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5話 王都、陥落
殺戮劇の幕開け
しおりを挟む「さあ、アルル様。お手を」
「ん、しょっと。ふう……」
リンネさんの手を借りてどうにか竪穴から這い上がります。
乱れた息を整える間、何となく周囲を見回します。
隠し通路の先は森の中でした。
王都の西方に連なる峰の、尾根の一つに出て来たようです。
通路内には灯りすらなく、埃と湿気まみれの澱んだ空気に満たされており、もう長いこと使用した形跡がありませんでしたが、無事逃げ出せたようです。
「ありがとうね」
「いいえ、こちらのセリフです」
先の手助けのお礼を述べると、身に覚えのない感謝が返ってきます。
首を傾げた私を手招きし、リンネさんは木々の向こうに見える王都の中心地を指差しました。
「間一髪でした」
「うわ……」
切り立つ崖の上から眼下に見渡す王都の街並みは、阿鼻叫喚の地獄絵図でした。
あちこちから上がる火の手。
音を立てて崩れゆく建物。
倒れた者を置き去りにして逃げ惑う人々。
そして、黒い津波の如く押し寄せる夥しい数の怪物たち。
大地を削り、空を覆い尽くし、軍勢は着々と王都を侵略していきます。
魔神王の森から始まり、私たちのいる西側へ。
彼らの通った後に残るのは、建物の残骸と住民たちの成れの果てです。
兵士たちは王都中央の王城に立てこもり、かろうじて怪物の侵攻を押し留めていますが、時間の問題でしょう。
私たちが部屋を飛び出したのが真夜中で、今ようやく東の空が白み始めたところ。
わずか数時間足らずで、栄華を誇った都は陥落してしまいました。
「ここはもう駄目ですね」
世界の終焉を彷彿とさせる惨状を前に、リンネさんは怜然と一つの都の終わりを告げます。
「魔神王との戦いって、いつもこんなに一方的なの?」
「いいえ。これほどの蹂躙劇が常に可能なら、この世はとっくに魔神王の支配下になっているでしょう」
「じゃあ、今回は?」
私の疑問に、リンネさんはぼそりと。
「地下のトンネル、でしょうね」
「それって……。でもあれは、水の街に繋がっているもので」
アクアマリンは王都の北西に位置しています。
もしも魔神王が地下のトンネルを利用し怪物を送り込んだのなら、そちらから火の手が上がるはず。
今のところその様子はありません。
往生際悪く弁明する私に、リンネさんは「そうではありません」と首を振ります。
「トンネルがあそこまで通っているのなら、当然王都の地下にも同じものを用意する余裕があったということです」
「あ……」
「迂闊でした。姫君誘拐時の状況から推測できたことなのに」
リンネさんは失意の声を落とします。
結局、私たちの掴んでいた情報など何の役にも立たなかったのです。
「森から来ると見せかけて、下から奇襲を……。でも、今通ってきた隠し通路には何もいなかったよ?」
「方向的に逆だからです。王都全体に怪物を配置するほどの時間はなかったのでしょう、森のある東側に戦力を集中させています」
リンネさんは推測を続けます。
「どういうわけか、魔神王は王都襲撃の計画をかなり早めたようです。本来であれば、森、王都の地下、それから水の街に潜伏させた三つの部隊を使って王都を攻め落とすつもりだったはず。数の上では劣勢に立たされているからこその奇襲だというのに、何故?」
あえて戦力を分散させず、一丸となって都を攻めるよう方針を変えたというより、部隊を配置する手間すら惜しんで侵攻してきた風に見えるとのこと。
あえて事を急ぐ魔神王の意図が見えません。
「ご覧ください、魔神王自ら最前線で活躍中です」
「え、どこ?」
リンネさんが指差す先を注視します。
豆粒くらいの大きさですが、確かに。
見覚えのある青年が黒衣のマントをはためかせ、我が物顔で天下の往来を闊歩している様がかろうじて見て取れました。
リンネさん、どんな視力をしているんでしょうか。
「あれを止められないことが一方的な蹂躙を強いられている要因です。急な襲撃による不利、崩れた体勢を立て直す暇さえ見出せず防戦一方。全体の士気は下がり、指揮系統も麻痺したまま。いくら数で勝ろうと、押し切られてしまうのも無理はありません」
勇敢にも魔神王に挑むのは、城に仕える屈強な兵士たちと腕利き冒険者の混合部隊。
ひとつの強大な敵を前に、彼らは手を取り合い、四方から襲い掛かります。
絶殺の意志の下、振り下ろされる剣戟。
その中心で魔神王がひとたび腕を振るうと、集結した武装兵たちはおもしろいように吹き飛びました。
無謀にも、物陰から特攻を敢行した冒険者は鎧ごと腹部を貫かれ串刺しに。
それを目の当たりにした者の戦意は大いに削がれ、武器を捨てて逃げ出す始末。
その背中を無慈悲な投石が貫きます。
繰り広げられるのは一方的な殺戮劇。
抗うことを許さない暴虐無尽の限りを尽くし、邪魔な死体を粉微塵に消し飛ばしながら、魔神王は悠然と歩みを進めます。
血肉の海に立ち、高笑いする魔神王。
その傍らに寄り添う女性の姿がありました。
褐色の肌、頭部には湾曲した二本の角が生え、露出の高い挑発的なドレスを身に纏っています。
遠目に見て随分様変わりしていましたが、確かにお姫様です。
腕に抱えた何かに優しく微笑み掛けているように見えます。
なるほど、合点がいきました。
「新しい後継ぎの誕生か……」
「はい?」
「ほら、お姫様のお腹の」
「ああ、なるほど。連中それでこんな無茶をやらかしに来たのですか」
長いマリッジブルーを乗り越え、婚姻の契りを結んだ二人の愛の結晶。
一児の父となった魔神王は、将来有望な我が子のためひと肌脱いだと。
まだ世を知らぬ幼心に父の偉大な勇姿を刻み付け、憧憬の灯を抱かせたかったのでしょう。
派手めの出産祝いということです。
それにしたって、何もお姫様の故郷でやることないでしょうに。
「わたしはてっきり、魔城から宝物を持ち出したことがばれてしまったのかとばかり」
さらりととんでもないことぶっちゃけましたね……。
「何をしているのよ、神官様?」
火事場泥棒ここに極まれり。
よもや、命を握られたあの状況下で盗みを働くとは。
元盗賊の私でもしませんでしたよ、そんなこと。
「全て姫君の部屋に置いてきてしまったので、結局無駄になりました」
戦火に包まれ始めた王城の一室で、宝とやらも燃え尽きていくのでしょう。
特別執着心を見せないあたり、魔神王への嫌がらせが目的だったのかも知れません。
えげつないなあ……。
「……ねえ」
夜空を焦がす紅蓮の色に顔を染めながら、しばらくの間立ち尽くしていた私は、ふと思い至ったことを口にします。
「ひょっとしてこれ、私たちが嘘を吐かなければこうはならなかったんじゃ?」
もしもあの時、リンネさんが名乗り出ず、鎧の騎士がスライム塗れのお姫様を救い出していたならば……。
考えずにはいられませんでした。
「結果論です」
「考え得る限り最悪の結果なんだけどそれは?」
「それもまた運命。女神様のお導きです」
「……それ、女神様の威光を貶めてない?」
どこまでも、神官らしからぬリンネさんでした。
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