は、広い草原の中心に一人ポツリと立っていた。

 青く広がる空では、真っ白な雲が悠々と泳いでいる。

 何が起きたのか。何をしていたのか。
 振り返って奴を視界に入れた瞬間から、僕の意識は既にここには無かった。
 当然の事ながら、そこから今までのことは『俺』しか知らない。

 でも今は、不思議と何を考えても怒りが湧いてこなかった。

 とても清々しい気分だった。
 何故こんな気分になっているのかは分からない。
 でもそんなことはどうでもいい。



 僕は視線を上空から真正面に戻す。
 そしてふと、視界の端に映り込んだモノを見つける。




 僕は足元を見る。





 ――そこで初めて、血塗れで倒れているミクトと目が合った。

「ああああぁぁああぁぁぁ!?」

 恐怖、嫌悪、悲哀。
 様々な感情が僕の腹の底から這い上がり、それは絶叫となって喉から吐き出される。

「どうして……どう、うぶっ」

 どうしてミクトが血塗れで倒れているのか。
 ――そうだ。まだ脈はあるのか? 生きているのか?

 僕は込み上げてくる何かが口から溢れそうになるのを左手で押さえ、空いている右手でミクトの手首を掴む。

「……?」

 何も感じない。
 暖かくもなければ、冷たくもない。

 人が必ず持っている熱を感じない。
 命が散れば心臓が止まり、血液が全身に送られなくなるはずだ。
 だから心臓が止まってしまえば、その身体は徐々に熱を失っていくものなのだ。

 それなのに何故何も感じないのか。

「……そもそも、これって本当にミクトなのか?」

 浮かび上がってきた疑問の手がかりを探すべく、僕は周囲を見渡す。

 誰も居ない。何も無い。
 近くに見えていたはずの森林も、遠くにあったはずの二つの街も。

 ――ルミネも、ダリッツも。誰も居ない。

「ルミネが隙を見て逃げたにしろ、だ。ならどうして、ダリッツが居ない? ダリッツが居なくて、僕が生きている?」

 ここは、僕が目覚める前にいた草原なのだろうか。
 そことは違う、別のどこかなのではないだろうか。

 ふと思い浮かんだことが正しいか確かめるため、僕は自らの右頬を思いっきり引っぱたいて見た。

「いっ……たく、ない?」

 全く痛くない。
 叩いた場所を触ってみても、血など微塵も出ていない。
 物理攻撃力が1の僕なのだから、そうなってもおかしくないのかもしれない。
 だがそれと同時に、僕は物理防御力も1なのだ。

『10』まで耐えられる防壁があったとして、一回の攻撃で『10』の威力の攻撃を与えられれば、その防壁は崩れてしまうはずだ。

 なら、何故僕にはダメージが無かったのか。

「これは本物の肉体じゃないんだ。どこか遠い、意識の中だけの肉体」

 だからミクトの体を触っても温度を感じないのだ。
 所詮作り物の世界で、作り物のヒトなのだから。

「なら次だ。僕はどうしてここに居るんだ? どういう経緯で、ここで目覚めたんだ?」

 僕は目覚めたらここにいた。
 ダリッツを見た瞬間に『僕』の意識が消え、次の瞬間に『僕』である僕はここにいた。

『俺』が今どうなっているのかは分からない。
 今も怒りとの感情戦に挑んでいるのかもしれない。
 既に『憤怒』に脳を蝕まれ、意識を失ってしまっているのかもしれない。

 どちらにしろ僕には何をすることも出来ない。
 ここが現実でない以上、ここから『俺』が居る現実に干渉することは不可能なのだろう。

「僕には何が出来る? ……何か、出来るのか」

 現実とは遠くかけ離れた場所にいる僕が、『俺』のために出来ることはあるのか。
 ここでいくら手を伸ばしたところで、向こうには手が届かないんじゃないのか。

「じゃあ、やっぱり僕がどれだけ足掻いたところで意味なんて無いんじゃないか」

 強すぎる。強すぎた。
 やはり七魔道具を全て集めるなんて、無茶で無謀だったんだ。

 僕は地面に力なく崩れ落ち、ただ呆然と空を見上げる。

 己が無知で無力だった故の結果を見せつけられ、誰がもう一度立ち上がろうと思えるだろうか。
 何も出来ないことを知っていながら、誰が必死に足掻こうと思えるだろうか。

 草木が揺れる草原の上。
 僕はただ一人、静かに涙を流していた。
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