思い出さない方が幸せなこと

沙羅

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電話の内容を理解した瞬間、目の前が真っ暗になった。
僕の最愛の弟が、事故に遭ったらしい。

これだからあまり遅くなるバイトはやめろと言っていたのに。

もうバスが出ている時間ではない。ひったくるようにカバンを取って、急いで自転車にまたがる。幸いにも彼の運ばれた病院は自転車でも行ける距離にあった。一刻も早く駆け付けたい気持ちが募って、信号にさえもイライラする。20分ほど全力で漕げば、やっとその病院が見えてきた。

「あのっ、312号室の真島啓介の身内です。先ほど電話をいただいた」
「あぁ、真島さんね。えーっと、あなたはご兄弟の方? ご両親はみえる?」
「両親はもういません。説明なら僕が聞きます。20歳も超えてますので」
「そう、じゃあ先生を呼んでくるわね」

そう言って看護師さんが背を向けた後、1分もしないうちに白衣の年老いた先生がやってきた。先生に連れられてようやく通されたのは、312号室ではなく人のいない個室だった。疑問符を浮かべる僕を横目に、先生が話し始める。

「会ってからお互いに混乱すると悪影響になりますので、先に病状について説明しておきます」
どうやら、顔を見るよりも説明を先に受けなければならないらしかった。そんなに重い事故にあってしまったのかと、不安な気持ちが一層強くなる。

「電話でもお伝えした通り、命に別状はありません。ただ、脳自体に損傷は見られないので心因性の側面が強いかとは思われますが、逆行性健忘……いわゆる記憶喪失の状態になっています。名前はハッキリ言えますが、年齢に間違いがあったり現在も高校に通っていると思っていたりするなど、ここ数年の記憶が失われているものと思われる言動が見られます。ご家族には気の毒なことかと思いますが、無理に思い出させようとすることはストレスを招き、より病状を悪化させる可能性が高くなります。忘れていることを責めるような対応はしないようお願いします」

「高校何年生までの記憶があるのか、みたいなことって分かりますか?」
「正確には分かりませんが、本人は高校1年生だと思っているそうです」
そう聞いたのは、僕たちの兄弟がちょっと特殊な事情を抱えていたからだった。
「高校2年生の秋ごろの記憶がないと、啓介にとって僕は他人です。親が再婚して一緒に暮らすようになった兄弟ですから。なので他人のフリをされるかもしれませんが、れっきとした兄弟なので気にしないでください」
「分かりました。それでは、病室に向かいましょう」

今度こそ医師に付き添われて312号室へと入る。待ち望んでいた最愛の弟の顔は、朝「いってきます」と笑って出ていった頃と何も変わっていなかった。
ただひとつ違うのは、

「誰……?」

僕のことを覚えていないことだけだった。
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