上 下
5 / 6
悪魔と子供

告白

しおりを挟む
「アル、貴方はセレスティアルなのですね」
「そうです。貴方は何者ですか。蝙蝠の羽根に山羊の角、青年の姿で何故私を抱き締めるのですか」
「アル、セレス。呼べる。また、貴方の名を。忘れてない。忘れていなかった。これ以上の幸福はありません」
「光栄です。それで、いつ私を離してくださるのですか」
「ああ、美しいですね。色とりどりの花に映え、月明かりに融ける貴方の輝く御髪。青みがかった、宝石にも劣らぬ碧の瞳。何故そうして私の心の臓を貫こうとするのです」

 駄目だこの小児性愛者。話が通じない上に色々と危ない。努めて冷静に距離を取ろうとするが、背に手を回されては子どもの力で抜けられる訳がない。
 何故かこいつは俺を知っているように喋っているが、俺がこいつを知っているかと言えば、断じて否。生まれて八年、こんな印象に残る変態に知り合っていれば忘れるはずがない。……知っているはずがないのに、なぜ、懐かしいと思うのだろう。

「おいコラ化け物!!領主様を離せ!!!」
「領主様ご無事ですか!?」
「領主様、肩を怪我されて…!許さんぞ化け物!」

 いつの間にか冒険者たちが俺と変態の周りを取り囲んでいた。臨戦態勢をとってはいるが、俺が邪魔になっているようで攻撃してくる様子はない。
 化け物。確かにそうだな。角に翼、これで矢印のような尾が生えていれば神話に出てくる悪魔そのものだ。だが、絵画に描かれているような恐ろしい姿には見えない。丁寧に配置された端正な顔立ちと、細身の長身。声は絹のような耳触りで、こんな合成獣のようでなければ一国の王子とでも勘違いしていたところだ。
 冒険者たちは変態が俺を抱き締めたまま、動かないどころか耳を傾けすらしていない様子に憤りを募らせる。彼らを見て俺はようやく、この馬鹿げた格好の主旨を思い出した。

「もう一度お聞きします。貴方は何者ですか」
「――私は、アメタストス。貴方に心奪われたものです」

 冒険者たちの罵詈雑言が盛り上がる。俺も変態の言い分に腹が立つが、今は感情をぶちまけても良いことはない。

「……貴方は、鳥などの羽根をむしりとったり天使像を破壊したりしましたか?」
「ええ、烏滸がましくもあれらは貴方と同じ姿を模していましたので」
「貴方は碧い瞳の勇敢な少年やブロンドの髪の優しい少女に手をかけましたか」

 俺の言葉に冒険者たちがどよめく。この話はどうやら村長のみに伝わっている話のようだ。変態はこともあろうに無感情に首肯した。

「ええ、あれらは非常に馬鹿げたことを言い出したもので。貴方の代わりに己が命を捧ぐとは、身の程知らずもいいところです」
「……理由など聞いておりませんが。ならば、貴方を害そうとも私が罪に問われることはありませんね」

 甲高い音が胸元で鳴り始める。集まるのは月の光。変態は身じろぎもせず、ただ俺の顔を眺めている。

『月よ、あなたの顔を照らすように、我が道も照らし給え。道上の塵を弾き、立ちはだかる闇を伐ち、悲しみを喜びへ、怒りを楽しみへと導け。私の手足はあなたの手足。私の言葉はあなたの御言葉。私の心はあなたの御心のままに。―ルナティックエンド』

 煌々と強く優しい光が辺りを包み込む。夜も更けたというのに、真昼の太陽のように明るく、でも夕陽のようにとても近い。そんな光が確りとその存在を形成し、未だ何の動きも見せない変態に叩き込まれた。
 変態は表情を変えない。
 光は変態の心臓辺りでぶつかり、そしてパチッとその性質を変えた。俺は光の動きに焦ったが、混乱ゆえに明後日の方向に飛ばすわけにいかない。魔法を集中して変態へと押し込みきった頃には、魔力を無駄遣いして無駄な時間を過ごしたことに辟易していた。
 いまだに背には変態の腕が回されているし、冒険者たちは俺の魔法が失敗に終わったことに顔を青ざめている。あれは俺が放てる中で最も大規模で高火力の魔法だったのだ。失敗に終わったとあれば、それ以上に威力の高い魔法でなければこの変態は傷をつけることすら叶わないとなる。まさに、化け物だ。

 魔力の無駄遣いをさせられたことによる不満も上乗せされ、俺の苛立ちは最高潮にまで上っていた。だがそれは変態の顔を睨み付けた瞬間、恐怖へと変わった。

「アル、貴方今、何をなさいました?」
「――っ!」

 無表情だと思っていた。
 硝子玉に閉じ込めた紫色はとても冷たく、見つめられた身体が冷えていくような気がする。表情は動いていない。整えられたような眉は形の良いままだし、薄い唇は喋ったままの形である。
 しかし、それは怒っていた。最上級の怒りだと言われても納得しそうなほど、怒気は強く俺を締め付けていく。
 俺はまるで、酸素の足りない魚のように口を動かすだけで、意味を成す言葉を吐けない。
 何。なんで。これは、こんなに。
 怖い。それ以外、思えなくなっている。化け物に抱かれているから立っていられるが、こいつがいなければ手から尻から地について震えていることだろう。

「貴方は今、誰に向かって祈りを捧げた?貴方のその、高貴で純粋で綺麗な祈りを、よもや月なんぞに向けて捧げたとは言いませんよね?」
「だ、ったらな、んですかっ」

 恐怖よりも一瞬だけ苛立ちが勝る。祈りなど、どうでも良いだろう。
 睨み付けるも、やはり怖さが抜けない。意地で言い切るが、素が見え隠れする。
 片腕が背から消えたと思えば、覆うように顔を捕まれた。痛くはない。だけれど、これに力を入れられたら、俺は。

「貴方は神以外に祈ってはならない。それが制約のはずです。貴方、セレスティアルではないのですか」
「っ私は、セレスティアル、ジュエル。貴方がどのセレスティアルのことを仰っているのか分かりかねますが、私はこの土地を守り民のため国のためにこの身を尽くすジュエル辺境伯現当主です。もし、貴方がこの地を汚すと言うのであれば、私は貴方を土に返しましょう」

 努めて、冷静に。俺は、私は、領主として領民の不安を煽る存在になってはいけない。毅然とした態度で化け物と対峙する。
 化け物は化け物らしく笑った。

「ああ、美しい。その牙を剥く姿、やはり私の愛する天使ですね」

 腹の立つ言い方にこれほど安心したことはない。怒りが霧散し、さっきと同じく甘ったるい空気を吐き出し始めた変態は、また俺を抱き締め、今度は俺の頭の匂いを嗅ぎだした。
 腹立たしい。俺の力は一切効かない。俺の命はこいつに捕まれているも同じだ。こいつの感情ひとつで俺は、恐怖に戦くことも容易い。
 何が天使だ。何が制約だ。

「俺は人間だ!勝手に所有物にするな化け物!!」
「アル」
「名前を呼ぶことを許した覚えはない!」
「セレスティアル、私を殺す方法を教えましょうか」
「だから……っ殺す?」

 見上げた顔は怖くない。甘い顔でも冷たい顔でもない。ただ悲しそうで寂しそうな笑顔だった。

「そう、殺す方法」

 優しい声で子どもに言い聞かせるように、とんでもないことを口にする。背がざわざわする気がして周囲を見ると、存在を忘れかけていた冒険者たちが警戒と喜色を同時に表していた。冒険者たちから、また俺を抱き締める青年へと視線を向ける。

「……一応、聞きます」
「ありがとうございます。…私を殺したいなら、私を愛してください。それが、唯一の私の殺め方です」

 馬鹿げた内容だ。冒険者たちも先程の喜びは消え、警戒と怒りを強めている。
 だけど何故か俺には冗談に聞こえない。青年の表情のせいだろうか。今泣き出しても驚きはしない。

「神は私に一つ、呪いをかけたのです」
「神が呪いを?」

 俺が話に興味を示したとでも思ったのか、化け物は歪んだ笑みをさらに歪ませた。

「ええ、私のこの身が滅ぶときは、最愛の想い人と心が通ったときだと」
「それは…なんとも趣味の悪い」

 神はそんなに悲劇がお好みだというのか。想えば死ぬ。想わなくても一生を付きまとわれる。それがどんな地獄だとかは神でも分かっているだろうに。酷いジレンマに吐きそうだ。

「ふふ、そうですね。ですから、アル。私を殺したいというのなら、私を想ってください。本気で、心の底から。身を焼き尽くすほど、遠慮のない想いを、私に下さいな」

 それは、最高に最悪な愛の告白だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

気付いたら異世界でしたってそんな漫画みたいな(1話から修正中)

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:21

一瞬だけ忘れていいですか?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

スパダリと異世界に行くことになりました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:20

『死にたがりの僕は異世界でのんびり旅をする』

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:93

影の薄い悪役に転生してしまった僕と大食らい竜公爵様

BL / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:104

悪役に転生したので処刑ルートを回避します

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:33

処理中です...