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しおりを挟むこれに触れなかったら、仮初の幸せに浸ったまま生きられるかもしれない。
でもこれを無視したら、幸せのどこかでずっと疑心を抱えたままかもしれない。
これに触れてしまったら、俺がここに居られなくなる予感はしていた。
それでも俺は、彼ならなんとかしてくれると思って訊いてしまったのだ。
「今日、普通のラットとは違う気がしたけど」
誠司は普段、あまり感情を顔に出す方ではない。俺のことが好きでたまらないっていう視線や表情はしてくれるけれど、驚きや怒りなどが表に現れるタイプではない。
なのにこの問いに、彼は大きく目を開けてひどく動揺した。
「そ、れは……」
言いづらそうにする彼に視線を向ければ、彼の視線が泳ぐ。時々目があって、助けを求めるような顔をされる。やっぱ言わなくてもいい。そんな口から出かかったけれど、一度そう言ってしまえば二度と問いかけられない気がして言葉を待った。
「……うん。そうだよね。充希には一番知られたくないことだけど……充希だからこそ知っててほしい」
そう切り出して、彼は重い口を開いた。
「充希は、運命の番って知ってる?」
「……映画や小説でなら」
「フィクションだと大げさに書かれてるように見えるかもしれないけど、運命の番は本当に居るんだ。ただ会う確率がものすごく低いから、あまり公にはならないだけ」
この状況でその話をする。その意味が分からないほど、俺は鈍感ではなかった。
もう聞きたくないと心臓がバクバクと音を立てる。
「会社の帰り、会ったんだ。僕の運命の番に」
嫌だ。
「僕も都市伝説だと思っていたから、こんなにちゃんと運命だと認識できるなんて思ってなかった。でも、相手が発情期ってわけでもないのに分かったんだよ。それくらい甘いフェロモンの香りがしてた。他のΩの香りとは、全然違った」
嫌だ。
「多分、向こうも気づいたんだと思う。目があった瞬間、甘い香りがぶわっと広がったのが分かった」
俺の誠司を、運命なんて不確かなもので盗らないで。
「気付いた瞬間、全力で走ってきた。僕は充希以外を抱くなんて考えられないし、そんなことしたくもなかった。でも、体が反応してたのは事実だ……。充希以外に欲情してしまった体が、そんな自分が……とても憎い」
唇を強く噛みしめて言う彼に、どんな言葉をかけていいか分からなくなる。
映画や小説では、運命の番に出会えば自然と一目ぼれしてしまうような描写で書かれることがほとんどだ。遺伝子レベルで、本能でひかれあう2人。
だから、そんな運命的な出会いをしても俺のことを忘れずに、苦しいだろうに帰ってきてくれた責めていいはずがなかった。むしろ、そこまで自分を想ってくれていることに喜ぶべきなのだ。
……そう、頭ではわかっているのに。
「そ、っか……」
口から出せたのはその言葉だけ。誠司も何かを言おうとして、でも言えなくて口を紡ぐ。
重苦しいほどの沈黙がそこには落ちていた。
誠司のことを疑ったわけじゃない。彼が自分のことを捨てられないことくらい分かっていた。現に今日だって、自分のところへ帰ってきてくれたのだ。
だからこそ、怖かった。
「俺も、せめてΩだったら良かったのに……」
何度も考えてきた。βの自分では、この最愛の人を幸せになんて出来ないのではないかと。
「違うっ! 僕は、充希だから好きになったんだ」
でもそれは……比べて見れば違うかもしれない。きっと今は俺としかいないせいで、俺が一番だと錯覚しているだけだ。きっと運命の番なんていうΩと過ごしたら……俺といるよりもずっと幸せなんだ。
「……信じるよ。疲れたし、今日はもう寝ちゃおう?」
「うん」
盗らないでほしい。でも、幸せになってほしい。
誠司が俺を愛してくれてることは信じているけれど、それと同じくらいαはΩと居た方が幸せなんだろうなって事実も信じてる。
俺たちだけが特別なんてこと、あるはずがない。
「大好き、愛してる……」
疲れてしまってもう寝入ってしまった彼に、小さく呼びかける。
明日家を出よう。そんな決意を、胸に抱えて。
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