2 / 12
復讐の婚約破棄
しおりを挟む
——息が、できない。
土の匂いが喉の奥まで入り込んで、肺を内側から押し潰してくる。
口を開けば、じゃり、と砂が歯に当たる。鼻から息を吸えば、細かい土が刺さるように痛い。
視界は真っ暗だ。
上下も左右も分からない。ただ、全身を包む圧迫感だけが、じわじわと強くなっていく。
……おかしい。
わたし、死んでいるはずなのに。
意識ははっきりしている。心臓は、耳障りなほど力強く鳴っている。
怖い。苦しい。なのに、まだ生きている。
手を動かそうとして、初めて気づいた。
身体が、直接、土に埋まっている。
布越しではない。板越しでもない。
土が、わたしの肌に直接触れている。
——そうだ。
思い出した瞬間、記憶が一気に蘇った。
あの夜会。ヌーク帝国の貴族たちが集う、光に満ちた広間。
わたしは伯爵令嬢として、いつも通り微笑み、いつも通り振る舞っていた。
隣には、婚約者。
レイド・アストレイ。
騎士服に身を包み、穏やかな笑みを浮かべた男。
わたしは、疑いもしなかった。
「マロナ・ジュピター。俺は、お前との婚約を破棄する」
その一言で、世界が止まった。
「……どうして、ですか?」
喉が震えて、声がかすれた。
レイドは、冷たく言い放った。
「伯爵令嬢のくせに無能だ。花が好き? そんな趣味で帝国に何ができる」
周囲から、忍び笑いが漏れる。
視線が痛い。息が浅くなる。
それでも、わたしは泣かなかった。
……けれど。
甘い香りが、鼻先をくすぐった。
「え……?」
次の瞬間、力が抜けた。
視界が歪み、床が迫ってくる。
支えられた感触。耳元で、低い声。
「マロナ、これは三年前の恨みだ」
——それが、最後だった。
目を覚ましたとき、身体が冷えていた。
土の感触。
湿った空気。
身動きが取れない。
わたしは理解した。
布で包まれることもなく、箱に入れられることもなく。
ただ、穴を掘られ、そこに放り込まれ——。
そのまま、土をかけられた。
生きたまま。
叫んだ。もがいた。指が裂けるほど地面を掻いた。
でも、土は無情だった。
重くて、冷たくて、容赦がなかった。
……そして、今。
わたしは、土の中で目を覚ましている。
なぜ、生きているのかは分からない。
けれど。
「……許さない」
声は、土に吸い込まれて消えた。
それでも、何度も呟いた。
どうして、わたしが。
信じていた人に、こんな形で裏切られて。
怒りが、胸の奥で燃え上がる。
そのとき、思い出した。
父の声。
ディエス・ジュピター。
眼帯の奥で笑って、あの人は言った。
「立てないときは、飛べ」
「飛ぶ……?」
「ドロップキックだ。理不尽は、ドロップキックで叩き返せ」
今なら、分かる。
わたしは膝を抱え込むように、無理やり身体を折りたたんだ。
土の圧迫で肺が悲鳴を上げる。
怖い。苦しい。逃げたい。
それでも——。
「……行きます」
全身に力を込める。
そして、わたしは。
真上に向かって、ドロップキックを放った。
——ドンッ!!
地面が、震えた。
土が崩れ、圧が一瞬だけ緩む。
もう一度。
——ドンッ!!
土の層が割れ、隙間が生まれる。
わたしは腕で土を掻き、脚で蹴り、必死に上へ進んだ。
爪が折れ、喉が焼け、視界が回る。
それでも、止まらなかった。
そして。
冷たい夜気が、頬を撫でた。
わたしは、地面から這い出た。
月明かりの下、泥と血にまみれて、仰向けに倒れ込む。
息を吸う。
土じゃない空気。
生きている。
……生きている。
笑いが、込み上げた。
ひどい顔だと分かっていても、止められなかった。
「レイド・アストレイ」
地面を掴む。
「あなたを……ドロップキックで断罪する」
その瞬間、背後で草が揺れた。
振り向くと、銀髪の男が立っていた。
貴族服に近い軍装。金の腕輪。青い目。
若いが、立ち姿は明らかに騎士だった。
「……お前、どこの化け物だ」
低く、落ち着いた声。
わたしは喉を鳴らし、答えた。
「化け物ではありません。伯爵家のマロナ・ジュピターです」
男は一瞬黙り込み、やがて名乗った。
「ロナン・エルドラド。騎士だ」
そして、泥だらけのわたしを見て、ため息をつく。
「……とりあえず来い。風呂くらい貸す」
——その優しさが、少し怖かった。
騎士宿舎で湯を借り、泥と血を洗い流す。
湯気の中で、身体が震え出す。
怖かった。悔しかった。苦しかった。
全部、今になって押し寄せてくる。
湯上がりの部屋で、わたしはロナンにすべて話した。
婚約破棄。
毒。
生き埋め。
ロナンは黙って聞き、最後に言った。
「……よく生きてたな」
「生きていたから、行きます」
わたしは立ち上がった。
「レイドを、ドロップキックでぶっ飛ばします」
ロナンは頭を抱えた。
「止めても無駄そうだ」
「はい」
しばらく沈黙のあと、彼は言った。
「助言だけする。ドロップキックは、感情で撃つな。狙え」
「……分かりました」
わたしは、笑った。
扉を開け、夜へ踏み出す。
背後で、ロナンの声。
「死ぬなよ」
「死にません」
振り返らずに答える。
「死んだら——ドロップキックできませんから」
そして、わたしは走り出した。
復讐のために。
断罪のために。
ドロップキックのために。
土の匂いが喉の奥まで入り込んで、肺を内側から押し潰してくる。
口を開けば、じゃり、と砂が歯に当たる。鼻から息を吸えば、細かい土が刺さるように痛い。
視界は真っ暗だ。
上下も左右も分からない。ただ、全身を包む圧迫感だけが、じわじわと強くなっていく。
……おかしい。
わたし、死んでいるはずなのに。
意識ははっきりしている。心臓は、耳障りなほど力強く鳴っている。
怖い。苦しい。なのに、まだ生きている。
手を動かそうとして、初めて気づいた。
身体が、直接、土に埋まっている。
布越しではない。板越しでもない。
土が、わたしの肌に直接触れている。
——そうだ。
思い出した瞬間、記憶が一気に蘇った。
あの夜会。ヌーク帝国の貴族たちが集う、光に満ちた広間。
わたしは伯爵令嬢として、いつも通り微笑み、いつも通り振る舞っていた。
隣には、婚約者。
レイド・アストレイ。
騎士服に身を包み、穏やかな笑みを浮かべた男。
わたしは、疑いもしなかった。
「マロナ・ジュピター。俺は、お前との婚約を破棄する」
その一言で、世界が止まった。
「……どうして、ですか?」
喉が震えて、声がかすれた。
レイドは、冷たく言い放った。
「伯爵令嬢のくせに無能だ。花が好き? そんな趣味で帝国に何ができる」
周囲から、忍び笑いが漏れる。
視線が痛い。息が浅くなる。
それでも、わたしは泣かなかった。
……けれど。
甘い香りが、鼻先をくすぐった。
「え……?」
次の瞬間、力が抜けた。
視界が歪み、床が迫ってくる。
支えられた感触。耳元で、低い声。
「マロナ、これは三年前の恨みだ」
——それが、最後だった。
目を覚ましたとき、身体が冷えていた。
土の感触。
湿った空気。
身動きが取れない。
わたしは理解した。
布で包まれることもなく、箱に入れられることもなく。
ただ、穴を掘られ、そこに放り込まれ——。
そのまま、土をかけられた。
生きたまま。
叫んだ。もがいた。指が裂けるほど地面を掻いた。
でも、土は無情だった。
重くて、冷たくて、容赦がなかった。
……そして、今。
わたしは、土の中で目を覚ましている。
なぜ、生きているのかは分からない。
けれど。
「……許さない」
声は、土に吸い込まれて消えた。
それでも、何度も呟いた。
どうして、わたしが。
信じていた人に、こんな形で裏切られて。
怒りが、胸の奥で燃え上がる。
そのとき、思い出した。
父の声。
ディエス・ジュピター。
眼帯の奥で笑って、あの人は言った。
「立てないときは、飛べ」
「飛ぶ……?」
「ドロップキックだ。理不尽は、ドロップキックで叩き返せ」
今なら、分かる。
わたしは膝を抱え込むように、無理やり身体を折りたたんだ。
土の圧迫で肺が悲鳴を上げる。
怖い。苦しい。逃げたい。
それでも——。
「……行きます」
全身に力を込める。
そして、わたしは。
真上に向かって、ドロップキックを放った。
——ドンッ!!
地面が、震えた。
土が崩れ、圧が一瞬だけ緩む。
もう一度。
——ドンッ!!
土の層が割れ、隙間が生まれる。
わたしは腕で土を掻き、脚で蹴り、必死に上へ進んだ。
爪が折れ、喉が焼け、視界が回る。
それでも、止まらなかった。
そして。
冷たい夜気が、頬を撫でた。
わたしは、地面から這い出た。
月明かりの下、泥と血にまみれて、仰向けに倒れ込む。
息を吸う。
土じゃない空気。
生きている。
……生きている。
笑いが、込み上げた。
ひどい顔だと分かっていても、止められなかった。
「レイド・アストレイ」
地面を掴む。
「あなたを……ドロップキックで断罪する」
その瞬間、背後で草が揺れた。
振り向くと、銀髪の男が立っていた。
貴族服に近い軍装。金の腕輪。青い目。
若いが、立ち姿は明らかに騎士だった。
「……お前、どこの化け物だ」
低く、落ち着いた声。
わたしは喉を鳴らし、答えた。
「化け物ではありません。伯爵家のマロナ・ジュピターです」
男は一瞬黙り込み、やがて名乗った。
「ロナン・エルドラド。騎士だ」
そして、泥だらけのわたしを見て、ため息をつく。
「……とりあえず来い。風呂くらい貸す」
——その優しさが、少し怖かった。
騎士宿舎で湯を借り、泥と血を洗い流す。
湯気の中で、身体が震え出す。
怖かった。悔しかった。苦しかった。
全部、今になって押し寄せてくる。
湯上がりの部屋で、わたしはロナンにすべて話した。
婚約破棄。
毒。
生き埋め。
ロナンは黙って聞き、最後に言った。
「……よく生きてたな」
「生きていたから、行きます」
わたしは立ち上がった。
「レイドを、ドロップキックでぶっ飛ばします」
ロナンは頭を抱えた。
「止めても無駄そうだ」
「はい」
しばらく沈黙のあと、彼は言った。
「助言だけする。ドロップキックは、感情で撃つな。狙え」
「……分かりました」
わたしは、笑った。
扉を開け、夜へ踏み出す。
背後で、ロナンの声。
「死ぬなよ」
「死にません」
振り返らずに答える。
「死んだら——ドロップキックできませんから」
そして、わたしは走り出した。
復讐のために。
断罪のために。
ドロップキックのために。
14
あなたにおすすめの小説
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
わたしと婚約破棄? では、一族の力を使って復讐させていただきますね
ともボン
恋愛
伯爵令嬢カスミ・リンドバーグは、第二王太子シグマとの婚約お披露目パーティーで衝撃的な告白をされる。
「カスミ・リンドバーグ! やはりお前とは結婚できない! なのでこの場において、この僕――ガルディア王国の第二王太子であるシグマ・ガルディアによって婚約を破棄する!」
理由は、カスミが東方の血を引く“蛮族女”だから。
さらにシグマは侯爵令嬢シルビアを抱き寄せ、彼女と新たに婚約すると貴族諸侯たちに宣言した。
屈辱に染まる大広間――だが、カスミの黒瞳は涙ではなく、冷ややかな光を宿していた。
「承知しました……それではただいまより伯爵令嬢カスミ・リンドバーグではなく、ガルディア王国お庭番衆の統領の娘――カスミ・クレナイとして応対させていただきます」
カスミが指を鳴らした瞬間、ホール内に潜んでいたカスミの隠密護衛衆が一斉に動き出す。
気がつけばシグマは王城地下牢の中だった。
そこに現れたのは、国王バラモンと第一王太子キース――。
二人はカスミこそ隣国との戦争で王国を勝利へ導いたクレナイ一族の姫であり、シグマの暴挙は王家にとっても許されぬ大罪だとしてシグマとの縁を切った。
それだけではなく、シグマには想像を絶する処罰が下される。
これは婚約破棄から生まれる痛快な逆転劇と新たなラブストーリー。
裏切者には神罰を
夜桜
恋愛
幸せな生活は途端に終わりを告げた。
辺境伯令嬢フィリス・クラインは毒殺、暗殺、撲殺、絞殺、刺殺――あらゆる方法で婚約者の伯爵ハンスから命を狙われた。
けれど、フィリスは全てをある能力で神回避していた。
あまりの殺意に復讐を決め、ハンスを逆に地獄へ送る。
魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす
三谷朱花
恋愛
ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。
ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。
伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。
そして、告げられた両親の死の真相。
家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。
絶望しかなかった。
涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。
雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。
そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。
ルーナは死を待つしか他になかった。
途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。
そして、ルーナがその温もりを感じた日。
ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。
黒の聖女、白の聖女に復讐したい
夜桜
恋愛
婚約破棄だ。
その言葉を口にした瞬間、婚約者は死ぬ。
黒の聖女・エイトは伯爵と婚約していた。
だが、伯爵は白の聖女として有名なエイトの妹と関係をもっていた。
だから、言ってはならない“あの言葉”を口にした瞬間、伯爵は罰を受けるのだった。
※イラストは登場人物の『アインス』です
婚約破棄の帰り道
春月もも
恋愛
婚約破棄を宣言されたその日、彼女はただ静かに頷いた。
拍手の中を背筋を伸ばして歩き、令嬢としての役目をひとつ終える。
やがて醜聞にまみれ、「傷物」「行き遅れ」と囁かれながらも、
薔薇と風だけを相手に庭でお茶を飲む日々。
気品だけを残して、心はゆっくりと枯れていく。
――そんな彼女の前に現れたのは、
かつて身分違いで諦めた幼馴染、隣国の若き王だった。
「迎えに来た」
静かな破滅の先に訪れる、軍を率いた一途な求婚。
これは、声を荒げずにすべてを覆す、上品な逆転劇。
私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?
みこと。
恋愛
鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。
「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。
(あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)
現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。
そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。
なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?
この出会いが、クローディアに新しい道を拓く!
※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる