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3話 アルルとリンネ
とても嫌な予感がしました
しおりを挟む「ふむ。調子よさそう」
飛びかかってきたスライムを叩き潰し、もののついでに数回素振りをしてみます。
先程受け取った"黒刀"は、見事その性能を発揮し、粘つくスライムの体液をことごとく蒸発させてしまいました。
「正しくは体液を吸収しているので、使用するごとに切れ味は鈍くなってしまいます。ですので、良く晴れた日は天日干しにして、コンディションを整えてあげるのです」
リンネさんからレクチャーされますが、何度聞いても武器の手入れという概念から激しく逸脱していました。
「見方を変えれば、それだけ特殊な武器ってことか」
「そうとも言えます。……ただ、この先どれほど役に立つか。スライム以外の怪物に通じる特性ではありませんから」
ぽつりと付け加えられた独り言。何となく耳に引っかかりました。
リンネさん、この先で何かとてつもない大物が待ち構えているとでも言いたげな口調です。
「巨大スライム以外の脅威がいるとでも? ここ街の地下なのに?」
「それを言ってしまえば、巨大スライムがいたこと自体おかしな話です」
先日彼女から教えてもらった通り、スライムは周囲の環境に適応して生きる怪物です。
あの軟体な身体は乾燥や熱には弱いですが、わずかな水分で再生できるほど生命力が強く、場合によっては毒や酸のような特性を有する個体もいるわけです。
「大型怪物が跋扈する洞窟の奥深くに生まれ、生存競争に打ち勝った個体は皆、あれくらい膨潤な身体を有しています。先日見た二体、あれほどの巨体となるためには相当な栄養を喰らったとみるべきです」
「まさか、リーフさんのように街の人を次々と?」
「いいえ。所詮はスライムです。冒険者の目をかいくぐり、街行く人を捕食し続ける知恵など働きません」
「それじゃあ、あれは一体どこであんなに大きく?」
リンネさんは、素直に「分かりません」と首を振ります。
「気になる点はまだあります。剣士の少年の死因と、獣人の娘の行方です」
死因と行方?
「昨日あの後、ギルドが回収した少年の遺体を確認してきました。随分酷い有様で、あれはどう見ても何か強大な力によって圧死したとしか考えられません。スライムにそんな殺し方はできない。何より、獲物を捕食していない点が不可解です。行方知れずの娘も同様に」
「マインさんの方は、綺麗さっぱり溶かされてしまっただけじゃないの?」
「可能性はありますが、跡形もなく溶かすには少し時間かかります。あの時倒した二体とはまた別の個体が近くにいたということになりますが、わたしがその存在に気付かなかったのはおかしいです」
それもそうか、と顎に手を当て、乏しい知恵を絞ります。
根拠がややおかしいですが、彼女が言うと説得力がありますし、私もそんな気配には気づきませんでした。これでも元盗賊、その辺りは敏感です。
リンネさんは見解を述べます。
「これらの謎をすべて解き明かす仮説は一つしか思い当たりませんでした」
「それは?」
「あのスライムは街の地下で生まれ育ったわけではなく、深い洞窟の奥底からやってきて地下水道へ侵入したのです。誰にも気づかれることなく、こっそりと」
私は当然疑問に思います。
「そんなの、一体どうやって?」
「そうですね、例えば」
その答えは、細い通路の突き当たりでぽっかりと口を開けて待ち構えていました。
「穴を掘るとか」
目の前にあったのはトンネルでした。水路の外壁が崩され、人ひとりが悠々と通り抜けできるような大きな穴が穿たれていたのです。
「これは……」
「横穴ですね。ものの見事に掘り抜かれています」
驚きを隠せない私の隣で、リンネさんはランタンをかざして冷静に周囲を観察していきます。
辺りの床には砕かれたレンガや土くれが散乱し、穴の向こうから何物かが入ってきたことを物語っていました。
「これ、一体どこに続いて?」
「かつての地底湖の一つでしょう。今は水がなくなり天然の洞窟になっているはずです」
「……なんでそんなことを知ってるの?」
「単なる推測に過ぎません」
スラスラと答えるリンネさんに疑問を抱き、まじまじと横顔を見つめます。
リンネさんは涼しい顔で「見てください」とトンネルの壁面を指差しました。
「あれ、これって……」
不思議なことに、壁一面がレンガで補強されていました。
だいぶ痛んでいますが、床にも歩きやすいように石のタイルが敷かれ、まるで水路内と同じように整備されていたのです。
突貫工事で掘り抜いただけの、ただのトンネルとは思えません。
「これはかつての水路の跡なのです。ここを通して湖の地底から水を引き込んでいたのでしょう。やがて地底湖の水がなくなり、不要となった水路の出入り口を閉じたのです。ここにはいくつもこうしたトンネルが存在しているはずです」
「そういうことなんだ……」
妙に納得して呟きます。
水のなくなった広大な空間はそのまま天然の洞窟となり、そこで野生の命が育まれていたのです。
「それじゃあ、放置していたトンネルのうちの一つが偶然崩れて、そこから例のスライムが?」
あるいは怪物自身がこのトンネルを見つけて、壁を崩し、街の地下水道内部に進出したとも考えられます。
「恐らくそうでしょう。そして、同様に|剣士の少年はここから出てきた"何か"に襲われたのです。この壁を壊したのはスライムではありませんから」
「えっ、そんなことまで分かるの?」
「壁面と穴の周囲を見れば分かります。無秩序に溶かされたわけではありません。明らかに意図して壁が破壊されています。こんな真似をするのは、ゴブリンか、はたまたオークか」
リンネさんは推考を重ね、犯人と思わしき人物に、醜い顔を小鬼と、その上位種である怪物の名を挙げます。
「いずれにせよ、連中にそんな知能はありません。強大な怪物を街の地下へと導いた第三者かが裏に居るはずです」
「え? 怪物が偶然トンネルを見つけて壁を壊しただけじゃないの?」
語られる突飛な推測に私は驚愕しますが、リンネさんは静かに首を振ります。
「その可能性はありますが……。もしそうなら、もっと被害は拡大しているはずです」
これが怪物の仕業による偶発的な侵攻ならば、彼らはもっと好き勝手に振る舞い、いたずらに騒ぎを大きくし、目立っていたに違いない、とリンネさんは指摘します。
しかし実際のところ、私たちが巨大スライムと遭遇するまで、ギルドはこの異常事態を把握していませんでした。
「何故、連中はアルル様たちに発見されるまで騒ぎを起こさずにいられたのでしょうか。より上位の存在による命令に従い、その時を待っていたと考えれば辻褄が合います」
リンネさんの見解を一通り聞き、
「……まさか」
私は、とても嫌な予感がしました。あろうことか、思い当たる節があったのです。
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