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2巻
2-2
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バマルケの街を出てから二日目の午後。
街道が川の支流を越えたあたりから、山肌の様相が明らかに変わった。山の緑が薄い。よく見ると生えている樹木はどれも若く比較的細いようだ。
つまりこのあたりからが、木炭用として木を消費してしまった場所なのだろう。
土砂が崩れている場所がそこここにある。木を伐りすぎて土砂崩れが起こりやすくなったようだ。この辺の山を見ただけでわかる。
でもそれなら山向こうに生えている、成長の早いアコチェーノエンジュを植えればいいのではないだろうか。最初に話を聞いたときはそう思った。しかし後で調べてみると、そう簡単にはいかないらしい。
アコチェーノエンジュは、切り株や根元から新しい芽が生えるという方法で増える。種はできず挿し木もできない。また植え替えしてもすぐ枯れる。
つまりアコチェーノエンジュは、元から生えている場所以外では増えないし育たない。
現状ではアコチェーノ以外では育てられないのだ。
一説によると、アコチェーノエンジュはただの樹木ではなく、魔力をも栄養源とする魔樹らしい。
とはいえ植物型の魔物、たとえばトレントやマンドラゴラのように動いて人や獣を襲うわけではない。特異なのは成長の極端な早さだけだ。
なお、この辺の知識はボンヘー社の大百科事典に書いてあった。さすが本物の大百科事典。細かいことまで載っている。
壁と門が見えた。ローラッテの街門だろう。受付は残念ながら男の人。だからリディナにひっついて冒険者証を提示しながらなんとか通過する。
中を見るとそれほど大きい街ではない。建物もせいぜい二階建てまで。
ただずっと奥に独特の建物が見える。特徴的な色の耐熱煉瓦でつくられた、背の高い建物だ。
きっとあの辺が製鉄所なのだろう。
「どうする? ギルドに行く前に市場を見てみる?」
確かにそれもいいかなと思う。
他人は怖い。でもリディナがいれば少しは平気。
そして初めての街にはそれなりに何か面白い、あるいは美味しい食材があるかもしれない。
一度は見てみるべきだろう。だから私は頷く。
「それじゃ行こうか。この時間だからあまり残っていないかもしれないけれど」
二人でメインらしい通りを歩く。
市場街はすぐ見つかった。さっそくリディナにくっついて見ていく。
売っているものは、アレティウムとそう変わらない。おそらくこれが、内陸部の一般的な品揃えなのだろう。
穀類は大麦、小麦、ライムギの粉と大麦粒、トウモロコシ粒に米といった具合。ただし値段が、明らかにアレティウムなんかと違っている。
「安い」
「本当ね。アレティウムより二割くらい安い」
別にアレティウムの物価が高かったわけではない。今まで通ってきた街の物価は、どこも概ね同じくらいだった。
よく見ると安いのは穀類だけで、野菜や肉は同じくらい。いや、肉は少し安めかな。
しかしこんな山の中の村、そんなに安くなるほど大規模な農業をやっているとは思えない。なぜだろう。後で国勢図会か大百科事典で調べれば、この理由はわかるだろうか。
そう私が思ったときだった。
「おじさん。どうしてここは穀類が安いのかな?」
リディナが店のおじさんに尋ねる。
そうか、聞けばすぐわかる。相手が答えを知っているならば。考えてみればもっともだ。でも私には思いつかなかった。
ただこの方法、私には真似ができない。
もちろん私の対人恐怖症もかなりましにはなっている。店主が大人の男性の店だって、こうして入ることができるくらいだ。
でもこれは、すぐそばにリディナがいる場合限定。店主に話しかけるなんて、とてもとても。
だから人に聞くという方法は、あくまで参考にとどめておく。
「そっか、お嬢ちゃんたちは他の領地から来たんだな。ここフェルマ伯領は鉄鋼業と木材加工業という力仕事でもっている領地だからよ。いっぱい食べられるように、フェルマ伯が穀類に対して補助をしているんだ。領内の穀類は全部領主が買い上げた上で、足りない分を他領から仕入れて、うちみたいな店に卸している。その卸価格が大商会より安い分、ここの穀類も安くなるってわけよ」
「でもそれじゃ農家からの買取価格が安くならないの」
「むしろ大商会より高いくらいらしい。その分領主の儲けが少ないんだろ。だがそのおかげでこの領地は常に人に困らないわけだ。そう考えればフェルマ伯様々ってところだね」
なるほど。でもそれでは大商会に睨まれないだろうか。
リディナはその辺まで聞く気はないようだ。確かにこのおっちゃんがそこまで知っているか怪しいだろうし。
「それじゃ小麦粉、五重貰おうかな」
「毎度あり」
「あと、この辺でテイクアウトで美味しいお店ってある?」
「評判がいいのは、この先の満腹商店の半月だな。美味いし腹も膨れる」
「ありがと」
こういったやりとり、いつか私もできるようになるのだろうかと思う。
今はまだまだ無理でも、あと一年くらい頑張ればなんとかなるかな。
満腹商店の半月とは、日本で言うピザに似たものだった。
円形で直径は二十指程度と小さい。生地の厚さは一指のふかふか系で、生地そのものもピザとよく似ている。チーズや具材を載せて焼くところまで同じ。
しかし食べ方が違う。店では焼いた円形のものを折りたたんで半円形にして出してくれる。それを少しずつ食べるという仕組みだ。
つまりピザまるごとを半分に折って、一人で食べるようなもの。半月という名称は、きっと折った形が半月形だからだろう。
ギルドに行くのでとりあえず収納したけれど、なかなか美味しそう。食べてみたくても、まだお腹が空いていない。だから一人だと多すぎる。
リディナと半分ずつなら大丈夫だろう。しかしリディナは今食べたいだろうか。
そんなしょうもないことを考えながら、冒険者ギルドへ行く。
ギルドは私たちが入ってきた門から見て奥の方にあった。製鉄所らしい、あの耐熱煉瓦の建物がある場所のすぐ手前だ。
「大丈夫、空いているよ」
先行したリディナにそう言われておそるおそる中へ。
空いてそうな時間を選んだので大丈夫だろう、とは思っていたけれど。
「討伐や採取の褒賞金受け取りと、新規依頼受領に来ました」
「わかりました。どうぞこちらへ」
今回も受付は無事女の人だ。よしよし。そう思いつつリディナと並んでカウンターに座る。
「それでは冒険者証と対象の提出をお願いいたします」
「わかりました」
私はアイテムボックスから自分の冒険者証と、討伐対象である魔獣の死骸と魔物の魔石を出す。
今回は一泊二日分なので数は多くない。魔小猪一頭の他は、ゴブリンやスライムの魔石、あとは薬草を少しという程度。
ただ魔小猪が体長半腕、重さ十五重なので場所は結構とる。
「こちらの薬草も一緒に計算してよろしいでしょうか」
「ええ、お願いします」
「わかりました。それでは計算してまいります。このままお待ちください」
この辺は、どこの冒険者ギルドでもおなじみの手続きだ。
しかし今日はすぐに受付嬢さんが戻ってきた。
「ただいま裏で計算をしていますので、先に次の案件を伺いましょう。どの依頼を受けていただけるのでしょうか」
これなら待たずに済むから助かる。なかなかここのギルドはサービスがいい。
今回も待つと思っていたので、とっさに次の用件をどう頼もうか、言うべき言葉が出てこない。
もちろん対人担当はリディナがやってくれる。しかし最近は訓練として、こういう場合に私はどう言うべきかを考えるようにしているのだ。
ただ今みたいに相手の反応が予想と少しでも違うと、私の言語中枢はオーバフローしてしまう。
「アコチェーノまでの運搬に関する常時依頼があると、バマルケの冒険者ギルドで伺いました。こちらが紹介状になります」
リディナがそう言ってくれた。なるほどその通りだ。
こういう状況に応じた台詞というのは、どうすれば上手く、さっと口に出せるのだろう。
私は、どう言えば相手にわかってもらえるのか、すぐに文章が出てこない。まさに今のように。
私の場合、会話の必要がありそうな際は、事前に頭の中で状況をイメージし、案文をいくつも作った上で練習する。
そうやっても、実際には言いたいことの半分もうまく言えない。
その辺、リディナは凄いなと思う。私の考えも全部理解してくれた上で、その場に応じてさらっと代弁してくれるから。
これだけでも充分リディナと組んでいる価値はある。
まあ他の点でもリディナがいないと、私は駄目駄目なのだけれど。冒険者ギルドだって、一人で入るのは無理だし。
受付嬢さんは、封筒を開封して中を確認する。
「アコチェーノまでの鉄インゴットの運搬依頼ですね。引き受けていただけると大変助かります。では本依頼の詳細について説明させていただきます」
受付嬢さんは机の下から紙片を取り出す。
見ると掲示板に貼ってあるのと同じような依頼状だ。しかしいくつかの欄が空欄になっている。
「こちらがお持ちいただく依頼状になります。お渡しする際にパーティ代表者名、運搬していただく分量、依頼年月日を記載します。その後、鉄インゴットをアコチェーノの冒険者ギルドへ運搬、インゴットとこの依頼状を提出することで依頼完了となり褒賞金が支払われます」
ここまでは当たり前の内容だ。だから私もリディナも頷きながら聞いている。
「なお運搬に要する期間は、こちらでインゴットをお渡しした日から数えて最大で八日間です。八日間あれば山越えをせず、サンデロント経由で行っても、余裕で着くことができるはずです。この期間を過ぎると依頼失敗となります。ただなんらかの事故で期間内にたどり着けなかった場合でも、生きているならば必ずこちらかアコチェーノの冒険者ギルドに出頭してください。出頭されるまではインゴット盗難のおそれありということで、冒険者ギルド手配がかけられてしまいますから」
うんうん、もっともだ。私もリディナも頷く。
「次は報酬についてです。アコチェーノの冒険者ギルドでインゴットを引き渡し、依頼書を提出した時点で報酬をお支払いいたします。報酬は期間内なら要した日数にかかわらず二十重あたり正銀貨一枚です。こちらでお渡しした時点でこの依頼書にお渡しした年月日と量を記載します。どれくらいお持ちになるかについて、今のうちに考えてください。それでは先ほどの討伐・採取依頼の計算書及び褒賞金を持ってまいります」
「どれくらい持っていく?」
リディナが小声で私に尋ねる。
「不審にならない量、目いっぱい」
私のアイテムボックスの容量は神様のお墨付きだ。その気になればいくらでも大丈夫。
ただあまり常識はずれな量を持っていくと、それはそれで問題になるだろう。その辺の判断はリディナ任せということで。
「なら四百重にしようか。これくらいなら最高級品の大容量自在袋で持っている商人もいないわけじゃないから。そんなの持っているのは、それこそ大商人くらいだけれどね。魔法の発達した異国から来たのなら不思議じゃないでしょ」
四百重ということは片道正銀貨二十枚か。
一泊二日の山越えで、それだけ稼げるなら悪くない。途中で魔獣や魔物が出たら、さらに儲かるだろうし。
「わかった」
私は頷く。
受付嬢さんが戻ってきた。
「お待たせしました。合計で正銀貨九枚、小銀貨八枚、正銅貨六枚になります。詳細は計算書の通りです。ご確認ください」
計算書を確認。魔小猪は皮も肉も使えるからか、いい金額になった。
「確認しました。大丈夫です」
リディナがそう言って受領書にサインして渡す。
「それでは鉄のインゴットが置いてある場所へ案内いたします。こちらへどうぞ」
ここで渡すわけではないのかと、一瞬意外に思った。
でも考えてみたら当然だ。鉄は重い。しかも錆びる。それなりのところに保管してあって当然だろう。
幸いこの受付嬢さんがそのまま案内してくれるようだ。
男性に代わらなくてよかった。そう思いつつ、受付嬢さんとリディナの後につづく。
一度外に出て、そして隣の建物へ。中は大丈夫かな……
うん大丈夫、倉庫みたいな建物だが、近くには誰もいない。
中も無人だった。ただ長さ三十指程度の鉄角材が、二十本ずつロープで束ねられた状態で積まれているだけだ。
「これがお願いする鉄のインゴットになります。一本が一重で、ロープで二十本、二十重ずつ束ねてあります。それでどれだけ運んでいただけるのでしょうか。紹介状では二百重程度は持ち歩けるとありましたけれど」
「四百重でお願いします」
リディナが打ち合わせ通り、そう申し出る。
「よろしいのでしょうか。野宿装備も運ぶ必要があると思いますけれど」
「大丈夫です。大容量の自在袋がありますから」
この束二十個分と考えると、思ったより少なく感じる。鉄は重い分、体積が小さいからだろう。
本当はこの倉庫にある全部を入れても大丈夫なはず。ただそうするとさすがに目立つ。
これくらいが限度だろう。少なくともリディナの判断ではそういうことだ。
「わかりました。四百重ですとここの横五個、上から四段目までを収納してください」
「わかりました」
リディナの台詞に合わせて収納する。うん、やっぱり余裕だ。
そして見た限り、受付嬢さんが怪しんでいる様子はない。この程度の量なら問題ない模様。やっぱりリディナの判断は正しかったようだ。
「さすがですね。それでは依頼状を正式に作成しますので、先ほどの部屋へ戻ります」
再び先ほどのカウンターに戻った後、受付嬢さんは依頼状に私の名前、分量、今日の日付を記載し、何かの魔法装置に通してから、リディナに渡す。
「これで正式に依頼は受領されました。それでは運送依頼、よろしくお願いいたします」
「こちらこそどうもありがとうございました」
ギルドを出る。
「さて、それじゃ山越えに行こうか。新しいお家のためにもお金を稼がないとならないしね。それにアコチェーノに行ったら、お家がいくらかかるか見積もりもしてもらえるだろうし」
そうだ。これは新しいお家計画なのだった。
「いくらくらいかかるだろう」
「うーん、正金貨十五枚くらいあれば、なんとかなると思うけれど。水回りとか壁塗りとかが一切ない木の大きな箱だから」
正金貨十五枚は正銀貨に換算すると七百五十枚。
今の手持ちが正銀貨百枚程度。残り正銀貨六百五十枚で、片道一回で正銀貨二十枚稼ぐならば、三十二・五回分。
「十六往復半」
「実際は途中で魔物や魔獣も狩るだろうし、もっと少ないと思うよ」
それでも夢のお家まで十二往復はかかるだろう。正金貨十五枚というのが確かなら。
「遠い道のり」
「でも三ヶ月程度で家が手に入ると思えば安いんじゃない」
確かにその通りだ。家のローンは日本だと、三十五年ローンとかもある。そう考えると格安だ。
もちろんリディナの見積もりが正しく、この仕事が順調ならばだけれども。
「道はこっちでいい?」
私は頷く。偵察魔法でそれらしい道は把握できているから。
「きつい道だったね」
私は無言で頷く。
私もリディナもアイテムボックスから出した家の中へ入るなり、ぐったりというか、ばったりだ。
今までずっと街道を歩いてきたし、狩りで山に入りもした。だから足腰には自信があった。
それでも今日の行程は厳しかった。
今までは馬車も通れる道だったから、坂も極めて緩やかだった。
しかし今日歩いたのは完全な登山道、いや登山道より酷い。倒木で塞がっていたり、崩れて足場がなくなっていたりしていたから。
手を入れている痕跡はある。崩れた場所に足場として木を渡してあったり、杭を打って補強してあったり。
しかしそういった手入れも追いついていない状態だった。
かつて木を伐りすぎたことが影響しているのだろう。
そしてさらに私たちにとって厳しいことがあった。家を出せる場所がなかなかなかったのだ。
そもそも山越えなので、家を出せそうな平らな場所がごく少ない。しかも稜線からローラッテ側は、森林育成中で伐採禁止だ。
その上、伐採で山の保水力が足りなくなったのか、谷部分は崩れが酷くて危険。
偵察魔法で周囲を調べた結果、ローラッテ側で家を出すことを諦めた。回復魔法を自分たちにかけながら、必死に稜線まで登り切る。
こんな場所でも魔獣や魔物がいないわけではない。
どこにでも出てくるゴブリン、やはりどこにでもいる魔鼠、山地に多い魔羚羊。
それに魔熊、魔山猫。洞穴を拠点にしていた頃と、同じくらいの遭遇率だった。
こっちが疲れていようとも、魔物は勘弁してくれない。だからとにかく埋めて倒して埋めて倒して、場合によってはリディナが切り刻んで倒して。
登っている最中に暗くなってしまったけれど、留まるわけにもいかない。私たちの野宿装備はあのお家だけなのだ。
そして暗くなってさらに出てくる魔物と魔獣。
真っ暗になって星が夜空に光り輝く頃。峠というか稜線のコル状の場所で、やっとそこそこ平らで広い、お家を出せる場所を発見した。
周囲に人の気配がないのをいいことに、そのまま家を出して、中へと倒れ込んだわけである。
「今日は夕食、ストックしてある出来合いのものでいい? ちょっと夕食を作る気力ない」
「もちろん」
ステータス上でSTRやVITが偏差値六十六の私が、回復魔法を併用しても、ここまで疲れているのだ。リディナはもっと疲れているだろう。
一応リディナにも、回復魔法はかけている。
でも念のために、治療魔法もかけておこう。筋肉痛を予防できるかもしれない。
自分自身も含めて治療魔法、それも効果高めのレベル2の方をかける。
「ありがとう。なんか少し楽になった。今のフミノの魔法だよね」
「治療魔法レベル2」
治療魔法は肉体を万全な状態へと戻すもの。
ただ疲れをとる効果もあるようだ。
完全に疲れがとれるわけではないけれど、意識できる程度には違いを感じた。
「半月と乳清でいい?」
「そうね、ありがとう」
私はテーブル上に皿、コップを出し、ローラッテで購入した半月と乳清飲料を入れる。
二人でずるずると椅子に座って夕食開始。
「なるほど。半月って、疲れていても食べられる形のわけね。手でそのまま掴めるから」
確かに。ただ疲れた身体の胃袋には、少しばかり重い。しかし食べないと体力が回復しない。
だから頑張って食べる。乳清飲料の甘さが疲れを取ってくれる気がして心地いい。
「いざというとき用に小型の家も必要」
「そうね。どこでも置けて二人で寝て食べることができる程度の大きさのものがあれば、ここより手前で休めたかも」
作り付けの二段ベッドとかを使えば、個室に準じた感じにはできるだろう。
簡素に設計すれば、今持っているお金でも作ってもらえる額に収められるかもしれない。
ただ今は疲れた。設計の余力はない。風呂すら入る気力もない。
もう今日は寝よう。この後すぐに。
翌朝、明るくなるとほぼ同時に起きて家を撤収。
今日の朝食はガレだ。アレティウムで買ったものだけれど、アイテムボックスのおかげで買ったときのまま。
まだ作ったときの温かさが残っている。やっぱり美味しい。
「今日は下りだけだから楽だよね」
私は頷く。そう、このときは私もそう思っていたのだ。
最初の半時間程度は快調だった。明るいおかげで魔獣や魔物は昨夜よりは出にくい。おまけに途中まではなだらかな尾根上を歩くので歩きやすい。
晴れていて空も青く、思わず鼻歌が出そうなくらいだ。
しかしその先、急な下りになってから半時間も経たないうちに、私たちは気づいた。
「ひょっとして下りの方が足に厳しいのかな?」
「そう感じる」
もちろん上りの方が体力を使う。
しかし下りの方が、足の筋肉に負担がかかるような気がするのだ。
その感覚は、次の半時間で間違いないものとなった。
「フミノごめん、回復魔法お願いしていい?」
私は頷いて、リディナと私の双方の足に回復魔法をかける。
ふくらはぎや足首に感じる危険な感じが、少しだけ楽になった。
「まさか下りの方が厳しいなんて思わなかったね。てっきり今日は楽だと思っていたのに」
「同感」
使う筋肉が、上りと下りで違うのだろう。普段あまり使わない筋肉を酷使するようで、かなり辛い。
しかもローラッテからの上りより、アコチェーノへの下りの方が長い気がする。
いや絶対に長い。間違いない。
「これを下るのも辛いけれど、これをまた上ってくるのもまた辛そうだよね」
頷く。確かにそうだ。
上りは下りより筋肉に負担はかからない。でも体力は下りより間違いなく消耗する。
さらに言うとこの辺の山は、木々の間隔が揃っていて下草も刈り込まれている。
つまり管理されている林だ。勝手に切ることはできない。
ゆえに、あのお家を出せるような広い場所は、昨晩泊まった稜線上以外にはない。
だから小さめの家を作らない限り、帰る際は稜線上まで一気に登る必要がある。
障害は坂と筋肉痛だけではない。
「魔猿。前方に群れ」
さらに魔獣や魔物が出てくるのだ。
魔猿はそれほど強くないけれど、数が多い。疲れる。泣きたい。
「ごめん、フミノ。私の魔法だと木まで切ってしまいそう」
「大丈夫。私が仕留める」
魔猿は大きさがそれほどでもない。だから樹上にいても土を大量に出してやれば落とせる。それで枝が折れるのは不可抗力、ということにしてもらおう。
「止まって。ここで待つ」
そう指示して、私はリディナの前に出る。まずは目の前のことを片づけてから。
早く下りて、インゴット渡して楽になりたいけれど、仕方ない。
街道が川の支流を越えたあたりから、山肌の様相が明らかに変わった。山の緑が薄い。よく見ると生えている樹木はどれも若く比較的細いようだ。
つまりこのあたりからが、木炭用として木を消費してしまった場所なのだろう。
土砂が崩れている場所がそこここにある。木を伐りすぎて土砂崩れが起こりやすくなったようだ。この辺の山を見ただけでわかる。
でもそれなら山向こうに生えている、成長の早いアコチェーノエンジュを植えればいいのではないだろうか。最初に話を聞いたときはそう思った。しかし後で調べてみると、そう簡単にはいかないらしい。
アコチェーノエンジュは、切り株や根元から新しい芽が生えるという方法で増える。種はできず挿し木もできない。また植え替えしてもすぐ枯れる。
つまりアコチェーノエンジュは、元から生えている場所以外では増えないし育たない。
現状ではアコチェーノ以外では育てられないのだ。
一説によると、アコチェーノエンジュはただの樹木ではなく、魔力をも栄養源とする魔樹らしい。
とはいえ植物型の魔物、たとえばトレントやマンドラゴラのように動いて人や獣を襲うわけではない。特異なのは成長の極端な早さだけだ。
なお、この辺の知識はボンヘー社の大百科事典に書いてあった。さすが本物の大百科事典。細かいことまで載っている。
壁と門が見えた。ローラッテの街門だろう。受付は残念ながら男の人。だからリディナにひっついて冒険者証を提示しながらなんとか通過する。
中を見るとそれほど大きい街ではない。建物もせいぜい二階建てまで。
ただずっと奥に独特の建物が見える。特徴的な色の耐熱煉瓦でつくられた、背の高い建物だ。
きっとあの辺が製鉄所なのだろう。
「どうする? ギルドに行く前に市場を見てみる?」
確かにそれもいいかなと思う。
他人は怖い。でもリディナがいれば少しは平気。
そして初めての街にはそれなりに何か面白い、あるいは美味しい食材があるかもしれない。
一度は見てみるべきだろう。だから私は頷く。
「それじゃ行こうか。この時間だからあまり残っていないかもしれないけれど」
二人でメインらしい通りを歩く。
市場街はすぐ見つかった。さっそくリディナにくっついて見ていく。
売っているものは、アレティウムとそう変わらない。おそらくこれが、内陸部の一般的な品揃えなのだろう。
穀類は大麦、小麦、ライムギの粉と大麦粒、トウモロコシ粒に米といった具合。ただし値段が、明らかにアレティウムなんかと違っている。
「安い」
「本当ね。アレティウムより二割くらい安い」
別にアレティウムの物価が高かったわけではない。今まで通ってきた街の物価は、どこも概ね同じくらいだった。
よく見ると安いのは穀類だけで、野菜や肉は同じくらい。いや、肉は少し安めかな。
しかしこんな山の中の村、そんなに安くなるほど大規模な農業をやっているとは思えない。なぜだろう。後で国勢図会か大百科事典で調べれば、この理由はわかるだろうか。
そう私が思ったときだった。
「おじさん。どうしてここは穀類が安いのかな?」
リディナが店のおじさんに尋ねる。
そうか、聞けばすぐわかる。相手が答えを知っているならば。考えてみればもっともだ。でも私には思いつかなかった。
ただこの方法、私には真似ができない。
もちろん私の対人恐怖症もかなりましにはなっている。店主が大人の男性の店だって、こうして入ることができるくらいだ。
でもこれは、すぐそばにリディナがいる場合限定。店主に話しかけるなんて、とてもとても。
だから人に聞くという方法は、あくまで参考にとどめておく。
「そっか、お嬢ちゃんたちは他の領地から来たんだな。ここフェルマ伯領は鉄鋼業と木材加工業という力仕事でもっている領地だからよ。いっぱい食べられるように、フェルマ伯が穀類に対して補助をしているんだ。領内の穀類は全部領主が買い上げた上で、足りない分を他領から仕入れて、うちみたいな店に卸している。その卸価格が大商会より安い分、ここの穀類も安くなるってわけよ」
「でもそれじゃ農家からの買取価格が安くならないの」
「むしろ大商会より高いくらいらしい。その分領主の儲けが少ないんだろ。だがそのおかげでこの領地は常に人に困らないわけだ。そう考えればフェルマ伯様々ってところだね」
なるほど。でもそれでは大商会に睨まれないだろうか。
リディナはその辺まで聞く気はないようだ。確かにこのおっちゃんがそこまで知っているか怪しいだろうし。
「それじゃ小麦粉、五重貰おうかな」
「毎度あり」
「あと、この辺でテイクアウトで美味しいお店ってある?」
「評判がいいのは、この先の満腹商店の半月だな。美味いし腹も膨れる」
「ありがと」
こういったやりとり、いつか私もできるようになるのだろうかと思う。
今はまだまだ無理でも、あと一年くらい頑張ればなんとかなるかな。
満腹商店の半月とは、日本で言うピザに似たものだった。
円形で直径は二十指程度と小さい。生地の厚さは一指のふかふか系で、生地そのものもピザとよく似ている。チーズや具材を載せて焼くところまで同じ。
しかし食べ方が違う。店では焼いた円形のものを折りたたんで半円形にして出してくれる。それを少しずつ食べるという仕組みだ。
つまりピザまるごとを半分に折って、一人で食べるようなもの。半月という名称は、きっと折った形が半月形だからだろう。
ギルドに行くのでとりあえず収納したけれど、なかなか美味しそう。食べてみたくても、まだお腹が空いていない。だから一人だと多すぎる。
リディナと半分ずつなら大丈夫だろう。しかしリディナは今食べたいだろうか。
そんなしょうもないことを考えながら、冒険者ギルドへ行く。
ギルドは私たちが入ってきた門から見て奥の方にあった。製鉄所らしい、あの耐熱煉瓦の建物がある場所のすぐ手前だ。
「大丈夫、空いているよ」
先行したリディナにそう言われておそるおそる中へ。
空いてそうな時間を選んだので大丈夫だろう、とは思っていたけれど。
「討伐や採取の褒賞金受け取りと、新規依頼受領に来ました」
「わかりました。どうぞこちらへ」
今回も受付は無事女の人だ。よしよし。そう思いつつリディナと並んでカウンターに座る。
「それでは冒険者証と対象の提出をお願いいたします」
「わかりました」
私はアイテムボックスから自分の冒険者証と、討伐対象である魔獣の死骸と魔物の魔石を出す。
今回は一泊二日分なので数は多くない。魔小猪一頭の他は、ゴブリンやスライムの魔石、あとは薬草を少しという程度。
ただ魔小猪が体長半腕、重さ十五重なので場所は結構とる。
「こちらの薬草も一緒に計算してよろしいでしょうか」
「ええ、お願いします」
「わかりました。それでは計算してまいります。このままお待ちください」
この辺は、どこの冒険者ギルドでもおなじみの手続きだ。
しかし今日はすぐに受付嬢さんが戻ってきた。
「ただいま裏で計算をしていますので、先に次の案件を伺いましょう。どの依頼を受けていただけるのでしょうか」
これなら待たずに済むから助かる。なかなかここのギルドはサービスがいい。
今回も待つと思っていたので、とっさに次の用件をどう頼もうか、言うべき言葉が出てこない。
もちろん対人担当はリディナがやってくれる。しかし最近は訓練として、こういう場合に私はどう言うべきかを考えるようにしているのだ。
ただ今みたいに相手の反応が予想と少しでも違うと、私の言語中枢はオーバフローしてしまう。
「アコチェーノまでの運搬に関する常時依頼があると、バマルケの冒険者ギルドで伺いました。こちらが紹介状になります」
リディナがそう言ってくれた。なるほどその通りだ。
こういう状況に応じた台詞というのは、どうすれば上手く、さっと口に出せるのだろう。
私は、どう言えば相手にわかってもらえるのか、すぐに文章が出てこない。まさに今のように。
私の場合、会話の必要がありそうな際は、事前に頭の中で状況をイメージし、案文をいくつも作った上で練習する。
そうやっても、実際には言いたいことの半分もうまく言えない。
その辺、リディナは凄いなと思う。私の考えも全部理解してくれた上で、その場に応じてさらっと代弁してくれるから。
これだけでも充分リディナと組んでいる価値はある。
まあ他の点でもリディナがいないと、私は駄目駄目なのだけれど。冒険者ギルドだって、一人で入るのは無理だし。
受付嬢さんは、封筒を開封して中を確認する。
「アコチェーノまでの鉄インゴットの運搬依頼ですね。引き受けていただけると大変助かります。では本依頼の詳細について説明させていただきます」
受付嬢さんは机の下から紙片を取り出す。
見ると掲示板に貼ってあるのと同じような依頼状だ。しかしいくつかの欄が空欄になっている。
「こちらがお持ちいただく依頼状になります。お渡しする際にパーティ代表者名、運搬していただく分量、依頼年月日を記載します。その後、鉄インゴットをアコチェーノの冒険者ギルドへ運搬、インゴットとこの依頼状を提出することで依頼完了となり褒賞金が支払われます」
ここまでは当たり前の内容だ。だから私もリディナも頷きながら聞いている。
「なお運搬に要する期間は、こちらでインゴットをお渡しした日から数えて最大で八日間です。八日間あれば山越えをせず、サンデロント経由で行っても、余裕で着くことができるはずです。この期間を過ぎると依頼失敗となります。ただなんらかの事故で期間内にたどり着けなかった場合でも、生きているならば必ずこちらかアコチェーノの冒険者ギルドに出頭してください。出頭されるまではインゴット盗難のおそれありということで、冒険者ギルド手配がかけられてしまいますから」
うんうん、もっともだ。私もリディナも頷く。
「次は報酬についてです。アコチェーノの冒険者ギルドでインゴットを引き渡し、依頼書を提出した時点で報酬をお支払いいたします。報酬は期間内なら要した日数にかかわらず二十重あたり正銀貨一枚です。こちらでお渡しした時点でこの依頼書にお渡しした年月日と量を記載します。どれくらいお持ちになるかについて、今のうちに考えてください。それでは先ほどの討伐・採取依頼の計算書及び褒賞金を持ってまいります」
「どれくらい持っていく?」
リディナが小声で私に尋ねる。
「不審にならない量、目いっぱい」
私のアイテムボックスの容量は神様のお墨付きだ。その気になればいくらでも大丈夫。
ただあまり常識はずれな量を持っていくと、それはそれで問題になるだろう。その辺の判断はリディナ任せということで。
「なら四百重にしようか。これくらいなら最高級品の大容量自在袋で持っている商人もいないわけじゃないから。そんなの持っているのは、それこそ大商人くらいだけれどね。魔法の発達した異国から来たのなら不思議じゃないでしょ」
四百重ということは片道正銀貨二十枚か。
一泊二日の山越えで、それだけ稼げるなら悪くない。途中で魔獣や魔物が出たら、さらに儲かるだろうし。
「わかった」
私は頷く。
受付嬢さんが戻ってきた。
「お待たせしました。合計で正銀貨九枚、小銀貨八枚、正銅貨六枚になります。詳細は計算書の通りです。ご確認ください」
計算書を確認。魔小猪は皮も肉も使えるからか、いい金額になった。
「確認しました。大丈夫です」
リディナがそう言って受領書にサインして渡す。
「それでは鉄のインゴットが置いてある場所へ案内いたします。こちらへどうぞ」
ここで渡すわけではないのかと、一瞬意外に思った。
でも考えてみたら当然だ。鉄は重い。しかも錆びる。それなりのところに保管してあって当然だろう。
幸いこの受付嬢さんがそのまま案内してくれるようだ。
男性に代わらなくてよかった。そう思いつつ、受付嬢さんとリディナの後につづく。
一度外に出て、そして隣の建物へ。中は大丈夫かな……
うん大丈夫、倉庫みたいな建物だが、近くには誰もいない。
中も無人だった。ただ長さ三十指程度の鉄角材が、二十本ずつロープで束ねられた状態で積まれているだけだ。
「これがお願いする鉄のインゴットになります。一本が一重で、ロープで二十本、二十重ずつ束ねてあります。それでどれだけ運んでいただけるのでしょうか。紹介状では二百重程度は持ち歩けるとありましたけれど」
「四百重でお願いします」
リディナが打ち合わせ通り、そう申し出る。
「よろしいのでしょうか。野宿装備も運ぶ必要があると思いますけれど」
「大丈夫です。大容量の自在袋がありますから」
この束二十個分と考えると、思ったより少なく感じる。鉄は重い分、体積が小さいからだろう。
本当はこの倉庫にある全部を入れても大丈夫なはず。ただそうするとさすがに目立つ。
これくらいが限度だろう。少なくともリディナの判断ではそういうことだ。
「わかりました。四百重ですとここの横五個、上から四段目までを収納してください」
「わかりました」
リディナの台詞に合わせて収納する。うん、やっぱり余裕だ。
そして見た限り、受付嬢さんが怪しんでいる様子はない。この程度の量なら問題ない模様。やっぱりリディナの判断は正しかったようだ。
「さすがですね。それでは依頼状を正式に作成しますので、先ほどの部屋へ戻ります」
再び先ほどのカウンターに戻った後、受付嬢さんは依頼状に私の名前、分量、今日の日付を記載し、何かの魔法装置に通してから、リディナに渡す。
「これで正式に依頼は受領されました。それでは運送依頼、よろしくお願いいたします」
「こちらこそどうもありがとうございました」
ギルドを出る。
「さて、それじゃ山越えに行こうか。新しいお家のためにもお金を稼がないとならないしね。それにアコチェーノに行ったら、お家がいくらかかるか見積もりもしてもらえるだろうし」
そうだ。これは新しいお家計画なのだった。
「いくらくらいかかるだろう」
「うーん、正金貨十五枚くらいあれば、なんとかなると思うけれど。水回りとか壁塗りとかが一切ない木の大きな箱だから」
正金貨十五枚は正銀貨に換算すると七百五十枚。
今の手持ちが正銀貨百枚程度。残り正銀貨六百五十枚で、片道一回で正銀貨二十枚稼ぐならば、三十二・五回分。
「十六往復半」
「実際は途中で魔物や魔獣も狩るだろうし、もっと少ないと思うよ」
それでも夢のお家まで十二往復はかかるだろう。正金貨十五枚というのが確かなら。
「遠い道のり」
「でも三ヶ月程度で家が手に入ると思えば安いんじゃない」
確かにその通りだ。家のローンは日本だと、三十五年ローンとかもある。そう考えると格安だ。
もちろんリディナの見積もりが正しく、この仕事が順調ならばだけれども。
「道はこっちでいい?」
私は頷く。偵察魔法でそれらしい道は把握できているから。
「きつい道だったね」
私は無言で頷く。
私もリディナもアイテムボックスから出した家の中へ入るなり、ぐったりというか、ばったりだ。
今までずっと街道を歩いてきたし、狩りで山に入りもした。だから足腰には自信があった。
それでも今日の行程は厳しかった。
今までは馬車も通れる道だったから、坂も極めて緩やかだった。
しかし今日歩いたのは完全な登山道、いや登山道より酷い。倒木で塞がっていたり、崩れて足場がなくなっていたりしていたから。
手を入れている痕跡はある。崩れた場所に足場として木を渡してあったり、杭を打って補強してあったり。
しかしそういった手入れも追いついていない状態だった。
かつて木を伐りすぎたことが影響しているのだろう。
そしてさらに私たちにとって厳しいことがあった。家を出せる場所がなかなかなかったのだ。
そもそも山越えなので、家を出せそうな平らな場所がごく少ない。しかも稜線からローラッテ側は、森林育成中で伐採禁止だ。
その上、伐採で山の保水力が足りなくなったのか、谷部分は崩れが酷くて危険。
偵察魔法で周囲を調べた結果、ローラッテ側で家を出すことを諦めた。回復魔法を自分たちにかけながら、必死に稜線まで登り切る。
こんな場所でも魔獣や魔物がいないわけではない。
どこにでも出てくるゴブリン、やはりどこにでもいる魔鼠、山地に多い魔羚羊。
それに魔熊、魔山猫。洞穴を拠点にしていた頃と、同じくらいの遭遇率だった。
こっちが疲れていようとも、魔物は勘弁してくれない。だからとにかく埋めて倒して埋めて倒して、場合によってはリディナが切り刻んで倒して。
登っている最中に暗くなってしまったけれど、留まるわけにもいかない。私たちの野宿装備はあのお家だけなのだ。
そして暗くなってさらに出てくる魔物と魔獣。
真っ暗になって星が夜空に光り輝く頃。峠というか稜線のコル状の場所で、やっとそこそこ平らで広い、お家を出せる場所を発見した。
周囲に人の気配がないのをいいことに、そのまま家を出して、中へと倒れ込んだわけである。
「今日は夕食、ストックしてある出来合いのものでいい? ちょっと夕食を作る気力ない」
「もちろん」
ステータス上でSTRやVITが偏差値六十六の私が、回復魔法を併用しても、ここまで疲れているのだ。リディナはもっと疲れているだろう。
一応リディナにも、回復魔法はかけている。
でも念のために、治療魔法もかけておこう。筋肉痛を予防できるかもしれない。
自分自身も含めて治療魔法、それも効果高めのレベル2の方をかける。
「ありがとう。なんか少し楽になった。今のフミノの魔法だよね」
「治療魔法レベル2」
治療魔法は肉体を万全な状態へと戻すもの。
ただ疲れをとる効果もあるようだ。
完全に疲れがとれるわけではないけれど、意識できる程度には違いを感じた。
「半月と乳清でいい?」
「そうね、ありがとう」
私はテーブル上に皿、コップを出し、ローラッテで購入した半月と乳清飲料を入れる。
二人でずるずると椅子に座って夕食開始。
「なるほど。半月って、疲れていても食べられる形のわけね。手でそのまま掴めるから」
確かに。ただ疲れた身体の胃袋には、少しばかり重い。しかし食べないと体力が回復しない。
だから頑張って食べる。乳清飲料の甘さが疲れを取ってくれる気がして心地いい。
「いざというとき用に小型の家も必要」
「そうね。どこでも置けて二人で寝て食べることができる程度の大きさのものがあれば、ここより手前で休めたかも」
作り付けの二段ベッドとかを使えば、個室に準じた感じにはできるだろう。
簡素に設計すれば、今持っているお金でも作ってもらえる額に収められるかもしれない。
ただ今は疲れた。設計の余力はない。風呂すら入る気力もない。
もう今日は寝よう。この後すぐに。
翌朝、明るくなるとほぼ同時に起きて家を撤収。
今日の朝食はガレだ。アレティウムで買ったものだけれど、アイテムボックスのおかげで買ったときのまま。
まだ作ったときの温かさが残っている。やっぱり美味しい。
「今日は下りだけだから楽だよね」
私は頷く。そう、このときは私もそう思っていたのだ。
最初の半時間程度は快調だった。明るいおかげで魔獣や魔物は昨夜よりは出にくい。おまけに途中まではなだらかな尾根上を歩くので歩きやすい。
晴れていて空も青く、思わず鼻歌が出そうなくらいだ。
しかしその先、急な下りになってから半時間も経たないうちに、私たちは気づいた。
「ひょっとして下りの方が足に厳しいのかな?」
「そう感じる」
もちろん上りの方が体力を使う。
しかし下りの方が、足の筋肉に負担がかかるような気がするのだ。
その感覚は、次の半時間で間違いないものとなった。
「フミノごめん、回復魔法お願いしていい?」
私は頷いて、リディナと私の双方の足に回復魔法をかける。
ふくらはぎや足首に感じる危険な感じが、少しだけ楽になった。
「まさか下りの方が厳しいなんて思わなかったね。てっきり今日は楽だと思っていたのに」
「同感」
使う筋肉が、上りと下りで違うのだろう。普段あまり使わない筋肉を酷使するようで、かなり辛い。
しかもローラッテからの上りより、アコチェーノへの下りの方が長い気がする。
いや絶対に長い。間違いない。
「これを下るのも辛いけれど、これをまた上ってくるのもまた辛そうだよね」
頷く。確かにそうだ。
上りは下りより筋肉に負担はかからない。でも体力は下りより間違いなく消耗する。
さらに言うとこの辺の山は、木々の間隔が揃っていて下草も刈り込まれている。
つまり管理されている林だ。勝手に切ることはできない。
ゆえに、あのお家を出せるような広い場所は、昨晩泊まった稜線上以外にはない。
だから小さめの家を作らない限り、帰る際は稜線上まで一気に登る必要がある。
障害は坂と筋肉痛だけではない。
「魔猿。前方に群れ」
さらに魔獣や魔物が出てくるのだ。
魔猿はそれほど強くないけれど、数が多い。疲れる。泣きたい。
「ごめん、フミノ。私の魔法だと木まで切ってしまいそう」
「大丈夫。私が仕留める」
魔猿は大きさがそれほどでもない。だから樹上にいても土を大量に出してやれば落とせる。それで枝が折れるのは不可抗力、ということにしてもらおう。
「止まって。ここで待つ」
そう指示して、私はリディナの前に出る。まずは目の前のことを片づけてから。
早く下りて、インゴット渡して楽になりたいけれど、仕方ない。
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