ゆかりさんとわたし

謎の人

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プロローグ

〝みぃちゃんは、優しいわね〟

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 幽霊とは、強い思念が創り出すエネルギー体の一種である、と本には書いてありました。怨嗟や想い残り、それから好意などの強い感情によって生み出されるのだと。
 ゆかりさんがこの家に住み着いていて、わたしにだけその姿が見えるというのであれば、わたしがここに足を運ばない理由はないのです。

 ひとりで住まうにはおよそ広過ぎるこの家屋で、日長一日ひとり寂しく縁側に腰掛け空など眺めるゆかりさん。そんな姿を思い浮かべる時、わたしはとても切なくなります。
 胸が締め付けられるというのは、きっとこのような感覚のことを言うのでしょう。放っておくことはできません。
 だからわたしは、可能な限りの時間を使って、ゆかりさんのもとを訪れているのです。少しでもいい、彼女の心労が和らいでくれることを願って。

 だというのに、ゆかりさんときたら、


〝私は色々と恵まれているわねえ〟


 などと、穏やかな笑みすら浮かべて伝えてくるものですから、わたしはぽかんとしてしまいます。


「何言っているの、ゆかりさん?」


 まるで意味が分からなく訊ね返すと、彼女は決まって穏やかに微笑んで、


〝だって、そうでしょう? ここに居るだけでみぃちゃんが毎日会いに来てくれるんだもの〟


 と書かれたスケッチブックをわたしに見せてきます。

〝みぃちゃん〟というのは、わたしのことです。すみれというわたしの名前を略した呼び方で、ゆかりさんは昔からわたしをそう呼びます。
 こういう少々複雑な会話は、手話やジェスチャーでなく筆談を用いて行われます。ゆえに彼女は、スケッチブックを手放しません。

 ゆかりさんは想いの込もった物になら触れるのだと言います。より限定するのなら、彼女を想うわたしが彼女へ贈った物に触ることができる、と。
 なので、ゆかりさんの不自由にならないよう、この家のありとあらゆるものにはわたしが時々触れ回っています。特に会話に必要なスケッチブックとペンは毎回わたしがプレゼント。彼女のことを真剣に考え、選んだ物だと殊更扱いやすいとか。
 そんな不安定な代物にも関わらず、文字の美しさと書く速度はわたしと比べ物になりません。余程の長文でない限り、会話は途切れず進みます。

 ゆかりさんはスケッチブックに続きの言葉を書き加えます。


〝病弱なのも捨てたものじゃないわ〟
「またそういうことを言う……。ゆかりさんは本当にこのままでいいの?」


 確かに以前のゆかりさんは病弱でした。今のゆかりさんは病弱っていうのでしょうか? 
 わたしは冗談交じりに、半ば本気で訊ねてみます。今の彼女を見ていると、積極的に現状を何とかすることなど望んでいないような印象を受けてしまいかねません。

 もちろん、わたしだってせっかく帰って来てくれたゆかりさんがある日突然居なくなったりしたらと思うと……。不安で眠れない夜もあります。
 けれど、同時に思うのです。本当にこのままでいいのか、と。
 幽霊なんて、よくある物語の中だと取り祓われるべき悪物。そんな存在として在り続けていても良いことなんてありません。

 酷く矛盾した想いを抱えて、迷ってばかりのわたし。
 独りの夜に弱気になってしまうのなら、せめて起きている今くらいは強がっていたいと思い、あえて訊ねます。ゆかりさんは、本当にこのままここに居ていいのか、と。

 ゆかりさんは質問の答えを書いて、わたしに見せてきます。


〝どうにかしようと思ってどうにかなるものではないわ。だからいいのよ、このままで〟
「…………」


 あくまでもにこやかに。
 まったく変わらない速度でさらさらと。
 ひとつの動揺も見せずにこういうことを書いてしまうことができる……。
 その事実が、わたしから続く言葉を奪います。

 毎回のことです。こういう類の質問に対して、ゆかりさんは冷静に淡泊な答えを返してきます。他人事のように、自身のことを語ります。
 そんな彼女の穏やかな顔を見るたび、わたしはうすら寒いものを感じて背筋を震わせ、しかしそんなことがどうでもよくなるくらい悲しくて、胸の奥が熱くなるのです。


「ゆかりさんは、どうして平気でそういうこと……」


 表情を強張らせてしまったわたしに、ゆかりさんはスケッチブックの裏面の新しいページにさらさらと文字を書いて、ひっくり返して見せてきます。


〝みぃちゃん。どれほど嘆いても悲しんでも、私はどうにもならないわ。多分私が陥っている状況は、そういうものじゃないから〟
「どうしてそんな風に言い切るの?」


 言ってから、思わず責めるような口調になってしまったことを後悔します。彼女が悪いわけじゃない。
 むしろ一番不幸な目に遭っているというのに。

 病弱だった頃は病室に寝たきり。幽霊になった今も、色々な行動に制限がかかっているのだそうです。
 たとえば、この家の敷地から出られなかったり、両親にさえ己の存在を誇示できなかったり。
 そんな状態のまま穏やかに日々を暮らしていくことなんてできるとは思えないのです。ある日突然、終わりを迎えてしまいそうで。

 もしもそうなったら、わたしは一体どうしたら良いのでしょう。

 眉尻を下げるわたしを見つめ、ゆかりさんはスケッチブックの新しいページを開き、そこに言葉を書きます。


〝どうにかしようと思ったところで、どうなるものでもないの。だって、私は最初からこういう存在としてここに在るんだから。あの日、あの時、私の身体が眠りに就いて、私の心が目を醒ました。それだけ〟


 わたしは良く分からず、顔をしかめながら続きに書かれている彼女の言葉を目で追います。


〝たとえば、そう。私はね、自分のことを病気だと思ったことがないの〟
「どういう意味? だってゆかりさんは……」
〝病気というのは、健康だった部分が何かの理由で機能不全を起こしてしまうもの。ゆえに不調の原因を取り除けば、健康に戻ることができる〟


 ゆかりさんはスケッチブックを裏返して、


〝私はあの状態で生まれてきたんだもの。最初から治すべき箇所も治るところも持ち合わせてはいないのよ。だからあの時の私も、今の私も健康そのものなの。今の私が、健康そのものなのよ。普通なの〟
「ゆかりさん……」


 そんな訳がない。わたしにはそう断言することができます。

 小さい頃から、ずっと隣で彼女を見てきたわたしには。
 ずっと彼女の不幸と自分の幸運を比べてきたわたしには。
 そう断言するしかありません。

 ゆかりさんのにこやかな顔を見ていると、どこかからかわれているような気もしますが、わたしは正直に心の内を吐露します。


「少なくともわたしには―――、ううん、きっと誰がどう見ても、こんなのが健康で、普通で、良い状態だなんて思えない。……もっと、ちゃんとした幸せを望んだっていいじゃない」


 じっ、と真剣な眼差しで訴えかけると、ゆかりさんは嬉しそうに口元を歪めて、ふふふ、と笑みを漏らします。
 スケッチブックには何も書きませんでしたが、続く彼女のセリフが、声なき言葉が、わたしには分かりました。


〝みぃちゃんは、優しいわね〟


 彼女が健康だったなら、わたしと同じ普通の女の子だったなら。
 からかったことを悪びれもせず、楽しそうにそう言うのでしょう。長い付き合いだからよく知っています。ゆかりさんはそういう人でした。
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