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未完成のビリーフ 2
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夏も本番、しかし学生にとっては非常に苦痛な夏休み前のテスト期間が始まった。普段課題が無い限りは学校の授業だけで勉強を済ませている僕も、テスト期間となれば話は別だ。ちゃんと勉強する。赤点なんて取って見ろ、補修よりもあの普段温厚な母親が修羅となるのが怖いのだ。それだけは何としてでも避けたい。
テスト期間になると部活動は全て禁止される。部活せずに勉強しろ、という教師達からの有難い心遣いだ。全く、近野先輩に会えないじゃないか。
あれから、僕と近野先輩はよく話すようになった。幸い僕も人並みに本は読むし、好きだ。だから僕より読書家な近野先輩のオススメを聞いては図書室で探したりする。だからすっかり今では図書室の常連だった。テスト期間中は、家には勉強を阻止してくる誘惑が複数あるため、ある程度の時間、図書室で勉強していくのが習慣になった。何より図書室は冷房が利いていて非常にありがたいのである。
さて、苦手な古文でも勉強しようかな。古文はなまじ日本語のため、どうしても固定概念が邪魔してしまって単語の意味などが覚えづらい。まだ全く異なる言語の英語の方が覚えやすいというものだ。全く、昔の言葉は難しい。
「あら、沢藤君」
本を数冊抱えた近野先輩が図書室にいた。テスト期間に入ってからは毎日放課後ここで勉強しているのに近野先輩と遭遇するのは初めてだ。だから近野先輩が図書室にいたのは偶々なのだろう。
「こんにちは、先輩」
「沢藤君も自習ですか?」
も、ということは先輩も図書室に勉強に来たという事なのだろう。
「えぇそうです。近野先輩も勉強ですか」
「まぁ、そんなところです」
折角なので二人で隣り合って座ることにした。近い。
しかし近野先輩は勉強するといっても教科書をパラパラとめくっているだけだった。
「先輩、勉強は」
「してるじゃないですか」
えぇ…。それを勉強と言い張るのか…。
「そもそも普段授業をきちんと聞いていればテストの点ぐらい取れると思いますが」
凄く正論なんだけど、多くの人に反発を買いそうな言葉だ。僕は正論だな、と割り切っているのであまり腹が立つとかそういったことは無かった。
「ひょっとして沢藤君は成績がアレな子なんですか」
アレって言い方酷いな。
「平均ぐらいはありますよ…」
平均でしかないけども。でも近野先輩はそういう発言をするのだからきっと成績は飛びぬけていいのだろう。
「私ですか?成績は三と四で四が多めという感じですよ」
思いっきり普通だった。それでまさかのあの発言は自分を棚に上げているようなものなのではないだろうか。
「あぁ、勘違いしないでください。学年一位ぐらい簡単ですよ。目立ちたくないのである程度わざと間違えて提出しているんです」
…。暑さで頭がやられてしまったのかもしれない。近野先輩が何を言っているのか何一つとして理解ができない。なぜ取れる成績を取らないのか。
「目立ちたくない、ってだけで成績落としてるんですか?」
「えぇ、そう言っているでしょう?」
さも当然の様に。日が沈めば月が昇るように。水を沸騰させれば気体になるように。まるでそれが世界の理と言わんばかりの言葉だった。
思わずシャーペンを落としそうになるが、拾う面倒臭さが先にやってきて、なんとか落とさずに済んだ。
「だって面倒じゃない。勉強ができるというだけで大して仲良くもない人に教えてって甘えられるし、教師からは変
な期待とプレッシャーをかけられるし。受験に落ちなきゃいいのよ、結局」
クルクルとシャーペンを指で弄びながら先輩は言った。この先輩、何気に大物なのかもしれない。
「古典ですか」
先輩は僕の広げている教材を見ていた。そういえば先輩、本をよく読んでいるしひょっとしたら文系科目が得意かもしれない。余裕ぶっこいているし、教えてもらえないだろうか。
「はい、古典が苦手でして」
「なら、教えてあげましょうか。私、苦手な科目無いですから」
予想の斜め上を剛速球で抜けて行った。全部行けるのかこの先輩は。いや僕も古典だけだし、その苦手な古典も他の強化に比べたらというだけであって、決して赤点を取るような理解度の浅さではない。でもそれでも人に教えるには三倍の理解が必要だと聞く。この先輩、全科目を人より三倍も理解しているというのか…。
「今はどこをやっているのかしら」
教科書を覗き込むときに耳にかかっている髪をかき上げる仕草が良い。おっさんか僕は。
「今は活用形の変形のところです」
「基礎中の基礎ね。これはもう語感で覚えるしかないわ。直接何度も口に出して読み上げていくと結構覚えやすいわ」
意外と真面目なアドバイスだ。しかし文系科目というのは基本的に暗記科目ばかりだから教わりようがないような気がしてきた。数学とかなら計算の方法とかで色々教われそうだが、文系科目は覚えたら終わりなのだから。今みたいに暗記の仕方を教わるぐらいしかないよな。
「それと単語の意味がどうしても覚えづらくって…」
現代と古典では同じ単語でも意味が真逆の物があったりして、苦手意識が拭えないでいるのだ。
「それは単語そのものを覚えようとするのではなくて、文章全体の訳を覚えてしまった方が早いわ」
なるほど。想像の何倍も上回るアドバイス。有難く頂戴するとしよう。
先輩のアドバイスを元に何度か問題を解き、先輩に添削をしてもらう。そして自分で見落としている欠点も先輩が見つけて、直してくれる。非常に有意義な個人授業だった。
そうこうしている内に時間は進み、夕日が半分隠れる頃に図書室にいる数学教師の和泉先生に帰るように指摘された。
「先輩、今日はありがとうございました」
結局先輩は僕に付きっ切りで勉強を教えてくれたせいで、自分の勉強はできていなかった。流石に余裕を見せていたとはいえ、申し訳ない気持ちが勝った。
「いいのよ、気にしないで。私は平気だから」
なぜかその時先輩は寂しそうに笑った。
先輩のお陰で今回の古典のテストは問題なくクリアできそうだし、他の科目を勉強する時間もできてまずまずの出来になりそうだ。少なくとも母が修羅になることは無さそうだ。
今こうしてテストの問題用紙と睨み合いをしながらでもそう思う。今のところ躓くような設問には当たってはいない。どれもスラスラと解けていく。そのお陰か時間は見直しをしてもなお、三十分以上も余り、睡眠時間に充てることにした。テスト勉強という名目の元、夜更かしを続けていたから丁度いい。ここでも先輩に感謝しなくてはならない。こういうことが殆どの科目で起きた。しかし数学だけはどうしても最後の設問で、和泉先生が意地悪の様に難問を入れたことで時間がギリギリになってしまった。恨むべし、和泉先生。
テストが終わると、安堵する者、絶望する者、これから始まる夏休みに向けて早速計画を立てる者など様々な人間像が見られた。僕はそのどれでもなく、強いて言うならば安堵した側だろうか。絶望するような出来からは程遠いし、夏休みに遊びに行く計画を立てるほど親しい友人がいるわけでもない。言ってて寂しくなってきた。
とにもかくにも、テストが終わった今、部活動が解禁される。もう一度先輩にお礼を言うために部室へ向かった。
そこでは非常に不愉快なものを見ることになった。
「なぁ、夏休みどこか行こうぜ」
「嫌です」
及川先輩が近野先輩に迫っている最中にタイミング悪く部室に入ってしまった。及川先輩がそんな僕をチッと舌打ちしながら睨み、近野先輩から離れていく。そもそも貴方桐生先輩という彼女がいるでしょう。
なんて心の中で毒づいていると近野先輩は近づいてきた。
「ありがとう、沢藤君。助かったわ」
凄く僕に接近して上目遣いをしながら僕に囁く。まるで及川先輩に見せつける様だった。実際及川先輩は凄く不愉快そうに睨んでくる。胃が痛い。
しかし不愉快なのは僕も同じで、部室でそういうことをするのは避けて欲しい。誰が来るか分からないのだから。
「飲み物買いに行くけど、沢藤君も来る?」
近野先輩に声をかけられる。遠回しに付いてこいと言われている気がしたので、お供することにした。
「及川先輩はね、女癖が悪いってことで有名なの。何度かトラブルがあったって部長が言ってたの。実際私も今目を付けられてて迷惑してるのだけど…」
はぁ。それは何とも面倒な。
「彼女はコロコロ変わって、一ヶ月毎に違う人と付き合ってるかな。何股もかけてるって噂も聞くし。私、そういう人嫌いなのよね…」
よく、女性がこういう愚痴を言うときは解決を求めているのではなく、共感を求めていると聞く。ようし、ここはその知識を活かそうではないか。
「それは大変ですね」
凄く他人事のように聞こえる。全然活かせて無かった。だって他人事だもん。
「えぇ、ほんとに。困っちゃう」
はぁ、と分かりやすいため息を一つ聞いた。本当に困っているらしい。それならせめて勉強を教えてもらった恩返しに一つ、力になれないだろう。例えば。
「僕と付き合っている、っていう体にすればどうでしょう。僕じゃ役不足かもしれませんが」
「及川先輩、人の彼女にも手を出して何度か揉めてるらしいから無駄だと思うわ。それに沢藤君、『役不足』の使い方、間違ってるわよ。本当に国語系の科目がダメなのね」
近野先輩曰く、役不足というのは役割が実力に相応していない事らしい。つまり僕の認識が逆だった。さっき僕は近野先輩の彼氏の役割を果たすには近野先輩の実力が足りていないという、実に失礼極まりないことを言ったそうだ。
「すみません…」
ただただ謝ることしかできなかった。
「でもまぁ、誤用の方が一般認識になってしまっているわけですしね」
さほど気にもしていない様子だった。良かった、と胸を撫でおろす。
自販機の前にはまだ帰宅していない学生が少しばかり溜まっていた。少し買うのには時間がかかりそうだった。仕方なく人が捌けるのを待っていると、ある会話が聞こえてきた。
「七不思議知ってる?」
「辞めてよ、私そういうの苦手なんだから」
「沙苗ってば本当怖がりだよね」
七不思議。まぁ、何ともこの学校は新聞部の存在といい、七不思議といい、実にフィクションの中でしか見ないような単語がチラホラと出てくるものなんだな。実に変わった学校と言えよう。うむ。
「沢藤君は七不思議とか怪談は好きですか」
近野先輩にも聞こえていたようで、その話題を振ってきた。
「まぁ、人並みには」
所謂、ホラーというジャンル。映画やドラマ、漫画などでも多く使われるその題材は恐怖を見る人に与え、そのスリルを楽しむものである。しかしその恐怖が嫌で見ない人も多いのもまた事実である。ホラーには幽霊が使われることが多いが、基本的に幽霊の存在以外は現実的なものが多いから身近に感じてしまって嫌なのだろう。他には物理学などの科学ではありえないとしか思えない現象などもホラーに分類されるのかな。動くはずのないものが動く。映らないはずのものが映るとかそういったもの。
僕は別に嫌いではない。だが好き好んで見るほどか、と問われればそれもまた違う。テレビをつけてたまたまホラー映画や特集番組がやっていれば手を止めて見てしまう程度のものだ。
「そう。私は結構好きなの。だって、ロマンを感じないかしら?」
ロマンと言われても特にピンとくるものは無い。男の僕にとってのロマンは某海賊であったり、某忍者であったり、そういった冒険とかバトルものに感じるものであって、幽霊の存在に感じたりはしなかった。
「あら、残念」
ちょっと意地悪そうに笑う近野先輩を見て、せめて表情と台詞を一致させてほしいと思うばかりだった。
何とか人が捌け、ようやく自分たちも自販機で飲み物を買えるようになった。先輩は迷わずにレモンティーを購入。となると先輩を待たせるわけにはいかない。僕もすかさずコーラを購入する。毎回思うのだけど、自販機で買うと、上から落ちてくるのにどうして、炭酸が溢れてこないのだろうか。
飲み物を買い終え、それを手に部室に戻る途中。先輩がこれまた凄いことを言いだした。
「そういえば、先日沢藤君、私の成績に対して苦言を呈していましたね」
いきなり何だ。しかも苦言を呈したわけではない。あくまでわざと成績を落としているという点について疑心を抱いているだけだというのに。
「なので、今回だけ、特別に本気を出しました。成績は学年一位のはずですよ」
決して自分よりいい点を取った人間はいないと、それが当たり前なのだと、それが常識なのだと言わんばかりの先輩を見ていると、自分が間違っているのかと錯覚してきた。
「可愛い後輩のためです。特別ですよ」
僕、何か先輩に好かれるような事したっけ。
テスト期間になると部活動は全て禁止される。部活せずに勉強しろ、という教師達からの有難い心遣いだ。全く、近野先輩に会えないじゃないか。
あれから、僕と近野先輩はよく話すようになった。幸い僕も人並みに本は読むし、好きだ。だから僕より読書家な近野先輩のオススメを聞いては図書室で探したりする。だからすっかり今では図書室の常連だった。テスト期間中は、家には勉強を阻止してくる誘惑が複数あるため、ある程度の時間、図書室で勉強していくのが習慣になった。何より図書室は冷房が利いていて非常にありがたいのである。
さて、苦手な古文でも勉強しようかな。古文はなまじ日本語のため、どうしても固定概念が邪魔してしまって単語の意味などが覚えづらい。まだ全く異なる言語の英語の方が覚えやすいというものだ。全く、昔の言葉は難しい。
「あら、沢藤君」
本を数冊抱えた近野先輩が図書室にいた。テスト期間に入ってからは毎日放課後ここで勉強しているのに近野先輩と遭遇するのは初めてだ。だから近野先輩が図書室にいたのは偶々なのだろう。
「こんにちは、先輩」
「沢藤君も自習ですか?」
も、ということは先輩も図書室に勉強に来たという事なのだろう。
「えぇそうです。近野先輩も勉強ですか」
「まぁ、そんなところです」
折角なので二人で隣り合って座ることにした。近い。
しかし近野先輩は勉強するといっても教科書をパラパラとめくっているだけだった。
「先輩、勉強は」
「してるじゃないですか」
えぇ…。それを勉強と言い張るのか…。
「そもそも普段授業をきちんと聞いていればテストの点ぐらい取れると思いますが」
凄く正論なんだけど、多くの人に反発を買いそうな言葉だ。僕は正論だな、と割り切っているのであまり腹が立つとかそういったことは無かった。
「ひょっとして沢藤君は成績がアレな子なんですか」
アレって言い方酷いな。
「平均ぐらいはありますよ…」
平均でしかないけども。でも近野先輩はそういう発言をするのだからきっと成績は飛びぬけていいのだろう。
「私ですか?成績は三と四で四が多めという感じですよ」
思いっきり普通だった。それでまさかのあの発言は自分を棚に上げているようなものなのではないだろうか。
「あぁ、勘違いしないでください。学年一位ぐらい簡単ですよ。目立ちたくないのである程度わざと間違えて提出しているんです」
…。暑さで頭がやられてしまったのかもしれない。近野先輩が何を言っているのか何一つとして理解ができない。なぜ取れる成績を取らないのか。
「目立ちたくない、ってだけで成績落としてるんですか?」
「えぇ、そう言っているでしょう?」
さも当然の様に。日が沈めば月が昇るように。水を沸騰させれば気体になるように。まるでそれが世界の理と言わんばかりの言葉だった。
思わずシャーペンを落としそうになるが、拾う面倒臭さが先にやってきて、なんとか落とさずに済んだ。
「だって面倒じゃない。勉強ができるというだけで大して仲良くもない人に教えてって甘えられるし、教師からは変
な期待とプレッシャーをかけられるし。受験に落ちなきゃいいのよ、結局」
クルクルとシャーペンを指で弄びながら先輩は言った。この先輩、何気に大物なのかもしれない。
「古典ですか」
先輩は僕の広げている教材を見ていた。そういえば先輩、本をよく読んでいるしひょっとしたら文系科目が得意かもしれない。余裕ぶっこいているし、教えてもらえないだろうか。
「はい、古典が苦手でして」
「なら、教えてあげましょうか。私、苦手な科目無いですから」
予想の斜め上を剛速球で抜けて行った。全部行けるのかこの先輩は。いや僕も古典だけだし、その苦手な古典も他の強化に比べたらというだけであって、決して赤点を取るような理解度の浅さではない。でもそれでも人に教えるには三倍の理解が必要だと聞く。この先輩、全科目を人より三倍も理解しているというのか…。
「今はどこをやっているのかしら」
教科書を覗き込むときに耳にかかっている髪をかき上げる仕草が良い。おっさんか僕は。
「今は活用形の変形のところです」
「基礎中の基礎ね。これはもう語感で覚えるしかないわ。直接何度も口に出して読み上げていくと結構覚えやすいわ」
意外と真面目なアドバイスだ。しかし文系科目というのは基本的に暗記科目ばかりだから教わりようがないような気がしてきた。数学とかなら計算の方法とかで色々教われそうだが、文系科目は覚えたら終わりなのだから。今みたいに暗記の仕方を教わるぐらいしかないよな。
「それと単語の意味がどうしても覚えづらくって…」
現代と古典では同じ単語でも意味が真逆の物があったりして、苦手意識が拭えないでいるのだ。
「それは単語そのものを覚えようとするのではなくて、文章全体の訳を覚えてしまった方が早いわ」
なるほど。想像の何倍も上回るアドバイス。有難く頂戴するとしよう。
先輩のアドバイスを元に何度か問題を解き、先輩に添削をしてもらう。そして自分で見落としている欠点も先輩が見つけて、直してくれる。非常に有意義な個人授業だった。
そうこうしている内に時間は進み、夕日が半分隠れる頃に図書室にいる数学教師の和泉先生に帰るように指摘された。
「先輩、今日はありがとうございました」
結局先輩は僕に付きっ切りで勉強を教えてくれたせいで、自分の勉強はできていなかった。流石に余裕を見せていたとはいえ、申し訳ない気持ちが勝った。
「いいのよ、気にしないで。私は平気だから」
なぜかその時先輩は寂しそうに笑った。
先輩のお陰で今回の古典のテストは問題なくクリアできそうだし、他の科目を勉強する時間もできてまずまずの出来になりそうだ。少なくとも母が修羅になることは無さそうだ。
今こうしてテストの問題用紙と睨み合いをしながらでもそう思う。今のところ躓くような設問には当たってはいない。どれもスラスラと解けていく。そのお陰か時間は見直しをしてもなお、三十分以上も余り、睡眠時間に充てることにした。テスト勉強という名目の元、夜更かしを続けていたから丁度いい。ここでも先輩に感謝しなくてはならない。こういうことが殆どの科目で起きた。しかし数学だけはどうしても最後の設問で、和泉先生が意地悪の様に難問を入れたことで時間がギリギリになってしまった。恨むべし、和泉先生。
テストが終わると、安堵する者、絶望する者、これから始まる夏休みに向けて早速計画を立てる者など様々な人間像が見られた。僕はそのどれでもなく、強いて言うならば安堵した側だろうか。絶望するような出来からは程遠いし、夏休みに遊びに行く計画を立てるほど親しい友人がいるわけでもない。言ってて寂しくなってきた。
とにもかくにも、テストが終わった今、部活動が解禁される。もう一度先輩にお礼を言うために部室へ向かった。
そこでは非常に不愉快なものを見ることになった。
「なぁ、夏休みどこか行こうぜ」
「嫌です」
及川先輩が近野先輩に迫っている最中にタイミング悪く部室に入ってしまった。及川先輩がそんな僕をチッと舌打ちしながら睨み、近野先輩から離れていく。そもそも貴方桐生先輩という彼女がいるでしょう。
なんて心の中で毒づいていると近野先輩は近づいてきた。
「ありがとう、沢藤君。助かったわ」
凄く僕に接近して上目遣いをしながら僕に囁く。まるで及川先輩に見せつける様だった。実際及川先輩は凄く不愉快そうに睨んでくる。胃が痛い。
しかし不愉快なのは僕も同じで、部室でそういうことをするのは避けて欲しい。誰が来るか分からないのだから。
「飲み物買いに行くけど、沢藤君も来る?」
近野先輩に声をかけられる。遠回しに付いてこいと言われている気がしたので、お供することにした。
「及川先輩はね、女癖が悪いってことで有名なの。何度かトラブルがあったって部長が言ってたの。実際私も今目を付けられてて迷惑してるのだけど…」
はぁ。それは何とも面倒な。
「彼女はコロコロ変わって、一ヶ月毎に違う人と付き合ってるかな。何股もかけてるって噂も聞くし。私、そういう人嫌いなのよね…」
よく、女性がこういう愚痴を言うときは解決を求めているのではなく、共感を求めていると聞く。ようし、ここはその知識を活かそうではないか。
「それは大変ですね」
凄く他人事のように聞こえる。全然活かせて無かった。だって他人事だもん。
「えぇ、ほんとに。困っちゃう」
はぁ、と分かりやすいため息を一つ聞いた。本当に困っているらしい。それならせめて勉強を教えてもらった恩返しに一つ、力になれないだろう。例えば。
「僕と付き合っている、っていう体にすればどうでしょう。僕じゃ役不足かもしれませんが」
「及川先輩、人の彼女にも手を出して何度か揉めてるらしいから無駄だと思うわ。それに沢藤君、『役不足』の使い方、間違ってるわよ。本当に国語系の科目がダメなのね」
近野先輩曰く、役不足というのは役割が実力に相応していない事らしい。つまり僕の認識が逆だった。さっき僕は近野先輩の彼氏の役割を果たすには近野先輩の実力が足りていないという、実に失礼極まりないことを言ったそうだ。
「すみません…」
ただただ謝ることしかできなかった。
「でもまぁ、誤用の方が一般認識になってしまっているわけですしね」
さほど気にもしていない様子だった。良かった、と胸を撫でおろす。
自販機の前にはまだ帰宅していない学生が少しばかり溜まっていた。少し買うのには時間がかかりそうだった。仕方なく人が捌けるのを待っていると、ある会話が聞こえてきた。
「七不思議知ってる?」
「辞めてよ、私そういうの苦手なんだから」
「沙苗ってば本当怖がりだよね」
七不思議。まぁ、何ともこの学校は新聞部の存在といい、七不思議といい、実にフィクションの中でしか見ないような単語がチラホラと出てくるものなんだな。実に変わった学校と言えよう。うむ。
「沢藤君は七不思議とか怪談は好きですか」
近野先輩にも聞こえていたようで、その話題を振ってきた。
「まぁ、人並みには」
所謂、ホラーというジャンル。映画やドラマ、漫画などでも多く使われるその題材は恐怖を見る人に与え、そのスリルを楽しむものである。しかしその恐怖が嫌で見ない人も多いのもまた事実である。ホラーには幽霊が使われることが多いが、基本的に幽霊の存在以外は現実的なものが多いから身近に感じてしまって嫌なのだろう。他には物理学などの科学ではありえないとしか思えない現象などもホラーに分類されるのかな。動くはずのないものが動く。映らないはずのものが映るとかそういったもの。
僕は別に嫌いではない。だが好き好んで見るほどか、と問われればそれもまた違う。テレビをつけてたまたまホラー映画や特集番組がやっていれば手を止めて見てしまう程度のものだ。
「そう。私は結構好きなの。だって、ロマンを感じないかしら?」
ロマンと言われても特にピンとくるものは無い。男の僕にとってのロマンは某海賊であったり、某忍者であったり、そういった冒険とかバトルものに感じるものであって、幽霊の存在に感じたりはしなかった。
「あら、残念」
ちょっと意地悪そうに笑う近野先輩を見て、せめて表情と台詞を一致させてほしいと思うばかりだった。
何とか人が捌け、ようやく自分たちも自販機で飲み物を買えるようになった。先輩は迷わずにレモンティーを購入。となると先輩を待たせるわけにはいかない。僕もすかさずコーラを購入する。毎回思うのだけど、自販機で買うと、上から落ちてくるのにどうして、炭酸が溢れてこないのだろうか。
飲み物を買い終え、それを手に部室に戻る途中。先輩がこれまた凄いことを言いだした。
「そういえば、先日沢藤君、私の成績に対して苦言を呈していましたね」
いきなり何だ。しかも苦言を呈したわけではない。あくまでわざと成績を落としているという点について疑心を抱いているだけだというのに。
「なので、今回だけ、特別に本気を出しました。成績は学年一位のはずですよ」
決して自分よりいい点を取った人間はいないと、それが当たり前なのだと、それが常識なのだと言わんばかりの先輩を見ていると、自分が間違っているのかと錯覚してきた。
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