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第5話「初夜の前、陰謀の香り」
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帝都の生活がはじまって三日。
わたくしはまだ、自分がこの宮廷の一室に滞在していることが夢のように思える。
窓の外では、雪が降り続いていた。
白い羽のような雪片が静かに舞い、氷の塔を淡く包み込む。
けれど――この静けさの下では、確かに何かが動き始めている。
その夜、わたくしは歓迎の宴に招かれた。
ユリウス陛下が正式に快復されたことを祝い、宮廷の要職や貴族たちが集まる盛大な夜会だ。
「……人が多いわ」
「大丈夫ですよ、セレナ様」
傍らで、カイルが低く囁く。
「陛下はこの場で、貴女を“恩人”として紹介なさるご予定です。――それは同時に、標的になることも意味しますが」
「わたくしを……?」
「ええ。宮廷には“光”を嫌う者も多いのです」
意味深な言葉を残し、カイルは一歩下がった。
広間の奥では、氷の彫刻が青い光を放ち、香水の匂いが漂う。
そして――
その中心に立つユリウス陛下の姿を見た瞬間、息が止まった。
黒と銀を基調とした軍装。
冷たい威厳の中に、凛とした美しさがある。
彼の視線がこちらを捉え、ゆっくりと微笑んだ。
まるで、世界がその笑みだけで溶けていくように。
「紹介しよう」
陛下の声が響いた。
「この方こそ、我が命を救った聖なる光――セレナ・ヴァルシュタイン嬢だ」
広間にざわめきが走る。
貴婦人たちが扇を口元に寄せ、男たちが目を見開いた。
「ヴァルシュタイン……まさか、あの追放された令嬢?」
「聖女気取りの女が、今度は皇帝の寵愛を?」
ひそひそとした声が、まるで毒のように空気を濁らせた。
だが、陛下は動じなかった。
「この方に跪けぬ者は、二度とこの宮廷の敷居をまたぐことは許さぬ」
静寂。
次の瞬間、全員が一斉に頭を垂れた。
――この人は、ほんとうに容赦がない。
わたくしは思わず、笑ってしまいそうになった。
宴が終わるころ、カイルが控えの間で耳打ちした。
「……妙な噂が立っています」
「噂?」
「王国アークライトから使者が来ているとのことです」
その名を聞いた瞬間、心臓が冷たくなった。
アークライト――かつて、わたくしを公衆の前で辱め、婚約を破棄した王国。
そして、レオン殿下。
「彼が……この帝都に?」
「はい。正式には交易の件ですが、裏に何かある。陛下はすでに察しておられるようです」
胸の奥がざわめいた。
あのとき、わたくしを笑った者たち。
――彼らが、今度は跪く番かもしれない。
夜更け、寝台の上で目を閉じる。
それでも眠れなかった。
窓の外、氷の月が照らす庭で、人影が動く。
「……陛下?」
まるで引き寄せられるように、外へ出た。
月光の中に立つユリウス陛下は、背を向けていた。
「お休みにならずに?」
「眠れなくてな」
わたくしの足音に気づき、振り返る。
風に銀の髪が揺れ、琥珀の瞳が月を映した。
「セレナ。
お前が傍にいると、氷が静かになる」
ゆっくりと近づき、指先がわたくしの頬をなぞる。
その動きは穏やかで、けれど拒めないほど確かな熱を帯びていた。
「……もし、お前を奪おうとする者が現れたら」
囁く声が、息に触れるほど近い。
「この国ごと、凍てつかせる」
心臓が跳ねる。
けれど、わたくしは微笑んだ。
「その必要はありませんわ、陛下。
だって――もう、わたくしは氷の国の人ですもの」
その言葉に、陛下の瞳がわずかに揺れた。
そして、微笑みが落ちる。
「……では、証を」
唇が近づき――
その瞬間、扉の向こうで誰かが叫んだ。
「陛下! 至急です――王国の使者が、今まさに到着を!」
ユリウス陛下の表情が、一瞬で氷の仮面に戻る。
わたくしは、止まりかけた息を吐き出した。
「……あの国が、来たのですね」
「恐れるな。――氷の女神が、もう俺の傍にいる」
そう言って、陛下はマントを翻した。
その背に宿るのは、冷たい威厳と、燃えるような激情。
扉が閉まったあと、月明かりだけが静かに残る。
「レオン殿下……」
わたくしは小さく呟く。
「次は、あなたが凍る番ですわ」
氷の帝国の夜が、赤く燃え始めていた。
わたくしはまだ、自分がこの宮廷の一室に滞在していることが夢のように思える。
窓の外では、雪が降り続いていた。
白い羽のような雪片が静かに舞い、氷の塔を淡く包み込む。
けれど――この静けさの下では、確かに何かが動き始めている。
その夜、わたくしは歓迎の宴に招かれた。
ユリウス陛下が正式に快復されたことを祝い、宮廷の要職や貴族たちが集まる盛大な夜会だ。
「……人が多いわ」
「大丈夫ですよ、セレナ様」
傍らで、カイルが低く囁く。
「陛下はこの場で、貴女を“恩人”として紹介なさるご予定です。――それは同時に、標的になることも意味しますが」
「わたくしを……?」
「ええ。宮廷には“光”を嫌う者も多いのです」
意味深な言葉を残し、カイルは一歩下がった。
広間の奥では、氷の彫刻が青い光を放ち、香水の匂いが漂う。
そして――
その中心に立つユリウス陛下の姿を見た瞬間、息が止まった。
黒と銀を基調とした軍装。
冷たい威厳の中に、凛とした美しさがある。
彼の視線がこちらを捉え、ゆっくりと微笑んだ。
まるで、世界がその笑みだけで溶けていくように。
「紹介しよう」
陛下の声が響いた。
「この方こそ、我が命を救った聖なる光――セレナ・ヴァルシュタイン嬢だ」
広間にざわめきが走る。
貴婦人たちが扇を口元に寄せ、男たちが目を見開いた。
「ヴァルシュタイン……まさか、あの追放された令嬢?」
「聖女気取りの女が、今度は皇帝の寵愛を?」
ひそひそとした声が、まるで毒のように空気を濁らせた。
だが、陛下は動じなかった。
「この方に跪けぬ者は、二度とこの宮廷の敷居をまたぐことは許さぬ」
静寂。
次の瞬間、全員が一斉に頭を垂れた。
――この人は、ほんとうに容赦がない。
わたくしは思わず、笑ってしまいそうになった。
宴が終わるころ、カイルが控えの間で耳打ちした。
「……妙な噂が立っています」
「噂?」
「王国アークライトから使者が来ているとのことです」
その名を聞いた瞬間、心臓が冷たくなった。
アークライト――かつて、わたくしを公衆の前で辱め、婚約を破棄した王国。
そして、レオン殿下。
「彼が……この帝都に?」
「はい。正式には交易の件ですが、裏に何かある。陛下はすでに察しておられるようです」
胸の奥がざわめいた。
あのとき、わたくしを笑った者たち。
――彼らが、今度は跪く番かもしれない。
夜更け、寝台の上で目を閉じる。
それでも眠れなかった。
窓の外、氷の月が照らす庭で、人影が動く。
「……陛下?」
まるで引き寄せられるように、外へ出た。
月光の中に立つユリウス陛下は、背を向けていた。
「お休みにならずに?」
「眠れなくてな」
わたくしの足音に気づき、振り返る。
風に銀の髪が揺れ、琥珀の瞳が月を映した。
「セレナ。
お前が傍にいると、氷が静かになる」
ゆっくりと近づき、指先がわたくしの頬をなぞる。
その動きは穏やかで、けれど拒めないほど確かな熱を帯びていた。
「……もし、お前を奪おうとする者が現れたら」
囁く声が、息に触れるほど近い。
「この国ごと、凍てつかせる」
心臓が跳ねる。
けれど、わたくしは微笑んだ。
「その必要はありませんわ、陛下。
だって――もう、わたくしは氷の国の人ですもの」
その言葉に、陛下の瞳がわずかに揺れた。
そして、微笑みが落ちる。
「……では、証を」
唇が近づき――
その瞬間、扉の向こうで誰かが叫んだ。
「陛下! 至急です――王国の使者が、今まさに到着を!」
ユリウス陛下の表情が、一瞬で氷の仮面に戻る。
わたくしは、止まりかけた息を吐き出した。
「……あの国が、来たのですね」
「恐れるな。――氷の女神が、もう俺の傍にいる」
そう言って、陛下はマントを翻した。
その背に宿るのは、冷たい威厳と、燃えるような激情。
扉が閉まったあと、月明かりだけが静かに残る。
「レオン殿下……」
わたくしは小さく呟く。
「次は、あなたが凍る番ですわ」
氷の帝国の夜が、赤く燃え始めていた。
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