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学園の寮で
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扉を閉める。
寮の廊下の足音は、そこで途切れた。
咲夜は振り返らない。
鍵もかけない。
侵入者を防ぐための鍵など、この部屋には必要ない。
侵入が許可された存在は、物理的な境界に縛られない。
部屋は整然としていた。
机の上の本は、背表紙の高さが滑らかな曲線を描くよう並んでいる。
窓際には、小さな水槽。
咲夜は制服の袖を少しだけ持ち上げ、水槽の前に立つ。
透明な水の中で、メダカが静かに旋回していた。
「……戻ったよ」
呟きは、空気を揺らすほどの大きさではない。
それでも、水面がわずかに波紋を作る。
餌を落とす。
粒が沈む軌道を、咲夜は目で追った。
群れが崩れ、また整列する。
その動きを確認してから、ようやく視線を上げる。
壁の隅。天井近く。
白い影が貼り付いていた。
ヤモリ。
この学園において、それは単なる生き物ではない。
五大賢それぞれに紐づいた、監視と伝達の末端。
咲夜は、ほんの少しだけ首を傾ける。
「……今日の会議、記録は残した?」
問いは柔らかい。
だが確認の余地を残さない響きを帯びている。
ヤモリは動かない。
動かないこと自体が、答えだった。
咲夜は机に指を置く。
木目の感触をなぞりながら、ゆっくりと息を吐いた。
「そう」
短い肯定。
それだけで話題を終える。
彼女は椅子を引き、腰を下ろした。
背筋は自然に伸びている。
意識していないのに、審議の席と同じ姿勢になる。
視線が、窓へ向く。
学園の塔に灯りがともり始めていた。
あの光の下で、何人の生徒がただの学生として夜を迎えているのか。
その数を、咲夜は正確に把握している。
そして。
その中に、守るべき者と、排除すべき可能性が混ざっていることも。
「……今日は」
言葉が途中で途切れる。
珍しいことだった。
咲夜は、再び水槽を見る。
メダカが一匹だけ、群れの外側を泳いでいた。
やがて、迷いなく元の輪に戻る。
その動きを、長く見つめる。
「……判断は、保留」
それは独り言だった。
誰に向けたものでもない。
しかし、壁のヤモリの喉が、かすかに動いた。
咲夜は気づいている。
気づいているが、視線を向けない。
制服のリボンをほどき、机に置く。
布が落ちる音は、驚くほど軽い。
その軽さと、背負っている責務の重さが、部屋の空気をわずかに歪ませた。
「……報告は、簡潔に」
静かな声。
「誇張も、省略もいらない」
ヤモリは微動だにしない。
それで十分だった。
窓の外では、夜が完全に降りていた。
学園は、表では平穏に眠り始める。
だが咲夜は知っている。
この場所は、国家の均衡を量る天秤のひとつだと。
そしてその重りを、自分が握っていることも。
水槽の中で、光が揺れた。
咲夜は静かに目を閉じる。
明日も、学生として朝を迎える。
そして同時に、五大賢として世界を量る。
どちらが本当の自分なのか。
考える必要はなかった。
どちらも、咲夜だった。
寮の廊下の足音は、そこで途切れた。
咲夜は振り返らない。
鍵もかけない。
侵入者を防ぐための鍵など、この部屋には必要ない。
侵入が許可された存在は、物理的な境界に縛られない。
部屋は整然としていた。
机の上の本は、背表紙の高さが滑らかな曲線を描くよう並んでいる。
窓際には、小さな水槽。
咲夜は制服の袖を少しだけ持ち上げ、水槽の前に立つ。
透明な水の中で、メダカが静かに旋回していた。
「……戻ったよ」
呟きは、空気を揺らすほどの大きさではない。
それでも、水面がわずかに波紋を作る。
餌を落とす。
粒が沈む軌道を、咲夜は目で追った。
群れが崩れ、また整列する。
その動きを確認してから、ようやく視線を上げる。
壁の隅。天井近く。
白い影が貼り付いていた。
ヤモリ。
この学園において、それは単なる生き物ではない。
五大賢それぞれに紐づいた、監視と伝達の末端。
咲夜は、ほんの少しだけ首を傾ける。
「……今日の会議、記録は残した?」
問いは柔らかい。
だが確認の余地を残さない響きを帯びている。
ヤモリは動かない。
動かないこと自体が、答えだった。
咲夜は机に指を置く。
木目の感触をなぞりながら、ゆっくりと息を吐いた。
「そう」
短い肯定。
それだけで話題を終える。
彼女は椅子を引き、腰を下ろした。
背筋は自然に伸びている。
意識していないのに、審議の席と同じ姿勢になる。
視線が、窓へ向く。
学園の塔に灯りがともり始めていた。
あの光の下で、何人の生徒がただの学生として夜を迎えているのか。
その数を、咲夜は正確に把握している。
そして。
その中に、守るべき者と、排除すべき可能性が混ざっていることも。
「……今日は」
言葉が途中で途切れる。
珍しいことだった。
咲夜は、再び水槽を見る。
メダカが一匹だけ、群れの外側を泳いでいた。
やがて、迷いなく元の輪に戻る。
その動きを、長く見つめる。
「……判断は、保留」
それは独り言だった。
誰に向けたものでもない。
しかし、壁のヤモリの喉が、かすかに動いた。
咲夜は気づいている。
気づいているが、視線を向けない。
制服のリボンをほどき、机に置く。
布が落ちる音は、驚くほど軽い。
その軽さと、背負っている責務の重さが、部屋の空気をわずかに歪ませた。
「……報告は、簡潔に」
静かな声。
「誇張も、省略もいらない」
ヤモリは微動だにしない。
それで十分だった。
窓の外では、夜が完全に降りていた。
学園は、表では平穏に眠り始める。
だが咲夜は知っている。
この場所は、国家の均衡を量る天秤のひとつだと。
そしてその重りを、自分が握っていることも。
水槽の中で、光が揺れた。
咲夜は静かに目を閉じる。
明日も、学生として朝を迎える。
そして同時に、五大賢として世界を量る。
どちらが本当の自分なのか。
考える必要はなかった。
どちらも、咲夜だった。
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